第18話 第三章 ―イヴ― 5
国立は自分の車までひなたを背負って戻ってくると、助手席のシートを倒して寝かせた。車の停めてあるスーパーの隣には薬店もあったため、国立は急いで応急手当用の治療具をあらかた買ってきてくれた。絆創膏に包帯、消毒薬。その程度だったが、医者に掛からず素人が出来る応急処置はこの三つくらいを使った程度だ。
「動くな、とりあえず傷だけでも処置しないとな」
ひなたはボロボロになりながらも、口元に笑みを湛えて国立に言い返した。
「大丈夫です先生、自分の怪我くらい自分で処置する……」
すると、ひなたは何事も無かったかのように上半身を起こした。だが痛みを堪えているのが無理をしている表情から見て取れた。国立は自分でやると言った以上、引き止める事も出来ずに処置が終わるのを見守っていた。運転席に座っている国立から治療具を受け取ると、絆創膏を体中に貼ってゆく。
国立はカーステレオのラジオのチューニングをした。雑音に混じって何かが聞こえてくる。ニュース速報だ。早速、さっきの騒ぎが報道されていた。
「先日人質篭城事件が発生し、未だにこう着状態が続いているしーさいど桜ヶ崎の、新しい情報がたった今入ってきました。神奈川県警は午前十一時にしーさいど桜ヶ崎に強行突入する方針を固め、準備に取り掛かった所、先日のひのまるテレビでの取材カメラに映っていた人質の一人と思われる少女が報道陣の前に姿を現したとの事です。
少女は『しーさいど桜ヶ崎に突入しないで下さい』と何度も訴えましたが、警察は突入を決行。これが犯行グループを刺激する結果に繋がったようでありまして、警官隊約百名が犯行グループの所持するロケットランチャーにより爆撃され、全員の死亡が確認されました。同時に、しーさいど桜ヶ崎内に仕掛けられた爆弾の一部が爆破された模様です。被害の度合いは情報が混乱しているために正確なものが不明となっております。政府は、警官隊突入の計画の不備を追及する方針です。
尚、人質の少女は警官隊と衝突した際に負傷したと思われ、その後の行方は不明となっております。同伴していた男性教師と思われる人物が報道陣に暴力を振るったという目的証言があり、逃走中の容疑者の教師と行動を共にしている可能性があります。目撃された方はこちらの電話番号の方に……」
ひなたはそのレポーターの話を聞きながら、全く喋らず黙々と処置を続けていた。まるで耳に入っていないかのように。
「くそ、容疑者扱いかよ……」
国立は思わずドアに拳を打ち付けていた。車全体が揺れる。教師から一転、犯罪者の汚名を着せられてしまった国立。このまま行動を共にするのはひなたにとっても危険かもしれなかった。いくら生徒を助けようとした行動とはいえ、暴力を振るってしまったのは失敗だったかもしれなかった。
「神崎、お前はどうするんだ。オレとこれ以上一緒に居るとまずいかもしれないぞ」
「先生……」
ひなたは、申し訳無さそうに俯いた。
「元はといえば、あたしが先生を巻き込んだんです。先生は悪くないのに。ごめんなさい、先生……」
国立は、首を横に振った。
「謝るなよ。お前のせいじゃない。一番ツイてないのは他でもない神崎なんだからな」
国立は何か吹っ切れた顔をして、言った。
「思い切って自首した方がいいのかもな。逃げ回るよりは」
ひなたは目を見開いて強く言った。
「待っててください。あたし絶対、先生の無実を晴らしてみせる。この事件を解決さえすれば、先生が無実なのだって絶対みんな分かってくれるはずだよ」
「ハハ、オレは本当にいい生徒を持ったもんだな……。オレは、お前よりもいい生徒に出会った事はねえや。オレはもう教師やって三年になる。お前らを合わせて三学年、クラスを受け持った。最初と次の年は三年生。んで今年がお前らだ。三年生はみんな卒業していったが、お前ほど、自分を犠牲にしてまで他人を大事にする奴なんか他にいなかったよ」
「あたしは、そこまで言われるほどすごい人間じゃないです」
ひなたはどこか自信なさげに、謙虚な言葉を発した。ふと、再びひなたのケータイが鳴り出した。画面にはもうお馴染みの人物の名が表示されていた。
「海斗君だ」
電話に出ると、聞き慣れた声にひなたは落ち着いたようだった。
「や、今どこにいる?」
どこか神妙な声色の海斗。
「しーさいど桜ヶ崎の割と近くだよ。国立先生も一緒」
「神崎、国立先生は警察が探し回ってる。一緒に行動するのは危険だぞ」
「うん……」
「それより、体は大丈夫なのか? ニュースで神崎が警官隊と衝突して負傷したって言ってる。残念だったな……、頑張りは実らなかったみたいで」
ひなたは、それが本当に心配してくれているように思えたらしい。いつの間にか口元には笑みが浮かんでいた。
「なんともないよ、ちょっと足とか擦り傷出来たくらい」
心配させたくなかったのかもしれない。体中傷だらけだったが、ひなたは強がっているようだった。顔が見えない電話だからこそ、辛い表情を見られないで済んでいた。
「そっか、なら良かった。それと、さっき神崎が言ってた二人の人間の所在の調べが付いたよ」
恐らく、図書館で調べた足立茜と松影隆一の二名の事だろう。越前屋と杏条ニューロンの汚職事件に絡んでいる。
「足立茜だけど、彼女は獄中で病死してたらしいよ。残る松影隆一だけど、それが聞いて驚いたよ。僕らの通ってる学校で働いてるらしいんだ……」
「松影隆一が、学校に?」
ひなたも驚きを隠せなかった。
「出所後に、『私立桜ヶ崎橘商業学院』の用務員さんとして働き始めたらしい。確かな筋からの情報だから、ほぼ間違い無い。悪いけど、僕は細かい事情が分からないから、代わりに会いに行ってもらえるか。まだ市外にいるしさ」
もし松影隆一本人であれば、杏条ニューロンの裏の秘密を握っている可能性が高い。接触してみる価値は十分にある。そこから神崎世良に関する情報が漏れ出す可能性も無くはないからだ。
「わかった、これから早速行ってみるね」
「神崎」
電話を切ろうとしたひなたを、海斗は名前を呼んで引き止めた。
「なーに?」
「泣くなよ」
海斗の方から電話を切った。それがどういう意図で海斗が言ったのかは、ひなたには分からない。海斗にしか分からない意味なのかもしれない。だが、彼が時折口癖のように言う『泣くなよ』には、いつも特別な感情が込められていた。特別な時にしか言わない、特別な言葉。ひなたもそれを感じて、何かを伝えようとしているのだろうと受け取ったようだ。
「うん、あたし泣かないよ……」
国立もその電話を聞いていた。
「学校に何かあるのか?」
「ええ、事件の鍵を握ってるかもしれない人物が居るそうです。松影隆一っていう、用務員さん」
国立も驚いていた。
「何だって、松影隆一? 確かにウチの学校の用務員さんの名前がそんな名前だったような気がするぞ」
「ビンゴかな」
ひなたの表情に希望が戻ってきた。何か尻尾をつかんだかのような。時刻はまだ十一時半である。午前中最後の調査で何か成果が上がれば、奴らに逆襲してやるチャンスはまだ出てくる。時間というのが一番の武器だ。余裕があればあるほどいい。
「なら、最後にお前にしてやれる事はこのくらいか。オレが学校まで運んでやる。そしたら、そこでお別れだ。オレは警察に向かうよ」
「ありがとうございます、先生。あたし、がんばるから。絶対みんなを助けるから! お母さんを探し出して、『あんたのせいでみんなが困ってたんだよ、バカヤロー』って怒鳴りつけてやるんだから」
「見つかるとも。見つかるって気持ちでいれば、必ず探し出せるものだ。カッコ付けるわけじゃないが、希望は捨てるな」
国立は、車のキーを回した。しばらくの間お別れになるドライブだろうと思えた。彼は悔いを残したくなかったのだろう、最高に乗りに乗って運転を始めた。
学校の校門でひなたは国立の車を降り、そして別れた。きっと、国立はこの後自首して拘置所に連れて行かれるだろう。すぐに裁判には持ち込まれないはずだ。この事件のタイムリミットは明日まで。だからこの事件を解決さえすれば国立の無罪に繋がる。色々な人の想いが交差し、既にひなた一人だけに仕事を課せられた事件ではなくなっている。その台風の目に居るのが彼女であり、要でもあるのだ。
ひなたは右手に巻いた痛々しい白い包帯を見つめ、何かを決意したような目付きで校門をくぐっていった。
私立桜ヶ崎橘商業学院。名前からその威厳が分かるように、神奈川県内でも名門高校として知名度の高い学校である。中には杏条さとりや日立海斗のような、人に自慢の出来る肩書きを持つ家系の生徒も多く通っている。もちろん、一般から頑張って入ってきた人だって大勢居る。一度は一文無しにまで成り果てたひなたがここに通えるのは、ひとえに杏条家と養子縁組をしたからであった。
父親を失い、家も財産も灰になり、ただミッケキャットのぬいぐるみだけしか残らなかったひなたは、精神科に通いながら、血の通っていないくらいに冷たい養護施設で三年の間絶望のどん底にいた。一度は精神崩壊まで起こしたひなたを救ったのは紛れも無く杏条さとりであり、ひなたはさとりに特に恩を感じているようだった。
――松影隆一、どこにいるのかな。
学院内は広い。主に校舎エリアとグラウンド、体育館。後は週に一度の校長の長話に使われる大講堂がある。全てを回って歩くには時間が掛かりすぎる。ここは一度職員室にでも行って、休日出勤している教師にでも居場所を聞くのが得策かと思われた。




