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第34話 第四章 ―死命― 5

 海斗は焦っていた。何度も何度も電話をかけても、全く通じない。ひなたは一向に電話に出なかった。屋内の休憩施設で、他の客と一緒に彼は避難していた。

 関東地方に大雪警報が出ていた。昼を回った辺りから次第に吹雪になり始め、全く外を出歩けるような状況ではなかった。もしこんな状況下で屋外に居たとしたら、命に関わる。今いる休憩所にひなたの姿は無く、しかも連絡が取れない。海斗の脳裏に嫌な予感が過ぎる。

――これは、マズイんじゃないか。

 もう一度電話をかけてみる。だが呼び出し音がなるばかりで、いくら待っても彼女が元気に出る様子は無かった。

 海斗は歯軋りをして電話を畳んだ。

「畜生! 一体どこにいるんだ、お願いだから電話に出てくれ!」

 他の客が居る前だが構わず海斗は叫ぶ。海斗にしてみれば、一人にしてしまった自分の責任であろう。一緒に行動していればこんな事にはならなかったはずだった。

 覚悟を決め、係員の所へ向かう。制服姿の係員は、大慌てであった。どうやら他にも行方不明者が何人か出ているらしく、捜索に出ているようだった。

「僕の連れの女の子が、何処かで迷子にでもなってるのかもしれない。お願いします、捜してください!」

 海斗は食って掛かる勢いで係員に言った。

「分かりました、捜索員に伝えましょう」

 海斗は簡潔にひなたの特徴を述べると、早速無線機で係員は屋外に出ている捜索員にひなたの事を伝えた。

「後は、我々に任せてお客様は屋内でお待ちください。吹雪は一時的なものです、すぐに見つかりますよ」

 だが海斗は落ち着いていられないらしく、叫んだ。

「いえ、僕も捜します! 行かせて下さい」

「危険です、お止めください!」

 だが海斗は食い下がった。

「これは僕の責任なんです。僕は行きます。神崎は、きっと助けを待ってる! 恐らく、この吹雪の中のどこかにいるんだ!」

 海斗は、係員の近くにダンボールに詰めてあった防寒着を手に取ると、一着勝手に着込む。雪も防げる、黒色の分厚い防水ジャンパーだった。

「お、お客様!」

 係員が止めようとするも、海斗は早々にジャンパーを着終わって休憩所から飛び出した。左右に素早く目を逸らす。どちらの方向にひなたがいるのか。直感で右方向に走った。城の前を抜け、宇宙エリアへと差し掛かる。ロケットをモチーフにした乗り物や、建物の中のジェットコースター乗り場が見えてくる。吹雪は先ほどよりは収まっていた。どうやら本当に一時的なものだったらしく、今は朝よりは雪の量も多いが、前方はちゃんと見えるほどに視界は開けてきていた。

「どこだ、どこにいる!」

 地面を良く見ながら海斗は捜した。

「そうだ!」

 ポケットからケータイを取り出し、ひなたの番号を鳴らした。相変わらず向こうは出ない。

「着信音を鳴らし続ければ、遠くからでも場所が分かるはずだ!」

 ケータイで呼び出しを続けながら、海斗はランド内を走った。彼女の姿を見つけるために、必死になった。

 もし倒れでもしていたら、それこそ命に関わる。この雪の中、広いユニバーサルランドの中で迷子になる事はもはや遭難に近い。厚着で防寒をしているはずだが、それでも雪の悪魔はひなたの命一つなど簡単に吸い尽くしてしまうに違いない。

「返事をしろ! どこだ!」

 海斗は叫んだ。無我夢中でケータイを片手に走り回る。その時、何かが彼の耳に入った。『小さな世界』だった。この雪の中、建物の中にあるそのアトラクションは、動き続けていた。そして、もう一つ聞こえた。何か聞き覚えのある音が。

「まさか……あれか!」

 雪を被った何かが見えた。無機質なケータイの和音がやはり同じく『小さな世界』を紡いでいる。間違いない、ひなたのケータイの着信音だった。

 海斗は走り寄った。倒れている。神崎陽詩は気を失っていた。

「神崎!」

 雪を払う。海斗は上半身を抱き起こした。

 ひなたの顔は、青くなって血の気が引いていた。氷のように冷たくなった肌。息は、かろうじてあった。だが見るからに危険な状態であった。

「起きろ、しっかりしろ!」

 ガクガクと揺さぶる。ひなたの指が動いた。ゆっくりと目を開ける。口をパクパクさせ、目は焦点が定まらずに淀んでいた。

「お前、こんなに冷たくなるまで何やってんだよ! 分かってんだよ。お前、もう心も体もボロボロのくせしやがって! 何でそこまでして!」

「かいと……くん……」

 ようやく言葉を発した。ひなたは安らかに笑っていた。まるで、廊下でコケて舌を出して『失敗、失敗』とでもおどけているかのような、そんな朗らかな笑顔で。

「何で、笑えるんだ。お前は……」

 海斗は泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにして、蒼白になったひなたの顔を見つめた。

「かいとくん、あたしがんばったよね……? 誰にも負けないくらい、がんばったよね……?」

 弱々しい声で、ひなたは笑いながら言った。海斗の両目から静かに雫がこぼれた。声に出さず、感情が溢れた。

「あぁ、頑張ったよ! 僕はずっと見ていた。お前をずっと見ていた! 辛い目にばっかり遭って、それでもお前は頑張って笑おうと努力して! 辛いのをずっと我慢して、誰よりも頑張ってた!

 僕は知ってるんだ、君こそ太陽の子なんだよ! 本当は、誰よりも素晴らしい笑顔で笑う! 人を笑顔にさせる歌声だって持ってる! 幸せになるべきなんだよ! こんな……、こんな寒くて冷たくて、悪魔みたいな吹雪の中なんてな、ひなたには似合わないんだよ!」

 海斗は怒鳴りに似た声で叫んだ。抱き締めた。細い体が潰れそうなくらいに。

 ひなたは嬉しそうに声色を弾ませた。

「かいとくん、初めて……あたしの事名前で呼んでくれたね。あたしね、ずっとかいとくんの事が好きだったんだよ。だから、一緒にお母さんを捜し回ってくれて、あたし本当にうれしかった」

「僕だってなぁ、お前の事が好きだ。嫌いなら一緒になんか居るものか! あぁ、言ってやるよ。好きだよ、ひなたの事がずっと好きだったよ! お前に笑ってほしくって、僕の事を友達じゃなくて男として見てほしくって、気付けばいつも自然と気ばっかり遣って。

お前が死んだら、僕はどうすればいいんだ! このバカ野郎、人に心配ばっかりかけやがって!」

 ひなたは目を閉じて笑った。

「あはは、なぁんだ。両想いだったんだ。あたし、ずっと海斗君と友達から恋人になりたいなぁって思ってて、アピールし続けて、それでも気付いてもらえてないと思ってて……。そんな努力、必要なかったんだね。あたし、やっぱりおばかだね。いつまで経っても」

「互いに気付かなかったんだ。僕だってバカだったんだ。気付いてやれなくてずっと傷付けていた」

 抱き締め、ひなたの服に付いた雪が熱で溶ける。いつの間にか海斗のジャンパーでさえぐっしょりと濡れていた。海斗の両手はびちゃびちゃになっていた。冷たい両手が雪風に晒されてかじかんでいた。それでも海斗は、離さなかった。

「あたし、今すごく幸せ。だって」

 だがその言葉を最後まで言う事は出来なかった。海斗の唇でひなたの唇は塞がれていた。

 長い長い時間、二人は動かなかった。いつまでもその瞬間を維持したいかのように、永遠とも思える時間の間、繋がっていた。二人とも何も言葉を発しない。言葉など要らなかったのだろう。その行為は、二人が互いに気持ちを通じ合わせるのには十分過ぎであった。

 海斗は唇を離した。生気を少し取り戻したひなたの瞳には言葉に出来ない涙が溜まっていた。

「こんな程度で幸せだなんて言うな。薄幸女め。これからもっと幸せにしてやる」

 掠れた声で、ひなたは言った。

「ありがとう……」

「泣くなよ」

 海斗はまた再び、口癖のようにその言葉を発した。重要な場面でしか言わない、彼の決め台詞のようなものだった。

「あたし、今日で十七歳なんだよ。すごいでしょ。海斗君より一ヶ月お姉さんなんだよ」

 一月後半の誕生日な海斗。笑って吹き出していた。

「そうだった。おめでとう」

「あたしの運の無ささだと、もっと早く死んじゃうんじゃないかって思ってた。でもすごいよね、十七年も生きてるんだよ。自分でもびっくりだよ」

「なぁ……」

 海斗は呆れたような声色で言った。

「きっと君は素で言ってるんだろう。好きで悲劇のヒロインやってるわけでもない。だけどな、もうそういうのを考えるの、やめないか? 生きるんだよ、これから先もずっと。もうそんな後ろ向きな事考えるんじゃない!」

 一喝した。ひなたは嬉しいような辛いような微妙な表情を浮かべる。

「あたし、悲劇のヒロインなんかになりたくないよ……。みんなあたしにその役目を押し付けてきて。もう疲れちゃった。

 みんなあたしの事いらない子だって言った。お父さんが死んで家も焼けちゃって、一文無しなの知った途端に、親戚のおじさんもおばさんもみんな、邪魔者みたいにしてあたしを押し付けあった。だから、どんな状況でもネガティブにしか考えられなくなっちゃった。

 あたし、いつからだろうね。小さい時は人を笑わせるのが好きだったのに、いつしか人を笑わせるどころか、笑えない子になっちゃった。色んな事がありすぎて、笑い方忘れちゃった。

 ねぇ、笑うのってどうやるんだっけ……? 教えてよ、海斗君」

 海斗は、ただ黙って聞いていた。だが徐々に堪えきれなくなった海斗は、薄幸の少女を目の前にして一層強く抱き締めたのだった。

「ひなたは、笑えるよ。だって、僕に三回も見せてくれたじゃないか。本当の笑顔を。天使の笑顔だよ、使い古されたような言葉だけどさ。安心しな、僕が一生かけてひなたをポジティブ人間に変えてやる。嫌とは言わせない」

 海斗は苦笑していた。自分の言った言葉の陳腐さに自嘲したのか、勢い余って言ってしまった歯の浮くようなセリフがおかしかったのかは分からない。だが、ひなたは気持ち良さそうに微笑を浮かべている。気持ちは伝わったようだった。

「海斗君、一つわがまま言っていい?」

「なんだよ」

 ひなたは震える左手で一点を指差した。その先にあるものはアトラクションだった。今も絶えず、小さな世界が流れている。世界各国の人々をモチーフにした人形達が楽しそうに踊っているのが魅力のアトラクションだった。屋内にあるそれは、雪が降っても運営が続いている。

「あれ、乗ろう。お願い、一回でいいから……」

 弱々しい指の動きであった。降り続ける冷たい雪がひなたの体力を奪い続けている。ここに留まるのは得策ではなかった。恐らく雪で濡れた服が冷たく、邪魔になっているのかもしれない。

 海斗は頷いた。

「いいとも」

 両腕で支え、ひなたを起き上がらせた。

「その上着、寒いだろうけど脱いだ方がいい。濡れてるし、着てると体温が奪われる」

 ぐっしょりと濡れたダウンジャケットを脱ぎ、黒いズボンも脱ぎ捨て、近くにあったゴミ箱に無理矢理突っ込んだ。どうせもう着ない服である。持ち歩いていたって邪魔になるだけだ。

 寒そうな普段の学生服姿になると、身軽になったのか少しひなたの動きは良くなった。水を吸って重くなったあの服が邪魔だったのは明らかだ。

「やっぱり、ひなたにはその服が一番似合うよ」

「そうかな」

 ひなたは歩き出した。だが少々足元はフラ付いている。

「調子悪いか? やっぱり」

 海斗は倒れかけたひなたを支えた。自力でまた歩き出すひなた。だが無理しているのは明白だった。

「ちょっと、風邪引いたみたいなの。少し熱があるかも」

「ダメそうならすぐに言えよ」

 二人の姿は、建物の中へと消えていった。

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