第16話 川の水質調査
ベルとリリスが、アナスタシア達を追って小川に着くと、子どもが桶をもって水をくみに来ていた。川で洗濯をしている女も居る。子どもの一人が水を手で救おうとすると、母親が慌ててとんできて抱き上げる姿があった。
アナスタシアは、懐から小瓶を取り出すと、川の水をとって、軽く振る。
テオは妻の行動を不思議に思って尋ねた。
「どうした、何をしているんだ?」
アナスタシアは小瓶をふって試験紙に垂らすと、太陽に透かしてじっと見つめる。
「やはりそうですか……わずかに瘴気がまざって汚れていますね」
アナスタシアの言葉にテオが眉をひそめた。
「魔物どものせいか」
「おそらく」
アナスタシアは、地図を取り出すと、大きな岩の上に広げる。
「聖騎士団の方々も、魔物が大量に発生したら……雑魚どもを一匹残らず殲滅させるよりも、親玉を叩くのを優先するでしょう」
「……ああ」
「私がやろうとしているのも、それです」
そう言って、アナスタシアは地図の一転をぐるりと丸で囲んだ。
「ここの水源を浄化できれば、もう同じ苦しみは繰り返されません」
「……なるほど。では、まずは斥候に水源に何があるか偵察させてこよう」
テオが向かわせた斥候は、出発すると、一時間ほどして帰ってきた。
「水源近くを根城にする魔物がおりました。石像の鬼のような奴で、口から汚水を吐き出しております」
「おそらくガーゴイルだな」
斥候の言葉にテオは腕を組んだ。
「つまりそいつをどうにかすれば、清潔な水は戻る?」
テオは近くで見ていた村人達にくるりと振り返った。
「何故今まで聖騎士団に知らせなかったんだ」
村人達は恐縮して頭を下げ、おずおずと言った。
「人里に降りてくるわけじゃねえし、聖騎士団さまにわざわざ出向いてもらうこともねえって……放って置いたんだ」
「病気は、聖女様が来てくださるなら、治してもらえば良いって……」
村人たちの声を聞いたベルは、ふっと息だけで嗤って小声でリリスに囁いた。
「随分と都合の良い話ですねえ。あなたが消耗するわけですよ、リリスさん」
「ベルさん聞こえますよ」
「これくらいの小声なら問題ありません」
リリスはベルを見上げた。
「ベルさん、なんとかできませんか?」
リリスの言葉に、ベルが冷ややかに笑った。
「なんとか、とは?」
「その、ベルさんの力で魔物を追い払うとか……」
「どうして私がそんなことをしなければならないんです?」
即答だった。
(そうだった、この人は悪魔だ……)
一方、テオはまだ何か言いたげな顔をしている。しかし、これ以上村人を責めても仕方が無いと考えたのか、深くため息をつくと、言った。
「今後は、魔物の存在が確認できたら、必ず聖騎士団に伝えるように。実害が出ていないからと言って、我々はあなたたちに怒ったりなどしない」
テオは早速魔物討伐の支度を整えて、傷を負った時のために、アナスタシアを同行させることにした。
リリスはベルの手を握り、彼らの後を追う。
川の上流にある森の奥では、彫像のような魔物……ガーゴイルが、口から汚水をごぼごぼと垂れ流していた。ほとんどその場から動くことはなく、テオたちにも気づいていないようだ。
「……斬れば終わるな」
テオは剣に手をかける。だが、違和感があった。
「……本当にそれで終わるか?」
「テオ様……?」
アナスタシアに、待っているように手で制して、テオは単身、ガーゴイルに近づく。
ガーゴイルと眼が合った。しかし、テオに襲いかかる様子はない。
「……こいつ、苦しんでいるだけだ」
ガーゴイルの後ろをよく見ると、茂みに覆われて、まだ更に上流があり、そこから更に強い臭いがする。
テオは剣を鞘におさめて、アナスタシアのもとに戻った。
「この先は、何があるかわかるか」
テオが斥候に尋ねると、地図を確認しながら斥候が答える。
「は、どうやらずっと山奥に魔物の集落があるようです。人里に降りることはなく、民は被害にあってはいないようですが」
「……そうか」
テオとアナスタシアは頭を突き合わせて地図を睨んだ。
「ガーゴイルは、むしろ汚水を食い止めようとしていたのですね」
「どうする。俺が魔物の襲撃を受けても、君が治癒魔法をかけ続けてくれるのなら、小さな集落を潰すのはなんとかできそうだが」
「やめてください」
アナスタシアはすぐに拒否した。
「私は、殿下に体を粗末に扱ってほしくありません」
「では、どうする」
アナスタシアは思案の末、提案した。
「私の治癒魔法の術を仕込んだ浄化装置をここに仕掛けましょう。これなら、月に一度、技師が点検すれば足ります」
「魔物たちが破壊しにこないでしょうか?」
斥候の疑問にアナスタシアは首を振る。
「これまで、わざわざ下流の村を襲いに来ていないことを考えると、可能性は低いでしょう。……殿下、それでよろしいでしょうか?」
テオは、聖騎士団長として、一連の処置に問題はないとして頷いた。
「……というわけですので、これからは問題なく水を使っていただいて構いません」
アナスタシアの説明を、村人たちは半信半疑で聞いていた。リリスもベルの手を握りながら、村人たちに混じってアナスタシアとテオを見つめる。
「浄化魔法に問題はない」
そう言ってテオが、小川にしゃがみ込み、自ら手を入れて水を飲んでみせた。
村人達は、「あ」と驚いて見つめた。浄化の経緯を見守っていたリリスも、思わず息を呑む。
王太子自ら飲んでみせたのであれば、村人たちは信じないわけにはいかなかった。
「……では村長。後日、技師を派遣しますので、詳細は彼らから説明を受けていただけますか」
「は、はい、聖女様と王太子様の仰せの通りに」
村長は恐縮して頭を下げた。
「では、これからお食事を作らせましょう」
村長の言葉にアナスタシアは首を振った。
「いえ、我々は携帯した食料がありますから問題ありません。今まで水が悪かったのですから、大変でしたでしょう」
「いや、しかし……」
本人が要らないと言うなら無理強いはできないが、何ももてなしをせずに聖女と王太子を帰らせるのは気が引ける。そんな村長の様子を見てアナスタシアは答えた。
「私は、先代のリリス様ほど今回は働いておりません……そうですね、今度また、浄化装置の様子を見に参りますから、その時には、病人が減ったお祝いをしてください。ご相伴にあずかりましょう」
アナスタシアは礼をすると、馬にまたがって、テオらと共に王都へと帰っていった。
「……変わった聖女さまだな」
誰かがぽつりと呟いた。
「……母さん」
ハンナが声をかけられて振り向くと、ハンスがはにかみながら立っていた。
「俺、新しい聖女様のこと信じるよ」
息子の言葉にハンナは驚く。
「……俺、毎年、夏に喉が渇くとこっそり川の水を飲んでいたんだ。どうしても井戸に戻るまで我慢できなくて」
「ハンス……」
「どうせ聖女さまに治してもらえるんだから良いって思ってた。ごめんなさい。俺、ちゃんと薬のんで治すよ」
ハンナは、胸がいっぱいになって、息子をぎゅ、と抱きしめた。
一方、リリスの隣に立つベルは、くく、と笑っていた。
「……ふふ、おもしろい。ああいう人間は嫌いではありません」
アナスタシアの去った方向を見送りながら、ベルは興味深そうに言った。
「魂の清らかさ、という点ではあなたに及びませんが、あの新聖女の考え方は合理的です。聖職者にしては異質なほどに!」
リリスは、自分が聖女だったときのことを思い返す。
自分は、目の前の苦しんでいる人々を何とかするのに精一杯で、水源のことなど、考えが及んでいなかった。
しかし、泣き叫ぶ子どもに奇跡を使わずに「薬で耐えろ」「あなたは自力で治せる」と、果たして自分は言えるだろうか?
「……私には、無理です……」
リリスは力なく首を振った。
「いいのでは? 苦手なことは人に任せておけば」
ベルの言葉にリリスは顔を上げる。
「リリスさんは人間ですから、万能でないことは当然です」
「……なんだか、引っかかる言い方です」
リリスは、少し頬を膨らませた。
「……あの、ところで」
ベルがリリスを困ったような顔で見下ろして、先ほどまでとは打って変わって歯切れが悪そうに言い出した。
「どうかしましたか?」
「……手は、もう離していただいて結構なのですが」
ベルに言われて、リリスは無意識に彼の手をずっとつないでいたことに気がついた。
「ひゃああああ! ごめんなさい!」
弾かれたようにリリスはベルから手を離して後ずさり、ベルはそんなリリスを見てくすりと笑った。




