第7話 王太子テオドロスの悔恨
――早朝、セントティアラ王国・聖騎士団の修練場。
教会所属の聖騎士たちは、今日も朝から鍛錬に励んでいる。
テオも、その一人である。
王太子でありながら、聖騎士団長をつとめる彼の剣は、国中で誰よりも鋭く、研ぎ澄まされている。それは彼がリリスと婚約破棄を宣言してから、苛烈なほどにますます強度を増していた。
「殿下。いや、団長。そろそろ朝食の時間です」
「……ああ、もうそんな時間か」
副団長に声をかけられるまで、テオは時が経つのも忘れていた。
剣の鍛錬はテオにとって心地がよかった。没頭している間は、他のことを考えなくて良いからだ。
食堂に向かう途中、鍛錬を終えた新米騎士たちが、汗を拭きながら雑談に花を咲かせている。
「なあ、夜に娼館に遊びに行かないか? かわいい子最近入ったんだよ!」
「いいなあ! 美女に囲まれながら酒飲みてぇ~!」
俗物的な会話にテオは足を止めた。そして、無言で新米騎士達のほうに歩み寄っていく。
「お待ちください団長! ただの戯れ言です!」
副団長の制止もむなしく、テオは先ほどの新人たちに近づき、無言で見下ろした。
突然テオに射すくめられた新人二人は、驚いて固まってしまう。
「娼館だと」
テオの言葉は短い。そのぶん圧が強い。新人たちはしどろもどろになりながら、言った。
「訓練が終わったあとの話です」
「そうです、俺たち仕事をさぼっている訳じゃ……」
新人たちの言い分に、テオの表情は固いままだった。
「任務外のこととは言え、女遊びがしたいなど。聖騎士たる者が、そんなことでどうする」
テオは、自分の腰に下がっている銀の剣の鞘を、軽く撫でた。
「銀の剣は、魔物や悪魔に致命傷を与える唯一の武器だが、ただ振り回せば良いというものではない。銀の剣には、使い手の精神が宿る」
テオの話は、単なる精神論ではない。
銀の剣の使い手の心に、煩悩や迷いがあると、剣の切れ味は悪くなる。邪念を捨てて清らかな気持ちで剣を手にすることで、初めてその真価を発揮するのだ。
「だから貴様達の剣は鈍なんだ」
新人たちは唇を噛んだ。
不服そうな顔をテオは見逃さない。
「文句があるのなら、腕を証明してみせろ」
「えっ。朝食は」
「すぐに終わる」
テオと新人聖騎士、副団長は修練場へと逆戻りした。
無人の修練場で、テオは、修練に使う丸太を置いた。
「切ってみろ」
新米は、集中して、息を整えて「やあーっ!」と勢いよく切り込んだ。
しかし、丸太に剣がひっかかって、切り落とすことができなかった。
「無理です……」
「代われ」
テオは淡々と新人の剣を引き抜くと、今度は自分が丸太の前に立った。剣はまだ鞘の中だ。
「よく見ていろ」
一閃。
一陣の風が吹いた。
チン、とテオが剣を鞘にしまう音が小さく響き、その瞬間、丸太はバラバラになって床に落ちた。
「……」
テオの太刀筋どころか、剣を抜いたところもまともに見えなかった。
新人達は何も言えずに、無言でバラバラになった丸太を見つめる。
「わかったか」
「は、はい……」
新人達はすっかりおとなしくなった。
「なら、剣技も精神も磨くことだ」
「しょ、承知いたしました……!」
「さっさと朝食を済ませてこい」
テオが短く言うと、新人騎士たちは逃げるように食堂へと走り去っていった。
「団長もお食事を」
「私のことは良い。先に行け」
テオはそう言って副団長を行かせると、自分ひとりで丸太を片付けて、単身食堂に向かった。
もうすでに食べ終わって、朝の任務が始まるまでの間に、雑談に花を咲かせている者もいる。
それでよかった。テオは団員たちと団らんがしたいわけではない。ただ必要な栄養だけ詰め込んで、早く公務に戻りたかった。仕事をしているときだけは、己の罪悪感に向き合わなくていいから。
「なあ、聞いたか? リリス様の話」
テオは、ぴたと足を止めた。壁の後ろに隠れて、団員たちの噂話に耳を澄ませる。
「ああ、殿下に婚約破棄された……」
「そうそう。行方不明なんだってよ」
テオは思わず息を止めた。
(そんなはずはない、リリスは修道院に戻って暮らすはずで――。)
「修道院に戻ったんじゃなかったのか?」
「それが、怒り狂った修道院長が、彼女を罵って追い出したらしいぞ。そのあとの行方はわからないとか……」
「行き場がなくなった女の行くところといや娼館だろ。もしかして元聖女の身体をおがめたりするのか?」
下卑た妄想を口にする団員に対して、ほかの団員が首を振った。
「いや、俺は、リリス様が湖に向かってふらふら走って行くのを見たって話を聞いたぞ」
「気が触れて湖にでも飛び込んだのかねえ……」
もうテオは聞いていられなかった。団員たちにわからないように身を翻すと、王城にある自分の部屋に向かって早足で歩いた。
朝食はとても食べる気になれなかった。
セントティアラ王家は、代々、神の加護を受けた「聖女」を妻とし、悪魔に対抗できる血を残すことを使命としてきた。
テオの母も、例に漏れず聖女であったが、産後の肥立ちが悪く、テオを生んで間もなく亡くなった。
母の次の聖女たちは次々と父王の妻となったが。子には恵まれずみんな早逝してしまった。何代か後に聖女になったのが、自分と年の近いリリスだった。
兄弟が他にいない故に、跡目争いは無い。
しかし跡継ぎは自分ひとりだという大きな重圧がテオにのしかかった。
いつも気を張っていたテオは、子どもの頃はしばしば熱を出して寝込んでいた。寝込むたびに、ため息をつく大人達の顔を見るのがとても嫌だった。
……リリスと婚約して初めて病床に伏した時。
リリスは、静かに側にいてくれた。
「テオ様は、ぜったいにだいじょうぶです!」
リリスはそう言って、自分を信じてくれた。
彼女の治癒魔法を受けると、熱が引くだけでなく、心もじんわりと温かくなるようだった。
「わたし、聖女として……将来のお妃様として、テオ様を精一杯お支えします!」
顔を赤らめながら一生懸命ことばを紡いでくれた。
最後に彼女が見せた涙が、今もテオの脳裏に焼き付いて離れない。
しかし、聖女としては不適格となったリリスを追いかけることは許されない。彼女が、修道院に戻って、達者に暮らしていることを祈るほかなかいと思っていた。
それなのに、行方不明?
湖に飛び込んだかもしれない?
「俺が、リリスを、殺した……?」
婚約破棄を宣言した、あの日。リリスが走り去るやいなや、大臣達は破顔して自分と父王にすり寄ってきた。
『清々しましたな殿下!』
『ご覧になりましたか、大聖務官のあの悔しそうな顔!』
大臣たちは、教会が代々聖女を王族の妃に送り出し、聖女の後見として政治を牛耳ってきたことを快く思っていなかったのだ。
事実、コルネリウス大聖務官が、ぎりぎりと歯噛みしながら、アナスタシアと、その父、王国軍元帥をにらみつけていた。
『アナスタシア様のおかげで、王家の血が汚れることは避けられました』
大臣の一人にそう言われて、アナスタシアは何も言わず曖昧に微笑んでいた。なんと言っていいのか応えあぐねている様子だった。
父王も、大臣たちも、教会の大聖務官も、誰一人としてリリスの心配などしていなかった。
(俺は、あんな連中のためにリリスを……?)
くらくらして、吐き気を催す。
テオは慌ててトイレに駆け込んで、胃液を吐き出した。
荒く息をついて、テオは吐き気の中で嗚咽した。
「すまない、すまないリリス……!」
テオは便器にすがって一人で慟哭した。
それからどれほど時が経ったのだろうか。
不意に、ドアをノックする音がして、従僕の声が扉越しに聞こえてきた。
「殿下、失礼致します。ご婚礼の式次第の確認をしていただきたいのですが」
「……ああ、少し待ってくれ」
テオは吐き気を押さえて、何事もなかったかのような涼しい表情を整えたつもりだったが。
「殿下、お顔色が悪うございます」
従僕は驚いて言った。
「後日に致しましょうか」
「問題ない、予定通り行う」
吐き気を抑えながら、書類に目を通す。休むと、罪悪感に飲み込まれてしまいそうで恐ろしかった。




