第8話 新聖女アナスタシアの断罪
一方、テオの新しい婚約者アナスタシアは、王太子への輿入れに向けて準備が忙しい中、合間を縫って、家の近くにある小さな礼拝堂を訪れていた。
「……神よ。何故、私なのでしょうか」
アナスタシアの問いかけに神は沈黙している。
「リリス様を押しのけてまで聖女の地位に居座る資格が、本当に私にあるのですか?」
聖母像はただ静かに微笑んだままである。
「それでもなお、私に聖女をお命じならば……どうか、この国をよくできるよう、お力をお貸しください」
アナスタシアが祈りを終えると、昔なじみの侍女が迎えに来た。
「お戻りの時間でございます、アナスタシア様」
深深と頭を下げる。その慇懃な態度にアナスタシアは眉をひそめた。
「何よ急に改まって」
「私のお嬢様が王太子妃になるんですから、私もそれ相応に振る舞わないと」
そう言って侍女は肩をすくめる。彼女はアナスタシアと子どもの頃から一緒にいる、幼なじみの親友といっていい存在なのだった。
「いやあ、でもすごかったですよ、お嬢様」
「何が」
「あの婚約破棄の場での『勝った女』オーラ」
「やめてよ」
アナスタシアはぴしゃりと言う。
「どうしていいかわからなくて固まってただけなのよ。……リリス様に申し訳ないわ」
しかし侍女は首をかしげた。
「でも、すごく堂々としているように見えましたよ」
「そう見えただけよ」
アナスタシアはため息をつく。
「あのあと大臣達、私と殿下になんて言ったと思う? 『一刻も早く、正しき聖女様の血を継ぐお世継ぎを』ですって」
心底うんざりした様子でそう言った。
さすがに侍女もしばし言葉を失い、それから慌てて取り繕う。
「冗談です。わかってますよ、お嬢さまが悪くないってことは」
「……まあ、あなたや家族がそう思っても、世間はそうは思わないでしょうね」
アナスタシアは深いため息を一つ吐いた。
「あなたの言うとおり、私は前任者を追い落として王太子妃の座におさまった『勝った女』よ」
「ごめんなさい本気でそう思ったわけじゃ……」
アナスタシアは、フッと苦笑いをしながら首を振った。
「いいの。それに、教会の人間でもない。聖騎士団の血縁者ですらなく、王国軍の総帥の娘が聖女になった。教会はおもしろくないでしょうね」
アナスタシアは首から提げた聖印を握りしめる。
「でも、だからこそ……きっと意味があるはずなの。私が選ばれたことに」
ステンドグラスからさしこむ光が、アナスタシアの肌を淡く照らしている。神々しさに、侍女は思わず眼を見張った。
そのとき、パタパタと足音が聞こえてきて、四人の修道女たちが駆け込んできた。
「お、お助けください、アナスタシア様!」
三人の若く美しい修道女と、年かさの修道院長らしき女性が震えている。
「どうなさったのです?」
侍女は、不思議そうに修道女たちを見つめた。どこにも怪我はないし、おかしな象徴もない。
だが、アナスタシアは気づいたように眼を細めた
「悪魔に呪いをかけられたのですか」
「は、はい!」
修道女たちは更に地面にめりこみそうな勢いで平身低頭する。
「水面や鏡を見ると、私の顔が醜く映っていて……恐ろしくて顔を洗うこともままなりません」
「どうか、呪いを解いてください! お願いします!」
平伏する修道女達を、アナスタシアはじっと見下ろして――静かに言った。
「……その呪いは、あなた達が心から悔い改めなければ、解くことはできません」
修道女たちは顔をあげる。
「悪魔に『これは魂の姿を映す呪いだ』と言われませんでしたか」
アナスタシアの言葉に修道女たちは震え上がった
「え、なんでわかるんですか……」
「と、解いてくださらないんですかっ!?」
声が裏返って震える。
「わたし、加護もちの聖職者なのに! 神に仕える身なのに!」
アナスタシアは静かに首を横に振るだけだった。
「だからこそです」
静かな彼女の言葉は礼拝堂の中でしっかりと響いた。
「神の奇跡とは、人を甘やかすためのものではないのです……あなたがたは自分の魂の姿と向き合うことから逃げています」
修道女達は何も言い返すことができない。
「それを私の力で消してしまったら、同じことを繰り返すだけです。ですから、呪いは解けません」
アナスタシアの言葉は凜として、容赦がなかった。
「……う、うわあああああ!!」
修道女の一人が泣き崩れた。
「ふざけんな糞女! これならあのリリスのほうがマシだったわ!」
掴みかからんばかりのもう一人の修道女からアナスタシアを守るように侍女は立ち塞がった。
「無礼ですよ。お下がりください」
「うるさい! 返してよ! あたしの顔! 返してよ!」
なだめても修道女がなお喚いているので、侍女は仕方なく彼女を羽交い締めにする。
泣き崩れる仲間と、激高する仲間を見て呆然としていた修道女が、はっと我に返ったように叫んだ。
「あ! そうそう、リリス! リリスです!」
アナスタシアが、リリスの名前をきいてぴくりと眉を動かした。
「先代のリリス様がどうされましたか」
「リリスが、悪魔をたぶらかして、あたしたちに呪いをかけたんです!」
仲間の言葉に、院長たちがこれ幸いとばかりに言葉を添える。
「我々は、悪魔にたぶらかされたあの元聖女をあなた様に差しだそうとしていたのですが、呪いをかけられてしまって……」
「アナスタシア様、今すぐあの女を捕らえてください! そして、この情報を持ってきた我々にお慈悲を、どうか……」
「何を言っているのですか」
アナスタシアは淡々とした声で言う。
「証拠もないのによくもまあ。先代聖女の名誉を貶めるような真似は、私はゆるしませんよ」
「ほ、本当なんです! たしかにあの元聖女が」
なお食い下がろうとする修道女を、アナスタシアはじっと見下ろす。
怒りでも軽蔑でもない。もっと乾いた、逃げ場のない何か——判決を下す者の目だった。
「それにあなたたち、あの辺境にある修道院の者でしょう」
ピシ、と空気が凍る音がしたようだった。
「報告がありました。『赦しの札』なるものを困っている方に高値で売りつけていましたね?」
「い、いや、それはその」
たじろぐ修道女たちに、アナスタシアは判決を言い渡した。
「悔い改めてください」
新しい聖女の言葉は、容赦がなかった。
「この人達、お送りしてあげて」
侍女はうなずいて、修道女たちを促した。
「さあ、お帰りください」
泣き叫ぶ者、怒り狂って罵る者、呆然として何も言えない者、まだアナスタシアに慈悲を請う院長。多種多様の修道女たちは、侍女に促され、引っ張られて、退散せざるを得なかった。
奇跡は訪れなかった。
だが、侍女は却って、アナスタシアの姿に、聖なるものを見た、と思った。




