第45話 最終章 ―存在を賭けた戦い― 7
「そうよ。この事件を起こした理由の一つがまさしくそれ。
この病気を治すためには、神崎世良にしか作れない治療薬を飲む必要があった。だからあなたを捜した。あなたじゃなきゃ駄目だから。杏条ニューロンが何年かかっても手がかり一つ得られなかった、あなたじゃなきゃ駄目だったのよ。
だけど神崎家って親子揃って馬鹿だったのね。世良の使っていたデスクに、ゴミのような書類に混ざって一冊、重要なノートが混じってた。日記だったわね。そこに間抜けな文章が書かれていたわ。娘に、自分へ通じる手がかりを渡そう、だとか何とかって。だから私は、神崎陽詩に賭けた。どうせ死ぬのなら、一パーセントでも見つけられる可能性のある人間に、山のようなコインを賭けてみた。
もし陽詩が世良を見つけるのに失敗したら目的は達成されないし、薬が手に入らない以上、どっちみち遅かれ早かれ私は病気で死ぬ。だったら一思いに、私を生み出したこの忌々しい研究所ごと、建物を爆弾で吹っ飛ばして死んでやるのも悪くないって思った。幸せに日々を過ごしている恵まれた一般人の連中も、皆殺してやるよって思って。
ひなた、あんたクリスマスの誕生日に母親が消えたって言ってたわよね。だから皮肉ってわざとこの日に合わせて決行してやったのよ。神崎世良みたいな最低な親から生まれた最低な子供は、史上最低な誕生日を過ごして、惨めに死ねばいいやぁ! ってね」
さとりは早口で休みなしに喋る。口から出てくる言葉はひなたの気持ちを逆撫でするような言葉ばかりだった。
「元々私は、あんたと一緒に付いていって、人知れずあんたを殺して一人で戻ってくる予定だった。世良さえ見つかればあんたなんか必要無いんだからね。そのために今の今まで生かしておいてやったんだから」
「……じゃあ、中学一年の時にあたしと養子縁組をして一緒に暮らそうって言ってきたのは?」
さとりは吐き捨てるように言った。
「そんなの決まってんじゃなーい。そこで情けなくぶっ倒れてる、『神崎陽詩のクローン人間』を造ってイジメてやりたくなったから、隙を見て体細胞を奪うために側に置いたの。 あんたみたいな豚女、誰が好き好んで養うわけ? 本物の家畜なら太らせて食べる事も出来るけど、あんたじゃそれ、出来ないもんね。人間だし。私が何を言いたいか分かる? あんたは豚とか牛よりも下。畜生にも劣るって事だよ! 何の使い道も無いゴミなんだよ!」
さとりは真っ直ぐにひなたの顔に向かって指を指した。ひなたは両手の拳を震わせ、今にも噴火しそうな顔でさとりを睨み付けていた。
「憎いなら私を憎んだって構わないわ。私はあんたの親友の杏条沙鳥じゃないから。本物の杏条沙鳥は私が殺した。私は人として生きるために、自分の居場所をつかみ取った!」
誰も口を挟まなかった。ひなたも陽詩も世良も。
「私はね、元々祖父の下らない野心のために生み出されたのよ。何が遺伝子工学よ、何が杏条ニューロンよ。祖父はね、越前屋に脅迫されて傾きかけたこの会社を立て直すために、私を取引材料に使おうとしたんだ。神崎クローンっていう新技術のサンプルとして、外国に売られて、そして玩具にされて死ねって、そう言われたんだ!」
さとりは高らかに笑い、両腕を広げた。ひなたと世良の二人に背を向け、しーさいどの高い天井を見上げて、語り続ける。
「私は死んでいい人間だったんだって! 最初からそういう目的で生み出されたんだって! だって、『本物の杏条沙鳥』じゃないから! 同じ姿かたちをして生まれた、ただの模造品だからって! オリジナルの沙鳥は、私に殺されるために会うまで、自分のクローンを生み出されていた事すら知らなかったみたい。バッカよねー、何も知らずに何も分からないまま死んじゃって。
なんでさぁ、おばあちゃんは死んじゃったのかなぁ。おばあちゃんさえ生きていれば、生きていれば……」
さとりの顔付きが少し元に戻る。元の女の子の顔付きに。だけれど、どこか上の空な。
「おばあちゃんが杏条ニューロンのオーナーだった時は、いっちばん輝いてた。みんな幸せだった! なのに、おばあちゃんは下らない事故に巻き込まれて死んじゃって、そしてみんなが不幸になった。私はおばあちゃんさえいれば他には何にも要らない。だっておばあちゃんが、私の親なのよ。おばあちゃんは私にとってかけがえのない人。おばあちゃんがいない世界でなんか生きていたくない。おばあちゃんが全て。おばあちゃんが正義。
大事な人や、自分が大事だと思った事に対してお金をつぎ込んで何がいけないの? おばあちゃんと一生一緒にいられるなら、私は百億円だって焼き捨ててやる。おばあちゃんのためなら自分以外の人間なんかいくら殺したって私は悪いと思わない。おばあちゃんさえ帰ってきてくれるなら、私は財産なんていらない。自分とおばあちゃんさえこの世にいればいい!」
さとりの言葉が狂気じみている。一体何を考えているのかひなたには全く理解できなかった。
「さとり、おばあちゃんは死んだんだよ! おばあちゃんのためなら他には何も要らない? ふざけないで!」
「そう。おばあちゃんは死んだ。二度も! 出来損ないの神崎クローンで生み出され、病気を発病しておばあちゃんは二度目も死んだ! 神崎世良は薬を間に合わせられなかった。そいつがおばあちゃんを殺したんだ。神崎世良は人殺しなんだよ!」
世良は懐から小瓶を取り出した。透明の液体の中で、無数の粒が浮いている。杏条沙鳥のおばあちゃん、杏条早苗の体細胞だった。
「あなたが事件を起こしたもう一つの理由はこれね。早苗さんの体細胞を私から奪い返し、早苗さんを完全復活させる。今度は病気の治療も予防効果もある薬もある。だから私が手に入ればあなたの目的は達成された。違う?」
「その通りよ」
さとりはほくそ笑んだ。
「私があなたの所から消えたのには、ひなたの安全が守られなかったと思った以外にもう一つ理由があるわ。懸命の治療薬の開発の結果、結局杏条早苗さんは助けられなかった。そしてあなたに人殺し呼ばわりされた。私は分からなくなってしまったのよ。人を幸せにするための研究が、誰も幸せに出来ない研究だと分かって。私があんなクローン技術を開発したばっかりに、沢山の人を不幸にしたわ。だから私は、逃げ出したの。自らの罪を背負う覚悟を持って。二度と復活させる事が出来ないよう、早苗さんと杏条沙鳥さんの体細胞を持ち逃げして」
「そうよ。あんたが持ち逃げしたその杏条早苗の体細胞と、複製性緑青斑の治療薬さえあればおばあちゃんはまた復活できるんだ! それを寄越せ!」
さとりは手を差し出したまま、ゆっくりと世良に向かって歩き出した。
だが世良は無表情のまま、早苗の体細胞の小瓶を持ったまま、右手を高々と振り上げた。
「悪いけど、それは出来ない相談だわ」
「何をする気!」
さとりは走り出した。だがそれよりも世良の手の方が早かった。
「死んだ人は、生き返らないの!」
床に小瓶が叩き付けられる。瓶は粉々に砕け、中身は四方八方に飛び散った。
「いやぁあぁあぁあああぁぁ!」
さとりは世良の足元にしゃがみ込み、飛び散ったものをかき集めようとする。だがすぐに黒く変色し、元の綺麗な細胞には戻らなかった。
「おばあちゃん、おばあちゃあああん!」
さとりは狂ったように叫んでいた。ひなたはそれを見下ろす形で、冷ややかな目付きであった。
世良はこんな相手にショットガンなど要らないとでもいうように、黒ずんだ細胞をかき集めるさとりの左手を、足で踏みつけた。さとりは叫び続けながら、左手を足の下から引っ張り出そうとしていた。
「いつまで死んだ人の妄想に取り付かれているの! 私のクローン技術は、そんな独りよがりな妄想のためにこれ以上悪用なんかさせないわ!」
「もう無理だよ、さとり」
ひなたは諦めろといったようにさとりを見下ろした。
「よくも、よくも……!」
さとりは顔を上げ、二人を睨み付けた。だが遥か高い所から見下ろす二人は、さとりからは遠かった。
「さとり、もう終わったんだよ……。おばあちゃんを、眠らせてあげようよ」
自身が最も蔑み、虐げてきた者が、諭すように言う。さとりは悪あがきのように声が枯れるくらい叫んだ。
「あんたなんかに何が分かるのよ! 畜生のあんたに!」
「わかんないよ」
ひなたが冷めた声で即答した。
「さとりこそ、親友だと思ってた人から家畜以下に見られてた人間の気持ち、わかる?」
さとりは一瞬たじろいだが、すぐに空威張りで返した。
「わ、分かるわけないでしょ! バッカじゃないの!」
「あんたは最低だよ!」
ひなたがこれまでに無い敵意を宿した声で罵倒した。普段は大人しいひなたは、ここまで本気になって怒りを露にした事はそうそう無かった。怒っても当然だった。彼女からしてみれば、自分の存在を否定されたも同じだったのだから。
「この事件だって、全部あんたの独りよがりじゃない! あんたの書いた三流の脚本で、あんたが舞台の上で踊って、あんたは悲劇のヒロインを演じている! そういう物語よ、これは! あたしはなに? あんたの脚本に書かれた召使い? 奴隷? 面倒くさい仕事を全部片付けて、おいしい所は主人のあんたに譲るメイドさん? 要らなくなったらクビにして、はいおしまい。うるさい雑用係は消えました? ふざけんじゃないわよ! 人を馬鹿にすんのもいい加減にしなさいよ!
あたしは巻き込まれただけ! あんたは他人の気持ちなんかなにも考えてない。自分さえ良ければそれでいいわけ? だったら勝手にどっかの無人島にでも移住して、『さとり王国』でも一人で作ってればいいじゃん! あんたの決めたルールで、あんた一人で勝手気ままに暮らせばいいよ! それなら誰も文句なんか言わないよ! ねえ、そうすればいいじゃん! 日本から出ていきなよ!」
さとりは激昂し、世良の足元から勢い良く左手を引き抜く。立ち上がってひなたの腹に蹴りを叩き込んだ。
「キャア!」
ひなたは軽く倒れた。直後、世良がショットガンをさとりに突きつけた。
「大人しくしなさい!」
軽く蹴られただけなので大したダメージは無い。ひなたはゆっくりと起き上がり、さとりを睨み付けた。




