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賢者の分身と慈愛の乙女  作者: 丘引みみず
第2章 孤児院での日々

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005 トレーネの使命

 ウルティオに子供たちを任せ、トレーネは応接間へと茶を運ぶ。


「し、失礼します」


 緊張しながら入室しすると、バロムとフェアがローテーブルを挟んで対面に座っていた。トレーネは客人であるフェアの方から茶を出すと自分は下がろうとするが、「お前も座りなさい」と促される。


「は、はい」


 恐る恐るバロムの隣に掛けるとフェアと目が合い、反射的に背けてしまう。そんな娘の姿にバロムは新鮮さを感じていたが、それはさておき、本題に入る。


「あの子についてだが、ちょっと特別な事情があってだな」

「特別?」

「あの子とその母親はそこの川で入水(じゅすい)自殺しようとしていたんだ」

「ええ⁉」


 バロムは彼女が自分の言葉を呑み込むまでの間を置いて続ける。


「そこで親子の救助してくれたのがこちらの――」


 そこまで言って彼はこの青年の名前を知らないのに気付く。


「おっと、申し遅れました。私はフェア・ビンドゥングと言います」


 丁重に名乗り、会釈をする彼の名にバロムは瞠目した。


「ビンドゥングって……もしかして賢者様の」

「はい。息子です」

「なんと……⁉」


 驚愕する父に対し、娘は「賢者様?」と首を傾げた。


「お前も魔法を覚えるときにヴァイザー法を使っただろ?」

「ああ、あの首を掴むヤツ」

「そうだ。それを考案されたのがその賢者ヴァイザー様なんだよ」

「へえ!」


 単に顔が良いだけではなく、出自も優れているのかと、トレーネは今一度感動した。


 こういう男性は物語の中にしか存在しないものだと思っていたが、世界は広いものだ。


 彼女が感心する傍ら、バロムはフェアに問う。


「賢者様はご壮健かい?」

「ええ。今ごろ魔法の研究に熱を上げていることでしょう」

「はは、それはよかった――と、話を戻そう。そういうわけで彼が親子を救助してくれたのだが、残念なことにお母さんは亡くなってしまったようで、それで私たちが少年を引き取ることにしたんだ」


 バロムが言う傍ら、フェアは口惜しげな顔をしていた。だからトレーネは話題を急かす。


「うん。それはわかったけど、特別ってどういうことなの?」


 この家に住むバロム以外の人間は皆、なんらかの形で家族を失っている。だから母親の不幸は取り立てて言うべき事柄ではない。その上で〝特別〟の意味するところをトレーネは早く知りたかった。


「それなんだがな、あの子は記憶喪失なんだ」

「記憶喪失⁉」


 物語ではよく見るが、まさか現実にそんな症状があるのかと、トレーネは続けざまに驚かされた。


「驚くのも無理はない。だが私たちは保護者として、それとどう向き合うか考えなければならない」


 バロムが瞳に強い使命感を浮かべて言う。


「それはわかるけど……記憶喪失か…………どうしたら良いんだろう?」

「昔のことを聞きだそうとすると頭が痛むみたいだからな、まずは詮索しないことだ」

「でもわたしたちは保護者なんだし、事情も把握しておかないとダメじゃない?」

「保護者?」


 フェアが目を丸くしてトレーネを見つめる。その視線に彼女がはにかんでいると感じていると、バロムが笑って言う。


「はは。そう言えばまだ紹介してなかったね。この子はトレーネと言ってな。成人してからは病気で死んだ妻の代わりに養母の役をしてくれているんだ」

「養母さん、ですか……」


 とてもそうには見えない、と末尾に付くのをトレーネは感じた。


「はは……これでも一応20歳ですから」

「そうですか。じゃあ私と同い年ですね」


 彼は親近感を抱いて言うとバロムが親類特有の厚かましさで言う。


「もう20歳になるのに男っ気がなくてな。どうだい、うちの子は?」

「お父さんっ!」


(余計なこと言わないでよ~)


 そう思いつつも、フェアの反応を窺ってしまう。


 彼は人当たりの良い笑みを浮かつつも「はは。私にはもったいありませんよ」と社交辞令を述べる。


(やんわりフラれた~!)


 トレーネが肩を落とす中、2人は話を戻す。


「ともあれ、あの子の記憶についてはひとまず触れない方向で行こうと思う」

「自分で思い出してくれるのを待つの?」

「他にあるまい」


 施設の2人が納得する一方、フェアはそれは良くないと考えていた。


「ん? どうかしたのかい?」

「あの……私は思い出さないままの方があの子の為だと思います」


 その言葉に2人は耳を疑った。しかし彼の目は本気だった。


「亡くなられたお母様は酷い暴力を受けて自ら命を絶つ決断に至ったのです。記憶を取り戻すことでその恐ろしい記憶までもが蘇るとなると、あの子の人生は大きく歪めてしまうことになるでしょう」

「なるほどな……」


 バロムが唸る一方、トレーネは悪寒を感じていた。


 フェアは『酷い暴力』と濁していたが、それがどういったものなのか、対象が女性となれば自ずと察しが付く。彼女がされたであろう事柄を思い浮かべると(おぞ)ましさに口内が乾く。トレーネは同じ女性として、同情と恐怖とを禁じ得なかった。


「…………」 


 堅く口を噤んで頷く彼女の姿に、フェアは自らの失言に気付いた。

 だから場の空気を変えようと、自然で明るい話題へと転換する。


「この施設には何人の子供たちがいるんですか?」

「ん? ああ、あの子を含めて14人だよ」

「14人? さっきは4人ほどしかいなかった様ですが」

「年長の子たちは学校に行ったり、働きに出たりしてるんです」


 自分を『お姉ちゃん』と慕ってくれる弟妹はトレーネにとって何よりの宝物であり、そのことを口にすると自然と頬が緩む。


 フェアはその様子に安堵しつつも問いを重ねる。


「さきほどお隣にいた子は?」

「ん? ああ、ティオくんのことですね。ティオくんっていうのは愛称で、本当はウルティオくんって言うんですけど、あの子はわたしの手伝いをしてくれてるんです」

「そうですか」

「ああ。働くことを勧めたんだがね『お家の手伝いがしたい』の一点張りでね」


 バロムが微笑ましげに言うとフェアはくすりと笑った。


「ではいつかはウルティオくんはこのお家を継ぐのですね」

「まあ、気が早い話だけどね」

「ふふ、子供は成長が早いですから、そんなこと言ってるうちにお家取られてしまいますよ」

「では気を引き締めるとしようか」


 バロムが微笑む傍ら、トレーネが言う。


「こういうのは普通、年上が言うものだよ」


 そう口にするトレーネの笑顔は野に咲く花のように明るく可憐なもので、フェアはしばし見蕩れていたが、そのことには彼自身、気付かないのだった。

読んでいただきありがとうございます!




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