第16話 第三章 ―イヴ― 3
「か、神崎! 何でここにいるのだ」
「えーと、ちょっとそれには理由がありまして……」
浅黒い肌のがっちりした大男は、ひなたの学校の体育の先生。同時にクラスの担任教師『国立 良哉』先生だった。大柄な体格にも関わらずフランクで誰にでも優しく、頼まれると断れない情に脆い所のある親しみやすい先生なのだが、生まれもってとても運が悪いという噂のある憎めない人だ。だがその運の悪さは日常生活レベルでの小さな不運らしいので、ひなたのような格の違う運の悪さには勝てないだろうが。
ひなたは国立の右手に持っている袋の中身を見て言った。
「先生、ビールと柿ピーと週刊少年ステップなんか持ってドコへ行くんですか」
「これから飲み会だよ」
流し目で皮肉っぽく国立は言う
「こんな昼間からですか? 誰と」
「あー悪かったな、借りてきたビデオ見ながら一人でヤケ酒だい。クリスマスイヴだってのに彼女もいねーんだから仕方ないだろうが」
国立は溜め息を一つこぼして己の不運を嘆いた。ひなたはそんな国立の姿を見て何かを閃いたらしく、ニヤリと笑みをこぼした。
「じゃあ先生、あたしと今日一日付き合ってください」
「……はい?」
普段は大人しく遠慮がちで、消極的なひなた。それも、よりによってこんな日に街で偶然会った際にこんな事を言われもしたら、変な意味で取られてもおかしくはないだろう。
有無を言わさず、太い右腕にがっしりとしがみ付くひなた。まるで援助交際現場と思われてもおかしくない。国立は嬉しいやら慌てるやら、滅茶苦茶な顔をしていた。
「お、お前、やめろ。誰かに見られたらその……まずいだろ」
とはいえ、若い女の子に抱き付かれるのは悪い気はしないらしく、言葉とは裏腹に顔はどこかニヤニヤしている。
「じゃあ先生、行きましょうよ。先生スポーツカー持ってるんでしょ? 乗せてください。今日一日」
つまりひなたは、国立が車を持っているのを知っていて、乗せて回ってもらおうと考えたのだった。バスでは時間が掛かるため、足代わりにしようというわけだ。
――人の心の弱みに付け込むみたいで悪いけど、今はなりふり構ってらんないの。
どんな事をすれば男が喜ぶのかなんて、彼女は知っている。だがそれを悪用するのには少々心は痛むようだった。ひなたの心の中に、迫り来るタイムリミットへの焦りが生じている。時間的には折り返し地点まできているのだ。
「神崎、何考えてるんだ。オレとお前は教師と生徒でだなあ……」
その時、不意にひなたのケータイが鳴り出した。小さな世界のオルゴール調のメロディが辺りに小さく流れる。
「電話?」
取り出したケータイの画面。相手は日立海斗。すぐに彼女は耳に押し当てた。
「もしもし、海斗君?」
いつになく焦った海斗の声がびりびり聞こえた。
「僕だよ。聞いてくれ、ついさっき手に入れた情報なんだけど、マズイ事になってる。言う事聞かない馬鹿な警察が、しーさいどに突入準備をしてるみたいなんだ。もう警官隊がしーさいど桜ヶ崎に向かってるらしい!」
「え、なに考えてんのよ! あいつらの犯行声明、警察は見てないの?」
ひなたの視線が、数キロ先のしーさいど桜ヶ崎へと伸びた。今ひなたの居る所からでも、巨大な商業施設は建物のてっぺんを誇らしげに見せびらかしている。まるで今の状況では、難攻不落の要塞砦のようにも思えてきた。
「まずいよ。あいつらまともじゃないんだよ! 今警官隊がしーさいどなんかに姿を現したら、なにしてくるかわかんないよ!」
「僕もそう思う。さっき必死で警察に抗議の電話をしてみたけど、無駄だった。時間が無い。直接行って引き下がらせるしか方法は無いよ!」
「わかったよ、あたし行ってみる。絶対に止めなきゃ。海斗君は?」
「ダメだ。今、桜ヶ崎の市外にいるんだ。今からそこに向かうには遠すぎる!」
ひなたは息を呑んだ。今警察に介入されては、全ては水泡に帰す。恐らく、奴らは何の躊躇いも無く爆弾を爆破するだろう。もしくは人質を盾にするのは勿論、殺しに掛かる可能性だってある。占拠した時の様子を見れば分かる。どう考えても狂人の集団だ。まともな人間の理性は期待するだけ無駄かもしれなかった。
ひなたはケータイを仕舞うと、呆然として彼女を見ている国立に向き直った。
「先生、今の聞いてたでしょ? お願いです、あたしを車で乗せていってください! このままじゃみんな殺されちゃう!」
国立は表情が強張る。
「お前、まさか巻き込まれてるのか……? しーさいど桜ヶ崎の人質爆弾篭城事件に」
「巻き込まれてるどころか、当事者です。さとりもエリカもリョウコも人質として捕まりました。きっと他の学校の子だって一緒に捕まってます」
「それじゃ、テレビで言ってた少女ってのは」
ひなたは頷いた。
「なんてこった……。ウチの学校の奴らも捕まったとは聞いたが、まさかお前らまでだったなんてな。昨日、午後から学校で緊急会議があってな、人質として捕まったと思われる生徒が把握できないせいで保護者からの電話が殺到したんだ。こっちとしても、人質になってるのか単に連絡が取れないだけなのか分からず、正直困ったが。
それにしても、神崎が犯人に指名された例の少女だなんて、ちっとも思ってなかったぞ」
「あたしだって、まさか自分がって気持ちでいっぱいです。だけど、もう後には引けない所まで来ちゃってるんです」
ひなたの目は強く訴えていた。それは嘘偽りでは決してない事をアピールするには十分だった。
「……行くぞ」
国立も真剣な眼差しで答えてくれた。キーを取り出し、車へと向かった。
環境に悪そうな黒煙を吐き、国立の白いスポーツカーはコンビニの駐車場から急発進した。しーさいど桜ヶ崎方面へと向かって。
「ちょ、ちょっと先生。安全運転してください! 怖いよ!」
左右に蛇行運転しながら、三車線の道路で車をすり抜けるようにして飛ばした。ひなたは助手席でシートベルトを締めているにも関わらず、左右にぶるんぶるん体が揺さぶられ、左上辺りに付いていた手すりにしがみ付いて耐えていた。
「しっかりつかまっていろ!」
「ムリムリムリムリムリムリ!」
カーステレオから流れてくる、国立のガッシリ男のイメージに合わないユーロビートが、どこぞの走り屋漫画を髣髴とさせた。ひなたはその激しい蛇行ぶりとスピードに全く付いていけず、ビビりながら口をあんぐり開けて成すがままにされていた。
コンビニからしーさいど桜ヶ崎へは、車で十分ほど飛ばした先に位置していた。現場付近まで到着すると、しーさいどからかなりまだ距離があるにも関わらず車が大渋滞を起こして交通が麻痺していた。どうやら警官隊が既に到着していて、その裏をマスコミのカメラマン達が大挙しているようだった。オマケに、またどこかの局のヘリが空中からその様子を映している。近づかなければロケットランチャーで撃たれないだろうという甘い考えでもあるのだろう。だからこそ性懲りも無くヘリを出動させているのだ。
この平和な日本で繰り広げられている、巨大なテロ活動に対抗する警官隊の突入劇。これ以上ネタになりそうなものはないだろう。マスコミがこれだけ反応するのも無理は無い。だが止めさせなければならない。警官隊がもししーさいど桜ヶ崎の半径三百メートル以内に入ってしまった場合、最悪の結末が考えられる。
渋滞に巻き込まれ、信号が青になってもこれ以上は進めなかった。仕方なく国立は空いていたスーパーの駐車場に車を停める。
「先生、走っていこう!」
「うむ、これはマズイ」
国立も犯行声明をテレビで見ていたようだった。このまま警官隊が何も考えずに進み入ってしまったらと考えると、非常にまずい展開である。
三車線もある国道は、人々で押し固められていた。ひなたと国立は、どこから集まってきたのか分からない野次馬達を押し退け、前へと進んでいった。今日は土曜日という事もあって人が平日以上に集まっているのだろう。
この騒ぎに、民間人までもが反応して集まってきているらしい。中には、「警官隊は進むのを止めろ!」と拡声器を持って抗議している人もいた。やはり同じ考えの人達がいるらしい。抗議している人だけではなく、このまま進ませろと怒鳴る人もいた。「しーさいどにはあたしのお母さんが人質になってるのよ! 助けなきゃ!」と叫ぶ若い女も居た。殴り合いの喧嘩に発展している人達もいる。街中が戦争状態のようだった。既に何がどうなっているのか分からない。自分の隣にいる人間が敵なのか味方なのかすらも。
――なによこれ。おかしいよ。みんなおかしいよ! 狂ってる!
警官隊の判断も適切じゃない。マスコミの判断も適切じゃない。民間人の野次馬達も適切じゃない。どれもこれも適切じゃない。ひなたは頭の中がぐちゃぐちゃになるような思いをしながら、人々を掻き分けていった。
ひなたは落ちていた、誰のだか分からない拡声器を手に取った。こんなものでも使って叫ばなければ、とても警官隊全員には声は届かない。
どうやら警官隊とマスコミ、野次馬達で層が分かれているようだった。だが若干、野次馬達の暴走ぶりを中継しているカメラマンも見受けられる。まるで惨劇の舞台。罵声を暴力で返し、暴力を罵声で返す。怪我を負って倒れている民間人もいる。野次馬の群れを抜けたひなたと国立を待っていたのは、大掛かりなカメラ機材を抱えたマスコミの群れだった。




