第3話
ギルド中が一瞬で静まり返り、何百もの視線が俺の全身を舐めるように動く。
ザワザワと、不穏な私語の波が広がっていった。
「おいおい、冗談だろ……? あんな線の細い優男が、あのジェネラル・ゴブリンを?」
「しかも、最後は黄金の光とともに消えたって……どんな高位の転移魔術だよ」
(……マズい。完全に悪目立ち(炎上)している)
前世の社畜時代、社内システムに大障害を起こした戦犯として、全社員から冷ややかな目を向けられたあの地獄の朝礼を思い出す。胃がキリキリと痛みそうになるのを抑え、俺は努めて平然とした顔で受付カウンターへと歩を進めた。
「あの、すみません。昨日のゴブリン討伐の件で、報酬の精算をお願いしたいのですが……」
受付嬢にギルドカードを差し出す。すると、彼女は俺の顔を見るなり、ひっと小さく息を呑み、カタカタと震えながら奥の部屋へと全力で走っていってしまった。
「え、ちょっ……」
放置プレイか? 仕様書通りの業務をこなしただけなのに、なぜこんな窓際族みたいな扱いを受けなければならないんだ。
困惑する俺の背後から、ドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。
「あ! カイさん!!」
振り返ると、昨日の新人冒険者の三人組だった。彼らは俺の姿を見るや否や、まるで神を拝むような目で駆け寄ってくる。
「やっぱりカイさんだ! 無事だったんですね! あの後いきなり光って消えちゃうから、俺たち生きた心地がしなくて!」
「ギルドに報告したら、偉い人たちが大パニックになっちゃって……本当にすみません!」
「いや、無事ならいいんだが……。それより、あの後どうなったんだ?」
俺が尋ねると、リーダー格の少年が興奮気味に身乗り出した。
「どうなったかも何も、カイさんが開けたあの穴のせいで、洞窟のボス部屋まで完全に直通ルートができちゃって! ギルドの調査隊が慌てて突入したら、奥にいた魔物が全員、カイさんの雷の余波(バグ取り)で気絶するか消滅してました! 一発でダンジョン完全攻略ですよ!」
(……やりすぎた)
俺は心の中でそっと顔を覆った。プログラムの最適化と同じで、無駄を削りすぎた結果、処理速度(威力)が限界を突破してしまったらしい。
その時、ギルドの奥にある重厚なオーク材の扉が、勢いよく開け放たれた。
「――その『定時退社のルーキー』とやらは、どこにいる!?」
凛とした、しかし恐ろしく威圧感のある女性の声がギルド内に響き渡る。
現れたのは、燃えるような赤い髪をポニーテールに結い上げ、グラマラスな肢体をきっちりとした軍服風の衣装に包んだ美女だった。腰には、見るからに業物とわかる大剣を下げている。
ギルド内の冒険者たちが、一斉に背筋を伸ばして道をあけた。
「ギ、ギルドマスター……!」
誰かが恐怖混じりに呟く。
彼女こそ、この街の冒険者ギルドを統べるトップであり、元・白金級の超凄腕冒険者――エルザ・ヴァルハイトだった。
エルザは鋭い眼光でロビーを見回し、やがて俺の姿を捉えると、迷いのない足取りで真っ直ぐに向かってきた。大剣の鞘が、カツ、カツと床を叩く音が妙に重い。
俺の目の前で立ち止まると、彼女は腕を組み、豊満な胸を強調しながら俺を見下ろした。
「お前がカイか。……ふん、一見するとただの軟弱な男にしか見えんが。昨日、ジェネラル・ゴブリンを初級魔法で一撃のもとに屠り、謎の魔術で消失したというのは、本当か?」
「……はい。仕様書通りのゴブリン討伐を行いました」
俺はサラリーマン時代のポーカーフェイスを維持しながら答える。
「ほう。仕様書、とはクエスト概要のことか。言葉選びが変わっているな。……だが、報告によれば、お前は戦闘中、ずっと時計を気にしていたそうだな? そして『定時だから帰る』と言い残して消えたと」
エルザの目が、獲物を値踏みする猛禽類のように細められる。
「それが私のポリシーですので。朝9時から夕方5時まで。これを超える労働は、心身のパフォーマンスを著しく低下させます」
俺が堂々と「ノー残業」を宣言すると、ギルド内から「アイツ、ギルマス相手に正気か……?」と、どよめきが起きた。エルザは氷のように冷たい無表情のまま、俺をじっと見つめ続けている。
数秒の、気の遠くなるような沈黙。
やがて、エルザの口元が、ニィッ……と肉食獣のように吊り上がった。
「――素晴らしい!!」
「……は?」
エルザは突然、俺の肩をバシバシと豪快に叩いた。想像以上の筋力に、俺の身体が数センチ沈む。
「あえて戦力を温存し、敵を極限まで引きつけ、制限時間の『最後の1分』で一撃のもとに全滅させる……! そして息一つ乱さず、次の作戦のために速やかに戦線を離脱(帰宅)する! なんという無駄のない合理主義! なんという洗練された戦術だ!」
「いや、それはただの定時退社で――」
「謙遜するな! 今の人類(冒険者)に最も足りないのは、その『徹底したリソース管理』だ! 徹夜続きでボロボロになり、判断力を失って全滅する愚か者どもに、お前の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい!」
熱弁を振るうエルザ。
……だめだ、この人。完全に筋金入りの「戦闘狂」の視点で、俺の定時退社をハイレベルな戦術だと激しく勘違いしている。
「気に入ったぞ、カイ! お前のような冷徹なまでのプロフェッショナルを待っていた! 早速だが、お前にうってつけの『緊急案件』がある!」
エルザはそう言うと、懐から、禍々しい真っ赤な印章が押された一枚の書状を取り出し、俺の目の前に突きつけた。
「これは……?」
「国境の防衛線が突破されかかっている。相手は魔王軍の先遣隊、およびそれを率いる『古竜』だ。騎士団は連日の不眠不休の戦闘で全滅寸前。これをお前に、ギルド指名特級クエストとして発注する!」
(……絶対に行きたくない。ドラゴンとか完全に業務範囲外だろ!)
俺は即座に首を横に振ろうとした。だが、エルザがニヤリと笑って告げた「条件」に、俺の全神経が硬直した。
「安心しろ、お前のポリシーは尊重する。拘束時間は【朝9時から夕方5時まで】の定時厳守。そして、この案件の基本報酬は――『金貨100枚』だ」
「きんか……ひゃくまい……」
脳内で素早く換算する。この世界の物価なら、金貨100枚あれば、一生働かずに毎日10時間睡眠のスローライフが確定する。まさに人生をあがれる超・優良案件。
「……本当に、17時になったら帰ってもいいんですね?」
「ああ、ギルドマスターの名において約束しよう。夕方5時になった瞬間、お前が何をしていようが、私は一切関知しない!」
エルザが不敵に笑う。
【定時厳守】で【一生遊んで暮らせる報酬】。断る理由がなかった。前世のブラック企業で培った社畜根性が、「この案件は受けるべきだ」と激しくゴーストを囁いている。
「分かりました。その案件、お引き受けします」
「よし、交渉成立だ! では、明日の朝9時、戦地にて待つ!」
――そして、翌朝。
俺はギルドの転移魔術によって、魔王軍との最前線である「断絶の大平原」へと送り込まれた。
目の前に広がるのは、地獄絵図だった。
数日間の徹夜戦闘で、目の下にどす黒いクマを作り、今にも気絶しそうな王国騎士たちが、ゾンビのように武器を構えて震えている。
そして遙か彼方の地平線からは、天を突くほどの巨体を誇る漆黒のドラゴンと、数万を超える魔王軍の軍勢が、地響きを立てて迫りつつあった。
悲惨なブラック戦場。
しかし、俺の視界の右隅の時計が、午前【09時00分00秒】を刻む。
『アナウンス。業務時間を開始します。本日も安全第一(定時退社)で頑張りましょう』
俺はスーツの袖をまくるような仕草で、ゆっくりと前に進み出た。
「よし……。定時までに、サクッと片付けますか」




