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第35話 第四章 ―死命― 6

 ランドの入り口近くにあるシーフードレストランの中に、二人の姿はあった。宵闇を演出した店内の中にいくつかオレンジ色のランプが天井から下がっていて、店内はカリブ海の港にある酒場の雰囲気をイメージして造られている。その周りにはアトラクションに乗った人達が乗り物に乗って水で流れてゆく様が見物できた。

「あったかいね、ここ。なんか生き返っちゃったみたい」

 温かな魚介のスープを喉の奥に流し込み、良く焼かれたパリジャンをかじる。食事を摂り、乾いた胃袋を満たすと、先ほどまで衰弱しきっていたひなたの容態はみるみる内に改善していった。その変貌振りには海斗も度肝を抜いている。

「きっと、疲れてたんだ。落ち着いたら調子良くなってきたみたいじゃないか」

 海斗もそう言ってパスタを口に運ぶ。

「あたし、あの時もうダメだと思った。吹雪で周りが何にも見えなくなって、自分がどこにいるのかも分かんなくなって、寒さと体の具合の悪さでフラフラして気が遠くなってきて。最後に目を瞑る瞬間、『あたし死ぬんだ、死ぬってこんな感じなんだ』って思って。気を失って。だけど、小さな世界の音楽がずっと耳に聞こえ続けて、ちょっと楽しい世界が向こうに見えてた」

 何やら物騒な事を語るひなた。これが本当なら臨死体験のようなものであった。

 海斗は睨み付けるようにして言い返した。

「そんな世界はまやかしだ。その音楽に耳を傾けてたら、本当にあの世に引きずり込まれる」

「まだ、あっちに行くには早すぎるよね」

「その通り」

 海斗はソーセージにフォークを突き刺す。何かを断絶する意思を持ったようなその一撃。海斗の強い前向きな気持ちが込められていた。

 周りのお客達も楽しそうに笑っていた。釣られて笑いそうになってくる海斗。だがそれを自粛したのか、彼は歯を見せそうになってすぐに閉じた。

「お母さん、どこにいるのかな」

 紙コップを両手で握り、温もりを手から得る。コップの中に漂う紅茶の波紋に目を移し、ひなたは呟いた。

 笑っていられなかった。まだ本当の目的が達せられていない。時間はもうすぐ五時を指す所だった。タイムリミットまでは刻々と迫っている。既にあと七時間後であった。デッドラインはもう目と鼻の先まで迫っている。

「あたし、探すよ。最後まで諦めない。きっと、ここで諦めたら後で絶対後悔する時が来るから」

 紅茶を一気に飲み干す。紙コップをテーブルに叩き付けるようにして置くと、ひなたは立ち上がった。

「……分かった」

 先に外に出たひなたは、立ち止まった。景色に見とれる。ユニバーサルランドは、幻想的にライトアップされた城の装飾と仄かに燈る街灯の明かりでまさに夢の国そのものであった。行き交う人々は皆仲良さげに手を繋ぎ、一年に一度だけの聖夜を心から楽しんでいる。吹雪は消え去り、今はちらちらと静かに舞い降りる空からの贈り物が、一層ムードを引き立てていた。

「いいね、こういうの……」

 海斗が隣に立つ。

「今日は、クリスマスだから」

 二人は歩き始めた。何かに惹かれるようにして、ランドの象徴のような巨大な城の方に。

「来年は、楽しく過ごしたいな。こんな悲しいクリスマスはもううんざり」

 広げた手の平に雪の粒が乗り、風に消えた。億千万の空からの来訪者は、挨拶をしては消えてゆく。

「また来ような」

 海斗は飛んできた雪の粒をつかむ。逃がさないというように握り締め、開いた時には水滴になって消えていた。

「この日のチケットを半年前から、頑張って予約して取ってさ、お前の誕生日を毎年、ここで祝うんだ。来年も、五年後も、十年後も。ずっとずっと先の未来も。レストランも特別に予約してさ、ホテルは……あぁ、僕の小遣いじゃちょっと厳しいかな」

 海斗は喋り続けていた。だがひなたは無言で、それを聞き流している。聞こえているのかいないのか分からない、惚けた目付きで。 海斗はそれに気付き、何かマズイ事でも言ってしまったかというように気まずそうに頭を掻いた。

 ひなたは遠くを見ていた。何か惚けたように、一点を見つめ。周りの事など全く視界に入っていないかのように。

「いた……」

「ん?」 

「見つけた」

 拳を握る。ぷるぷると震え、ひなたは叫んだ。

「お母さん!」

 走り出す。城の入り口前の広場に向かって。一瞬、海斗は理解できなかったようだが、すぐに思考を切り替える。

「な、何だって!」

 出遅れた海斗も走る。ひなたは速かった。男の海斗が追いつけないくらいに。

 ランドのモチーフの城の入り口に、一人の女性が後姿で立っていた。長い綺麗な黒髪の女性。クリーム色のトレンチコートに、同色のスカート。黒いストッキングを穿いている。ヒールを履いていて一見長身に見えるが、無くても百六十五センチほどはありそうだった。

 ひなたは女性の背後で立ち止まった。そして息を詰まらせ、何拍か置いた後に意を決して言葉を搾り出した。

「お母さん?」

 女性は振り返らなかった。ただ黙って目の前に広がる城を見上げ、誰かを待っているような雰囲気で。女性を包んでいる雰囲気は、どこか儚げで物悲しげで。

「お母さんなんでしょ? ねぇ!」

 ひなたは声を張り上げる。ようやく海斗が追いついた。

「速いな。こんなに運動神経良かったっけ?」

 息を切らせ、肩で息をする。だがひなたはどうでもいいというように無視した。

 女性は、ようやく振り返った。ゆっくりと。細い体型は写真の通りで、端正なその顔付きに海斗は息を呑んだ。

 そこにいたのは、まるで神崎陽詩そっくりな女性であった。細部は違ったが、誰がどう見ても血が繋がっているとしか言いようの無いくらいな類似である。

 女性はひなたの顔を見つめ、何も語らない。ただ黙って。

「あたし、ひなただよ。寂しくなったから、お母さんに会いにきたよ!」

 ひなたは訴えかけるように、たどたどしく言った。落ち着かない様子で、手を強く握って。

「大きく、なったわね……」

 女性が声を発した。

「あたし、今日で十七歳になったよ! お母さん!」

 胸に手を当てる。

「あなたが神崎世良さん、ですね」

 海斗は冷静に聞いた。深刻な顔付きの女性は答えた。

「……そうです。わたしが、十三年前に家族を裏切った、神崎世良です」

「お母さん……。お母さん……」

 ひなたは小さく震えた両手を伸ばした。

「お母さああん!」

 走った。飛びついた。顔を母の胸に押し付け、ひなたはがっしりと母の体に手を回してしがみ付いた。

「どうして! なんであたしに黙って消えたの? せめてあの日、何か言ってくれさえすれば、あたしは捨てられたなんて絶対に思わなかったのに! あたし、お母さんにずっと捨てられたんだと思ってたんだよ。恨んでたんだよ、お母さんの事!」

 世良は何も言わなかった。身じろぎ一つせず、ただ耐えて。申し訳ないと思っているのかもしれない。何て声をかけて良いのかが分からないのかもしれない。

「お父さんは……死んじゃったんだよ! お母さんは絶対戻ってくるって信じて、ずっとあたしを頑張って育てて。必死で働いて、暑い日も寒い日も! お父さんはいつも言ってた。お母さんは絶対に帰ってくるって。帰ってきたら、三人でユニバーサルランド遊びに行こうって言ってた。なのに、お父さんは死んじゃったんだよ! お母さんを信じ続けて、結局何も浮かばれなかった! 何で、お父さんのお葬式にも来ないの? お父さんは、お母さんをずっと信じてたのに!」

 ひなたは崩れ落ちた。母の足元にしがみ付いて。

「ねぇ、何か言ってよ! お父さんに『ごめんなさい』って言ってよ! ねぇ、お願いだから……うぅ」

「ひなた……」

「うわああああああん……」

 感情の全てを撒き散らした。抑え切れなかった。土手を越えて溢れた感情は、白い雪景色に静かに消えていった。

「ごめん、なさい……」

 世良はただ一言だけ、言った。娘の苦しみが叫びを通じて分かったのか、世良の瞳から一筋雫が垂れた。

「ごめんなさい。ひなた……」

 長い時間が経った。ひなたの声にならない叫びが木霊し、空気がざわついた。そんな彼女を慰めるかのように、雪が肩にひとひら降りた。

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