002 遺された少年
意識を失った親子2人を荷台に載せ、馬車はフルーホの町へ急行した。そうして2人の身柄を医者に託した。治療を行っている間、フェアと御者は騎士団にこのことを報告していたが、親子のことが気掛かりで理路整然と話すことができなかった。
ともあれ、報告を済ませると2人は騎士団の職員を伴って診療所へ飛んで帰った。
ドアを開けて屋内に飛び込むと、ちょうど医者が治療室から出てきた。
「ああ、戻られましたか」
そう口にする彼の顔色は悪かった。そのことに3人は嫌な予感を抱きつつも、容態を問う。
「おふたりは大丈夫でしたか?」
「お子さんの方は……お母さんの方は頭を打ったのが良くなかったのでしょう。残念ですが…………」
そこまで言って医者は口を噤んだ。
「そう、ですか……」
自分の手で、母親を死なせてしまった。
その実感にフェアの意識はグラグラと揺らいだ。自分の未熟さに、そして何より申し訳なさに彼は項垂れ、拳を握り込んだ。そんな中、彼を励まそうと御者が口を開く。
「お客さんの力がなかったらきっと2人とも助かりませんでしたよ。だから気を落とさないでください」
「…………はい」
それから3人は女性の死体を確認した。
当時は救助で頭がいっぱいでその姿をよく見ていなかったが、改めてみると、不審な点が多々あった。黒い髪にやや黄色み掛かった肌色はヒモト人のそれだった。そんな親子がなぜあんなところにいたのか。そしてなぜ心中を図ったのか。
しかし、後者についてはすぐに察しが付いた。
女性は着衣がボロボロで、顔も腕も、体中アザだらけで、まぶたに至っては青く腫れ上がっていた。
その様子から彼女が何者かに暴力を振るわれ、その末に命を絶つ決断へと至ったのは想像に容易い。
「…………」
その境遇を哀れに思っていると、騎士団の職員が何かを思い出したような口ぶりで語る。
「ここ最近、一帯で盗賊に襲われたという報告が上がっているんですが、もしかしたら、その盗賊たちに襲われたのではないでしょうか」
「盗賊?」
フェアが首を傾げる一方、御者は得心した様子を見せた。
「そういや、護衛をつけろって言われたんだった」
あっけらかんと放った一言に職員が問い質すような口ぶりで尋ねる。
「ここに来られるのに護衛をつけなかったんですか」
「ああ。ただでさえ乗客が少ないのに護衛なんてつけちゃ、赤字ですから」
切実な事情に職員はため息と共に険しさを取り払った。
「そうですか。まあ、お気をつけて」
それよりも、と職員が医者を見る。
「お子さんの方の意識は――」
「先生! 少年の意識が戻りました」
看護師が医者を呼びに来た。
これ幸いと職員が少年のいる病室へ向かう一方、御者は申し訳なさそうに言う。
「自分は仕事に戻らなきゃならないんで」
そう言ってフェアの虚ろな目を見た。
「すみませんが、後のことはお願いできますか?」
「……わかりました。いろいろとご協力くださりありがとうございました」
「それはこっちの台詞ですよ。それよりも、余り気負わないでくださいね?」
「はい。お気遣い、痛み入ります」
そう口にするフェアのことを御者は心から心配した。
しかし彼には彼の務めがある。申し訳ないという思いは彼に脱帽させた。
「それじゃ、自分はこれで」
ハンチング帽を被り直すと彼は診療所を出て行った。
御者を見送るとフェアは少年のいる病室へと向かう。
病室は6台のベッドをパーテーションで区切った簡素な造りで、窓辺には黄色いフリージアを生けた花瓶が置かれていた。
そんな病室の右奥のベッドに少年はいた。
年の頃は5、6歳と言ったところで、母親同様に真っ黒な髪に黄色み掛かった肌を持ち、どんぐり眼には黒い瞳が埋まっていた。純粋に煌めくそれを不思議そうに周囲の大人たちへと向けている。そして少年はフェアを見た。
少年と目が合うと、フェアは途方もない罪悪感に苛まれ、視界がぐらりと大きく揺れた。
「うう……」
貧血を起こした時のように膝を突くと医者が「大丈夫ですか」と手を差し伸べてくる。
「だ、大丈夫、です」
どうにか立ち上がるとフェアは再び少年と見つめ合う形になった。
「お兄ちゃん。だあれ?」
「……わ、私はフェアと言います。あなたは?」
「ぼくは――ううっ!」
瞬間、彼は頭痛を起こしたようで頭を抱える。
「ああ⁉ 大丈夫?」
看護師が少年に調子を問う中、医者はフェアに言う。
「さっきからあんな調子で記憶が混濁しているみたいなんです」
「え?」
フェアが当惑する中、騎士団の職員が困った様子を見せる。
「お陰でなにも聞き出せないで困ってるんですよ」
「致し方ないことだ。思い出すまで辛抱強く待たないと」
医者がそう答えるとフェアは別の疑問を抱いた。
「それじゃあ、お母さんのお葬式はどうするのですか?」
すると騎士団の職員が答える。
「身元不明者の遺体は検死のために我々が預かることになっています。葬儀については、お子さんの現状を考えると内々で行われることになるでしょう」
「そう、ですか……」
母の死を悲しむことが出来ないばかりか、その事実を知ることさえないのかと、フェアは世の不条理を思わされた。
一方、頭痛が治まった少年は看護師に促され、身を横たえていた。
その様子を見つめたまま医者は言う。
「ともあれ、しばらくは様子を見るより他にないでしょう。あなたも心配でしょうが、後は私たちにお任せください」
「あの、明日以降、お見舞いに来てもよろしいですか?」
それは母を死なせてしまった後ろめたさから出た言葉だった。
彼自身、それがエゴだと気付いているがしかし、少年との繋がりを断つことは憚られた。医者はそれを悟り、「是非そうしてあげてください」と許可を出した。
「ありがとうございます」
会釈をするとフェアは少年に目を戻す。
少年は眠りに就いたようで、看護師に腹をぽんぽんと優しく叩かれながらくーくーと寝息を立てていた。そのあどけない姿が、いっそうフェアを苦しめた。
安宿で一夜を明かした昼下り、フェアはパン屋で焼き菓子を買ってから診療所へ向かった。
「ごめんください」
ドアを開けてすぐの短い廊下に呼び掛けると数秒の後、看護師が姿を見せた。
看護師は「ああ、昨日の」と言い掛けて言葉を呑んだ。面と向かってみて、彼の顔が良いことに気付いたからだ。彼女は窓ガラスを鏡代わりに前髪を調えだすとフェアは首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「ああいえ! それより、お見舞いですよね?」
「はい。彼の具合はどうでしょうか?」
「ええ。もうすっかり元気で!」
そこまで言うと彼女は途端に神妙な顔になった。
「……でも、記憶の方は相変わらずで」
「そうですか。お母さんの方は?」
「あの後、騎士団に預けられました。……今頃は検死が行われてると思いますよ」
看護師は同情の念を浮かべていた。
「まだお若いのに……」
その言葉にフェアは歯噛みした。
「私が手を誤ったばかりに……」
「あ、そんなつもりで言ったわけじゃ!」
看護師は両手を振って訂正するも、フェアもわかっていた。だがそれでも、そう口にしなければ罪悪感でどうにかなってしまいそうだったのだ。
「…………」
フェアは自分の卑しさに自己嫌悪しながらも、その感情から逃れるために努めて明るい声で言う。
「お土産にクッキーを持ってきたんですが、あげても大丈夫ですか?」
「あ、はい。きっと喜んでくれますよ」
そう言って看護師は微笑む。微笑み返すといくらか心が軽くなった気がした。




