第31話 第四章 ―死命― 2
海斗とその父は昨晩、遅くまで頑張ってくれたようだった。海斗の手元には、苦労の末にようやく手に入った東京ユニバーサルランドのペアチケットが握られていた。どうやらその手のコネを使い、そのツテを使ってまでしてようやく手に入ったようだった。
クリスマスの東京ユニバーサルランドの前売りチケットは競争率が異常に激しい。努力してでも前日に手に入れる事が出来たのは奇跡に近かったようだ。
手に入ったのは一組分のペアチケットのみ。つまり、東京ユニバーサルランドに入って世良の捜索に当たれるのは二人のみだった。
当事者のひなたが行かなくては話にならない。あと一人のパートナーは、海斗しかいなかった。海斗の父には他に動いてもらう必要があるかもしれないし、フリーになっていてもらった方が都合がいいだろう。海斗の母はとても動き回るのは得意そうには見えない。かといって、友人にも頼れない以上は他に頼れる人もいない。そもそも息の合っている人間でなければパートナーには向かない。
「外は寒いし、着た方がいい」
海斗は防寒具を差し出していた。温かそうな薄ピンクのダウンジャケット。海斗の母が昔着ていたものらしい。下もサイズは合っていないが、スカートの上からウィンドブレーカーのような、そうでないようなビニールのような手触りの、黒い妙ちきりんなズボンを穿く。上下とも薄い学生服でスカート姿では寒すぎる。しかも天気予報では、今日の空模様は一日中白い贈り物で終わるようだ。止むのは明日の日付が変わってからではないかという。
ひなたは差し出された服を身に着けてゆく。少しでも温かくなるよう、学生服はあえて脱がずに、身動きは取りにくくなるがその上に重ね着する。着終った時には、何重にも重ねた衣服のせいで、まるで背の低い男性のような体格に見えるほどだった。
「うーん、太って見える……」
背丈ほどもある鏡の前でセクシーなポーズを決めてみる。これが着込んでいない状態ならば、細い体型で可愛らしいのであろうが、今の重ね着ではただ体格のいい人間が無理にポーズを作っているだけにしか見えない。
「まあ我慢してくれよ。雪の中をバイクで進むんだ、一筋縄じゃいかないだろうし、防寒は大事だ」
「我慢する……」
「よし、行こうか」
海斗も、普段のトレンチコートから同じく防寒具姿へと変身した。牛革のライダースジャケットに身を包む。後は出発するだけだ。動きづらそうに摺り足気味で玄関へと向かう。扉を一歩潜れば、後戻りの出来ない世界が広がっている。
玄関では、海斗の両親が待っていた。食事の時といい、二人は既にひなたを家族同然に迎えようというような接し方であった。とても温かく、包容力のある理想の家庭。ひなたが望みに望んだ当たり前の家族の姿が、ここにある。こんな近くに。
「海斗、全力でひなちゃんをサポートするのよ」
まるでこれから戦争にでも行くような励ましの言葉。だが母の温かみの感じられる言葉。
「今や、この事件はひなた君だけの問題ではない。我々も同じく当事者だ。だが最後の舞台に上がれるのは、選ばれたお前達しかいない。人質達の命は二人に掛かっている。頼んだぞ」
夕べ遅くまで死力してくれた海斗の父。先に休んだらしい海斗の後を担って、夜遅くまで走り回ってくれていた。恐らくほとんど眠っていないはずだ。
ひなたは深くお辞儀をした。ゆっくりと誠意を込めて。彼女が今出来る感謝の行為は、これしか無い。
「必ず、お母さんを見つけてきます!」
「任せなって。それじゃ」
家から一歩出ると、緩やかに降り積もる銀世界が二人を出迎えた。体の底からひんやりと来る冷たさが身に染みる。夜遅くから降り続けていたらしいこの雪は、道路こそ除雪されているものの、路肩などは靴は完全に埋もれそうなほどの積雪になっている。
だが今はちらちらと降るだけで、激しくはない。バイクで進むなら今が一番良いタイミングであろう。
海斗のバイクは、既にタイヤにチェーンが巻かれていた。恐らくひなたがまだ寝ている間に準備してくれていたのだろう。
「いよいよだね」
ひなたは海斗の後ろでヘルメットを被りながら呟いた。いつにも増して集中した声で海斗が答える。
「そうだな」
雪道の運転を前に集中しているのかもしれない。海斗の大きく見える背中から両腕を回し、発進で振り落とされないように抱き付いた。
「終わらせよ。当たり前の毎日に戻ろ。また、さとりと海斗君と三人で……。こんな辛いのは、もう嫌だよ」
海斗は、前を向いたまま言った。
「……誰かがこんな事を言っていた。『明けない夜はない』って。だからさ、それを信じてみてくれよ。どんな深い夜だって、時が経てば明るい朝が来るさ」
返事を聞かず、海斗のバイクは発進した。雪で滑らないよう、細心の注意を払いながら、市街地を進む。海斗は無言で運転し続け、ひなたはそれを後ろで静かに見守った。
立ち止まっている時は穏やかな降雪でも、バイクで走行すると吹雪のように前方から襲い掛かってくる。運転している海斗のヘルメットの顔面に雪が張り付き、時折払いのけながら運転していた。気が散っているらしく、事故を起こさないようにスピードは控えている。十六歳にしてはかなり手馴れた運転であった。
――今は朝の七時半。この調子だと、ユニバーサルランドに着くのはきっと十時を過ぎるかも。
ひなたは腕時計を見ながら、思いを馳せていた。運転しているわけではないひなたは、それくらいしか出来る事が無い。早く着いて欲しいという願いが気持ちばかりを焦らせる。
東京ユニバーサルランドへは、東京都を抜けるルートで行くと時間が掛かりすぎる。神奈川県を南下して川崎市へと向かうルートで行く事にした。川崎市からは東京湾横断・木更津東金道路が通っている。数年前まで『東京湾アクアライン』と呼ばれていた道だ。
東京湾アクアラインは、神奈川県の川崎市と、千葉県の木更津市を繋ぐ、東京湾上を通るハイウェイである。途中には『海ほたる』と呼ばれるパーキングエリア兼観光施設が設置されており、二人はそこまで進んだら一旦休憩を取る事にした。
桜ヶ崎市から川崎市へは、割と短時間で移動できる。川崎市に入ってからが長かった。最近にない降雪のために、交通が全般的に麻痺している。道路の混雑具合が酷かった。川崎に入ってすぐにある大通りの交差点で事故が起きたらしく、一キロほどの渋滞をしていた。
――八時十五分……。ヤバイかも。
ひなたが腕時計を見る回数が増えてきた。焦りが募っているのは明白だった。
「ちっ、こんな時に」
海斗が舌打ちする。信号が青になってもほとんど進まない。バイクをトロトロと進めながら、時折右手の人差し指でハンドルを小刻みに素早く叩いていた。苛々しているようだ。
「あたし、この辺抜け道ちょっと知ってる。あとちょっと進んだ所の、あそこの小道入ってみて」
ひなたは指で指図した。
「オーケー。ちょっと路肩走らせてもらう。今は時間が無いんだ、なりふり構っていられない」
また『なりふり構っていられない』。どうやらこの二人の共通した癖がこれのようだった。イザという時にほどその言葉の意味が真価を発揮する。そして二人とも、その言葉を発する時は割かし何でもやる。突発的な事象に強いのかもしれない。
細かな路地。除雪がされていなく、走りにくいようだったが海斗は慎重に抜けた。交差点を曲った先の道に出る。川崎の市街地。除雪がされていて、路地裏より格段に走りやすい。交通事故の起きた地帯を抜けた先は、先が見渡せるほど空いていた。今日は日曜日の朝のため、通勤の車などが少なくてツイているのかもしれない。
住宅街をひたすら走り、大師橋を渡る。徐々に工業地帯へと入ってゆく二人。川崎の真ん中を突っ切るようにして敷かれている国道四百九号線へと入ると、雪も車も少なく、非常に走りやすい環境へとなった。
国道四百九号線を東に向かって走り続けると、そのまま東京湾アクアラインへと入る事が出来る。晴天の休日では混雑するであろう海ほたるへは、悪天候の日に好き好んで遊びに行く観光客は少ない。割と苦労せずに入れるのではないだろうか。
――風が強い。海斗君大変そう。
国道を走りながら、時折横風に煽られてバイクはスピードを落とした。最悪な環境での高速走行なため、慎重にならなければ命が危なくなる。
ずっと黙って運転している海斗の背中を見つめる。恐らく自分だけではなく、後ろに人を乗せている事で彼の両腕は必死なはずだった。頭も、今は楽しい事を考える余裕すらも無いかもしれない。話しかけるのは止めた方が良さそうだった。
海斗の家を出発して一時間ちょっと、ようやく二人は川崎浮島ジャンクションへとバイクを進めた。このまま進んでアクアラインへと入るか、別ルートで横浜方面へと進めるか選択を迫られる。海斗は迷わずに木更津方面へとハンドルを向ける。
「東京湾アクアライン、別料金……か。けっこう取られるんだよな、ココ」
久しぶりに海斗は言葉を発した。安定した道に入ってようやく落ち着いたのかもしれない。
東京湾アクアラインを川崎側から入ると、海ほたるに出るまでは長いトンネルをひたすら走る事になる。良く整備されている道で、トンネルの中にまで雪は無い。時間は少々掛かってしまうが、路肩にバイクを停めて、タイヤのチェーンを外した。代わりのチェーンは無いため、もし切れてしまったら走れなくなってしまう。
だが海斗は慣れた手つきでチェーンの付け外しを行う。どうやら雪山に走りに行った事もあるらしく、その時にチェーン巻きをやったのだという。
アクアトンネルを十キロほど進むと、海ほたるにやってくる。そこまで来たらもう一度チェーンの付け替えだった。面倒ではあるが、安全の事を考えたら背に腹は変えられない。空気を読まない天気が憎らしいらしく、二人は悪態ばかりを付いていた。




