第8話 第二章 ―迷走― 4
「神崎世良さんの行方だけどさ、闇雲に探しても行方をつかむのは無理だと思う。まずは当時の杏条ニューロンに勤めていた頃の神崎世良さんの事を調べてみよう。そこから、どこに向かったのかとか、ヒントが得られるかもしれない」
「でも、当時の警察の人が調べてくれたよ。今更杏条ニューロンを調べても……」
「警察なんかアテにならないよ。もしかしたら、警察にとってはどうでもいい情報でも、君にとっては大事なものが埋もれてるかもしれないだろ。そこに行方を知る手がかりがある可能性だってある」
まるで、探偵みたいだ。ひなたであったら、警察に頼りきってしまうかもしれないが、この男はそれではダメだという。やはり状況が状況なだけに、普通に捜査していたのでは尻尾すらつかめないかもしれない。的確な言葉が見当たらないが、事件を調べるのではなく人の行方を調べるのだから、警察の捜査とは違ったものになるのではないかという事だ。しかもかなり特殊な境遇に置かれた人物だからだ。
「でも、どこから調べたらいいの?」
「杏条ニューロンを調べてみようか。それとも、違う路線から辿ってみるのもいいかもしれない」
杏条家はひなたがお世話になっている家だ。なるべく迷惑はかけたくないと彼女は思ったのだろう。『家族別姓』という法律のために、彼女は神崎姓を名乗り続けているが、住んでいるのは紛れもなく杏条家だ。
「違う路線をまずいってみようよ」
「……わかった」
海斗も、何となくひなたの考えている事を理解していたのかもしれない。素直に頷いた。
「僕なりに考えてみたんだけど、この捜査をするに当たって、ピンポイントで当たるべきキーワードがいくつかあると思うんだ。一つは杏条ニューロン株式会社。言わずとも、神崎世良さんに通じるもの。二つ目は、しーさいど桜ヶ崎」
二つ目のキーワードは何だか納得がいかなかった。調べる理由が分からないからだ。
「何で、しーさいど桜ヶ崎なの?」
「僕は議員の息子だろ? 色んな情報が耳に入って来るんだよ。ちょっとキナ臭いからね、あそこ。
犯行グループが今回しーさいど桜ヶ崎を占拠したのはみんな知ってる。だけど、何でしーさいど桜ヶ崎が選ばれたんだ?。神崎世良さんの勤めていた杏条ニューロンなら、確か本社は東京都のはずなんだ。世良さんを直接狙うのなら、行方を唯一知っていそうな、杏条ニューロン本社とか、それ付近の建物で篭城事件を企むと思わない? それが、こんな神奈川県の端っこになんで好き好んでわざわざ来たんだと思う? 何か理由があるんだよ、きっと」
海斗はアクセルを強く握り、国道を走るスピードを上げた。まるでムシャクシャした気分を晴らしたいとでも言うかのように。
「やっぱり、海斗君は違うよ……。そんな事あたしじゃ絶対考えなかった」
ひなたは自分の頭の回転の悪さを嘆いた。きっと一人じゃ本当にどうしようもなかったに違いない。
「一つ、調べてみたい事がある。この近くに、当時しーさいど桜ヶ崎の建設を承った会社があるんだ。親父を通してそこの社長と会った事がある。その人に会って確かめたい」
「何を確かめるの?」
海斗は眉をひそめた。
「しーさいど桜ヶ崎建設の時に、何か特別変わった事が無かったかどうかを聞きたいんだ。元々、あの建物は変ないわくつきでね。最初は少し離れた場所に建設される予定みたいだったんだけど、建設が始まるほぼ直前になって予定を変更して、建設場所を少し移動するという事になったらしいんだ。それが、今建っている場所さ。最初から変だなとは思ってたけど、何か怪しく思えるんだよ」
「何かあったのかな?」
「聞いてみよう、あの狸社長に。コネでも使えばきっと何とかなるよ。どうやらあの狸、親父に色々貸しがあるみたいなんだ」
バイクはスピードを落として国道を外れ、郊外の一角へと向かっていった。
桜ヶ崎市内の住宅街を抜けると、発展した街の中とは思えないほどの田舎道に入る。駅前の再開発がなされても、未だに凹凸だらけのあぜ道は多い。少し人の少ない道に入るとすぐこれだった。頭が常に上下に揺れている状態で、走りづらくて仕方が無い。
――桜ヶ崎もまだまだ田舎だね。
ゴルフ場の脇の道に入り、これまたひたすら長い直線を抜けると、いきなり視界の開けた工事現場のような土ばかりの道へ。重機が至る所に放置されている。再び住宅街が見えてきて、家から自転車でも行ける範囲の知っている道へと出た。
「ここだよ」
問題の会社は、自分が住んでいる杏条家からけっこう近い場所にあったらしい。割と近代的な、石造りの一軒家を改造した事務所らしい建物の表札には、『小田原建設株式会社』と楷書体で書かれていた。
「何だか、取り込んでそうじゃない?」
「雲行きが怪しいね」
事務所の周りには、気付けばどこかの会社関係の車が十台近く止まっていた。しかも玄関のドアは開きっぱなしであり、大量の靴が重なり合って脱ぎ捨てられているのが見える。よほど皆急いで入ったのか、それとも焦っていたのか。とにかく滅茶苦茶だ。
「とにかく、行ってみようよ」
ひなたはチャイムを鳴らした。反応は無い。だが事務所の中には大勢の人がいる気配がする。
「いいか。直接入っちまおう」
「いいの?」
不法侵入だとか言われないだろうか。海斗はひなたの言う事に答えずに、門扉を越えて玄関に上がっていった。ひなたも後を追う。
オフィスとして使われている居間を二人で覗き込むと、大変な事が中で展開されていた。
「なんだこれ」
「取材に来てるのかな?」
割と広めの居間の中に、事務員の机が所狭しと並べられている。だが仕事をしているどころか、新聞記者や雑誌記者であろう、大勢のカメラやマイクを持った人達が何だか押し合いへし合いしている最中であった。断片的に聞こえる事を耳で拾うと、どうやら施工したしーさいど桜ヶ崎が占拠された事に加え、その施工会社の社長が時期を狙ったかのように死んだ事で、何か関連があるのではないかとマスコミは嗅ぎ付けたようだった。
「社長さん、死んでるって……?」
ひなたは、耳に入ってきた情報を海斗に言って聞かせた。
「施工したしーさいど桜ヶ崎が占拠された日に、死んだ? つまり、今日? どういう事なんだ……」
事務員達はマスコミへの対応に忙しく、扉から覗き込んでいる二人は目に入っていないようだ。マスコミの声もうるさく、二人がひそひそと内緒話をしていても、全く気付かれる様子が無い。
「理由は分からないけど、社長は死んだって事か……。気になるけど、今はここにいるのは得策じゃないかもね。マスコミはきっと昼のあのテレビの映像を見てる。神崎がこんな場所でもし連中に見つかったら捕まるよ」
「ここから離れよ!」
ひなたはまたも身の危険を感じた。マスコミなどに捕まればいつ解放されるか分からない。関わった事で犯行グループの逆鱗に触れ、最悪の場合爆弾を爆破される可能性もある。それは何としてでも防ぎたい事だった。
二人は背を向けようとした時、「あ!」という声が聞こえた。記者の一人が近寄ってくる。
――ヤバ!
ひなたはすぐさま背を向け、逃げ出した。すぐさま靴を履き、外へと飛び出す。海斗も後を追って外に出てきた時、振り返ったひなたはカメラのフラッシュを浴びた。
「きゃっ!」
「君、昼に事件の放送でテレビに出てた子だね。いやぁ、本物に会えるとは思わなかった。かーわいいねー」
いやらしい目付きの中年記者が近寄ってくる。
「海斗君、早く!」
海斗は急いでバイクに跨ると、エンジンを吹かせた。
「神崎、しっかりつかまって!」
直後、バイクが黒煙を吐き、記者の頭を包んで咳き込ませる。気付いた時には、二人の姿は消えていた。
「ちぇ、あの子からは色んな事聞きたかったんだけどな」
悔しそうに口を尖らせていた。
ひなたは信号待ちをしている間、ヘルメットを被って静かにしていた。情報を得ようとして向かった先で、マズイ状況に遭遇してしまうなど不運極まりない。
「くそっ、あの狸社長が死んだだって? 何でこう、必要な人に限っていなくなるかなあ!」
海斗も怒りを示していた。ひなたは、申し訳なさそうに小さな声で言った。
「写真一枚撮られちゃった。あたし何かの雑誌に載っちゃうかもね」
「そしたら、見世物じゃねえよって雑誌の編集部にクレーム付けてやる」
海斗は柄にも無く憤慨していた。普段はあまり乱暴な言葉を好まない彼が、怒りを見せていた。それだけ、事件を食い物にしようとする連中が許せないという気持ちがひなたには伝わっていた。
ひなたの頭の中では、分からない事だらけで混乱しかけていた。
何故、小田原建設株式会社の社長は死んだのか。殺されたのか病死したのかとかは分からないが、殺されたと仮定すれば、きっとしーさいどの事件絡みで殺された可能性が高いと思われた。
――そうだとしたら、あの事件は裏で糸を引いてる何者かがいるはず。社長が殺されたのだとしたら、何か口封じのために……?
「会社の事務所は奴らがいてダメだ。こうなったら直接、社長宅にでも乗り込もうか」
「えええっ、それマズイんじゃない? いくら顔が利くって言っても」
会社の事務所がトラブルになっているほどだ。自宅だってパニック状態になっていてもおかしくない。同じように記者が押しかけている可能性もある。
「社長は恐らく、事件に合わせて何か余計な事喋らないように口封じされたんだ。奴ら、殺されたとは言ってなかったけど、きっとそれは間違いない! 小田原建設は、何か重要な秘密を握ってるよ」
――どうやら同じ考えみたい。
ひなたは少し嬉しそうに口元だけで笑った。
「それも、しーさいど桜ヶ崎の秘密や、杏条ニューロンの事、もしかしたら神崎世良さんに繋がる答えも炙り出てくる可能性もあるよ」
「しーさいどはともかく、何で杏条ニューロンが出てくるの?」
海斗はすぐには答えなかった。何か答えあぐねているような、答えたくないといった雰囲気を醸し出していた。やっぱりいいよ、とひなたが言う前に、海斗は重い口を開いた。
「悪いね、神崎。神崎は杏条家にお世話になっている身だし、身内を悪く言われるみたいに思うかもしれないけど、聞いてくれ。
杏条ニューロンは表向きは単なる製薬会社だけど、多くの闇の部分を隠し持ってる」
「そんなの、他の会社だって持ってるじゃない」
ひなたはさも当たり前に答えた。彼女とて、そこまで何も知らないわけではない。世の中には『大人の事情』というものがある。公には出来ない部分だって多くあるのだ。
「それが、他の多くの会社と比較しても比べ物にならないほど、誰もその真相は分からないほどの闇を抱えてる可能性があるんだ。もちろん僕にも真相は分からない。昔、あるキナ臭い噂が立って親父が興味本位で調べようとしたけど、色んな要因が重なって、結局何も分からずじまいだったってさ」
「でも、あたしは杏条家を信じてるよ……」
小さな声でひなたは確かに言った。その一言で、彼女の心は海斗には理解できていたようだった。
ひなたは、杏条家を追い出されたら他に行く場所が無いのだ。昔住んでいた家は焼けてしまい、今では別の建物が建っているし、彼女を今更引き取ってくれる身内すらも居ない。何より、杏条家との養子縁組が切られるような事があれば、ひなたは再び施設に入る事になり、学費が払えなくなって学校すらも行けなくなるかもしれない。
ひなたは恐れているのだ、誰からも必要とされなくなる恐怖を。彼女は一度ならずとも、二度も人に捨てられる経験をしてきている。まさに『お前には価値が無い』と言葉に出さずに言われたようなものだった。彼女の深層意識では今でも、治らない深い傷が膿んで痛みを発し続けているに違いない。
「辛いよね、そりゃ……」
運転している海斗にしがみ付きながら、無言で頷く。ヘルメットが動いて背中に擦れ、彼女が無言の返事をした事に気付く。
結局、他に手がかりが無い以上は嫌でも調べなくてはならなかった。
――身内を疑ってるみたいで、イヤだな……。
そう思うも、ひなたには他に成す術は無かった。
「あんまり気にするなよ。神崎はネガティブすぎる。ネガティブな感情からいい物は生まれない」
海斗はスピードを上げ、バイクは街中のマンションに向かって走り出した。




