第5話 修道院の夜
その日の夜中。ふくろうの鳴き声だけがやけに響く夜。
こんこん、と修道院の扉を叩く音がした。
リリスは熟睡していたが、音に反応してぱちりと眼を開けた。反射的に出ようとするが、何故かこのときばかりは修道女たちが止めた。
「あれはいいの。私たちが対応するわ」
「リリスさま、明日も早いでしょう。どうかおやすみになって」
そう言う修道女の口から、リリスは微かな臭いを感じた。
(このにおい……まさか、お酒?)
葡萄酒は、祝祭や儀式の時にほんの少しいただくもののはずなのに。修道女の口からは葡萄酒の臭いがぷんぷんした。
酒気を帯びた修道女達は、それでも、来客の対応を自分たちがやるからリリスは奥にいろと聞かない。
リリスは気になって、壁の後ろからそっと様子を伺った。
「どうか、お慈悲を……」
大きな毛布の包みを抱えた女性だった。包みを解くと、そこには紫色の顔をした子供が微かに苦しそうな呼吸をしていた。
リリスは息を呑んだ。あの子はどう見ても手遅れだ。母親は、せめて子供が天国に行けるように、聖職者の祈りを求めに来たのだろう。
リリスが見守っていると、修道女たちは憐れみを込めた声で言った。
「この子は、神にまもなく召されるのですね」
「安心なさい。『赦しの札』があれば、この子は天国に行けますよ」
「お代はたったの銀貨五枚ですわ」
リリスは耳を疑った。銀貨五枚とはなんのことだ。神の祈りを求めるのに、そんな大金を求めるのか?
「亡くなった夫の残してくれたお金では銀貨二枚が限界で。どうか、これでお慈悲を……」
縋る母親の姿に、修道女たちは憐れみを込めて大げさにため息をつく。
「どうします院長」
「仕方ありませんね……」
リリスは黙って見ていられずに思わず飛び出した。
「あ、あの!」
修道女と院長がぎょっとして振り返る。子を抱えた母親はぽかんとしてリリスを見つめた。
「その子への祈り、私にやらせてください。お代は要りません!」
「ちょっと。余計なことをしないで」
修道女たちが止めるのも聞かず、リリスは母親に声をかけた。
「この子のお名前は?」
「は、はい。パウロと申します」
「手を握っても、構いませんか?」
「はい……」
リリスは幼いパウロの手をとった。
パウロはうっすらと眼を開き、リリスを見た。リリスは、紫色の腫瘍でぶよぶよになっているパウロを見て、優しく微笑んだ。
「パウロくん、もう大丈夫ですよ。あなたはすべての苦しみから解放されて、神様の御許へと旅立つのです」
優しいリリスの笑みに、パウロはしばし苦しみを忘れた。
「あ……あり、がとう」
パウロは微笑んで、そのまま息を引き取った。
人の命を吹き返すような、奇跡は無かった。
それでも、苦しみの中でパウロは救われた。
「……安らかな眠りを、お祈り致します」
リリスは、パウロの目を閉じてやって、母親に頭を下げる。
母親は、パウロを抱いて、そのまま泣き崩れた。リリスは、何も言わずにそっと彼女の背に手を当てた。
「ありがとうございました……」
母親は深深とリリスに頭を下げた。
「本当にお代はよろしいのですか?」
「いいんです。それよりも、ご自身を大事にしてください」
女性は何度も頭を下げ、子供の身体を大事そうに抱えている。
引っ込みがつかなくなった修道院長は渋い顔で言った。
「ご遺体は安置室へ運びます。葬儀の日取りは、また明日の朝に決めましょう。今日はもうお帰りなさい」
それをまたリリスが止めた。
「こんな真っ暗な道を歩かせるのはおかわいそうです。どうぞ、私のベッドでよろしければお使いください」
リリスは修道女たちにパウロの遺体を任せると、彼女たちの顔色を気にせず、パウロの母親を自分の部屋へと案内した。
「ありがとうございます、あなた様は天使様ですか?」
「まさか……ただの修道女です。当然のことをしただけですから、お気になさらないで」
よほど疲れていたのだろうか、女性は何度もリリスに頭を下げてベッドに横になると、すぐに寝入ってしまった。
リリスは身体を縮めて、自分は床の上でそのまま眠ろうとしたところ……いきなり修道女と院長たちがリリスの部屋の扉を開けたので、リリスは驚いてしまった。
「ねえ、ちょっと来てくださる? 元聖女様」
リリスが言われるまま部屋を出ると、修道女たちは乱暴にリリスの腕を引っ張って歩きだした。連れて行かれたのは、井戸がある裏庭だった。
「困るのよね、勝手なことをされては」
そう言って、修道女は、つかんでいたリリスの手をいきなり離すと、どん、と地面にリリスを突き飛ばした。
とっさのことで受け身がとれず、リリスはそのまま冷たい土の上に倒れてしまう。
「祈りだけでパンが食べられると思っているの?」
「あたしたちはね、祈りの対価に銀貨をもらう」
「正当な報酬でしょう?」
「ここに居させてもらいたいのなら、我々のやり方に口を出さないでください」
修道女三人と院長が、リリスを一斉に見下ろす。
しかしリリスも黙ってはいなかった。
「困っている人に対価を求めて、自分たちはお酒を買っているのですか?」
リリスの言葉に、修道女たちは固まった。
「神の愛は無償です。対価でしか動かない、悪魔の契約とは違うはずです」
リリスの紫銀の瞳が、修道女たちをじっと見上げる。
「いけません。こんなの……神の道に背くことです」
おとなしいながらも、はっきりとしたリリスの言葉を受けて、修道女たちの眼がすっと冷たくなった。
「そうですか、ご立派なこと……口先だけならなんとでも言えます」
院長がそう言ったかた思うと、修道女たちがいきなりリリスの腕と足をつかんで、地べたに押しつけた。リリスは身をよじろうとするが、動けない。
「な、何をなさるんです!?」
「――あなたが来てくれて本当にようございました」
院長が淡々と言う。
「悪魔に魅入られた者を捕らえて王都の教会に差し出せば褒美がもらえるのですよ」
院長の言葉にリリスは驚いた。
「私は、悪魔に魅入られてなどいません! 契約を持ちかけられましたけど、ちゃんと断って……」
「なら証明して見せなさいよ」
リリスの右腕をおさえつけている修道女が言った。
「何をすれば信じていただけますか?」
「そうですねえ……」
院長が思案するようなそぶりでそう言った次の瞬間。
修道女が、いきなりリリスの顔めがけて、くみ置きの桶の水をぶちまけた
「……ぶ、おぶっ……!?}
手と足を押さえつけられているところに、いきなり真上から水を浴びせられ、冷たさと息苦しさにリリスは怯えた。昨日湖の中で死にかけた恐怖が脳裏をよぎった。
そんなリリスを、四人は嗤った。
「水責めをして、爪を全部剥いで、舌を抜いても気絶しなかったら、魔女じゃないって証明できるわよ!」
「あははははは!」
「ちょうど退屈だったのよ!」
「加護もちのあたし達の方が、元聖女のあなたより偉いんですからね?」
嘲笑とともにぶつけられる悪意にリリスは戦慄した。
退屈しのぎの拷問が始まろうとしていることに怯えて、思わず眼をつむった、その時。
「おやおや、ずいぶんと楽しそうですね」
男子禁制の修道院で、聞こえるはずのない男の声が聞こえた。




