第38話 第四章 ―死命― 9 Final episode
聞き終えた二人の顔は固まった。驚愕の内容に。そんな事を考えている暇もなく、世良は大きな声で言った。
「さぁ、行きましょう。わたしが必要なんでしょう?」
世良はバッグを肩から担ぐように持ち、頼もしい足取りで踏み出した。ひなたは信じられない話を世良から聞いた事で固まっていたが、海斗と目を合わせて頷いた。
「う、うん。しーさいど桜ヶ崎へ行こう! みんなが、待ってるから!」
時間は午後六時。今からならまだ間に合う。三人はユニバーサルランドの入り口へと向かった。
「またお別れだね、ユニバーサルランド」
ひなたは名残惜しそうに言った。城の前の大きな花壇の広場を抜け、明かりの眩しいバザールを通る。お土産を見る時間はない。楽しげに笑う家族連れが目に映る。父親と母親に囲まれた女の子。手には風船が握られている。その姿が、幼い日のひなたと被った。
女の子が手を離してしまい、風船は寒空へと一人昇っていった。大空へと旅立っていった風船が豆粒のようになって消えるまで、女の子はいつまでも見上げ続けていた。
「また、来ような」
海斗が肩にぽんと手を乗せた。口元には、微かに笑みがあった。
「……うんっ」
幸せそうに、ひなたはにっこりと笑った。
ゲートをくぐり、東京ユニバーサルランドを後にした。駐車場へと向かう。遥か向こうには葛西臨海公園の巨大観覧車が見えた。夜景の中にライトアップされ、クリスマスの夜を照らしている。
海斗が顔をしかめた。何か前方にいる。
「世良さん、止まってください」
先頭を歩いていた世良は立ち止まり、振り返る。海斗が滅多に見せない厳しい目付きをしている。明らかに何かに敵意を抱いているような。しかもそれはすぐ側にいるひなたや世良に向けられたものではない。その見据えた先にあるものに鋭い視線は注がれている。
「どしたの、海斗君……?」
異常な様子の海斗に違和感を覚えるひなた。海斗が見据えている前方に確かに何かが居る。暗闇の中、立ち塞がっている。
鷹のような海斗の目付き。先頭に立って歩いてゆく。徐々にその姿が垣間見れた。
「よぉ、遅かったじゃねえか」
右目に眼帯、両足に包帯、右手には太い角材。
「……やぁ」
綾瀬雅人。奴だった。一日目で姿を現し、二日目でひなたを苦しめ、そして最終日は右目を怪我した状態で執念でここまでやってきて待ち伏せしていた。
「綾瀬……」
ひなたはすくみ、立ち止まった。あの様子からして、綾瀬は完全に切れている。殺す気でいるかもしれない。二日目にひなたが高速道路でバイクごと転倒させ、致命傷を負わせたにも関わらず、綾瀬は立っている。不死身なのかと思えるような男だった。
「やっと来やがったな。待ちくたびれたぜぇ、日立海斗に神崎陽詩」
世良は事情が良く分からない様子で、ひなたと同じように立ちすくんでいる。
「お前、まだひなたを……」
綾瀬は唾を吐き垂らし、角材を肩に担いだ。
「神崎陽詩? あぁ、お前を殺した後でゆっくりとご馳走になろうかねぇ。それよりもよぉ、俺様はお前を殺したくて仕方ねぇんだよ。一昨日も昨日も、お前に邪魔されてばっかりだしよぉ。やっぱり、女を奪うためには邪魔な男を殺す方が先だって思ったわけよ」
海斗は激昂した。
「ふざけんな!」
地面を思い切り踏み鳴らす。
「女を奪うだって? 本気で他人の事を考えた事も無いくせに。自分の幸せのために他人を不幸にする事を何とも思わないのか!」
綾瀬は醜く顔を歪ませた。
「知らねえよ。テメェに説教なんかされたくねぇな。欲しい物は奪ってやる、それが俺様だ。
お前の男っぷりにはカンドーしたよ。そりゃ女も惚れるわな。だけど、俺様はテメェが気に入らねぇ。あぁ気に入らねぇ! その鼻、へし折ってやる!」
「俺もさ。お前なんか気に入らないね!」
海斗が本気になった。普段は自分の事を『僕』と呼ぶ海斗が『俺』と言っている。乱暴な表現だからと滅多に使わない海斗が。目に獣のようなものが互いに宿っていた。追い込まれた動物の最後の死に物狂いの時に見せるような、狂気の目付き。
「へへへ、勝った方が女を好きに出来る、ってか。かーっ、なんだこのドラマ的展開はよぉ、おかしくって笑いが出るぜ!」
綾瀬はクスリでイカレた目付きのまま、舌なめずりをした。常人では考えられないトーンの外れた笑い。
「海斗君、こんな奴に負けないで!」
「綾瀬、勘違いするなよ。ひなたを滅茶苦茶にしてやりたいのはあんたの勝手だよ。俺は一度たりとも、ひなたを好きにしたいだなんて思った事は無い! だって俺は、ひなたと共に生きたいと思ってる。一方的じゃない。苦しみも悲しみも、楽しさも分かち合って、ずっと一緒にひなたと生きたいんだよ!」
「クックック……」
綾瀬が溜めるような笑いをこぼした。
「カハハハハハ、反吐が出るな! そんな歯の浮くような台詞よぉぉ! さぁ、何処から潰してもらいてぇんだ? 頭か? 両手足か? それとも顔面か? ぶっ殺してやる!」
邪悪な笑みを吐き飛ばし、角材を大きく振った。
「行け、ひなた!」
「え……?」
海斗は吐き捨てるように言った。
「行けよ、時間ないだろ! こいつはここで潰さなきゃダメだ。逃げても絶対に追いかけてくる! お前は先に行け!」
「そ、そんな……」
「一度でいいから、カッコつけた台詞言わせてくれてもいいだろ。俺はここでこいつを食い止める。後で絶対に追いつくから、だからお前は行くんだよ!」
まるで本当にドラマの中のような台詞に、鳥肌が立つ。そして何度も見てきた。後で追いつくと言って、無念の内に死んでいった映画の中の英雄達を。その英雄が生きたまま英雄になった事は、ひなたの記憶の中では少ない。
「イヤ、海斗君も行こう!」
左手を引っ張るひなた。それを海斗は振り払う。
「馬鹿かお前! 時計見てみろ、時間がねえだろうが! これ以上俺を困らせるな!」
怒鳴った。声の限り海斗は怒鳴った。文字通り愛する者を守るため、あえて自分から引き離した。
ひなたの目が悲しげだった。なんでここで海斗を置いて行かなければならないのか。置いていったらもう二度と会えないのではないかという嫌な想像。
だが、ひなたは悟った。必ず彼は追い付いてくると。ドラマや映画の中のような、命を落とした後で英雄扱いされるような人間ではないと。死んで英雄になるより、生きて凡人の方がどれだけ幸せか。
――海斗君を、信じます。
「絶対だよ。必ず追いついてきて!」
「あぁ追いついてやるよ! だからさっさと行け!」
ひなたは振り返らず、世良の手を引いて走り出した。駐車場には世良の乗ってきた車がある。本当に時間がもう無かった。しーさいど桜ヶ崎を目指す以外に出来る事は無い。
ひなたと世良がその場を後にし、海斗は不敵に笑った。
「ようやく、決着が付けられそうだね」
「日立海斗、覚悟しな」
海斗は唾を吐き捨てた。
「あんたのようなクズ人間に、フルネームで名前を呼ばれるのは吐き気がする」
ヘラヘラと笑う綾瀬。海斗を見下すような視線だった。
「暴行罪。覚醒剤取締法違反。ストーカー規正法違反。あんたは少なくともこの三つの犯罪を犯してる。いや、ひなたに対する婦女暴行罪も入るかな。
俺は決めた。あんたをこの手で警察に連行する。覚悟しろ!」
「面白ぇな。だがな、俺様がお前なんかに負けるとでも思ってるのか? ケンカの場数を踏んでる数が違ぇんだよ、思い知らせてやるよ」
海斗の目に迷いは無い。絶対に勝つという思いだけが綾瀬を真正面から見据えている。
「さぁ、来い綾瀬!」
綾瀬の靴が地を蹴った。角材を片手に。海斗は瞑っていた目をかっと見開くと、綾瀬に向かって豪速で駆け出した。




