第26話 第三章 ―イヴ― 13
応急手当が終わり、売店へ休憩しに入った。自販機で緑茶を買うと、ひなたはベンチへ座った。
「さとり、無事かな……。確か足撃たれてたし」
ひなたはボソっと呟いた所に、同じく飲み物を買った海斗が隣に座った。
「こっちからしーさいど桜ヶ崎の様子が全然分からないからな。でも、無事でいてほしいよ。杏条も大事な友達だ」
缶を口に付け、喉を湿らす程度に少し飲む。彼女は昔から、一気に飲むと勿体無いのでちびちびと飲む癖があった。
「もしさとりのおばあちゃんが今も生きてたら、きっと大変な事になってたかも」
「杏条のおばあちゃん? なんで」
海斗には話していなかった事だ。特に話す必要も無いとひなたは考えていたようだ。
「海斗君はさとりのおばあちゃんと会った事無かったんだっけ。さとりと死んじゃったおばあちゃんはね、親子よりも仲良しだった。さとりの両親は外国で仕事してて全然帰ってこないし、杏条ニューロンの創設者だった前会長のおばあちゃんがさとりの親代わりだったの」
「そうか、杏条の両親の話って今まで一回も聞いてなかったけど、そういう理由だったのか。あいつ、いつもお転婆で暴走気味で、周りを巻き込む明るい奴だけど、家の話はあまりしないんだよな。遊んだ事あるのも家の外だけだったし」
ひなたの隣で、神妙な顔付きで海斗が腕を組んでいる。彼にとっても、杏条さとりは同じく幼馴染みであり、気がかりなようだった。「おばあちゃんは超が付くくらい孫のさとりにゾッコンだったから、もし今も元気だったら、さとりの身になにかあったと知ったら、財力を使って、救出するためになんでもしてたかも」
「そのくらい仲良しだったのかぁ……」
今はもう亡き故人。どんな人物だったのかは想像するしかない。とてつもなく孫想いの素敵な女性だったのだろう。品の良い老女というイメージが容易に描く事が出来る。
「あたしも、実は小学校の低学年の頃に一度しか会った事無いから。確か九歳の時に交通事故で死んじゃったんだよ。覚えてる? 一回だけさとりがお葬式で学校休んだの」
「杏条には悪いけど、ちょっと覚えてないかな。辛かっただろうな……。でもあいつ、その辛そうな顔は学校じゃ全然見せなかったもんな。あいつは強いよ」
「強いね……。あたしなんかより、ずっと」
「だから、自分と比べるなって」
海斗は言い聞かせるように、冗談っぽく言った。またネガティブになってしまったという風に、ひなたは反省した。
「ごめんね、ダメだなぁあたし……」
缶を手で弄びながら、ひなたは溜め息をついた。
「神崎のお母さんってさ、何でヒトクローンの研究なんかしてたんだろうな。遺伝子工学の分野ならもっと他にもあるのにさ、何でわざわざ禁忌を犯してまでやってたんだろう」
――そういえば、なんでかな。
ひなたは考え込むように「んー」と唸る。実の娘ですら分からないのだから、きっと海斗には考えても一生分からないであろう。未だ目の前に現れぬ、神崎世良という女性の頭の中を想像するのだ。憶測以外では語れなかった。
「もしかしたら」
ひなたは何か考えたようであった。
「もしかしたらだよ? 人間がずっと昔から考えていて、国とか人種とか、年齢とか性別とかに関わらず、誰もが一度は考えた事があって、そして誰もが諦めた願いっていうのが、多分一つだけあると思うの」
海斗は理解できないらしく、少し間隔を空けた後に聞き返した。
「それって……?」
「死んだ人を、生き返らせる」
ひなたは空を見上げた。
「死んだ人は、生き返らない。それは誰だって知ってるよね。だからこそ、誰もが一度は考えたと思うの。あたしだってお父さんが死んだ時に考えた。
死に別れた家族、恋人、友達。一度だけでいいからまた会いたいって思っても、絶対に叶わない切ない願い。どんなに科学が進歩したこの現代だって、お金さえあれば宇宙にだって行けちゃうこの時代になったって、多分命を生き返らせる技術だけは、絶対に作り出せないと思うの」
海斗は頷いた。亡くなった人が登ると言われている天を見上げ。
「それを仮説として考えると、世良さんは誰か大事な人を生き返らせる事は出来なくても、『同じ人間を造り出す』という意味で、別の生き返らせ方を考えたんじゃないか、って事かな。確かに命が終わるのは避けられないけど、死んだ人のコピーを造って擬似的に生き長らえさせる為に、ヒトクローンの研究をしてたって考えれば筋は通る」
ひなたはある種の直感で、今の仮説を述べたようだった。無理矢理筋を通す為に考えたものではなく、世良の立場を考えての発言であった。
「お母さん、大事な人を誰か失ったのかな……」
「どうだろうな、会って確かめるのが一番かもしれないよ」
飲み終わった缶を、海斗は歩いて捨てに行く。ひなたも頷いて、立ち上がった。ここでいつまでも止まっているわけにはいかない。
時間は二時。まだ距離は半分も走っていないのだ。
午後になり、ますます空は不機嫌な様子を浮かべていた。黒雲は更に多くなり、ほぼ夜と変わらないのではないかという最悪な暗さになってきていた。雨は降るような感じはしないのだが、雷が鳴り始めている。風も強い。雲から悪魔の唸りのような恐ろしげな音が地上に鳴り響く。
――何も起きなければいいけど。
高速道路をひたすら世田谷区の北部方面に走る。既に桜ヶ崎市を出てから三時間近くが経過していた。夕方に近づくにつれて視界も悪くなり、元々強かった横風が、突風とも思えるような暴風へと変わってきた。バイクのライトもロービームから常にハイビームへと変えている。遠くまで明るくなる、真夜中で使うようなハイビームランプでなければ全く先が見えないほどの異常な暗さだった。
二輪で風当たりの良い高台の道を高速走行、しかも二人乗りをしているこの場面にきて、時折口にする海斗の言葉には必死さが伺える。ハンドルを強く握り、決してバランスを崩さないように、少々スピードを落として走行していた。到着時刻は遅くなってしまうかもしれないが、事故を起こすよりは遥かにマシだった。ひなたは運転に集中してもらうために、よほどの事が無い限り話しかけはしなかった。
世田谷大学までは思った以上に距離があった。世田谷区とはいっても、区の東京都の中心寄りの端っこらしく、神奈川県から一日で向かうには少々遠い。
ひなたは前方を見ていて、頭上の電光掲示板がふと目に入った。
「ちょっと待って、交通事故で藪崎から北谷インターチェンジの間で十キロの渋滞?」
焦った声で海斗に伝える。だが冷静に海斗は返してきた。
「落ち着いて。薮崎は世田谷インターで降りた後だよ。問題無い」
「そ、そっか……」
運転している海斗の方が遥かに落ち着いていた。
「もうすぐ高速を降りる。横風、怖いんだろ? さっきからずっと黙ってたし」
余裕が感じられる声色で、ひなたを気遣っていた。
「ううん、運転邪魔しちゃ悪いと思って」
海斗はやれやれといわんばかりに「フッ」と笑うと、運転に集中した。
世田谷大学に辿り着いた時は、既に四時を回っていた。ルービックキューブのような網目模様の箱をいくつも縦に積み重ねたような大学の建物が、二人の前に立ち塞がる。その巨大さといったら、まるで高級マンションかと思わせられるような、さもなくばこの世の最果てにある天まで続く壁のようなそんなイメージを髣髴とさせた。
「教授は、遺伝子工学科の第一研究室にいるって言ってたよ」
「よし、いよいよだな……。ようやくここまでこぎつける事が出来たね」
ひなたは、ようやく母の手がかりを持っているかもしれない人物と対面する事に、心臓の高鳴りを隠せなかった。不自然に落ち着かなくなり、辺りを見回してしまう。
「さぁ、一かゼロか。使える情報なのか、全く見当違いの情報なのか。全てはその小包にかかってる」
二人は受付で研究室の場所を聞きだし、広い館内を歩き回ってようやく第一研究室を見つけた。建物の造りが複雑で、受付で聞いた事だけでは分からず、途中で何度も学生に尋ねた。
ひなたは第一研究室、と書かれたプレートの下がっている扉を前にして、深呼吸した。海斗は、ひなたに扉を開けさせるつもりらしい。あくまでも彼は、ひなたのサポートに徹するのだ。ひなたの母の事を聞きに行くのだ、彼女のためにも自分で扉を開けさせるのは筋かもしれなかった。
「行こう、海斗君」
ひなたは意を決し、扉を叩いた。
部屋の中には、数名の白衣を着た研究員や学生が忙しそうに動き回っていた。何か実験をしているらしかったが、ひなたには良く分からないらしく、興味無なさげに教授らしき人の姿を探していた。
「ん?」
ふと、一人の老人とひなたが目が合った。扉を開けて入ってきた異質な服装の二人が気になったのだろう。
――七十代くらいのおじいさん、あの人かな。
白衣を着た白髪頭の男性。歳はかなり取っていそうだが、しっかりとした足取りの老人だった。気の良さそうな赤ら顔をしている。
ひなたは自分からその人に近づいていった。他の研究員達は忙しいのだろうか、二人の姿をちらっと見ただけで、後はどうでもいいという風に元の仕事に戻っていった。
「野田教授、ですか?」
老人は目を見開き、白くなった顎ひげを触った。
「おお、もしかしてさっきの電話の女の子かのォ、おォおォ、声も顔もかわいいのォ。よォ来おったのォ」
間違いなく、野田明教授だった。電話での最初のおじいさんモードになっている。野田は嬌声を上げて、ひなたに会えたのを喜んだ。




