第24話 悪魔の本性
施療院で洗濯をしながら、リリスはずっとベルのことを考えていた。
彼に対してあれほど怒った自分にも驚いていた。
「初めて怒っちゃった……今朝も眼を合わせないで出て行ってしまいましたし」
洗い終えた洗濯物を籠につめて持ち上げる。
「ベルさんの言うことには納得できないけど……お世話になってるのにあんな態度よくないですよね」
洗濯物をパン! パン! と広げて干す。
「帰ったら謝らなきゃ……」
中庭でリリスが洗濯物を干している隣では、薬草を干している女たちが小声で噂話に夢中になっていた。
「ねえ、知っているかい。今朝、懺悔室で聖騎士様が魂を悪魔に喰われてたんだってさ!」
悪魔、ときいてリリスはピタリと動きを止めた。
「神父に化けた悪魔がいるって噂、本当だったのかい?」
「黒衣の神父、だろ? 魂の救済を口にしながら、懺悔に来た人の魂を食っちまうんだってさ」
「怖いわねえ、それじゃ安心して教会に行けないじゃない」
「その神父は、黒い髪に赤い瞳の、やけに綺麗な顔の男だそうよ」
黒髪に紅い眼の美形――そんな男など、リリスはベルしか知らない。
リリスが日中に施療院の手伝いに行きたいと言い出したときに、賛成してくれたのは、このためだったのか。野暮用とは、魂狩りのことだったのか。
リリスはぎゅっと小さく拳を握りしめた。
「……いくらなんでも許せない! 抗議しにいってきます!」
洗濯物をちょうど干し終えたリリスは、腕まくりをした格好のまま、早足で施療院の出口へ向かった
「え、抗議って、相手は悪魔なんだよ? リリアちゃん?」
マリーが止めるのも聞かずに、リリアは噂の礼拝堂に向かっていた。
薄暗い礼拝堂は、ほとんど廃教会のようであった
壇上には、黒い神父服に身を包んだ長身の男。
顔はヴェールをかぶっていて、よく見えない。
すでに何人かが集まっていて、神父の説教に耳を傾けている。
「――人間は罪深いものです」
人々を誘惑するような甘い声で神父は言う。
「生まれながらにして、罪のない人間などいない。我々は母の血に塗れて生まれてくる」
神父は、集まった村人達の周りを歩き回りながら、人の心の隙間に入り込むように囁く。
「神はあなたを許すかもしれない。しかし、あなたは自分を許せますか?」
説教を聞いていた村人のうちの一人……若い娘を見下ろして、神父は彼女の顎を持ち上げた。
「楽になりたいのでしょう。哀れな魂に救済を。あなたの罪をすべて私に委ねるのです……」
娘は、神父に吸い寄せられるように彼をじっと見つめた。
娘は、頭がぼんやりしてくる。
もうこの人に任せれば楽になれる。
自分の身も心も、すべてを委ねてしまおう……そんな気持ちになっていた。
他の参拝者も、同じ心地になって、ぼんやりと神父を見つめていた、その時。
扉を開ける大きな音とともに、リリスが駆け込んできた。
「ベルさん!」
リリスが大きな声を出すと、村人達は一斉に驚いて振り返った。
「……ベルさん。これはさすがに酷すぎます」
リリスは息を切らして、祭壇の神父に詰め寄る。
「わたし、ベルさんは、悪魔だけど……もうちょっと誠実だと思っていました!」
リリスは紅潮した頬と、潤んだ目で、息を弾ませながら、震える声で……。
「真摯に神様にお祈りに来た方達の魂を狙うなんて卑怯です! 見損ないました!」
はっきり告げた。
ヴェールをかぶった神父はしばし固まっていた。
リリスは、ベルの言葉を待っていたが。
「……ベル、だと」
神父が、顔を覆っていたヴェールを外してリリスを見下ろした。
「あ……」
リリスの顔から血の気がひいた。
確かに黒髪に赤い瞳の美しい男だったが、この神父は。
(違う、ベルさんじゃない)
(知らない顔だ)
凍りついて動けないリリスを、黒衣の神父はじっと見下ろす。
「貴様、弟の女か?」
「弟……あなたが、ベルさんの……」
ヴェラが「悪魔の禁忌を犯したので追放した」と言っていたベルの兄。それが今目の前にいる。
「極上の魂の女が何故こんなさびれた礼拝堂に? いや、そんなことはどうでもいい」
神父がいきなりリリスの頭を無遠慮につかんだ。まるで物を扱うように、遠慮なく。
「ひっ」
「何故、そんな色をしている?」
低くつぶやくと、突然神父はリリスのベールを引き裂いた。
「あ、何を――!!」
リリスは思わず声を上げた。無残に引き裂かれたベールが床に舞い落ちる。
「おお……」
「なんと……」
人々の驚嘆の声があがる。
「リリス様だ」
「どうしてこんなところに」
言われてリリスは思わず自分の髪を触った。
光を受けて輝く銀色の髪。
すべてを包み込むような慈愛に満ちた紫の瞳。
彼女本来の色が、人々の前に暴かれた。
「元聖女の魂を喰えるなど、なんという僥倖だ。神に祈った甲斐があったかな? クク……」
神を冒涜する言葉に、リリスは怒りが湧くが何もできない。
「俺の馳走にしてやるぞ、女!」
ヴァルドがリリスの首筋に手をかけて、指に力をこめる。
(く、苦しい……息ができない……)
牙がリリスの首筋に迫る。
その瞬間。
――ずん、と空気が重くなった。
カツン、と響いた靴音が、その場を支配した。
「……ヴァルド兄さん」
聞き慣れた声に、リリスが目を開ける。
「ベル、さん……」
ベルの顔は、いつもの余裕を失っていた。
見たことの無い、冷え切った怒りが宿っている。
「まだこのような外道を続けていたのですか」
「懺悔に来る弱い人間を狙えば効率的だろう。低級の魔物どもは、神の加護に耐えきれないからやらないだけだ」
ヴァルドは薄ら笑いを止めない。
「俺にはできる。だからやる……何故母上はわかってくださらないのだろうな?」
ヴァルドはリリスの首筋から手を離し、かわりに蜘蛛のように長い手でリリスの身体を包み込み、頬を無遠慮に撫でた。
ぞわ、と不快感で全身の毛が逆立つような気がした。
リリスは身をよじろうとしたが抵抗することができない。
「彼女から手を離せ。今すぐ」
静かな怒りに満ちたベルの顔を見て、ヴァルドは愉快そうに目を細めた。
「く……くくく……」
牙をむき出しにして笑い、残忍に笑う。
「今日は良い日だなあ、弟よ。極上の魂を喰える上に、お前を殺してやれるのだからなァ!」
ヴァルドはいきなりリリスの身体を突き飛ばした。
「きゃっ――!」
身体が地面に叩きつけられる、そう思って反射的に眼をつむった。
しかし、――来るはずの痛みが訪れない。恐る恐る眼を開ける。
そこにはベルの顔があった。
倒れるはずだった身体は、すでに彼の腕の中に収まっていた。
「無事ですか、リリスさん」
「は、はい……!」
リリスが返事をしたところで、ベルが更にリリスを強く抱きすくめた。
「べ、ベルさん?」
「――来る」
「へ?」
ドン! と大きな音が鳴り、地面が揺れた。
痩せぎすの男だったヴァルドが黒い瘴気に覆われて、姿を変えていく。
身体は鱗で覆われ、手足は伸びて鋭い爪が伸びる。 背中から大きな翼が生え、端正な顔はゆがみ、口が大きくなり牙が鋭くなり……。
――神父に化けていた悪魔ヴァルドは、巨大なドラゴンに変貌した。
瘴気があふれ、礼拝堂を訪れていた人々は一斉に気絶してしまった。
リリスは生まれ持った聖性によって無事である。
だが、あのドラゴンにつかまったらひとたまりもない。
『先に貴様を殺してやるぞ、ベル! 聖女の魂はその後の楽しみにするとしよう』
凍り付くリリスを見て、ベルは何かを決意したような眼をして――ふと、困ったように笑った。
「……貴女の前で醜態を晒したくはなかったのですが」
リリスをそっと下ろして、自分の後ろに庇う。
「聖騎士団が来るまで、気をしっかり保っていてくださいね」
「ベルさん……?」
黒い瘴気がベルの身体から溢れ出す。ベルの姿も、みるみるうちにヴァルドと同じように黒いドラゴンへと変貌した。
二匹のドラゴンは、互いに噛みつき合い、火を吐き合いながら、礼拝堂の天井をぶち破って飛翔した。 ドラゴンが放つ瘴気は、日中の青空を黒く染め上げ、王都中を闇に染めた。
「ベルさん!」
リリスは暗黒の空に向かって叫ぶ。
けれど、彼に届いているかどうかはわからない。
(私のせいだ……私が、ベルさんを信じなかったから……)
リリスは自責の念にとらわれて動けなくなりそうだった。
だが、礼拝堂で倒れた人々を見てリリスは気を奮い立たせる。
(だめ、このままじゃこの人達は瘴気に蝕まれて死んでしまう……私が、何とかしなくちゃいけないのに)
思わず、自分の拳を握りしめる。
(でも、どうしたら……私に、この人達を助ける力を……!)
リリスが強く祈ったその時。
両手に、光が宿った。
一年前に、すっかり消えてしまったと思っていた、奇跡の力が。
「え……私、力が使える?」
そうとわかれば、迷いはなかった。
リリスは、倒れる五人の村人達に向けて、身体が瘴気にむしばまれないように治癒魔法を施し続けた。




