最終話 エピローグ ―生きとし生ける者へ赦しを―
エピローグ ―生きとし生ける者へ赦しを―
春になった。桜の舞い散る並木道を、新入生のような気持ちで改めて踏みしめる。時折吹き抜ける風に、髪をなびかせて。
ひなたの傷は懸命の治療とリハビリでようやく完治し、何の後遺症も無く高校生として復帰する事ができた。二年生へと上がってから今日は初めて学校へと登校した。ずっと病院に居たり、家庭の事のやり取りがあったりで、学業に復帰するのは少々遅くなった。
隣には、海斗がいた。海斗の傷は浅かったため、一ヶ月ほどで完治した。その後は、ずっとひなたのお見舞いのために病院通いという事が続いた。柄にも無く笑い話のネタを大量に用意してきたり、暇潰しの漫画本やゲームなどを持ち込んできたりなど、彼は毎日お見舞いに訪れたのだった。
「人、少なかったね」
ひなたは口を酸っぱくしたように言った。
「あぁ、うん」
海斗も言葉を濁す。
事件の傷跡は大きかった。後での調べによれば、ひなたの学校の生徒達も大勢人質として巻き込まれていたようであった。中には、事件の際に爆弾で亡くなった生徒もいる。ひなたの学校は進級する際にクラス替えするという事が無かった。そのため、一年の時のクラスメイトがそのまま上がってきていたのだが、運悪くこのクラスは事件に巻き込まれた生徒が多かったらしく、いなくなってしまった人も多かった。
担任の国立先生はすぐに無罪が確定し、釈放されたために、職務に復帰できた。今日も元気に弁当を教室でかっ食らっていたところだ。どうやらひなたが居ない間にヨーコ先生とちゃっかり付き合い始めたらしい。あの事件で、国立の勇気がヨーコ先生の気持ちに火を付けたようだった。結婚も間近なのではないかと噂されているようだ。
得た物もあったが、失った物の痛みも大きかった。ひなたはあの後杏条家との縁を切り、屋敷からは早々に出て行った。その後母の世良と復縁し、自分のクローンの陽詩とも一緒に市内のアパートで改めて親子の再出発を図っている。
世良はあの後、ヒトクローンの研究をしていた事で裁判にかけられたが、杏条ニューロンに脅迫されていた事実が浮き彫りになって、早々に無罪が確定した。その事から芋づる式に杏条ニューロンの闇の部分は世間に明らかになった。
あれから四ヶ月しか経っていないのにも関わらず、杏条ニューロン株式会社は既に限りなく倒産に向かって傾いている現状だった。禁忌とされているヒトクローンの研究を行い、海外との取引などに悪用していた事実の責任は重いとされ、杏条ニューロンは世間から完全に見放された。
クローンの陽詩も、最悪の環境にいたために健康状態が芳しくなく、しばらく病院で治療を受けていた。だが以前よりも栄養状態が良くなったためにみるみる内に元気になり、今度こそ普通の人間としての生活が送れるようにまで回復した。だが同じ人間が二人存在するわけにはいかないため、クローンの陽詩は別の人間として再出発を送る事になった。
特例で、ひなたの双子の妹として人権が認められる事となり、戸籍まで作られた。新しい名前も与えられた。陽詩の名前はオリジナルに返し、『神崎 叶詩』という名前が付けられた。
母の世良が考えて付けた名前だが、相変わらず凝った当て字であり、双子という事で、姉と似たような響きの名前を考えたらしい。
太陽の詩の姉、願いが叶う詩の妹、意味は悪くはないと思うひなただが、世良の名前の奇抜なセンスには既に呆れていた。
――あたしが子供に名前付けたら、きっと太郎とか花子とかになるんだろうな……。
世良は運良く、地元の事務員の仕事を見つける事ができた。今やっている仕事が一段落着いたら、すぐにでも新しい仕事場へと移る事になっていた。
それに最近、妹の叶詩がずっと憧れていたというアルバイトを始めた。近所の喫茶店で、可愛らしいフリフリの付いた服を着て毎日を楽しく送っている。お金の関係で、叶詩は費用の安くて済む公立高校へ別々で通う事になったが、二人はすれ違う事も無くまるで親友のようにずっと仲良しである。同じ記憶を共有した二人は、同じ考えを持つ良き仲であった。
「ひなた、何ボーッとしてるんだ」
バスに乗ってから、ひなたは上の空でずっと窓の外を眺めていた。
海斗は心配そうに声をかける。
「まだどこか調子悪いのか? 無理するなよ」
「う、ううん、違うよ」
ひなたの心には、この四ヶ月間、ずっとぽっかりと穴が開いていた。何をやっても時折、空を見上げていたりとか、一点を見つめたりして集中力がなくなっていたりする。
「元気出せよ。みんな、きっと分かってくれるから」
「うん」
今日は特別な日だった。怪我が治ったために、日本中を震撼させた例の事件の事で、当事者のひなたが特別ゲストとしてテレビ局に招待されたのだった。
重傷の怪我でずっと病院のベッドの上だったひなた。病室まで取材に来たレポーターの人に、あえて何を思ったかひなたは頼んだ。『日本中の人に言いたい事がある。怪我が治ったら、テレビに出してほしい』。
ひなたの願いを、ひのまるテレビが承諾してくれた。事件の初日に、ヘリコプターがロケットランチャーで撃ち落された局だ。ひのまるテレビにも被害者はいるのだ。その『言いたいこと』の内容は、彼女自身と隣にいる彼と妹しか知らない。
テレビ局に向かう途中のバス停で、妹の叶詩と合流した。彼女は最初に顔を合わせた時の衰弱した様子とは打って変わり、どこか古風な雰囲気の漂う美少女へと変貌していた。
腰ほどもある細く艶のある長い黒髪をストレートにし、大和撫子というような表現が似合う大人しい素振りの女の子に。公立高校の制服のスカートは短めだが、あまり強調しすぎない控え目な紺色が映える。元の素材はひなたと同じなのに、髪型やファッションが変わるだけでこうも人間は変わるものかと、海斗も驚いていた。
「海斗君、あれ以来でしょ? 叶詩と会うのは」
思わず息を呑んだ海斗。
「あ、あぁ。見違えたよ。話には聞いてたけど」
バスに乗り込んできた叶詩は、一番後ろの広いシートに座っているひなたと海斗の前まで来ると、海斗に向かって深くお辞儀をした。
「お久しぶりですね、海斗さん。姉から話はずっと聞いていました」
海斗は叶詩の事を、衰弱した様子で発見され、ボロボロのワンピースを着ている姿しか知らなかった。事件が解決し、病院に収容される際だ。それが、数ヶ月でここまで変わるものなのかと、目を疑っていた。
「かわいいなぁ」
「あらやだ。でもダメですよ。隣でお姉ちゃんがこわーい顔してますから。あたしには逆らう勇気はありません」
口元を押さえて笑う叶詩。口調の癖も姉とは違い、顔は同じなのにも関わらずもはやひなたとは全く別の人間と言っても違いなかった。叶詩はひなたと二人で海斗を両脇から挟み込むようにしてシートに座った。まるで面白がって煽るように。海斗は姉妹に挟まれ、どうしたらいいのか分からない様子でしどろもどろになっている。
ひなたは海斗の腕をがっしりとつかみ、離さない。膨れたような表情をするひなたに、海斗は苦笑して頭を掻いていた。
「うーん、でも黒髪のストレートいいなぁ……」
海斗はわがままのように、ひなたのカシスレッドの髪を見て言った。
「じゃ、明日黒に染めてくる」
「はは、じゃあ約束だ。実はずっと思ってたんだよ、変な色に染めてるよりも、黒のがかわいいんじゃないかなって」
「この色はさとりに無理矢理……」
そこまで言いかけて、ひなたは止めた。理由はその場に居た誰もが、言わずとも分かっていたようだった。
バスが信号で小刻みに振動しながら停止した。頭がカクンカクンと揺れる。
「分かってもらえるといいね、ひなた」
叶詩は、うっすらと笑みを浮かべながら窓の外をずっと眺めていた。
ひなたは生まれて初めて、テレビ局の生スタジオに来ていた。多くのカメラが、ひなたの姿を映している。今この瞬間、彼女の姿は日本中の人に見られているのだ。ひなたはカチカチに緊張しており、アナウンサーに事件当時の事を聞かれると、たどたどしく答える事が多かった。当事者から今まで話を聞けなかったこの事件は、犯人と接触した人が極端に少なかった。それに加え、犯行動機などは不明瞭なまま犯人は自害してしまった。ひなたが事件を語る事で、ようやく全ての事を日本中の人が知る事が出来るのだ。
スタジオのフリップボードには、『しーさいど桜ヶ崎人質爆弾篭城事件の女子高生は語る』とある。それが今、ゲスト席に座らされている緊張しっぱなしのひなたであった。
当時の事件の流れをレポーターが説明していた。複雑であり、未だに爪跡の大きく残るこの事件は、やる事が無くなると未だにワイドショーが取り上げている。民間の事件としては火が長く消えずに続いている、珍しい事件かもしれない。
色黒のベテラン司会者が、カメラに向かって言った。
「本日は、事件の被害者でもあり、そして事件を解決へと導いた勇気ある女性、神崎さんにスタジオへとお越しいただきました。そして、神崎さんから視聴者の皆さんへ向けての、メッセージがございます。それでは、どうぞ」
ひなたにカメラが向けられた。事前に用意してきた台詞の紙があるわけでもない。ただ、こういう事を言おうという意思だけを持ち、この場に臨んだ。スタジオの裏では、海斗も叶詩もこれを見ている。事件から四ヶ月経っても未だに忘れられていないこの事件。当事者の言葉を、誰もが待っていた。
ひなたは、ゆっくりと一言ずつ発した。
「初めまして、改めて自己紹介をします。あたしは神崎陽詩、事件を最後までこの目で見た当事者です。杏条さとり――彼女は、大勢の人を死に追いやりました。大勢の人を不幸にしました。大勢の人に多大な迷惑をかけました。
ですが、あたしは知っています。彼女もまたヒトクローンの被害者でした。自らが憎んだあたしを殺そうともしました。ですが、最期の最期に、彼女は正気に戻りました。そして、自分のした事を悔やんでいました」
誰も口を挟まず、真剣な面持ちで語るひなたを邪魔する者はいなかった。
「大事な人を殺された人もいると思います。家族を失った人もいると思います。その事実は確かです。今も悔しさで胸がいっぱいな人もいるかもしれません。ですが聞いてください。逃げずに聞いてください。あたしから皆さんに最後にお願いをしたいと思います。
どうか、杏条さとりを許してあげてほしいんです。もしかしたら一生許せないかもしれません。それでもいいから、前向きに許そうという気持ちになってもらいたいんです。
豪邸を寄越せとは言いません。人一人がやっと居られる、畳一畳だけでも構いません。彼女にも居場所を下さい。大企業の令嬢なんて本当はどうでも良かったんです。たぶん彼女は、普通に生まれて普通の女の子として生きられたらそれだけで幸せだったんです。
あたしも杏条さとりに傷付けられました。二度と立ち上がれないくらいに、心も体もズタズタに傷付けられました。でも、あたしは杏条さとりと出会って幸せでした。あたしの人生は杏条さとりに変えられたけど、杏条さとりによって救われもしたからです。
今、この場で言います。一億の人間が杏条さとりを許さなくても、あたしは杏条さとりを許します。親友として認めます。以上です」
スタジオ内が悲壮な空気に包まれるも、ひなたは後悔していない顔で堂々としていた。ベテラン司会者はすぐさま空気を読み、話を進める。
「そうですね。犯人が当時何を考えていたのかは、犯人にしか分かりません。それでも、私達は生きていかねばなりません。ですから……」
その後はどうでも良かった。ひなたはその特設コーナーが終わるまでほぼ何もせず、無言で事件の概要やどこぞの偉そうな評論家などの知ったかぶりの話を聞いていた。
スタジオの裏に戻ると、二人が待っていた。
「良かったのか? あんな事言って。もしかしたらひなたに敵意を抱く人もいるかもしれないぞ」
海斗は早速、尤もらしい事を言ってきた。叶詩は無言で佇んでいる。
「いいの。あたしは信じてるから。きっとみんな、許してくれるって。だって、そうじゃなきゃ居場所が無いでしょ?」
「じゃあ」
叶詩は微笑した。
「そろそろ、迎えにいきましょうよ」
鞄を両手で持ち、叶詩は歩き出す。
「うん」
ひなたは重い足取りのまま、スタジオを後にした。
桜が散っていた。並木道を三人で歩き、目的の場所を目指す。約束の場所へと。
そして、桃色の吹雪が舞い散る中、彼女の姿が見えてきた。儚く幼い、小さな背丈。それでも、どこか何かを悟ったような後姿。
少女は、小学生の体付きだった。黒いミディアムヘアを風に揺らし、満開に咲き乱れる桃色の中で佇み、それは何かを待っていた。
「迎えに来たよ――」
ひなたは両手を差し伸ばし、背を縮めた。ひなたの声に少女は振り返る。幼い黒い瞳は、最初は何だか良く分からないようだったが、すぐに懐かしい笑みを湛えた瞳へと変わった。
「遅くなったな」
海斗も照れ臭そうに、笑みを投げかけた。
「これから、よろしくね」
彼女にとっては初対面の叶詩も、挨拶をした。
「久しぶりね。陽詩――」
ひなたに抱き付く少女。弱々しい華奢な体付きは、だいぶ昔に見たものと同じだった。目付きも『陽詩』と呼ぶ声も懐かしい。
「お帰りなさい。杏条沙鳥」
「ただいま、神崎陽詩」
ひなたと沙鳥の背には、大きな差があった。約七年の歳月。最後の神埼クローン体として生まれた、十歳の杏条沙鳥。事件の事は全く知らない、神崎陽詩の幼馴染み。
「ずっと、一緒だよ」
七年ぶりの再会に、沙鳥は違う背丈を見上げる。それでも彼らは、改めて人生をやり直す杏条沙鳥を迎えた。
やっと、取り戻した。本当の親友というかけがえの無い存在を。二度と陰る事の無い。ひなたの、あたたかな陽だまりを。
了
これで本編は全て終了です。お読みいただき、誠にありがとうございました。
残りはあとがきだけです。
※前回の注意書きも含めて、閲覧の際にはご注意下さい。




