第25話 光の守護 2頭の黒龍
王都の聖騎士団は、ドラゴンの気配を察知して、直ちに行動を開始していた。
双眼鏡を覗き込んだ偵察部隊は驚愕の声をあげる。
「西の方角でドラゴン二体が争い合っております! 瘴気が濃く、王都を歩いているだけで民間人に被害が!」
「場所は」
テオが短く尋ねる。
「西の廃教会です!」
「すぐに向かうぞ」
テオは団員たちに言うと、駐屯所から大聖堂を一瞬振り返った。
「アナスタシア、無理はするなよ……」
――大聖堂の真ん中で、アナスタシアは聖杖を手に立っている。
瞼をとじて、聖杖に祈りを込めようとしたところで、侍女がたまらず声をかけた。
「妃殿下、やはりおよしになったほうが……」
アナスタシアは眼をあけて、昔なじみの侍女を見た。
「何を言うのです」
「大事なお体ですよ。国民にはまだ知らせていませんが、妃殿下のお腹には……」
アナスタシアは微笑んだ。自分を安心させるための笑顔だと、侍女にはすぐにわかってしまう。
「大丈夫よ。この子には念入りに防御魔法をかけてあるわ」
アナスタシアは、まだ大きくなっていない腹を撫でる。
「それに、今、国を守れなければ、どのみちこの子に未来は無いもの」
アナスタシアは聖杖を握り直して、眼を閉じた。
「神よ、我らが大地を守るため、天の守護をここに。ブレッシング・プロテクション!」
聖杖で床を軽く叩くと、アナスタシアを中心に、王都全体を保護する結界魔法が張られた。
空はまだ暗いままだが、目に見えない結界が張られ、ドラゴンから無尽蔵にあふれ出す瘴気から人々を守る。
聖女アナスタシアによる、神の加護の力をすべて注ぎ込む極大魔法である。
城下の人々はあまりにも膨大な、聖女の奇跡に嘆息した。
「これがアナスタシア妃殿下の真の力……」
施療院の看護者たちも、呆然として空を見上げた。聖女ひとりでこのような力が使えるのなら、やはり治癒魔法が使えない自分たちの力など、ほとんど焼け石に水だ。そう皆が思った、その時。
「皆さん、聞こえますか」
アナスタシアの声が聞こえた。頭の中に聞こえたのではない。町中の拡声器から声がする。
「私は今、大聖堂で護りの結界を張っていて、一歩も動くことができません」
彼女の声は、いつもどおり凜として冷静なものだった。
「現場のあなたたちが頼りです。具合が悪い人がいたら、速やかに保護し、必要な治療と看護を行ってください」
その言葉にマリーたちがはっとして街を見回すと、確かに、青い顔で歩いている人や、静かに座り込んでいる子どもがいる。その数は、決して少なくはなかった。
拡声器から聞こえるアナスタシアの声が、少しだけ柔らかいものに変わった。
「このような緊急事態は初めてでしょう。しかし恐れることはありません。私はあなたたちを信じています」
聖女妃アナスタシアの声に、施療院の看護者たちはやる気を奮い立たせた。
「やるよ、みんな!」
「おお!」
マリーの言葉に、施療院の面々は、奮い立った。
聖騎士団たちは、アナスタシアが王都にかけた防護魔法をあえて抜け出し、討伐対象のドラゴンに近づかねばならない。
ドラゴン討伐に向かったのは、騎士団の中でも選りすぐりの実力者たちだ。しかし――。
「なんという禍々しい瘴気だ……」
「くそ、近づくことさえできない!」
聖騎士たちは立っているのもやっとで、前進することができない。
そんな中、テオ一人だけが、問題なく立っている。代々の聖女の血を受け継ぐ王族の聖性は確かだった。
「私一人で行こう」
「団長!」
テオの背に向かって、団員たちが叫ぶ。
「ご武運を!」
「どうかご無事で!」
テオは団員たちに振り返って、青空色の瞳で彼らをじっと見つめた。
「ああ。……王都の民を頼む」
テオは、ドラゴンの足下にある礼拝堂へと向かった。屋根が吹き飛んだ様子で、外から見ただけでも酷い有様だ。
「誰か、逃げ遅れた者はいないか!」
天井が破壊された礼拝堂の扉を開ける。
テオの眼に入ったのは、礼拝堂の床に村人達を横たえて、治癒魔法を必死に施している銀の髪の女性の姿であった。
見間違えるはずが無かった。
「……リリス?」
「テオ様……?」
リリスは呆然として顔を上げた。
テオの頭のなかで、前任聖女のリリスと、彼女をはさんで相争う二匹のドラゴンが、点と点でつながる。
「そうか、このドラゴンたちは君を狙って――」
テオの言葉にリリスが何か言いかけたところで、一匹のドラゴンが空から落ちてきて礼拝堂の床にたたきつけられた。
「ベルさん!」
というリリスの叫びは轟音に紛れて聞こえない。
落ちたドラゴンをめがけて、もう一方のやや大きなドラゴンが、とどめを刺そうと舞い降りてくる。
「リリス、今助ける!」
今のテオにあるのは、目の前の命を助けたいという純粋な思いのみ。故に、彼は今、聖騎士としてこの国で最も強い。
『邪魔だ、人間!』
大きい方のドラゴン……ヴァルドは咆哮をあげた。
常人なら立っていられないほどの風圧と、熱。
テオが思わず顔を覆った瞬間。
ドラゴンの棘だらけの大きな尾が弧を描き、彼を叩き潰そうと迫る。
「テオ様、上!!」
リリスが叫んで、テオははっとして地面を蹴った。
間一髪、直撃を避ける。
だが、尾の鋭利な棘は掠めただけで、テオの右半身を深く傷つけた。
「ぐっ……」
鋭い痛みにテオは顔をわずかに歪める。
それでも剣は落とすまいと必死に握りしめている間に、ヴァルドはゆったりと首を空に向けて、大きく息を吸い込んだかと思うと。
口から緑の炎を一気に吐き出した。
テオの全身が、緑の炎に呑まれて焼き尽くされそうになって――守られた。
テオが目を開けると、守護魔法が自分にかかっている。
リリスの方に目を向けると、彼女が、村人を守りながら、自分に守護をかけていた。
それだけではない。治癒も同時にかけられて、先ほどの右半身の痛みも、傷もみるみるうちに癒されていく。
『邪魔をするな女!!』
ヴァルドが鉤爪がついた大きな脚をリリスに向かって振り上げる。
振り下ろされた脚とリリスの間にテオが割って入る。
キン、と金属同士がぶつかる音。
剣で脚の爪を受け止めた。
「リリスを、お前たちの好きにはさせないぞ、悪魔」
ヴァルドは、脚を振り上げて、テオを叩き潰そうとする。
ドン! ドン! ドン!
大砲のような速さと威力で、地面が大きくへこむ。
しかしリリスの神聖魔法を受けたテオは、軽業師のようにドラゴンの脚を避けた。
リリスの神聖魔法の力で、銀の鎧も、羽のように軽くなっている。
ヴァルドの巨大な尾が再び大きくしなりながら弧を描いた。
次の瞬間、それは地面を舐めるようにしてテオを薙ぎ払おうと迫る。
来る、と思う前に反射的に地面を蹴った。
その勢いのまま、テオは宙へ舞い上がる。
テオが鞘から銀の剣を抜いた。
その刀身が、これまで見たことがないほどに神々しく光り輝く。
「――神速光断」
テオの剣は、稲妻のように速かった。
「一閃!」
ヴァルドの首めがけて剣を振り下ろす。
『おおおおおおおおお!』
テオの電光石火の剣筋に、ヴァルドは驚き、先ほどよりも大きな緑色の炎を吹いた。
炎を正面から浴びても、リリスの魔法に守られて、テオの銀の鎧は傷ひとつつかない。
体中が一瞬で溶けるはずの炎を浴びているはずなのに、まったく暑さを感じなかった。
テオの一太刀は、ドラゴンのヴァルドを、脳天から足下まで真っ二つに斬った。
『くそ、嘘だ! 聖女の魂を! 俺が、俺が……!』
二つに分かたれたドラゴンの身体はしばらくのたうち回っていたが、やがて灰になって消えてしまった。
残るドラゴンは、一匹。
振り返ると、ドラゴンがリリスを羽の中に包み込もうとしている。
「危ない、リリス!」
テオはリリスを守るために、迷いなく剣を振りかぶった。
「あ! だめです、この人は!」
リリスが何か言った。
テオは、思わず気をとられて、わずかに剣筋がずれた。
ドラゴンは切りつけられて、まったく抵抗せずに、地面に倒れた。……どんどん小さくなり姿が変わっていく。
尾は消え、鱗に覆われていた肌は服を着た人間のものになる。鋭い爪があった爬虫類の手足は人間のすらりとしたものへ、ドラゴンの顔も、どろどろに溶けて人間によく似たものに……。
「え……」
テオは、ドラゴンが変形したその姿に絶句した。
古書店の主人、ベルが、腹から血を流して倒れている。その背には、まだドラゴンの黒い羽が生えたまま、頭には禍々しい角が残ったままだった。
「どうして、あなたが……?」
ベルは、いつもの皮肉な笑みではなく、安堵したようにテオに微笑んだ。
「……ふふ、来ると思っていましたよ、殿下」
からん、とテオの手から剣が滑り落ちた。




