夢を捨てたバンドマン 第2話
そこに映ったのは──
未来を失った玲央だった。
薄暗い部屋。ギターは隅に放置され。埃をかぶっている。
テーブルにはコンビニ弁当の空パック。
姿勢は丸く、目の下には深い影。
「……やめろ……」
声が震えた。
そこにいるのは、“音が鳴らなくなった自分”。
自分が決めた未来の先にある姿──。
老人は静かに言った。
「どちらの未来も、“可能性”です。あなたが選ばなければ、どちらになってもおかしくない」
玲央は膝に置いた手を強く握り締めた。
「どちらの道に進むかは……あなたの“音”が決めるのですよ」
古書の光景の中で、玲央は自分の“未来のライブ”を見ていた。
煌めくライトが観客の影を揺らし、音の粒が部屋全体を震わせる。
ふと、客席の前列で泣いている女性が目に入った。
肩まで伸びた黒髪。
手で口元を押さえながら、涙を止められずにいる。
──誰だ?
記憶にない。ファンの一人?
しかし、女性は目元を拭いながら笑った。
そして、呟いた。
「この音で、私は救われたんだよ……ありがとう」
玲央の呼吸が止まった。
自分の音が、誰かの人生に触れている。
そんなことが、今まで一度も思いもしなかった。
女性は友人らしき人物に向かって言う。
「ねえ、この曲を初めて聴いた時、“ああ、まだ生きていいんだ”って……本気で思えたんだよ」
女性の頬を流れた涙が、玲央には嬉しい涙に見えた。
玲央の心臓が締め付けられた。
ライブハウスの空気、音、汗、息──
全部が玲央の内側に刺さってくる。
未来の玲央は、観客に話しかける。
「今日、ここに立てたのは……誰のおかげでもない。俺が、一度……音を出すのを諦めたからだ」
観客が静まりかえる。
「諦めたからこそ、戻ってきた。あの日、誰もいなくて……音も消えてた。そこで、“本当に鳴らしたい音”がわかったんだ」
未来の玲央の言葉は、現在の玲央の胸にも突き刺さった。
そして──
未来の玲央は、ギターを構え、叫ぶ。
「聞いてくれ……俺の、未来の音を!」
ギターを擦るように鳴らす。
まるで世界が震えるように音が響いた。
玲央の膝が勝手に震えた。
視界が揺れ、呼吸が浅くなる。
「……何だよ、これ……なんなんだよ……」
ぽつりと漏れた声は、涙で濡れていた。
「辛いですかな?」
老人の静かな声が背中から聞こえた。
玲央は袖で強く目をこすった。
「辛いよ。だって……だって、もう無理なんだよ。時間もない、金もない、仲間もいない……こんな未来、あるわけないだろ……!」
老人は、古書のページを閉じず、そっと指を添えた。
「では──こちらは、どう見えますか?」
ページが再び光を放つ。
映し出されたのは、ライブハウスではなかった。
小さな、6畳の部屋。
椅子に座る若者が一人。
顔立ちはあどけなく、パーカー姿で、肩を落としている。
青年のスマホには“ひとりぼっちの曲”という検索履歴。
机の上にはギターの初歩練習の本。
──見覚えのある目だ。
未来の玲央は、若者の前に座っていた。
穏やかな声で話しかけている。
「ああ、わかるよ。最初の一歩が一番怖いんだ。でも……“怖いからやらない”って決めたら、音は一生鳴ってくれない。それが音楽なんだよ」
若者が震える声で言う。
「……でも……下手だし……」
未来の玲央は笑った。
「下手でいい。俺も……下手だった。何度も折れて、やめたいと思った。でもさ、それでも戻ってきたら……音はちゃんと待っててくれたんだ」
涙ぐむ若者の手を取って、未来の玲央は言う。
「一緒に……始めよう」
玲央の胸が、また強く締め付けられた。
「……これが、俺……なのか?」
「ええ。これはあなたが“誰かの支えとなる未来”。大ホールではなく、小さな部屋かもしれない。しかし……立派な『誰かを救う音』です」
老人はゆっくりと続けた。
「音楽に大きいも小さいもありません。あなたが奏でた音が……誰か一人でも救うなら、それは立派な“未来の音”ですよ」
玲央は言葉を失ったまま、映像に見入っていた。
光景が静かに消えた。
古書は淡い光を残しながら閉じ、老人は机の上にそっと置いた。
店内に戻ると、静寂が広がっている。
ワラが足元にきて、玲央の膝に前足を乗せた。
「ほう……気にかけているようですな」
老人の声は穏やかだ。
「……俺、さ……」
玲央は言葉を探しながら、ゆっくりとギターケースを開いた。
中には、使い込まれたギター。
ネックには傷、ボディにもひっかき傷。
それでも、どこか誇らしげに見える。
──本当は、触りたかった。
──もう一度だけ弾きたかった。
──でも、弾いたら泣くと思って、逃げていた。
玲央は、そっとギターを抱え、右手を弦へと伸ばした。
「……鳴らないって、思っていたんだ。もう、俺の音は死んだって」
指が弦に触れた。
そっと、そっと。
乾いた、しかし確かな音が店内に響いた。
玲央は息を呑む。
老人は微笑んだ。
「ほら。まだ……生きているでしょう?」
玲央は震える手で、もう一度弾いた。
その音は決してうまくはない。
完璧でもない。
指も震えて、ミスばかり。
しかし──
確かに“玲央の音”だった。
「……まだ、鳴るんだ」
呟きは震え、涙が一粒、指板に落ちた。
ワラが「にゃあ」と鳴いた。
まるで「当たり前だろ」と言うように。
おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします




