第7話 第二章 ―迷走― 3
ハンバーガーショップに着いた頃には、ひなたの心はだいぶ楽になってきていた。彼女は空いているカウンターでチーズバーガーを頼み、海斗は試しに、ひなたのオススメの例のエビっ娘フィレオを一つ頼んでいた。すぐに商品はやってきて、込み入った話をするために、一階よりも更に空いてそうな二階の席に座る事にした。
やはり、二階までわざわざ来る客はまばらだ。割と多い席が設置してあるこの店舗も、昼食時から少し外れたこの平日では席は埋まっていなかった。
「そういえば神崎、薬ちゃんと持ってきた?」
海斗は革製の黒いトレンチコートを脱ぎながら、心配そうに聞いた。ひなたは頷く。インナーに着ていたグレーのロングシャツ一枚になった海斗は紐のように細く、かなり着太りしていたのが分かる。
「いつも、右胸の内ポケットに入れてるから」
と、触ったらきっと本気で怒るだろうなと思われる膨らみを指で指した。
「しーさいどの中に置きっぱなしにしてきたらマズイからね。この食事が終わったらちゃんと飲むんだぞ。さてと、早速いただこうかな」
海斗はまぁいいやというように、ハンバーガーの包みを取って一口かぶりついた。
「ホントだ、ウマイじゃん」
「でしょ?」
ひなたもそう言ってくれて嬉しいようだった。
「神崎さ、一体何を要求されたの?」
本題に突然入る海斗。そりゃそうだ、時間は無いのだ。早く必要な事を相談しなければ。
「あたしのお母さんを探して、明後日の日付が変わるまでに連れて来いって」
「何だって。確か神崎の母さんは、お前が小さい時に蒸発したんだろ?」
ひなたは無言で頷いた。
「それ、偶然なのか? なんか変な気がするな……」
偶然にしては出来すぎている気もするが、実際偶然だろうが何だろうが指定された以上は連れて来なくてはならない。ひなたの母に、テログループに必要とされるどのような理由があるのか、さっぱり分からなかったが。
今は、触れたくないトラウマにも触れなくてはならない。出来れば、ひなたは母の事は思い出さないで日々を過ごしたかった。それくらいに深い心の傷だからだ。
「テレビでは、早速この事件の名前が付けられてたよ。数時間前に発生したばっかりなのに。『しーさいど桜ヶ崎人質爆弾篭城事件』だってさ」
「まんまだね」
「現場の状況がどんな事になってるのか知りたいよ。だけど近づけない」
海斗は頭がいい。運動神経は並だが、理論立てて物事を考えたり、コンピューターの扱いなどに長けている。オマケに、困ってる人を見ると助けたくなるヒーロー願望のようなものも持っているようだった。このような状況では、彼女の唯一にして最大に頼りになる味方だろうと思える。
しかも彼には、それ以上の武器がある。普段の大人しさとは裏腹の、本当の素顔とでも言えばいいのだろうか。地位を利用しての人脈だ。彼の父親は神奈川県の県議会議員であり、かなり広範囲に顔が利くらしい。彼自身も父に小さな頃から付き添い、十六とは思えないほどの人脈を築いている事をひなたは知っていた。そのような情報網があれば、だいぶ捜査は進展するだろう。利用するという言い方をすれば意地が悪いが、今のひなたには地に頭をこすり付けてでも欲しいものだった。
「教えて欲しい。細かく」
「わかったよ」
食べかけのハンバーガーをテーブルに置き、海斗はシンプルなメモ帳とペンを取り出していた。常に持っているらしい。こういう相手が味方だと頼もしさを感じた。
ひなたは要らない部分を端折りながら、午前中に学校が終わってから事件に巻き込まれ、海斗と合流するまでの事をまとめて話した。海斗は真剣な面持ちで、止まる事無く筆を動かし続けている。
――海斗君なら激しく言い合う裁判だって正確に聞き取れるかもね。
「そっか。杏条も友達も捕まって、他の友達に電話をかけても音信不通。一緒に事件に巻き込まれた可能性が高い。犯行グループは大多数、皆が銃火器を持ち込んでいて、館内に大量の爆弾を仕掛けた。要求を明後日の日付が変わるまでに果たせなければ千人の人質と共に心中。警察に頼る事、警察が関与する事は許さない。オマケに要求の内容の神崎世良さんは十三年前から行方不明。手がかりは当時の写真のみ。……何だよ、この無茶苦茶な要求。畜生!」
さすがの海斗も、ひなたの置かれた絶望的な状況に、思わずメモ帳をテーブルに叩き付けていた。自分でメモを取りながら、思っていた以上の最悪な状況に気付いたのだろう。まばらに存在している客も、突然怒鳴りだした海斗に何事かと振り向いていた。
「こんな事考える相手だ、当然話し合いの余地なんて無いだろうな。最悪の場合、心中すら考えてるんだから」
自分で叩き付けたメモ帳を睨む海斗。
「やっぱり、あたし一人でやろっか? ゴメンね、海斗君をこんな事に巻き込んじゃ、ダメだよね……。いいの、今日の事は忘れて」
ひなたは俯き加減な表情で、立ち上がってその場を去ろうとした。「待てよ!」
海斗は、固定された椅子が倒れるのではないかというくらいの勢いでガバッと立ち上がり、今にも立ち去りそうなひなたの肩をつかんだ。
「あたしがやらなきゃいけないの。あたしがその役目を引き受けちゃったんだから」
海斗は張り裂けそうな表情で、首を横に振った。
「そうじゃない! 皆がお前にその役目をやれって命令したんだ」
「違うよ、最後に決めたのはあたし。だから……」
「馬鹿野郎、だったら何で俺に『助けて』なんて言った! あんな泣きそうな声で。最初から自分ひとりでやるつもりだったら誰にも助けてなんて言うな。お前は、誰かの支えが欲しかったんだろ? 一人じゃ無理だと思ったんだろう? だからさっき、俺に助けを求めたんだろう? 違うのか?」
「うぅ」
ひなたは崩れ落ちた。膝を震わせて。
「うわああぁぁ……」
泣いた。泣き崩れた。胸の奥から競り上がってくるものを押さえ切れずに。人目もはばからず、まるで夏休みの最後の日になっても宿題が終わらず、親に対してぐずっている子供のように。大丈夫、自分で一人でやるから心配するなと強がり、結局ダメで親に泣きすがる子供。
「泣くなよ」
海斗は泣き続けるひなたの側で、泣き止むのを待った。その涙で、彼女の気持ちは十分海斗に伝わっていた。
「あたし、みんなの事大好き。みんなが死んじゃうなんてイヤ、イヤなの……」
「頑張ろう。僕も全力で神崎の協力をする。今は泣いてる時じゃない。進まなきゃいけない。そうだろう?」
ひなたは涙を袖で拭いながら、「ありがとう、ありがとう」と何度も言った。
「おやおや、女を泣かせちゃいけねえなぁ」
明らかにひなたと海斗の二人組みを指した言葉が降って湧いた。聞いた事があるような無いようなその男性の声に、二人は振り向く。
「よぉ」
一階から階段を上がってきたその男は、金髪のツンツントサカ頭をしており、海斗よりほんの少しだけ背が高いと思われる。両耳の安っぽそうなリングのピアスに、無精ひげを生やしている。顔の質は……言うまでもないだろう。
同じ学校の制服を着ているが薄汚れており、ボタンもまともに掛けていなく、ベルトすらもしていない、ネクタイも緩ませているだらしの無い格好をしていた。いわゆる腰パンという、ズボンを適正な高さより降ろした履き方をしており、裾は自らの靴で踏んで泥だらけになっている。
ひなたは小さく呟いた。
「……だれ?」
続けて海斗も。
「よぉ、と言われても。ねぇ」
二人は顔を合わせて、唸りあった。記憶を引っ張り出してみても、知り合いに居ない。
「何だよ何だよ、俺様の事を知らないのか? そうだな、角材乱闘の綾瀬、とでもいえば分かるか?」
「わかりません」
ひなたは即答したが、海斗は「ははぁ」と言いながら笑った。
「なるほど、聞いた事はありますよ。三年一組の綾瀬雅人先輩ですね。何でも、偶然喧嘩になったどこかのヤクザの下っ端と、角材で戦って命からがら生還したっていう噂を聞きました」
ひなたは吹き出していた。
「なにその、ダサイ武勇伝」
綾瀬は海斗に喧嘩を売るように、上から目線で見下してきた。近づいた事により、鼻息が気持ち悪く感じられる。
「言うじゃねえか、日立海斗。余裕たっぷりって感じだな? お前は俺様の事を知らないかもしれないが、俺様はお前の事をよーく知ってるぜ」
「光栄ですね」
ちっとも嬉しくなさそうに答える海斗。
「というわけでだ、お前ら何だか面白そうな事に首突っ込んでんだろ。俺様も混ぜろ」
ひなたも嫌悪感を示した。
「どういうことなんですか? いきなりやってきて。しかも海斗君以外には話してないんですけど、あなた何を知ってるんですか」
今度はひなたに注意が向いた。
「なぁ神崎陽詩、俺様とお前の仲だろう? 俺様はお前の事なら何だって分かるんだよ。こんな男と一緒にいねえで、俺様とやろうや」
「え……?」
綾瀬の目付きが変わった。湿っぽい、心に入ってきて侵食されそうな、見ていると不安定になる視線。綾瀬の瞳孔は開き、どろりと不安定にちらちら動き回っているのが見えた。
――気持ち悪い。
ひなたは確信した。こいつこそが、文化祭以降ずっとひなたを付け回していたストーカーの正体だった。時々感じられた視線の雰囲気がまさにこれと似ている。離れていても何か得体の知れない威力を放っているのだ。
「離れて……下さい」
ひなたの表情は強張り、固まった。思わず何かにつかまりたくなる。倒れ込んでしまいそうだった。海斗が隣に居なかったら、どうなっていたか想像がつかない。
「やだね。俺様は、お前が縦に頷くまで離れねえぞ」
舌なめずりのように気色悪く口元を動かす綾瀬。明らかにまともじゃない。きっと今まで手を出してこなかったのは、身の危険を感じて常に大勢の中にいるように心がけていたからだろう。二人きりになったのを見計らって、しかも海斗が弱そうだと踏んで乗り込んできたに違いない。
友達のリョウコが言っていたのを思い出す。
『気をつけた方がいいよ、そういう奴って本気で頭おかしいの多いから』
――思った以上に、この人ヤバイかも。
ひなたの頭に危険信号が流れた。これ以上こいつに関わるのは良くない。二人きりになったが最後、何をされるか分からない。そんな時、彼女の心を読んだかのように的確なタイミングで海斗は言った。
「行こう神崎!」
手を引かれて初めて、右手が海斗によって支えられていたのに気付く。自然と体は、綾瀬の脇をすり抜けて階段へと向かっていた。「コラ、待ててめえら!」
既に階段を半分ほど降りていってから、綾瀬は逃げられた事に気付く。反応が普通の人間より遅い。まさか彼は本当に薬漬けにでもなっているのではないかという考えが、ひなたの中に浮かんだ。
「とにかく今は逃げよう」
海斗は言った。空いている左手でバイクのキーを取り出す。ひなたはとにかく、時間を稼ぐために何か無いかと探した。一階に下りる。邪魔できそうなものは無い。しいて言えば、他の客が邪魔だ。後は、店の入り口の軽そうな縦看板。
――使えるかもしれない。
二人は店の外に出ると、二手に分かれる。海斗はバイクを動かし、ひなたは追ってくる綾瀬を待ち受けた。猛スピードで階段を駆け下りてくる。怒りの形相を浮かべ、ひなためがけて走ってきた。とてもまともな人間の動きとは思えない。客や店員を突き飛ばし、店内を走る。
綾瀬が店のドアを開け、向かってきた所でひなたは看板を思い切り綾瀬に向かって転がした。
「ぐああっ!」
やはり反応が遅い。避け切れなかった。彼は看板に躓き倒れる。その一瞬の隙を突いて、海斗が用意したバイクに走った。
「神崎、乗れ!」
海斗の投げ寄越したヘルメットを両手でキャッチし、慣れた様子でバイクの後ろに飛び乗る。すぐさま頭に被った直後、綾瀬一人を取り残してバイクは発進した。
「お前らああ!」
だいぶ後ろの方で、狂ったように叫ぶ綾瀬の声が聞こえていた。 ひなたを乗せた海斗のバイクは、街中の国道を走っていた。もしかしたら綾瀬がまだ付いてきているかもしれないという不気味さで、ひなたは少しの間走らなければ撒けないと思ったようだった。
「余計な邪魔が入ったな。次にどうするかを早く考えなきゃいけないのに」
「やっぱり、ストーキングされてたのって気のせいじゃなかったんだ」
「あいつが神崎を、文化祭以降ずっと付け狙ってたのか……。普通じゃなかったな、イカれた目付きをしてた」
「もう撒いただろうし、大丈夫だよ。今はそれよりも他にやる事が山積みだし」
「そうだな」
既に時間は三時になろうとしていた。未だに全く進展が無い。いい加減にしなければあっという間にタイムリミットはやってきてしまうのだ。




