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第21話 第三章 ―イヴ― 8

 松影の言う『クローン』の響きは、ただの研究ではない意味を持っているようだった。

「お嬢ちゃんよ、もしかして豚とか牛とか考えてないか?」

――見透かされてる。

 ひなたは顔に出やすい性格だ。黙っていた事で、肯定した意味と取られたようだった。

「杏条ニューロンがしていた闇の研究の正体。それは、『人間のクローン』の精製だ。分かるか、その意味が」

「ちょっと、それ……」

 ヨーコ先生も何か言いかけたが、口をつぐむ。恐らく先生は先生で何かを考えてるのだろう。多分良くない方向であろうが。

「人間の、クローン……」

 ひなたは体が疼き出したように、全身の毛が一瞬で逆立った。首筋から冷たい季節はずれの汗が垂れる。彼女の左手の指が、右の二の腕が、太股の神経が、髪の毛が、全身のあらゆる箇所が突然嫌な物を感じ取ったかのような錯覚を起こし、ピクピクとおぞましい痙攣を起こした。

「動物クローンは知ってるだろ? 豚や牛みてえな家畜の身体から遺伝子情報を取り出して、全く同じ遺伝子を持った個体を生み出す技術だ。本物ではないが、本物ソックリな奴を造り出す技術だ。いわば、模造品を造るってわけだな」

 模造品。その響きを生き物に対して用いる事に、ひなたは激しい嫌悪感を感じたらしく、無意識の内に唾を大量に飲み込んでいるようだ。しきりに喉が動いている。

――クローン、模造、複製、コピー、贋作、似非、レプリカ……。同じ物を作り出す……。動物だけじゃなく、それを人で……?

 ひなたの思考は頭の中でグルグルと混乱し始め、顔色は次第に青くなっていった。松影はそんなひなたの様子を気遣う事も無く、話を続けた。

「オレは人間だ。ヨーコ先生も人間だ。お嬢ちゃんだって人間だ。そう、ここにいるのはみんな人間だ。ヒトだよ、ヒト。杏条ニューロンはな、その『ヒトの複製品』を造ろうとしてたんだよ! ヨーコ先生も知ってるだろう、ヒトクローンはこの世界では、世界中で禁忌の研究とされてるんだぜ。誰もがそのタブーを考えた事はあるかもしれねえが、誰もやっちゃいけねえ決まりになってる。ちょっと考えてみろよ、自分の遺伝子を使って生まれた模造品ヤロウが世界中のどっかで生きてんだぜ、そんな世界気持ちワリイだろうがよ」

 模造品、複製品、コピー品。いずれも似たような意味を持つ言葉。そして何ともこの現代社会ではありふれた身近すぎる言葉だった。街のどこにでもあるコンビニに、本でもチラシでもノートでも何でもいいから紙を持っていけば、たったの十円でその紙の複製など簡単に作れてしまう。そのくらい日本では当たり前に行われている『模造や複製』。なのに、何故生き物に当てはめて考えるとおぞましい物になってしまうのだろうか。

 きっと、それは単純な理由なのだろう。豚や牛は個体差はあるにしても、知性や個性がほぼ無い。毎日の食事を楽しみにして、闇雲に糞尿を垂らし、最終的には子孫を残す事が至上目的として生きる家畜なのである。それ以上でもそれ以下でもない。知性が無いので、自分のクローンが目の前に現れても自分のコピーや被験者であると認識できないであろう。だから、動物クローンではこういった問題は無い。このくらいなら今は学校でも習うだろうし、中学生だって理解しているかもしれない。

 だがヒトの場合はどうだろう。ヒトには知性がある。はっきりとした個体差がある。個性もある。外見も老若男女、乳幼児から高齢者までピンからキリである。だからこそ、人道的に問題が出てくる。もし、自分と全く同じ顔をしたクローン人間が目の前に現れたらどう思うだろう。オカルト的な物で考えれば、出会ったらその人は死んでしまうと言われている、『ドッペルゲンガー』なるものを想像する人もいるかもしれない。その『複製品』が、被験者である本物の自分を殺しに来る。本物に成り代わる為に。そんな妄想だって現実になる可能性がある。

「神崎世良は、どうやらそのヒトクローンの研究を先頭に立って研究していた責任者らしかった。プロジェクト名『神崎クローン』。盗んだ資料にはそう書かれてたぜ。ちょいと目を通したその資料にはな、何やら今までの方法とは一線を画した画期的なクローン精製法を研究しているってなっていたな。その基礎理論や方法がズラズラと書かれてやがった。

 普通のクローンの精製法だとな、生まれてくるクローンヤロウは被験者の遺伝子を持った赤ん坊なんだよな。その赤ん坊は歳を取った被験者から採取した遺伝子情報を使うわけだから、生まれながらにして歳食ってやがる。だから老化も早い。今までのクローン精製だと、これが限界だったらしい。つまりだ、その方法だと同じ外見を持つに至るまでは被験者と同じ年齢まで成長する必要があったってわけだ。だから全く同じ人間が出来る事は無いはずだった。歳の違いがあるからな。

 だが、オレの盗んだその資料の神崎クローンってのは、そんなしがらみなんか全部吹っ飛んじまうほどのすんげえものだった。聞いて驚けよ。神崎クローンはな、遺伝子情報を採取した時点の被験者の体を、そのまんまリアルタイムにコピーするっていう結果をもたらすらしかったぜ」

「何よそれ……。ひなちゃんのお母さんはそんな物を研究していたっての?」

 ヨーコ先生も動揺しているようで、しばらく黙っていたがようやく口を開いた。予想以上の混沌とした内容に、付いていけてないようだった。それはひなたもほぼ同じだろう。

「お母さん、なんでそんなものを……」

 禁忌の研究に手を染めた母。こんな場所で、そんな情報を聞く事になるとは思わなかっただろう。

「つまりだ、簡単に整理してみるとだな、神崎クローンってのはこういうものだ。例えば被験者が二十歳の時に遺伝子情報を抜かれたとしようじゃねえか。んで神崎クローンを使って、すぐに抜き出した遺伝子情報を使ってクローンを精製する。するとあら不思議だ、二十歳の身体の被験者と、同じく二十歳の身体を持って同じ姿顔形をした複製品が仲良くご対面ってわけだ。鏡を見てるような感じだろうな、きっとよ。しかも、神崎クローンの技術で特殊な技法を使って抜き出した遺伝子情報は、通常クローンのように劣化しているわけじゃねえらしい。被験者が二十歳なら二十歳で生まれてくるわけだから、遺伝子情報も二十歳、ってわけだ。分かるか? 通常方法だと生まれてくる身体はゼロ歳でも、遺伝子情報は二十歳だったら、生まれながらに二十歳分歳食ってるわけだ。それと比べれば、理解できるだろう?」

「それは、悪用したらとんでもない事になるわよ」

 真剣な顔で訴えかけるヨーコ先生に対して、松影は面白そうにウィンクをして口の端を吊り上げた。

「ああ、されたかもしれねえな。オレは現に越前屋に情報を売った。あの会社は外国と貿易してたはずだから、国外に流出していてもおかしくはねえ。日本警察だって全ては追いきれねえだろうよ。しかもな、その盗んだ当時の神崎クローンの資料だが、研究は初期の段階だと思えたが、素人目に見ても恐ろしく完成度の高い資料だった。ほぼ理論は完成しているみてえだったし、遺伝子情報の抜き取り方や特殊な精製方法も試験段階だが、既に成り立ってるみてえだった。あれを元に研究すれば、頭のいい奴だったら『神崎クローン技術を応用した、別のクローン技術』も造れるかもしれねえな。

 原本の資料は、丸ごとコピーを取らせてもらった後にそっと返しておいたから、研究には支障は無かったはずだ。オレはそのコピーした資料を売ったわけだ。コピーだろうがなんだろうが、高く売れたのには変わりねえ」

 何が面白いのか分からないが、松影は笑いながら語り続ける。ひなたは俯いたまま、じっと黙って聞き続けていた。

「ひなちゃん大丈夫? 気分悪い?」

 ヨーコ先生は気遣って、静か過ぎるひなたの肩に手を置いた。

「大丈夫です……」

 ゆっくりと顔を上げたひなたは、明らかに調子悪そうな顔をしていたが、心配するヨーコ先生に心労をかけまいとするように作り笑いをして見せた。

 ヨーコ先生はその無理している笑顔を見て、それ以上何も言えなかった。実の母親がそんな非道な研究をしていた現場を想像したのだろうか、ひなたは今にも吐きそうなほどに青い顔をしていた。

「神崎世良ってのは、本当に天才な科学者だったんだな。特に噂の通り、遺伝子工学の分野においては日本であの女に適うヤツはいねえんじゃねえかって思えるほどだった。あの資料を見て、そんじょそこらの大学出の青二才研究者ヤロウなんかメじゃねえって感じたよ。つまり嬢ちゃんよ、お前はその天才女史の娘ってわけだ。こんな立派な学校に通ってるくらいだから、やっぱり頭いいんだろ?」

「それくらいにしておいてください!」

 面白がって気分の悪そうなひなたをからかう松影。それをヨーコ先生は一喝した。

「へっ、ついからかっちまった。ワリイなあ嬢ちゃんよ」

 松影はもう一本タバコを取り出し、ふかし始める。ひなたは重い口を開いた。

「お母さんがどこにいるのか、分かりますか……?」

 松影は両目を瞑って「フッ」と何かを悟ったように呟くと、言った。

「さあな、知らねえよ。杏条ニューロンにまだいるんじゃねえのか? オレは警察に捕まった後は一度もあの会社に行ってねえからな、いるかどうかも知らねえが。

 んでもまぁ、神崎クローンの技術が表に出てきてねえ以上は、結局あの技術は完成しなかったのかもな。オレが捕まった時にヒトクローン研究が杏条ニューロンで行われてる事を警察が知って、令状取ってまでシッポつかんでやろうと調べたみてーだが、杏条ニューロンは上手く隠しちまったみてえだし、隠し切った以上は研究は続けられたはずだぜ」

「そうですか……」

 神崎世良がまだ杏条ニューロンにいるわけがない。居るとしたら失踪した時、警察が見つけてくれていたはずだ。人を簡単に一人完全に隠せるほど、この日本はそんなに広くはない。

――さとり、あなたはコレを知っていたの? それとも知らなかったの? でも、さとりはいつもあたしのおかあさんの行方を心配してくれてた。あたしの事も心配してくれてた。違うよね、さとりはきっと知らなかったんだよね。関わってないよね。会社の方が勝手にやってたんだよね……?

 結局、神崎世良が過去に何をしていたのかは分かったが、それ以上の事は分からなかった。松影はもしかしたら、神崎世良に一方的に恋心を抱いていたのかもしれない。その面影を残したひなたが、恨めしかったのかもしれない。目の前に好きだった女の子供が現れ、もしかしたらお前の父親はオレだったかもしれないんだという、個人的感情。それを無意識の内にぶつけて、ひなたを知らず知らずの内にからかっていたのかもしれない。

 全ては彼、松影隆一の心の中にある。真相は誰にも分からない。過ぎてしまった過去は変えられない。彼は、周りが思っているほど悪い人間ではなかったのかもしれない。ただその不器用な生き方が、周りには変人に映っていただけなのかもしれない。

「松影さん、ありがとうございました」

 ひなたの目には、松影はそれほど変な人には映らなかったようだった。むしろ、苦い過去を思い出して語ってくれた事に感謝を示すように、ひなたは立ち上がって深くお辞儀をした。

「ホントによ……皮肉なモンだよな、人生ってのは。しかもお前、完全に母親似みたいだしなあ。どうして今頃になって、現れるのかねえ……。もう忘れようと思ってた記憶なのによ」

 全てを飲み込んで記憶から消し去ってしまおうというように、松影は目を瞑ってタバコを呑んだ。男の涙は既に涸れていた。タバコの濃い煙で真っ白に塗り潰さなければ忘れられないほどに、彼にとっては苦しかったのかもしれない。

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