第27話 第三章 ―イヴ― 14
「神崎陽詩です、はじめまして」
ぺこりと頭を下げる。後ろにいた海斗も挨拶した。
「神崎の付き添いで来ました、日立海斗です」
野田はティッシュを取り、鼻をかみながら暢気に答えた。
「おォおォ、良く来たのォ、ゆっくりしていきなしゃい」
――ゆっくりもしてられないんだよね。
ひなたは何か調子を狂わされるような感覚に陥りながらも、教授が本気モードになってくれるのを待った。
「あれからのォ、昔のアルバムを引っ張り出してのォ、世良君の写真を見てみたんじゃよ。陽詩ちゃんにソックリだったのォ。母親に似て、よォべっぴんさんやわい」
皆、ひなたの母を知っている人は彼女と似ていると言う。ひなたも、写真を見る事でしかまともに母の顔を思い出す事が出来ない。生き別れたのが四歳の誕生日なのだ、幼すぎて顔など覚えていない。
「お母さんの写真が、あるんですね。ここに」
「あるともあるとも。いーっぱいあるぞい。何せ、世良君は昔この研究室で一緒に過ごした仲間じゃったんだからのォ」
ひなたは唾を飲んだ。母の事で核心に迫ってきているのは確実だった。
「僕も見たいです。世良さんの写真を是非見せてください」
海斗も興味を持ったらしい。野田教授は二つ返事で頷いた。
「いいともいいとも。隣の休憩室に来なさい。電話で話した例の品も一緒に持ってこようかのォ」
いよいよだった。二人は扉で遮られている休憩室に入ると、ひたすら待った。野田教授の足取りはゆっくりであり、少し時間が掛かった。その間、二人は一言も話さずにひたすら待った。ひなたの顔には緊張の色が見える。
十分ほど待つと、両手に抱えきれないほどの荷物を持った野田が現れた。右手には二冊のアルバム、左手には電話で話していたものであろう例の品。本命は左手にある物だ。
「待たせたな、すまない」
「い、いえ……」
野田の目付きが変わっている。老人とは思えないほどの精悍な鋭さのある目付きと、キレのある低音の声。今目の前に居るのは、じいさんではなく、一人の博士なのだろう。
いつの間にか、本気モードへと変貌していた野田教授。おじいさんモードとどちらが本当の姿なのかは分からないが、普段はトボケたじいさんを演じる事で、本当の姿を隠しているのではないかというのが伺えた。七十台の老人が普段から若者に負けない足取りで、精悍な目付きをして、しかもキレのある喋り方をしていたのでは、周りから浮いてしまう。近寄りがたい老人というイメージを与えてしまうかもしれない。それを防ぐために、あえて普段は仮面を被っているのかもしれなかった。
実際の野田明という教授は、とても人間として頭のいい人物なのではないだろうか。本当の姿は、見せるべき人間にしか見せないのかもしれない。
「これが、世良君の写真があるアルバムだ。見てみなさい」
野田は二冊の内の一冊、黒い古ぼけた大判サイズのアルバムをひなたに手渡し、「お茶を煎れよう」と言って部屋を一時的に後にした。
ひなたはアルバムを開いてみる。それを脇から覗き見るようにして海斗も伺っていた。
「お母さんが、映ってる……」
当時の研究室の仲間達と一緒に撮った、集合写真があった。前列の真ん中から少し離れた場所に、白衣姿で世良は映っていた。長い黒髪の美女。大人っぽい白衣がどこか背伸びをしているように感じる、幼い時の面影を残した顔付き。まるでひなたは生き写しとでも言うかのように、やはり良く似ていた。
「……やっぱり、似すぎてる」
海斗は小さく呟いた。ひなたは嫌そうな顔をしていた。生き写しとでも言うかのように似ている母の顔を見ている時だけ、無意識のように顔が強張っている。
「なんか、気味悪いよ……。なんであたし、こんなにお母さんと似てるの?」
アルバムを抱えながら、ひなたは目を見開いた。恐ろしい物を見たかのような、怯えた目付きになる。
「まさか、あたし」
今ひなたがいる場所は、大学の遺伝子工学科。野田教授は遺伝子工学の研究者。母は新型クローンの精製技術を編み出した、この大学の研究室出身の博士。ひなたの考えが至った答えは、一つしか無かった。
「あたし、『お母さんのクローン人間』なんじゃ……」
「やめろ、そんな事考えるな!」
海斗はアルバムをひなたの手から無理矢理ひったくると、開いたページを叩き付けるようにしてアルバムを閉じた。海斗も荒い息を上げ、立ち上がってテーブルに手を着く。その様子から察するに、海斗も恐らく同じ考えに行き着いて、否定したくてたまらないのだろう。
「ありえねえ、そんな事があってたまるかよ! 違うに決まってる! そんな事があったらさあ……あんまりじゃねえかよ!」
海斗は、人事ではなく自分の事のように怒鳴り散らした。本気の声で。狭い室内で、空気がビリビリと軋むような痛さがする。
ひなたは自分の体を抱き締め、震えた。
「だけど! あたしの顔はお母さんそっくり! この顔も、髪も、体も……! この体はきっと、あたしの体じゃない! お母さんの体なんだよ! あたしは、お父さんとお母さんから生まれた人間じゃない……。きっと、『人間をコピーして造られた』……。あたし、お母さんのコピー人間だよ!」
「考えるなっつってんだろ!」
海斗は怒鳴った。
「お母さんは、きっとクローンのあたしが邪魔になって捨てたんだ。違法な研究をしたから、あたしが邪魔だったんだ。だから……!」
部屋の中に、何かが破裂するような音が一発響いた。ひなたの声は止んだ。海斗の声も止んだ。部屋の中は静寂に包まれ、海斗が静かに椅子に座る音が小さくした。
「自分を否定するんじゃない。まだそうと決まったわけじゃないんだ」
ひなたの頬が、赤く滲んでいた。海斗に一発頬を叩かれ、涙目で押し黙っていた。
「それにもしクローン人間だったとしても、君は神崎陽詩だ。決して、『クローンの神崎世良』じゃない!」
「ありがとう……」
野田教授が入ってきた。手には三人分のお茶の乗ったお盆がある。入ってきて早々、何やらシリアスな空気になっている事に気付き、野田教授は聞いてきた。
「どうしたのかね」
「神崎は、似すぎている母の写真を見て、自分が母のクローンではないかと疑心暗鬼になってしまったようです」
野田教授はお茶をテーブルに置き、ゆっくりと椅子に座った。老人にしては足取りは羽のように軽い。普段から鍛えているのだろう。
それから涙目のままのひなたに顔を向けると、懐かしいものを見るかのように、優しい眼差しになった。
「安心しなさい」
野田の瞳には、まるでお父さんのような温もりがあった。
「陽詩ちゃんは、お母さんに良く似ているね。だが、私には分かる。陽詩ちゃんは、決してクローン人間なんかではない。彼女、世良君は、実の娘が公の場に出られないような陰のある子になど育ってほしくなかったはずだ」
ひなたは、小さな声で答えた。
「なんで、あたしがクローン人間じゃないって断言できるんですか。あたしが生まれる瞬間を、見たんですか……?」
「それは……」
野田は押し黙った。それだけは語れないというように、口をつぐむ。海斗が場を取り繕うように、言った。
「神崎。これ、開けてみないか? 開けたら、その疑問もスッキリするのかもしれないよ」
海斗は、テーブルの上に放り出されていた小包を手に取った。元はといえば、それを目的に来たのだ。開けないでおいても仕方が無い。
神崎世良の残した、最後のキーワード。それが今、実の娘のひなたの手に乗せられた。
「……そだね」




