第22話 第三章 ―イヴ― 9
ヨーコ先生と別れ、学校を後にしたひなた。再びアテがなくなってしまい、ひなたはとぼとぼと街中をしばらく彷徨った。
多分今日は回復しないだろうと思われる天候。雨は降りもしないし、晴れる事も無い。冷たい北風はスカートの中にまで時折侵入し、ひなたは身体を震わせた。腕時計は既に午後の十二時半を指している。もう時間は半分を切ってしまった。そろそろ有力な情報でも手に入らないと厳しくなる。タイムリミットは刻々と迫っているのだ。
「一度、海斗君に連絡入れようかな……」
ひなたはケータイを取り出すと、再び海斗に電話をした。通話の発信記録も海斗ばっかり。受信記録も海斗ばかりで埋まってきている。このような状況だから仕方ないが、いくらなんでも話しすぎなんじゃないかというくらい、記録は同じ人物で埋まっていた。
「もしもし」
相変わらず焦り交じりの真面目君。当事者のひなた以上に必死になっていそうな声から、表情はある程度伺えた。
「あたしだよ。松影隆一に会ってきたよ。それでね……」
ひなたは松影から聞いた話を、手短にかつ的確に伝えた。情報は持っていたものの、決定打には至らなかった事。そして次のアテが無くなってしまった事。
「でも、完全にダメだったわけじゃないんだろ。それだけでも前進だよ」
「そうかな。結局は、お母さんが見つからなきゃ意味無いんだし」
「うーん、神崎はちょっと卑屈すぎるんだよ。少し気楽に考えてみたら?」
ひなたは少し黙った。気楽になれるものならなりたかったであろう。だが、大勢の人質の命を握っている今の状況では、馬鹿笑いなど出来ない心境であるのも確かであった。
「卑屈、かな……」
「それでも、前よりは随分と変わったと思うよ。自分の正しいと思う事を精一杯やろうとしてるしね。やっぱり成長してるんだよ、きっと」
海斗は励ましてくれている。だがひなたは素直に受け取る事が出来なかったようだ。彼女の心の中の何かが、しつこく邪魔をしているのだ。
「でもあたしは、失敗ばっかりだよ」
「もう少し自信を持ちなよ。さっきだって、人質の命を危険に晒したくないから警官隊に身体を張って立ち向かったんだろ。間違っていたのは警官隊の方だった。それを公衆の前で叫んだんじゃないか。お前は自分の信念を貫こうとしたんだろ、それは勇気ある行動だと僕は思うけどな。ちょっと前の神崎じゃ、臆病になってそこまで出来なかったんじゃないの?」
海斗は他の誰よりも、いつだってひなたの事を気遣っていた。彼は、塞ぎ込んでいたひなたの側にずっと居たからこそ変化に気付けたのだった。確実に彼女は変わってきていると。このような状況に追い込まれた事で、勇気を出す事に臆病だった殻を破るきっかけが出来たのかもしれない。それをひなたが自覚しているかどうかは別の話になるのだが。
「そう……かもね」
ひなたは笑った。何か自虐的な眼差しを湛えて。自分で気付けなかった事を教えてもらい、自分の馬鹿さ加減に呆れた、というような感じであった。
電話をしながらいつの間にか、ひなたはしーさいど桜ヶ崎が真正面に見える位置にある、国道沿いの歩道橋の上に来ていた。無意識の内に景色の良く見える場所に寄り掛かって話そうといったように、歩いてきたようであった。
そこから一キロほど進むとしーさいど桜ヶ崎へと着く。歩道橋からでも巨大なショッピングセンターは肉眼で確認できる。目下に広がる三車線の国道は東京都方面へと繋がっており、朝も夜も大型車がひっきりなしに飛ばす道となっていた。
「神崎、本当にアテは無い? 例えば世良さんの行方を知っていそうな昔の知り合いとか」
「川崎市に入ってすぐに、お母さんの昔の友達だった水俣おばさんがいるけど、きっと線は薄いと思うんだよね……」
「何でだ」
友達ならば知っているかもしれないだろうと考えるのは当然だった。
「水俣おばさんは、お母さんが失踪した後もあたしん家の事心配してくれて時々遊びに来てくれてたの。料理とかも作ってくれてね。行方を知ってたら、多分教えてくれてたと思うよ。
午前中にしーさいど桜ヶ崎に行く直前、水俣おばさんに会いに行こうと思ったけど、今になって考えてみたら行かなくて正解だったかも。きっと情報は得られなかったと思う」
「そうか……」
海斗も落胆した様子であった。車で移動しているような音が聞こえ続けている事から、父親と一緒に調べながら行動しているのだろう。だが向こうも成果はあまり上げられていないようだった。調べるための時間が圧倒的に不足しているのもあるだろう。三日間しか無いというタイムリミットが非常にもどかしく感じる。
ひなたはもう一つの考えを述べてみる。母の昔の知り合いに尋ねに行こうと考えた際、行けない範囲であって除外した人物だった。
「あと一人ね、ここからかなり遠いんだけどお母さんの親しかったっていう人がいるのを知ってるんだよね」
海斗は食いついてきた。
「どこにいる?」
「あたしは会った事無いんだけど、お父さんから聞いたんだ。世田谷大学で教授をしてる、『野田』っていう人だって。でも、今も大学に居るのかは分かんない……。お父さんからその話を聞いたのもずっと昔だから。その人の電話番号知らないし」
「世田谷大学の野田教授、か。ちょっと待ってて、インターネットで大学の電話番号を調べてみる。直接野田教授がまだいるかどうかを聞いてみる方が早い」
どうやら車内で無線回線を使ってインターネットをしているらしい。ノートパソコンなのだろう。キーボードを叩く音が電話越しに小さくひなたの耳に入った。
しばらく海斗とその父がぼそぼそと話をしている声が聞こえた。だが海斗のケータイは少し離れた所に置かれたらしく、何を話しているのかは全く分からない。耳をそばだてるひなただが、間もなく海斗は再びケータイを手に取ってきた。
「出たよ、番号」
「ありがと。お願い、あたしに電話させて。直接、自分で確かめてみたいの」
積極的な態度を見せるひなた。快く海斗は承諾した。
「分かった。番号を言うよ。××‐××××‐××××だよ。じゃあ、電話が終わったら結果を教えてくれよ」
海斗は電話を切った。ひなたはケータイで録音した通話記録を聞きなおし、その番号をすぐさまプッシュした。悩んでいる暇など無い。
――お願い、どうかあたしにチャンスを……。
電話して出た大学の受付は、無愛想な中年声の女性であった。
「お電話ありがとうございます、世田谷大学です」
「あ、あの、そこに在籍している教授の事を教えてもらいたいんですけど」
相手の顔の見えない電話というものが苦手な彼女は、たどたどしい喋り方で返答した。
「どなたでしょうか」
「野田……、そう確か『野田 明』教授は今も在籍していますか?」
女性は思い出すかのようにしばらく間を空けると、電話の向こうで自分で納得しているように頷き、唸っている声が聞こえた。
「あーあー、野田教授は今も在籍してますよ。今日も確か講義があるので学内にいるはずですが……、どういったご用件でしょうか」
ひなたは嘘を言っても仕方がないと思ったのか、単刀直入に素直に言い返した。
「昔、野田教授の教え子だった、神崎世良という女性について話を聞きたいんです」
「神崎世良? まあいいでしょう、遺伝子工学学科にいると思いますので、教授に連絡してみます。ちょっとお待ちください」
しばらく保留状態になった後、今度は別の男性が電話に出てきた。声の質からしてもうお爺さんに近い老齢と分かった。しわがれた声だが元気ではある。
「どうもどうも、代わりましたワイ。野田ですが」
――来た、本物だ!
「は、初めまして。あたし、神崎陽詩っていいます」
ひなたは緊張して声が震えた。事件解決の鍵を握っているかもしれない人物だ。声を聞いただけで彼女は武者震いに似たような物を感じたようだ。
「おお、カワイイ声しとるのう。歳はいくつじゃい?」
「え、あ、あの……十六です」
突然何を言い出すのかという感じだが、別にボケているわけではないようだった。
「若い子はええのォ、最近ではすっかり若い子を見ると孫のように思えてのォ、どいつもこいつもカワイイのじゃよォー」
「は、はぁ……」
何というか、単に若い子好きなおじいちゃんというだけに感じた。「あの、神崎世良って人を覚えてませんか?」
野田は「むーん」と唸りながら、電話の向こうでティッシュで鼻をかんでいる音を立てた。ひなたは気の抜けるような表情をして答えを待った。相手が年を召している以上、こちらが無理を言うわけにもいかない。
「お、オォ、神崎世良じゃな、覚えておるぞ、良く覚えておるぞい。あのカワイイ子じゃな? 良く勉強しておったぞ!」
野田は興奮した声を上げる。
「覚えてるんですか! あたし、神崎世良の娘です! 教授がお母さんの事をなにか知らないかと思って……」
「何と! 世良ちゃんの娘っ子だったのじゃな。そりゃさぞかしカワイイのじゃろうのォ、一目見てみたいのォ。世良ちゃんは今も元気かいの?」
「いえ……、行方が分からないんで、教授ならどこにいるのか知らないかなって思ったんです。その手がかりだけでも」
野田は言葉に詰まった様子で、口をつぐんだ。言葉振りからして野田教授は学生時代の神崎世良を教え子として、相当に可愛がっていたらしかった。ショックも大きいのだろう。
――やっぱり、行方は知らないのかな……。




