第25話 第三章 ―イヴ― 12
「お生憎ですけど。やっぱりあたしは、あなたのような人と一緒に居たくありません!」
モデルガンを構え直す。綾瀬はぎょろりと目を動かし、睨み付けてくる。ひなたは負けじと、睨み付ける。
「何だとぉ?」
ひなたは人が変わったように怒鳴った。
「あんたなんか大嫌い! 一人じゃなんにも出来ないくせに! あたしを乱暴しようとした! 海斗君を悪者呼ばわりした! その上、クスリ中毒の末期患者でしょ、最低!」
「神崎……」
海斗は小さく呟く。
「言ったな……。こんのヤロォォォォ! お前ら、ぶっ潰すぞ!」
綾瀬がキレた。左手の角材を振り回してくる。この瞬間、ひなたでさえも敵と認識したらしい。逆上した綾瀬は無我夢中で殴りかかってきた。周りの仲間達も詰め寄ってくる。
「キャアッ!」
ひなたの頭を掠めた。高速走行状態で振る角材はなかなか思った場所に振れないらしく、綾瀬も殴りかかるのに夢中であった。
「帰りなさいよ!」
ひなたは隙を見て一発モデルガンを発砲した。綾瀬の右腕を直撃する。
「ぐおっ」
声を上げ、怯む綾瀬。だがすぐに大量の黒煙を上げ、迫ってきた。
「ほらほら、さっさと楽になっちまえよ!」
運転している海斗を狙ってくる仲間達。体当たりをして転倒させようとでもしているのだろうか。狙いを付けて海斗のバイクに車体をぶつけようとしてくる。
海斗は瞬間的にアクセルを完全に入れ、スピードを上げた。
「ちっ、避けやがって!」
「当たらないよ、そんなの!」
海斗の運転技術は十六歳としてはなかなかのものだった。高速道路での二人乗り、メーターが振り切るくらいの速度を出していてもそのキレは変わらない。だがあえて最高に出る速度を出していなかった理由は、その横風の強さ。速度を出し切るとハンドルが取られて危険すぎた。
「次は当てますよ!」
ひなたを乗せたバイクは少々前進し、男達は真後ろに位置する形になった。発砲音。仲間の一人の前輪のタイヤを撃ち抜いた。
「くっそ!」
制御の利かなくなるバイク。スリップのような動きをしながら、男はブレーキをかけて停まった。
「上手いじゃないか!」
「さとりとゲームしてたからね」
杏条さとりに付き合わされていたガンシューティングゲームの勘が、意外な所で役に立っている。ゲームとはシチュエーションは違うが、風の動きなどを読んでひなたは撃ったのだった。
ハンドルが取られる事に危険を感じ、スピードを少し落とす。たちまち綾瀬と仲間は追いついてきた。
「ナメた真似するじゃねえかよ、おい。ますます気に入ったぜ、メチャクチャにしてやりてえ」
綾瀬の瞳孔が開いている。常人では考えられないイカれた目付き。「そのためには、日立海斗が邪魔だな。てめえだけは許してやらねえ、今ここでぶっ殺してやる! てめぇだけは気に入らねえんだよ!」
「させません! 海斗君を殺す気で来るなら、あたしがあなたを倒します」
「言うじゃねえか、やってみろ!」
綾瀬は更に逆上した。バイクをすぐ右に着けてくる。奇声を上げ、角材を振り上げてきた。
ひなたは反応し、綾瀬に銃口を向けるも間に合わない。発砲しようと指に手を掛けられた瞬間、綾瀬の角材が振り下ろされた。
それはスピードのせいもあったかもしれない。相手が逆上していたせいもあったかもしれない。綾瀬の怪力から放たれた角材は、海斗ではなく後ろに座っていたひなたの頭に向かった。
「ああああぁぁっ!」
鈍い音がし、角材はひなたの側頭部に叩き付けられていた。ヘルメット越しとはいえ、頭に重い角材の一撃を受けた彼女は、悲鳴を上げて海斗の背に倒れ掛かった。
「うぅ……」
脳震盪を起こしたのかもしれない。ひなたの苦悶の声は海斗にと届いた。
「大丈夫か、くそ!」
海斗は声を張り上げた。海斗からしてみれば、自分の身代わりにひなたが犠牲になったようなものだろう。それでもひなたは、意識を失わないように弱々しい力でしがみ付いていた。ここで意識を失えばバイクから振り落とされてしまう。即ち死を意味する。
「よくも神崎を! お前!」
海斗は激昂し、綾瀬のバイクに体当たりする勢いで横から迫ると、思い切り綾瀬の体に向かって蹴りを叩き込んだ。
「てめえ!」
綾瀬は倒れはしなかったものの、バランスを崩して後方へと下がった。
ひなたはフラフラの体に鞭打ち、背後に位置する綾瀬にモデルガンを向けた。直後、綾瀬は悪あがきのように角材を投げ付けてきた。空中を鉄骨のように太い角材が、バイクよりも速い速度でゆっくりとひなたの目の前へと迫ってくる。
「あんたなんか絶対許さない! 死んじゃえ!」
ひなたは力を振り絞り、空中を舞って襲い掛かってくる角材に向けて連続でモデルガンの弾を撃ち込んだ。角材が撃たれ続け、鉛の弾で傷付けられ、破片となり、スピードが落ちる。すぐに角材は海斗のバイクに向かう速度を失い、後ろの綾瀬の顔面へと高速で突っ込んでいった。
「なに!」
綾瀬が気付いた時には遅かった。角材の塊は失速し、綾瀬は空中を漂う硬い角材に顔面から衝突した。ヘルメットも何も被っていない無防備な顔面。時速百キロの世界。衝撃は相当なものだっただろう。
綾瀬は声にならない悲鳴を上げ、両目の眼球を押さえながら転倒した。身を守るものが何も無い綾瀬は地面に叩き付けられ、転がる。
「雅人!」
ただ一人残った仲間が、綾瀬の救助に向かうために止まった。綾瀬は地面に倒れ、暴走したバイクがそのまま走り続けた。やがて、高速道路の欄干を突き破って地上へと落下していった。
二人は綾瀬を振り切り、そのままスピードを下げず高速を進み続けた。もう追いつけないくらいにまで距離を離すために。
「神崎、大丈夫か」
海斗はさっきから動かないひなたを心配し、声をかけた。だが、返事が無い。さっきから全く背中で動いている様子が無かった。
「おい、おい! 返事しろよ!」
ひなたはぐったりとしていた。かろうじて海斗にしがみ付いてはいるものの、角材で頭を殴られたダメージは深いようであった。返事すらも出来ないくらいにひなたは弱っていた。
海斗は危険性を感じ、二キロ先にあったサービスエリアへとバイクを進めた。売店に一番近い、人の多い駐車スペースへと入ってゆく。
バイクを停めてヘルメットを取ると、すぐさま後ろの席のひなたのヘルメットも脱がせた。静電気を起こした髪がバチバチといっている。
ひなたは虚ろな目をしたままバイクから海斗の方へと倒れ掛かった。海斗は抱き止めると、ヘルメット越しに角材で殴られた右のこめかみから出血しているのを確認した。赤く染めた髪に更に血が染まる。長く伸びた揉み上げを伝い、雫が頬に垂れる。
気を失ったわけではないが、ひなたは放心状態であった。曇天を呆然と見上げ、目に光が無い。口をパクパクさせながら。
「しっかりしろ、畜生!」
海斗は上半身を抱き抱えながら、揺さぶった。頬を伝った血の雫が地面に斑点を作る。ひなたはようやく目を動かし、海斗に視線を合わせた。
「いたかった……」
ひなたはかろうじてそれだけを呟き、海斗に向かって笑みをこぼした。
「良かった。無事で本当に良かった……」
頭を殴られた事でもし彼女が致命傷を負っていたとしたら、海斗は守れなかった自分の事をきっと責めただろう。その安堵した顔振りは、本気で心配していたという事を想像するには十分だった。
「大丈夫、ちょっとクラクラするだけ」
ひなたは自力でバイクから降りると、こめかみから出血している事に気付いて顔をしかめた。触った手に血が付き、それを見つめる。
「無理するなって」
海斗は後ろから声をかける。バイクに積んでおいた応急手当用の消毒液とガーゼ、絆創膏が手にあった。
「ほら、手当てするからこっち向きな」
ひなたは素直に頷き、海斗の慣れた手つきに委ねた。消毒液を浸したガーゼで血を拭き取る。看護師のような手際の良さに任せながら、ひなたは言った。
「角材なんかで殴られて、死んじゃうかと思った」
「縁起でもないな」
海斗は笑うが、無事だったからこそ出る笑いだった。
「でも、もう許さない。あいつは僕を狙って殴ってきたのかもしれないけど、結果的には神崎に危害を加えた。しかも命の危険にまで晒させた。
んでも、高速道路で転倒したんだ、もしかしたら今頃は病院に運び込まれてるかもしれない。それでも、もしまた襲ってくる事があったなら、僕ももう容赦はしない。殺す気で掛かってやる」
優しい笑みを浮かべながらも、瞳は激しい怒りを露にしている。滅多に怒らない気の優しい少年だからこそ、怒る時はそれなりに強い理由があるのだ。
「なんで綾瀬はあたしなんかを狙うのかな。あたし、ろくな人間じゃないよ。統合失調症だし、イザって時は臆病だし、弱虫だし。さっきだって海斗君が来てくれなかったら、あのまま歩道橋で乱暴されてたと思う」
先ほどの場面を思い出しているのだろう、ひなたは恐怖で顔が引きつっていた。
「お前は気付いてないかもしれないけど、神崎の隠れファンってけっこうウチの学校いるみたいだ。あの文化祭の時以来なんだよな、こんなにファンが出来ちゃったのって。綾瀬もきっとその内の一人だったんじゃないの。ただ、クスリもやってるみたいだし、度が過ぎたストーカーにまで発展してるけど」
文化祭での歌姫コンテストでは、文字通り『歌姫』になったひなた。投票で優勝者を決めたのだが、二位との差は百票近く離れていた。一般の客も混じっているが、学校の文化祭という小さな枠組みで、あの差は大きい。
遊びのような感覚で歌っていた他の子と違い、聞いていると情景まで頭に浮かんでくるようなひなたの美声が、多くの男性の心をつかんだのだと思われた。もしかしたらそこにスカウトの芸能関係者でも同席していれば、目に留まったかもしれない。そういう縁が無かったのは非常に残念である。
「綾瀬みたいなのは初めてだけど、あれ以来、学校で変な目で見てくる男子が多いの。なんか、あたし怖いよ……。いつか誰かにホントに無理矢理乱暴されそうな気がして」
海斗は話を聞きながら、こめかみの傷に絆創膏を貼り付けた。
「海斗君は、そんな事考えてないよね。ずっと仲良しでいてくれるでしょ……?」
ひなたは、海斗の視線を伺っていた。だが堂々と答える。
「僕は小学校から、楽しい事があった時だって、辛かった時だってずっと側で見てきた。これからも、そうでありたいな」
海斗の表情は、見ていて落ち着くような優しい笑みであった。
「ありがとね、ちょっと安心したかな」
「ちょっとクサイ事言うかもしれないけど、神崎の笑ってる所見るのが好きなんだよ。最近は滅多に見せてくれないけど、本当に幸せそうな顔して笑うからさ」
何かドキッとするひなた。誤魔化すように笑って見せた。
「こ、こんな風に?」
何か引きつった笑いをしてしまう。海斗は首を横に振った。
「いやいや、多分作って出来る笑顔じゃない。あれは、本当に幸せだと思った瞬間に無意識にしか出来ない、最高の笑顔だよ。僕の知る限り、目の前であの表情を見たのはまだ二回かな」
「すくないね」
小学校の低学年の頃は表情豊かだった彼女も、今では笑顔を見せる事も少なくなった。色々なわだかまりで、無意識の内に心を閉ざしたままなのかもしれない。全ての解決にはまだまだ時間が要りそうだった




