第2話
――カチリ、と脳内で何かが噛み合う音がした。
瞬間、俺の指先から放たれたのは、細い雷撃などという生易しい代物ではなかった。
それは、洞窟の壁を強引に削り取りながら突き進む、直径数メートルにおよぶ『電光の濁流』。
「ガ、ギ、――ッ!?」
ジェネラル・ゴブリンは悲鳴を上げることすら許されなかった。
俺が極限まで無駄を削ぎ落とし、威力を最大効率へとリファクタリングした『ライトニング・ボルト(超高効率モード)』。その圧倒的なエネルギーの奔流は、レベル100の巨体を正面から一瞬で呑み込み、背後にいた十数匹の部下ごと一網打尽に消し去っていく。
閃光が洞窟の奥へと突き抜け、凄まじい爆風が巻き起こった。
ゴオオォォォ……と地鳴りのような余韻が響く中、俺は突き出した右手を静かに下ろす。
目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
さっきまで絶望の象徴だったジェネラル・ゴブリンの姿はどこにもない。そこには、ただただ真っ黒に焦げ付き、遙か奥の地上へと貫通して綺麗に『最適化』された、一本の巨大なトンネルが穿たれているだけだった。
「…………は?」
背後で、へたり込んでいた少年冒険者が間抜けた声を漏らした。
他の二人も、完全に魂が抜けたような顔で、交互にトンネルと俺の顔を見つめている。
「おい、夢、だよな……? 初級魔法って、あんなに洞窟をブチ抜く魔法だったか……?」
「ライトニング・ボルトって……普通はパチパチって火花が出るくらいだろぉッ!? なんだよあの極大消滅レーザーは!」
騒ぐ仲間たちをよそに、俺は自分の手のひらを見つめていた。
なるほど、これが固有能力の力か。前世のデスクワークの感覚で、魔法の無駄な『バグ』を取り除いただけなのだが、まさかここまで威力が跳ね上がるとは思わなかった。
だが、感心している場合ではない。
俺の視界の右隅、半透明の時計が非情なカウントダウンを告げていた。
【現在時刻:16時59分55秒】
【16時59分56秒】
(やばい、あと4秒しかない……!)
前世の社畜時代、1分でもタイムカードを押すのが遅れれば、上司から「おい甲斐、何ダラダラ残業してんだ、早く帰れ」とネチネチ怒られた記憶がフラッシュバックする。今世では1秒たりとも無駄な労働はしないと誓ったのだ。
「あ、あの! カイさん! あなた一体何者なんですか!?」
少年冒険者が目を輝かせ、すがりつくように俺の服の裾を掴もうと手を伸ばしてくる。
「16時59分58秒……」
「え? カウントダウン……?」
「16時59分59秒……」
「カイさん……?」
【17時00分00秒】
ジャスト。定時だ。
その瞬間、俺の脳内にこれまでで最も盛大な、ファンファーレのような機械音声が鳴り響いた。
『――定時になりました。業務時間、終了です。固有能力『定時退社』を発動。速やかに安全地帯(自宅)へ帰宅します。本日もお疲れ様でした』
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
俺の身体から、突如として眩いばかりの『黄金の光』が溢れ出した。それは世界のいかなる魔力とも異なる、神聖で、かつ絶対的な輝き。
「うおっ!? な、なんだこの光は!?」
「カイさんの身体が光って――」
驚愕する仲間たちを置き去りに、俺は最後にビシッと、ビジネスマンとしての基本の挨拶を叩き込んだ。
「本日の業務は以上です。お疲れ様でした。お先に失礼します」
「ええええええええーーーっ!?」
洞窟内に響き渡る仲間の絶叫。
次の瞬間、俺の視界は黄金の光に包まれ、重力から解放された。
――フハッ。
次に背中に感じたのは、ジメジメとした岩肌ではなく、驚くほどふかふかとした柔らかい感触だった。
鼻を突く苔の臭いは消え去り、代わりに乾いた木と、お日様の匂いがする。
恐る恐る目を開けると、そこは俺が今朝、なけなしの銅貨を払って借りた、街の安宿の一室だった。
俺は、自分のベッドの上に、うつ伏せの状態で綺麗に着地していた。
「……マジで、帰ってきた」
身体を起こし、自分の手を見る。
傷一つない。泥汚れもない。それどころか、魔法を連発したはずなのに、精神的な疲労感が一切消え去っている。
『定時退社』――それは業務時間が終了した瞬間、あらゆる干渉を無効化し、強制的に我が家へと転移する絶対防御にして最強の帰宅スキル。
「最高、最高すぎる……!」
俺はベッドにゴロンと寝転がり、天井を見上げて歓喜の声を上げた。
前世では、終電を逃して会社のデスクで硬い椅子に座りながら夜を明かした。タクシー代をケチって何時間も歩いて帰ったこともあった。
それがどうだ。定時になった瞬間、一瞬で我が家のベッドの上。残業代が出ないどころか、残業という概念そのものを世界が拒絶してくれるのだ。
「これなら、この異世界でホワイトなスローライフが送れるぞ……」
重労働の冒険者稼業なんて、サクッと定時で切り上げて、あとは趣味の読書でもして寝るだけだ。完璧なライフワークバランス。俺は勝利を確信し、心地よい眠気へと身を任せようとした。
しかし。
俺は一つだけ、重大なことを見落としていた。
――あのアホみたいな威力の魔法で、ボス級の魔物を跡形もなく消し去り、その直後に謎の黄金の光と共に消失した『ルーキー冒険者』。
そんな存在を、周りの人間や、冒険者ギルドが放っておくはずがない、という当然の事実に。
翌朝。
前世では絶対に不可能だった「10時間睡眠」を貪り、最高の気分で目覚めた俺は、昨日のクエストの報酬を受け取るために、のんびりと『冒険者ギルド』の扉を開けた。
その瞬間。
「――おい、アイツだ!」
「間違いない! 昨日、ジェネラル・ゴブリンの群れをワンパンで消し去ったっていう『定時退社』だッ!」
ギルド内にいた数百人の冒険者たちの視線が、一斉に俺へと突き刺さった。




