第11話 王太子の結婚式―花の王都、古書店の2人
セントティアラ王国の都は、いつもよりも浮き足立っていた。
王太子テオドロスと新聖女アナスタシアは、大聖堂で厳かな式を挙げたのち、婚礼の姿を国民たちにお披露目することになっている。
その噂は数日前から都中に広がり、通りは早朝から祝祭の色に染まっていた。
窓という窓が開かれ、花弁が準備され、子どもたちは大人の真似をして紙吹雪を握りしめている。
セントティアラ王国の誰もが、この日を待ち望んでいた。
「まだかしら……?」
「そろそろ出てくるはずだって!」
期待と興奮が重なり、都全体がひとつになっていた。
やがて大聖堂の扉が開く。
白いドレスのアナスタシアと、王家の礼装に身を包んだテオドロスの姿が現れた瞬間、群衆は一斉にどよめいた。
「まあ……!」
「なんてお似合いなの!」
「絵本の王子さまとお姫様みたい!」
歓声は波のように広がっていく。遠目にも、二人の姿はひときわ目を引いた。
アナスタシアは女性にしては背が高く、背筋がまっすぐに伸びている。隣に立つテオドロスと並ぶと、まるで最初からそう在るべき一対の像のようだった。
やがて、二人を乗せた馬車がゆっくりと道へと進み出る。
花が宙に舞い、祝福の言葉が次々と降り注ぐ。
「テオドロス様!」
「アナスタシア様!」
「万歳!」
「新聖女妃殿下、ばんざあい!」
声は途切れず、熱気は増していく。
アナスタシアはそのすべてに微笑みを返し、静かに手を振った。
その仕草は完璧で、誰もが彼女を“選ばれた存在”として疑わなかった。
一方でテオドロスは、終始表情を崩さない。
それでもその沈黙すら、彫刻のような威厳として好意的に受け止められていた。
セントティアラの都全体が、希望に満ちた幸福感で溢れていた。
――大通りから外れた小道。ベルの古書店には、誰も客がいなかった。
「……あの、ベルさん。本当に見に行かなくて良いんですか?」
リリスはひとり窓を開けてそっと外の様子を伺っている。こんな日に古書店を尋ねてくる客など誰もいなかった。
遠くから鐘の音が響き、馬の蹄の音、民衆たちの歓声が風に乗って聞こえてくる。
ベルは特に気にもとめずに店の奥で茶をたしなんでいた。
「ええ。あなたは見に行きたくないのでしょう?」
「……私のことなんて気にせず、見物に行ってきてもいいですよ?」
リリスは苦笑する。
「王太子様の結婚式ですよ。きっとすごく華やかで。この次は、いつ見られるかどうか……」
「私は悪魔ですので、王族の結婚など飽きるほど見ていますから」
ベルはこともなげに言った。
「あなたを一人置いて見に行く理由がありません」
淡々としたベルの言葉に、リリスの胸はじんわりと熱くなる。
涙がこぼれそうになってしまうのを慌ててごまかした。
テオの顔を見に行く勇気は出なかったが、ベルの家で素知らぬ顔をしていられるほど無関心でもいられず、こうして、店の窓辺からじっと様子をうかがう……という、なんとも中途半端な格好になってしまった。
結婚式のパレードに向かって、素知らぬ顔で言祝げるほど、リリスはまだ他人ごとにできなかった。
「私……自分が聖女じゃなくなったら、世の中が悪くなるって、ずっと言い聞かされていました」
ぎゅ、と思わず自分の手に力が入る。
「でも、そんなことありませんでした……みんな、とても幸せそうですね……」
王都中に響き渡る民衆の歓声が、いやでも耳に入ってくる。
「それを、むなしいと思ってしまいました」
「……そんなものですよ、人間の世など」
奥で本に目線を落としたまま、ベルが言う。
「むしろ、あなた一人でどうにかなるようなもので無くて良かったでしょう」
ベルの言葉に、リリスは外に向けていた目線を、店の奥にいる彼の方へと向けた。
「……慰めてくれてるんですか?」
「いいえ? 事実を言っているだけです」
ベルは肩をすくめただけだった。
「ですから、あなたももっと無神経でいてやればいい」
ベルの言葉に、リリスは涙が出そうなのを慌ててこらえた。
役に立てなければ意味が無い。
そう言われつづけてきた人生に、やっと、赦しを与えられたような気がした。相手は悪魔なのに。
「あ……」
ほんの一瞬、テオの姿が遠くに見えた。
その隣には、純白のドレスを着たアナスタシア。
「綺麗……」
一瞬、純白のドレスに身を包んでテオに笑う自分を夢想する。
本当なら、自分が――その考えを、振り払おうとして……。
「……私」
ぎゅ、と麻のエプロンの裾を握りしめた。
「嫉妬してしまいました……」
うつむいて、肩をふるわせるリリスを見て。ベルは、立ち上がって彼女の側に立った。
「当然です」
そう言って、ハンカチを差し出す。
リリスは驚いてベルを見上げた。ベルは、リリスから視線を逸らして、リリスの顔を見ないようにしていた。
「幼い頃から慕っていた相手だったのでしょう。それを奪われたのです。悔しくないはずがない」
「だけど……私、祝福しなきゃいけないのに……こんな、醜い感情……」
「あなたが醜いのなら、人は皆バケモノですね」
ベルの言葉に、リリスの眼から静かに涙がこぼれた。
リリスはベルの手から遠慮がちにハンカチを受け取る。ほんの一瞬だけ、二人の指先が触れ合ったが、お互いに何も言わなかった。
「このたびは誠におめでとうございます、アナスタシア聖女妃殿下」
民衆へのお披露目が無事に終わった後、コルネリウス大聖務官が王太子夫妻に慇懃に礼をした。
「妃殿下は軍閥のご令嬢。教会の作法は何もご存じではないでしょう」
テオはぴくりと眉を動かしたが、アナスタシアは微笑を崩さない。
「ご安心ください。聖女のおつとめのことはすべて、我々教会が責任をもって、お教えいたしますからね」
コルネリウスはにっこりと慈悲深く見える笑みを浮かべる。だがその目は、笑っていなかった。
テオは大聖務官を氷のような眼差しで見下ろしている。
これまで後見となっていたリリスが婚約者の座を追われたために、彼が新しい聖女に取り入って、まだなお権力をその手に収めようとしているのは明らかだった。
「お心遣い、誠にありがとうございます」
アナスタシアは優美に微笑む。
「私は神のお言葉に従い、殿下に色々と教えていただきながら、己の勤めを果たしたいと思います」
コルネリウス大聖務官の頬がぴくりと引きつった。
「軍閥の娘である私に聖女の力が顕現したのは、きっと神に何か深いお考えのことがあってだろうと思いますから」
アナスタシアは優雅に、完璧な礼をしてみせた。
「聖王猊下におかれましても、どうかよろしくお願い致します」
アナスタシアはうやうやしく聖王に頭を下げる。
「うむ……」
九八歳の聖王はうなずくと、またうとうとと居眠りを始めてしまった。
「聖女妃アナスタシアよ」
テオの父王が厳かに声をかける。
「はい、国王陛下」
「そなたの聖なる血を、一刻も早く王家に刻み、跡継ぎを残すように。それが妃として最大の勤めであることを心得よ」
国王は、息子のテオに顔を向けて、より厳しい声音で声をかける。
「……お前もだぞ、テオドロス。剣をいくら磨こうと、子を残せない王太子など何の役にも立たぬのだからな」
「……承知致しました」
テオは、氷の彫刻のような冷たさで、ただと頭を下げる。アナスタシアも、テオに習って礼をした。
城下では、今日がこの世の春とばかりに、歓喜の声がまだまだ止まなかった。




