第4話
突撃のラッパが悲痛に鳴り響く中、俺は泥をこねたような最前線の地面を踏み締めた。
「ひ、光の神よ、我らをお救いください……!」
「もう三日、まともに寝ていないんだ……。腕が、動かない……」
周囲の王国騎士たちは、ボロボロの鎧をまとい、白目を剥きながら武器を杖代わりにしている。完全に限界寸前だ。過労死直前の前世の俺を見ているようで、実に居心地が悪い。
「おい、そこ退け! 邪魔だ!」
地響きとともに、漆黒の鱗に覆われた巨体――『古竜』が、山のような質量で突進してくる。その後方には、おぞましい形相をした数万の魔王軍の軍勢。
騎士たちが絶望に目を瞑ったその時、俺はいつも通り、脳内のコードにアクセスした。
『アナウンス。業務開始に伴い、ユニークスキル『定時退社』のバフ効果――【業務効率化】を出力最大で維持します』
「よし、まずはフロントエンド(前衛)の片付けからだ」
俺は右手を軽く掲げる。
視界に展開される、魔王軍の『進軍経路』と『防御結界』のソースコード。それは複雑に見えて、実につまらないバグと無駄だらけの配列だった。
「詠唱破棄、術式簡略化、対象の座標指定――全削除」
パチン、と指を鳴らす。
瞬間、俺の頭上に展開されたのは、昨日よりさらに巨大な、十数個の『青白い魔法陣』。そこから超高効率化された『ライトニング・ボルト』の極大レーザーが、まるで精密なレーザーカッターのように、正確無比に斉射された。
――ドォォォン!!!
「ギャアアアッ!?」
「な、なんだこの威力は!?」
地平線を埋め尽くしていた魔王軍の先遣隊が、前線から順番に、まるで消しゴムで消されるように一瞬で蒸発していく。ドラゴンの頑強な翼も、その余波だけで事務処理のように淡々とへし折られた。
「グオオオォォン!?」
古竜が苦悶の声を上げ、信じられないものを見る目で俺を睨みつける。
一撃で数千の軍勢を消し去った俺の姿に、背後の騎士たちも生気を失った顔で口をあんぐりと開けていた。
「嘘だろ……。あの少年、たった一人で魔王軍を……?」
「聖者様だ……。光の神が遣わした、不眠不休の聖者様だ!」
「いや、寝てます。昨日も10時間きっちり寝ました」
勝手に変な二つ名(アカウント名)を付与しないでほしい。
俺は冷ややかにツッコミを入れながら、なおも進み出る。時計の針は現在、11時30分。
「さて、午前中のタスクはここまで。お昼休憩をいただきます」
俺は戦場のど真ん中であるにもかかわらず、手際よく持参したレジャーシートを広げ、街のパン屋で買ってきたサンドイッチを口に運んだ。
目の前では、翼を折られた古竜が怒り狂って咆哮し、魔王軍の残党が必死に再編成を試みているが、俺の脳内は「このハム、ちょっと塩気が足りないな」ということだけで占められていた。
「き、貴様ぁぁぁ! 戦場を何だと思っているァァァ!」
魔王軍の幹部らしき、黒いマントを羽織った魔族が激昂して叫ぶ。
「何って、業務(仕事)ですが。ちなみに12時から13時までは休憩時間と契約書(仕様書)に明記されています。労働者の正当な権利を侵害しないでいただけますか?」
もぐもぐとサンドイッチを咀嚼しながら、俺は冷徹に言い放つ。
近づこうとする魔物がいれば、休憩時間中のセキュリティーシステム(自動反撃の簡易魔法)でプチプチと火花のように処理していく。その様子は、まるでお邪魔虫を駆除する害虫スプレーのようだった。
そして、時計の針は進み――【16時50分】。
午後からの業務も順調だった。俺の超効率魔法の前に、数万いた魔王軍はすでに九割以上が消滅。残るはボロボロになった古竜一頭と、数人の幹部のみ。
勝負は決した。誰もがそう思った、その時だった。
「おのれ、おのれぇぇ人間の分際でぇぇ!」
生き残った魔族の幹部たちが、狂ったように自らの胸に手を突き立てた。どす黒い血が溢れ、その魔力が古竜へと一気に注ぎ込まれる。生贄の儀式(禁術)だ。
「我が命を捧げ! 古竜の真の力を解放せん!!」
ドクン!!!
大気が激しく震動する。古竜の傷が一瞬で塞がり、その身体が二倍近くに膨れ上がった。その口内に、世界を滅ぼしかねないほどの高密度な『滅びの業火』がチャージされていく。
「マズい! あれは古竜の命を賭した超限界一撃だ!」
「防げない! あれが放たれたら、この平原ごと全員消し飛ぶぞ!!」
王国騎士たちが再び絶望の悲鳴を上げる。
古竜の限界突破。確かに今の俺の攻撃魔法では、あのチャージが完了して発射されるまでに削り切るのは時間的に厳しい。
緊迫した空気が戦場を支配する。
だが、俺の視界の右隅にある時計が、ついにその時を告げようとしていた。
【現在時刻:16時59分50秒】
古竜の口から、眩いばかりの紅蓮の光が溢れ出す。発射まで、あと数秒。
「ハハハ! 死ね! すべて灰になれぇぇ!」
魔族の生き残りが勝ち誇ったように笑う。
激風が吹き荒れる中、俺はまったく動じることなく、右手に持っていた杖を地面に置き、トントンと服の埃を払った。
「16時59分55秒……」
「おい、カイ殿!? 何をボサッとしている! 早く逃げ――」
「16時59分58秒……」
古竜の顎が完全に開き、平原を焼き尽くす一撃が放たれる、まさにその刹那。
俺の脳内に、ジャストのタイミングで最高に心地よい定時チャイムが鳴り響いた。
【現在時刻:17時00分00秒】
『――定時になりました。本日の全業務、終了です。これより強制退社プロセスを開始します』
「グオオオオオオオオッッ!!!!」
直後、すべてを消滅させるドラゴンの紅蓮の濁流が、無防備な俺の身体を完全に呑み込んだ




