第15話 新聖女は命を選別する?
「アナスタシア様は、命の選別をしている……?」
リリスの胸がざわついた。
かつて、コルネリウス大聖務官に言われた言葉が脳裏によみがえる。
『軍閥の娘などが聖女に就いたら、どんな恐ろしいことが起きるか!』
(まさか、そんなことは……けれど……)
心がざわついて落ち着かない。そんなリリスを見て、ベルは首を傾げた。
「そんなに気になるのなら、確かめに行きましょうか?」
「でも確かめるって、どうやって……」
今のリリスには、王宮に上がる資格はない。
「聖女妃殿下は、今、北にあるこの村を訪れているそうですよ」
ベルが地図で指し示した村は、リリスも知っている村だった。ここはしょっちゅう病人が出るので、よく訪問していたのだ。
古書店の奥にある扉を開けると、もう田園風景が広がっている。相変わらず便利なドアだ。
リリスはベルとともにそのまま村に飛び込んだ。
今日はあいにくの曇り空だが、ベルにはちょうどいいようだ。
「のどかな田園風景ですねえ。夏の風が気持ちいいです」
ベルはのんびりと身体をのばしながら言った。
「わあ、牛がいますよ」
「ベルさん、観光に来たわけじゃないんですよ」
「わかっておりますとも」
王都にいるときよりも、どこか楽しそうに浮き足たっているベルに、リリスはため息をつく。
「……でも、本当に綺麗ですね」
青々とした野や畑。虫や鳥の声がよく通る澄んだ空気。きらきらと輝く清流。これが晴れ渡った青空の下ならば、もっと気持ちいいに違いない。
リリスが小川に手を差し入れて、水を掬おうとしたとき。
「あ! こら、何してるの!」
突然、女性の声で叱責がリリスに飛んできた。
驚いたリリスは、慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい」
反射で謝ってしまうと、女性はほっとしたように息を吐く。手にはリンゴが入った籠を提げていた。
「私こそ大きな声出してごめんなさいね。あんた、よそから来たのかい?」
女性の顔を見て、リリスは、あっと声が出そうになる。村で糸紡ぎで生計を立てているハンナだ。彼女の息子のハンスは、毎年夏になると激しい腹痛に苦しむので、過去に治癒したことがあった。
「おい、ハンナ。聖女様がいらしたぞ」
村人に呼ばれて、ハンナは振りかえった。
「早く家に戻って聖女様を待っていた方が良いぞ」
「ああ、良かった! 今行くわ」
ハンナは、足早に駆けていく。リリスの記憶が正しければ、ハンナの息子はリンゴが好物だったから、きっと腹痛のこどものためにすりおろしてやるのだろう。
「では、我々も聖女様を拝顔しに参りましょうか」
ベルはにやにやとした笑みを隠そうともしない。完全に状況を楽しんでいる。
リリスは少し腹立たしく思いながらも、頷いて、集会所へと向かった。
「聖女妃殿下、並びに王太子殿下のおなりです」
従者がそう宣言して、リリスは固まった。
(テオ様が……? 何故一緒に……?)
聖女の治癒巡礼に、わざわざ王太子が同行することなど、リリスの時には無かった。
しかし、理由を思案する前に、テオとアナスタシアはすぐに入ってきた。テオは聖騎士団の団服を身につけている。
「これはこれは聖女妃殿下、王太子殿下まで、ようこそお越しくださいました……」
村長がうやうやしく礼をする。
「そのようにかしこまらずとも良い。私は、今日は聖騎士団長として来ている」
「……それで、病人の具合はいかがですか」
アナスタシアは挨拶もそこそこに、集会所に集っ病人を診始めた。側にいる侍女に、何やら大きな鞄を持たせている。
病人たちの様子は様々だった。皮膚に湿疹が出てかきむしっている者、起き上がることもせずに、苦痛に呻いている者、ほとんど静かに眠っている者……その中に、ハンナのこども、ハンスの姿もあった。まだ小さいのに、かわいそうに痛みを訴えて大泣きしている。
アナスタシアは彼らを冷静に見回すと、手を合わせ、祈りをこめる。神々しい光が彼女の身体を包み込んだ。
アナスタシアが、奥に進み、ほとんど動かず静かに横たわっている二人に手をかざす。すると、彼らの乱れた呼吸が安らかになり、程なくしてゆっくりと起き上がった。人々が、おお、と聖女の奇跡にどよめく。
(すごい……苦しんでいた人があっという間に)
リリスも感心してしまった。
続いて、お腹が痛いと大声で泣きわめいているハンスのところに、アナスタシアは腰を下ろした。
「痛い、痛いよお! 助けて!」
ハンナは、集会所の村の大人たちに混じって、アナスタシアにすがるように訴える。
「この通り苦しんでいまして、どうか治してやってください!」
リリスは見ているだけで胸が締め付けられる。
アナスタシアがすぐに治してくれるだろうと思って期待をこめて見守った。
「……怖がらなくてもいいのですよ、坊や」
アナスタシアは子どもを安心させるようにゆっくりと微笑む。
ハンスも母親のハンナも、そしてリリスもほっとして息を吐いた。
しかし、アナスタシアは、治癒魔法を使う気配がない。代わりに、鞄の中から瓶を取り出した。
「あの、聖女様、それは……?」
母親の言葉には応えずに、男の子に向かってアナスタシアは静かに話す。
「あなたの身体は自らの力で回復に向かっている最中です。寝る前に小さじ一杯これを飲めば、五日ほどで楽になりますよ」
アナスタシアはそう言って、薬瓶を男の子の母親に差し出した。
「え……」
母親は、信じがたいことを聞いたように呆然としている。子どもはまだ痛がって泣いている。母親はおずおずと尋ねた。
「あの、治していただけないのですか?」
「治りますよ。薬を五日ほど飲んでいただければ」
「えっ奇跡は……?」
「必要ありません。この子は自分の力で治せます」
しん、と大人達が静まりかえった。子どもは、しゃくりあげている。
アナスタシアは毅然としたまま、動じない。
リリスは、思わず一歩前に出た。
「小さな子がこんなに苦しんでいるのに、ひどいです!」
アナスタシアは少し目を見張ってリリスの方を見た。しかし、リリスだと気づいた様子はなく、村人の一人だと思っているようだ。
ハンナも当然、黙っていなかった。アナスタシアにすがって大きな声を出す。
「子どもがこんなに苦しんでいるんですよ? 早く楽にしてあげて!」
「……申し訳ありません。神の奇跡は、それでしか助からない方のために使いたいのです」
アナスタシアは、きっぱりと言い放った。
ハンナは呆然と立ち尽くし、村人たちは、ざわついた。
「ちょっと待ってくれよ、俺ずっと奇跡を信じて待ってたのに!」
ある村人は不満を訴えたが、テオがアナスタシアの前に立ったので、彼は驚いて言葉を失う。
「先代のリリスの時とはやり方が違って驚いていることだろう。戸惑うのはもっともだ」
テオの言葉に威圧感はなく、誠実そうな響きがあった。だからこそ言われた方は逆らえない。
「だが、この薬の効果は王都でも証明済みだ。信じて、飲んでくれないだろうか」
「そ、そんな、王太子殿下にそう言われてしまっては……」
村人はおとなしくなった。
ベルはリリスにしか聞こえないように小さな声で囁く。
「なるほど、王太子を同行させたのは自分の身を守るためでしたか」
「え……まさか、そんな」
「いえ、賢明な判断だと思いますよ? 女一人の身では、不満が爆発したら石を投げられるかもしれませんからね」
ベルの言葉に、リリスは思わず額を覆った。
村人たちは静かになったが、まだ困惑は消えない。
「前の聖女さまは、子どもが苦しんでいたらまっさきに奇跡をつかってくださったのに……」
誰かがぽつりと呟いた。
結局、奇跡の恩恵を受けたのは、本当に死にかけていた数人で、他の人々はそれぞれ薬を処方され、回復するまで休んでいろと言われてしまった。
薬を飲めば、少し痛みが和らぐが、治癒魔法を使ったときのようにすぐには全快しない。
「ベルさん……」
リリスは、思わずベルを見上げた。
だが、ベルは。
「ふむ……」と顎に手をあてて興味深そうにアナスタシアを観察している。
村長が出てきて、うやうやしく礼をする。
「ありがとうございました、聖女様。お食事を用意致しますので、お休みを」
「いえ、まだ終わっていません」
「は……?」
ぽかんとする村長をそのままに、アナスタシアは質問を始めた。
「お腹をくだして寝込んでいた方が多いようですね」
「それに皮膚がかぶれていた人も多かった」
「今日ここにいる病人の皆様、病の原因にお心当たりは?」
たたみかけるように言われて村長は絶句する。
「え……そんなこと言われても……」
「では質問を変えましょう。みなさんが使っている水はどちらに?」
「水ですか? 村の共有井戸を使いますが」
村人の言葉に、テオがふと口を挟んだ。
「近くに小川が流れていただろう。あれは使わないのか」
「いや、あの川は、水浴びや洗濯には使いますが……」
アナスタシアの眼がきらりと光った。
「飲むとお腹をくだすのですね? 上流に何かあるのかしら」
アナスタシアは鞄の中から地図を取り出して机に広げ始めたので、人々は面食らった。
「さっきまであんなに神々しかったのに急に変なことやり出したぞ」
アナスタシアは侍女に持たせていた鞄から、空の試験管や試験紙、ガラスのコップなどを取り出すと、別のケースに詰めこんだ。
「村長、小川の水質を調べたいのですが、構いませんか?」
「へ? はあ、構いませんが……」
川の調査をする聖女など見たことがない。なぜ治癒がおわったあとにそんな面倒なことをするのだろう?
村人達が困惑している間に、アナスタシアはテオと数人の供を連れて、出発してしまった。
ぽかんとして見ていたリリスに、ベルが耳元に口を寄せて囁いてきた。
「では、聖女様についていってみましょう」
ベルの言葉に、リリスは驚いた。
「さすがに気づかれるのでは?」
「問題ありません。王太子夫妻には、我々を認識できないようにします」
そう言って、ベルはリリスに手を差し出した。
「お手を」
「えっ」
いきなりの申し出に、リリスの心臓が止まりそうになった。
そんな彼女の様子など気にもかけずに、ベルは言う。
「私と接触していれば、あなたも気づかれることはありません。ただし、私から手を離したり、大声を出した瞬間、露見しますのでお気をつけて」
ベルは、あくまで必要の範囲でリリスの手を取るだけのようだ。
――この人に、自分の鼓動がうるさいことを知られませんように。
リリスは願いながら、そっとベルの手をとる。
血が通っていないらしい、ベルの手はひんやりと冷たく、心地よかった。




