第17話 第三章 ―イヴ― 4
「やめてよ、みんな帰って!」
ひなたは走りながら拡声器で叫んだ。彼女の甲高い叫びは増幅され、振動のように震えながら宙を走る。だが厚いマスコミの群れはその声に振り向いただけで止まる気配は無い。
一斉にフラッシュが向けられる。ひなたは眩しさに目を瞑った。各局のレポーターがひなたの姿を認めると、カメラに向かって言葉を投げかけ始めた。
「先日のひのまるテレビの映像に映っていた少女と思われる女子高生が、今目の前に来ています。映像で確認できたエンジの学生服と、目印の赤い髪が非常に印象的な子です。何という事でしょうか、要求された女性という方の姿は見受けられません。人質の少女は何を思い、この地に戻ってきたのでしょうか」
ひなたはカメラのフラッシュを浴びながら、叫んだ。
「ダメ、これ以上警官隊を進ませないで! みんな殺されちゃうよ! こんな取材なんかしてる暇があったらあたしに協力して!」
カメラに訴えるようにして叫んだひなたは、息を切らしながらそれでも報道陣を振り切って警官隊の群れに突っ込もうとした。だが報道陣達はもっとひなたを生で取材したいらしく、壁のように立ち塞がって進ませようとはしなかった。それどころか、至近距離にまで接近し、おかまいなしにフラッシュを浴びせる。悪意の篭ったレンズがひなたを捉えて離さない。
「やめて、進ませて!」
レポーターは至って冷静な顔で、皆に押さえ付けられているひなたの顔をでかでかと映しながら語り続けていた。
「現場はご覧の通り緊迫した状況であり、人質の少女は警官隊に向かって叫びを続けています。ですが成果は見られません!」
ひなたの体はマスコミに押し固められていた。
こんな事をしている間にも、警官隊は突入準備を前方で進めているのだ。立ち止まっている暇など一分一秒たりとも無いのだ。前へ進むどころか、次第にマスコミのひなたへの扱いが非道なものへと変わっていた。誰かに押さえ付けられているようだった。まるでこれ以上進ませまいとでもしているように。人間の集団に揉まれ、右へ左へと引っ張られる。満員電車よりも酷い状況だった。まるで逮捕された悪人の如く、写真を撮られ続ける。
卑劣な報道陣に対して泣きそうな顔をしながら、それでもひなたは訴えた。絶え間なくカメラのフラッシュがひなたを襲う。
「なんであたしを撮るの! やめてよ、こんな姿を撮らないで!」
目を背ける事も出来ずにそれを浴び続けるしかなかった。声が枯れるほど叫んで、叫んで、それでもその声は誰にも届かなくて。暴れて衣服が乱れるのも構わず、自らを押さえ付けている人間を振りほどこうとして。四方八方から襲い来る人間の悪意に、ひなたは押し潰された。
「お前ら、神崎に何してやがる! 離せ!」
野次馬の群れを遅れて抜けてきた国立。報道陣に押さえつけられているひなたを見て、激昂した。振りほどこうとして暴れ、ブレザーは引っ張られてしわくちゃに、ワイシャツに付いているリボンは千切れ、かろうじて襟に引っかかって揺れている。第一と第二ボタンは取れて弾き飛び、開いた白い胸元が痛々しい。これでは、婦女暴行と変わりない。
テレビ局がこんな事をするのかと、まともな状況なら思うだろう。だが、この異常事態に報道陣までもが狂っているようだった。
「先生、あたしの先に行って警官隊を止めて! このままじゃ突入しちゃうよ!」
それを聞いたレポーターは続ける。
「人質の少女の学校の教師のようです! 今、人々の集団を抜けて我々の前に姿を現しました!」
「実況してんじゃねえ!」
国立は我を忘れ、怒りをカメラに向かってぶつけた。豪腕から放った拳はカメラマンをなぎ倒し、機材も地面に落下して破損した。人に暴力を振るう。教師としてやってはいけない事だった。だが今の国立はひなたが押さえ付けられているのを見て黙っていられなかったのだろう。
他の局のレポーターも報道を続けていた。
「ああ、他のテレビ局のカメラマンに拳を振り上げました! 教師としてあるまじき行為です! ご覧下さい」
「うるせえ! オレの大事な生徒にこんな屈辱を与えやがって! お前ら報道陣は最低ヤローだ、このまま放っておいたらどうなるか分からないのか!」
国立は体育の教師である。体も普通の成人男性より大きいし、腕力も桁違いに強い。その筋肉が放つ拳が、ひなたを押さえ付けている男性報道陣数名に襲い掛かった。まさに凶器のような肉体。報道陣は肩や肋骨がひしゃげるような音を立てながら、ひなたを手放し、崩れていった。
国立の暴れにより、周りに居た報道陣達は寄り付かなくなっていた。地面には壊れたカメラの破片が散乱し、怪我をして伸びている報道陣達の数名が横たわっている。国立はフラフラで倒れそうになったひなたを肩で支え、「大丈夫か」と一言発した。
「大丈夫です……」
無数のカメラのフラッシュに弄ばれ、もみくちゃにされ、それでもひなたは気丈にも、再び地面に転がった拡声器を手に取って歩み出した。ボタンの弾き飛んだワイシャツは胸元を隠せず、谷間も見えそうなくらいにまで開いている。代わりの服でもあれば着せるところなのだが、生憎と彼女が着れそうな服は国立は持っていない。
仕方なくひなたはしわくちゃのブレザーをしっかりと羽織り直す。
息を吐き出すと、走り出した。国立も後を追った。もう、マスコミは彼女を追おうとはしなかった。
目の前に集団でしーさいどの指定された距離ギリギリだと思われる場所に待機していた警官隊。対テロ組織なのだろうか、本格的な重装備に身を包んだ人達だった。巨大な金属製の防弾盾を構え、突入のタイミングを図っている最中だと思われた。人数にしてかなりのものだ、ざっと見た限り百人ほどいるのではないだろうか。
「みんな帰って! 突入しちゃダメ!」
ひなたは拡声器片手に、警官隊の前に回りこんでいった。どよめきが起きる。いきなり目の前に拡声器を持った少女が現れた事で、明確な言葉こそ出ないものの、邪魔だというような罵りが小さく聞こえる。
「すぐさまお前ら帰れ! この子の言う事を聞くんだ!」
国立も拡声器は無いが叫ぶ。ひなたは拡声器を口に当てた。
「お願いあたしの言葉を聞いて! 今犯人達を刺激しないで! 取り返しの付かない事になっちゃうよ!」
警官隊の後ろから一人のスーツの刑事が歩み出てきて、下がらせようとばかりに腕をつかんできた。ひなたはつかまれた腕を振りほどこうとしたが、男の力には勝てなかった。あっさりと拡声器を左手からもぎ取られ、ひなたは無理矢理刑事に引っ張られた。
「なにすんのよ! やめて! このままじゃ」
「ここは危険だ、下がりなさい」
「こら、離せ!」
その隊員に向かおうとした国立も、数名の刑事により押さえつけられ、後ろに下がらせられた。
「あなた達だって危険だよ! 突入なんてしないで!」
「だがこのままこう着状態が続けば、人質達の消耗も激しくなる。一気に制圧する方が得策だ」
「ダメ! あいつら頭おかしいんだから! 犯行声明でも言ってたでしょ、警察は介入するなって!」
「だが私達には私達なりのやり方がある」
警官隊の後ろの方に連れ戻されたひなた。刑事が一瞬手を緩めた瞬間、ひなたは振り払って警官隊の正面へと戻ろうと走り出した。刑事はしまったとばかりに追いかけるが、遅い。彼女はだいぶ差をつけていた。
「突入! 突入! 突入!」
「え?」
どうやらひなたが後ろに連れ戻されている間に、警官隊に突入命令が下ったらしい。きっと犯人達の隙を伺っての事だろうと思えた。
勢い余ったひなたは走り出した警官隊の群れの中に飛び込む形になってしまい、体当たりでうつ伏せに弾き飛ばされ、男達に轢かれた。
「きゃああああ!」
普段から訓練をしているであろう警官隊の男達。ひなたは大勢の隊員にその強靭な足に履かれたブーツで背中を踏まれ、頭を蹴られ、足を潰された。痛みに悲鳴を上げるも、大勢の警官隊の足音にかき消されていた。
「神崎!」
国立は後ろで刑事に押さえられながら、その様子を見ていた。無理矢理怪力で刑事の腕を振りほどくと、ひなたに走り寄った。既に警官隊はしーさいど桜ヶ崎へと突入を開始してしまった。もう止める事はできない。
警官隊の集団に踏み潰されたひなたは、意識はしっかりしていたものの、ボロボロだった。無駄毛すらほとんど無いほっそりとした白い足は何度も蹴られて細かい傷が出来ていたし、咄嗟に顔面を庇った右腕には鋭い刃物で切られたような裂傷が生じていた。血も流れている。腕で庇わなかったらその傷は、彼女の色白の顔を深く傷付けていた事だろう。それだけは幸いに思えた。普段はストレートで誰もが羨む綺麗な髪も、埃だらけでぐちゃぐちゃだった。
「せんせい。あたし、止められなかったよ……」
泣きそうな声で悔しそうにひなたは言った。でもひなたは痛みを堪えて泣かなかった。それを見た国立は体育会系の男には似合わないうっすらと涙を浮かべて、力強く返した。
「喋るな。絶対に先生が助けてやるからな。神崎は頑張ったな。だけど、彼らには伝わらなかった。もういいんだ、気にするな……」
「せんせいは、やさしいね……」
ひなたは国立の背中に負ぶさると、しーさいど桜ヶ崎をゆっくりと後にしていった。直後、背中にそびえるしーさいど桜ヶ崎で、巨大な爆音が響いた。何か大きなものが崩れる音。そして、ほぼ同時に目線の高さでも爆発が起きた。二度目の爆発。地上高く吹き上がるキノコのような爆炎と激しい黒煙。
しーさいど桜ヶ崎の屋上では、ニヤリと不気味な笑いを携えた犯行グループの一人が、弾頭の付いていないロケットランチャーを構えて、居座っていた。ひなたは、その二つの爆発がとても恐ろしくて、防げなかった惨劇を目の当たりにしたくなくて、しーさいど桜ヶ崎へは振り返らなかった。
国立は、唖然としている刑事達の集団の真ん中を通り、大声で一言発した。
「これで分かっただろう。何故、この子の言う事を聞かなかったんだ。あれだけ真剣に訴えたにも関わらず! この子は自分の身を投げ出して怪我を負ってまでも止めようとしたんだぞ。それでもお前らは耳を貸さなかった。見ろ、その結果がこの有様だ! 良く考えてみるんだな、間違っていたのはどっちだったか」
突入した警官隊からの無線は、繋がらないようだった。雑音が聞こえるばかりで。誰一人として、その場に居た刑事達に応答する者はいなかった。ただ最後に聞こえた、巨大な爆音と絶叫だけを刑事達の耳にいつまでも残響という形で残して。




