第28話 第三章 ―イヴ― 15
ひなたは、十三年前の小包の包装紙に手を掛けた。真っ白な包装紙。柄の付いた包装紙を裏返して、それを何重にも被せた物らしい。光に透かしても中身は窺い知れない。
包装紙は分厚く、約五枚ほどが丁寧にくるまれて密閉されていた。最後の一枚を引っぺがし、中から出てきたものは……。
「これ……オルゴール?」
レトロな木の箱状のオルゴールが中から姿を現した。箱の裏には銀色のぜんまいが、ちょこんと付いている。年月は経っているが、包装紙で密閉されていたために全く傷んでいる様子は無い。その当時のままであった。
蓋には、どこかで見た事のある絵柄があった。ミッケキャット。神崎世良が大好きだった、東京ユニバーサルランドのマスコットキャラクター。ミッケキャットとその仲間達の動物が楽しそうに遊んでいる絵柄であった。
「世良君は、一体何を思ってこれを……」
野田も予想出来なかったらしく、ひなたの手に載っているオルゴールを見つめる事しか出来ないでいた。
ひなたは、ふとオルゴールの底をひっくり返してみた。何か彫られている。数字のようであった。
ひなたは読み上げる。
「九十七、十二、二十五」
彼女の目が変わった。大きく宝石のように開き、溢れる感情を抑え切れずに雫を垂らした。
「おい、これ」
海斗の呟きを制し、ひなたは掠れたような声を出した。
「九十七年の、十二月二十五日。あの日の……、これ、あの日お母さんが買った物! そうだよ、お母さん、買ってた! あたしの目の前で、オルゴールお土産に買ってた! お母さん!」
ひなたは無我夢中で、ぜんまいを回す。ぜんまいがはち切れるのではないかと思えるほど、勢い良く回して。オルゴールから流れてきたのは、『小さな世界』だった。ひなたの一番大好きな歌。平和の象徴のような。
「あ、あぁ……」
オルゴールを両手で包み込み、今はもう残っていない母の温もりを探した。
「お母さん、あたし、やっとわかった。お母さんは、あたしを愛してくれてた……。だって、世界一の宝物にこれを渡せって。ねぇ、あたしなんでしょ? このオルゴールを渡してほしかったのは。ここで、こんなギリギリになって、こんな曲あたしに聴かせるなんて……お母さん、卑怯だよ。卑怯だよぉ……」
ひなたは、溢れた。心の底から溢れてくる濁流のような感情。目を真っ赤に腫らし、シャツの袖で拭っても拭っても、拭い切れない感情。
「神崎世良さんの世界一の宝物は、君だったんだな……神崎。お前は、母親に捨てられたんじゃなかったんだ。きっと、世界一大切な宝物でさえも、諦めざるを得ない理由があったんだよ」
海斗も、涙目になっていた。だが泣くのはみっともないとでもいうかのように、涙を見せないように顔を背けて、袖で拭っていた。
「世良君……」
野田教授も、鼻をすすっていた。教授も、何か思う所があったのだろう。
部屋の中には、小さな世界がやさしく響いていた。ひなたは、母が自分を捨てた事に憎しみを抱いた。だがその一方で、ひなたは母の事を大事な思い出として忘れられなかった。
まるで長い時を経て、ひなたに罪滅ぼしでもするかのように、世良のオルゴールはいつまでも、彼女の大好きな曲を流していた。
小さな世界を聞きながら、ひなたは目を瞑った。自分の世界に入ったかのように。
ふと、何かが遠くから聞こえたようだ。
「……たら……なさい。……あ……ら」
――え?
ひなたの頭の中に、何かが響いた。小さく、聞き取りづらい声で。
「寂……なったら……みを……なさい。……んにあ……たら」
――え? え?
聞こえたわけではない。思い出している。ずっと昔に聞いて、記憶の片隅に眠っていたものが、何かのきっかけでとでもいうように引っ張り出されてきている。恐らく、このオルゴールの音色が引き金で。
「寂し……なったら……るみを……きなさい。……んにあ……たくなったら」
――お母さんの声! 昔の、あたしが小さかった時の! お願い、あたしにもっと良く聞かせて!
ひなたは必死に、記憶の中の母の声に耳を傾けた。
「寂しくなったら」
――お願い!
「寂しくなったら、ぬいぐるみを開きなさい。お母さんに会いたくなったら」
ひなたは目を見開いた。何かを悟ったように口をぽっかりと開ける。
「思い出した……」
「なに」
海斗は反応した。
「思い出したよ! あたし、知ってた! お母さんが最初から答え教えてくれてた!」
海斗も野田も、椅子を倒すような勢いで立ち上がった。ひなた自身は信じられないと言った様子で、無我夢中で語り続ける。
「『寂しくなったら、ぬいぐるみを開きなさい。お母さんに会いたくなったら!』きっとあれだよ、十三年前のクリスマス。お母さんがあたしに買ってくれたミッケのぬいぐるみ! あの中に! きっとあの中に、お母さんは居場所を知るための手がかりを残しててくれたんだよ!」
「な、なんだって!」
海斗の声が荒げる。神崎の両肩をつかみ、揺さぶる。
「ずっと忘れちゃってたんだ……。あたし、三歳だったから。はは、あたしって本当にバカね……。やっと思い出せた。お母さんがあたしのために残してくれた言葉」
ひなたは手で顔を押さえて、自嘲した。答えは一番身近にあったのだ。自分自身が持っていたのだ。それに気付けず、二日間も無駄にし、ひなたは自分がおかしくて仕方ないみたいだった。
「決まりだな」
海斗は頷く。
「海斗君、今すぐ桜ヶ崎にもどろ! ミッケのぬいぐるみは、杏条邸のあたしの部屋にある!」
ひなたの声が踊った。二人は気持ちが一致し、深く頷いた。
「教授、ありがとうございました。全て終わったら、あたし絶対に報告しに来ます!」
野田教授は、無言で立ち上がった。
「陽詩ちゃん。私から一つお願いがある」
野田教授は辛そうな声で、言った。
「世良君は私の大事な教え子だ。どうか、世良君を許してやってほしい。時間は掛かるかもしれない、だが君も分かっただろう。世良君は、君を愛していたんだ。だが……」
「許せるかどうかは、会ってみないとわからないです。あたしにとってこの十三年間は長すぎました。真っ暗で出口の無いトンネルに迷い込んだような人生です。あたしの人生は、母の失踪を期に変わりましたから」
海斗は目を閉じた。ひなたの言葉の重みが一番分かるのは海斗であった。彼女ほど、残酷で悲しい人生を歩んだ女性は多分ほとんどいない。『許してやってほしい』の一言で全て片付けられるほど、ひなたは簡単な人間ではなかった。
「それでも、お母さんはあたしのただ一人の母親です。あたしは、お母さんを探し出します。絶対探し出します」
教授も頷いた。二人は挨拶し、部屋を出て行く。すると、扉が閉まりそうになった時、教授は呼び止めた。
「海斗君といったかね、本当に少しだけ残ってもらえないかね」
ひなたではなく、海斗が残れという。彼も驚いていた。
「僕ですか?」
海斗は何だか分からない様子だったが、部屋の中に戻っていった。
ひなたはしばらく、海斗が研究室から出てくるまで廊下から寒空を見上げていた。
それから十分ほどして、海斗は研究室から出てきた。何も変わらない様子で。少しだけ残れというからには、せいぜい一分や二分だと思っていたようで、ひなたは思った以上に時間が掛かった事に、不満を持ったようだ。
「ごめんごめん、ちょっと教授が暴走しててさ。『ウマイ女の落とし方を教えろ』とか言ってきてね」
「なによそれ」
ひなたは、スケベ根性丸出しなじいさんの心が理解できず、ふてくされた。
「僕に聞かれても困るんだけどねぇ」
海斗は苦笑し、ひなたを背に一人廊下を歩き始めた。だが、その後姿はどこかぎこちなかった。




