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第15話 第三章 ―イヴ― 2

 クリスマスイヴの天気は、どんよりとした灰色の曇り空だった。気温もかなり低い。朝食を摂りながら見た天気予報では、今日いっぱい曇り空で、明日は天気が回復するとの事だった。だが気温は全く上がらないようだ。

 朝の九時だというのに、既に夕方のように薄暗い空。雨を気にしながら、ひなたは桜ヶ崎市立中央図書館へとやってきた。

――こんなトコ、小学校以来だよ。

 立派な石造りの外観の図書館は堅牢な造りであり、中世のお城のようなデザインにも見えた。無駄に凝っている。税金の無駄遣いとはまさにこの事ではないだろうか。

 観音開きの扉を開けて中に入ると、ひなたが昔通った覚えのある図書館とは内装がまるで違っていた。木製の床はタイルに張り替えられ、趣のあったアンティーク調の貸し出しカウンターは味気ないツルツルとした白い石造りのカウンターへと変わっていた。しかも本当に必要なのかどうか分からないが、奥の方にエレベーターまでもが見える。

――そういえば、ずっと前に改装しちゃったんだっけ。

 ひなたは早速、入り口のカウンターで事務仕事をしている男性に声をかけた。メガネを掛けて髪を七三に分けている。しかもポマードと思われる時代がかった臭いを頭から放っている男だった。

「すいません、過去の新聞の記事って見せてもらえるんですか?」

「ええ、貸し出し証さえあれば」

 男は素っ気無い声で言うと、やり途中だった仕事を一旦仕舞って応対した。

――時間無いのに。まどろっこしい。

 軽く舌打ちするひなた。舌打ちが聞こえたかどうかは分からない。

「貸し出し証、無いんですけど」

「今お作りもできますよ。当日から貸し出しも可能です」

「じゃあそうしてください」

 男は「これにご記入ください」といって紙を差し出す。ひなたは最低限の所だけ適当に殴り書きすると男に渡した。

「ではこれが貸し出し証です。大事にしてください」

 IDナンバーが刻まれたカードが手渡される。男は続けた。

「では新聞をお持ちしましょう。どの時期がよろしいでしょうか」

「九十六年から、九十八年くらいまでの新聞をお願いします」

 男は面倒臭そうに立ち上がると、「随分古い記事ですねぇ」と言いながらカウンターから出てくる。

「近くで座ってお待ちください。すぐにお持ちしますよ」

 ひなたは言われた通りに机に着いて待った。約三年分の新聞を調べるわけだから、相当な量になるのを覚悟していたようだ。それこそ、吐き気がしそうな量が運び込まれてくるだろうと思われた。

「お待たせしました」

 案の定、台車に乗せられた新聞紙の山が押されてきた。一台の台車で収まらず、二台にまでなっている。しかも見た目からして埃まみれになっているのが見て取れた。

「この中から調べるおつもりですか?」

 男は苦笑して、自らが運んできた新聞紙を眺めた。

「え、ええ、まぁ……」

 ひなたも覚悟はしていたとはいえ、実際にその山を見ると勢いに気圧されそうになっていた。

「では、終わったら声を掛けてくださいね」

 と言い残し、男はカウンターへと戻っていった。汚れないためだろう、手にはめていた黒くくすんだ軍手を外すとゴミ箱へと突っ込んでいた。その様子を見て、ひなたは埃まみれの新聞紙に触るのに抵抗を覚えていた。

「……でも、やんなきゃ」

 意を決して新聞紙を何部かまとめて手にする。ざらっとした埃の感触が手に付く。鳥肌が立つような思いをしながら、ひなたは一枚ずつ記事をめくっていった。

 軽くでいいから、それらしい記事があるかどうかを素早く目で追って探した。外れの新聞紙を放ると、辺り一面に埃が舞い踊る。目の前にフィルターのように立ち塞がり、ひなたはむせ返った。

「げほっげほ! なんなのこの埃」

 他の客は「うるさいな」という風に流し目でこちらをちらちらと見ている。勉強している大学生のような男性、ペットの飼い方の本を読んでいる女性。絵本を読んでいる子供。その誰もがひなたを見ている。

 ひなたは気まずそうに軽くお辞儀すると、なるべく気にしないようにしながら調べを続けた。一部を入念に調べているわけではない。それらしいものが見つからなければその新聞はすぐに山に戻される。そのお陰で、三年分ある新聞紙だがけっこう早い速度で調べられていった。

 調べ終わった新聞紙の山が、一か月分、三か月分、六か月分、と溜まってゆく。開始して三十分ほどで、九十六年の一年分を調べたひなた。続いて九十七年。世良が失踪した年。だがそれらしい記事は全く見つからない。

――残りは九十八年。これで何も見つからなければ、新聞には何も手がかりは無いかも。

 藁をもつかむような気持ちで、ひなたは調べを続けた。五月、六月、七月。何も見つからない。既に用意された新聞のほとんどを調べ終わったひなた。八月に差し掛かる。

――八月二十五日……外れ。二十六日……あれ?

 どこかで見た事のある名前が一面に出てきた。『株式会社越前屋』。先日調べた、小田原建設株式会社の親会社であったはずである。デパート業界の老舗であり、日本人なら誰もが知っている会社だ。

 ひなたは何の記事なのか興味を持ち、食いついた。

『越前屋社員、大手取引会社相手に汚職!』との見出しが大きく付いている。相手は……杏条ニューロン株式会社。

――これだ!

 ひなたの直感が、コレに間違いないと言った。越前屋と杏条ニューロン、昨日からずっと出ていた二つのキーワードがここで一致する。神崎世良が失踪したのは九十七年の十二月。この記事は九十八年の八月。時期的にも近い。何かあるはずだった。この記事に何かが。ひなたは心臓が早鐘のように鳴り響き、興奮する。だが何とか高ぶりを押さえつけて記事を読み始めた。

『犯人、足立茜容疑者(三十七)は、同年八月の頭にかつてよりの取引相手の会社であった、杏条ニューロン株式会社相手に、杏条ニューロン側の機密情報を現金でおよそ一億二千万円で買い取る事を条件に取引した疑い。足立容疑者は収賄の容疑で逮捕された。杏条ニューロン側の取引に応じた犯人、松影隆一容疑者(二十八)もまた同じく収賄容疑で警察に逮捕され、大方罪を認めている』

 ひなたの頭に情報が流れてくる。いつの間にか独り言を漏らしていた。

「一億二千万円で売り飛ばした、杏条ニューロンの機密情報……」

 何かがある。一億二千万円もの値段で取引されるような秘密が。ひなたには嫌な予感がした。このまま調べ続けると、とんでもないものを見てしまうような。だが、調べないわけにはいかなかった。

――この当時の二人の犯人に接触できれば、なにか聞き出せるかも。

 この記事から既に十二年の歳月が経っている。多分もう、刑務所は出所しているだろうと思えた。杏条ニューロンの所在地は東京都であるため、その近辺に在住している可能性も無くはない。

――海斗君のお父さん、そういえば調べ物は得意だって言ってた。なにか情報網でもないかな。

 海斗の父親は神奈川の県議会議員だ。色々な方面に精通した人物達とも幅広く交流があるらしい。人海戦術で探ってもらえれば、どこにいるか分かるかもしれない。あくまでも『かもしれない』の領域だが。

 ひなたは先ほどの記事のコピーを取り、さっさとカウンターの男に「終わりました、ありがとうございました」と告げ、足早に図書館を後にした。ケータイを素早く操作する。呼び出し音が鳴る。目の前にケータイを置いてあったのだろうか、すぐに海斗は応じた。

「もしもし、どうした神崎」

「あのね、海斗君。今すぐ行方を調べてほしい人がいるの。ちょっと図書館で過去の記事を調べてね。怪しいのをつかんだの」

「ホントか。よし、その人の名前を教えてくれ!」

 海斗はどうやら父親の運転する車で移動しているようだ。カーステレオから流れるラジオ音が聞こえる。あれからしーさいど桜ヶ崎に関する変わった報道が無いかどうか、聞き逃さないようにしているのかもしれない。

「一人は足立茜。元越前屋社員。もう一人は松影隆一。こっちは元杏条ニューロン社員だよ」

 電話の向こうでメモ帳に書き殴っているカリカリ音が聞こえる。

「越前屋と杏条ニューロンだって? 確かに怪しいなあ」

「でしょ? この二人、九十八年に杏条ニューロンの機密情報を取引したとかで逮捕されてるよ。その機密情報って、かなり……アレっぽくない?」

「臭うね」

 海斗は電話の向こうで、運転席の父親にメモを見せているようだった。「分かった、探らせてみよう」という父親の声が小さく聞こえる。

「調べるのにちょっと時間かかりそうだ。待ってる間も、他の事を調べてみてくれ」

 海斗はひなたの言う事を信じてくれた。ひなたも強く頷き、電話を切った。

 もしかしたら今回のこの事件は、思っていた以上に複雑な事情が裏に渦巻いているのかもしれない。単なる篭城事件が起きて、犯人の要求として一人の女性が求められている。それで終わりではなさそうだった。

 それとは別で、神崎世良の行方自体も直に追わなければならない。今調べている記事の事を調べ続け、そこから考える手もあるが、それでは時間が掛かりすぎる。あと二日間しか無い以上、のんびりとはしていられない。別方面も考えなければならなかった。

――当時のお母さんの知り合いに話を聞けないかな。もしかしたらなにか知ってるかも。

 父の話で知っている人物と、ひなた自身も会った事があり、家を知っている人物。世良の友達だった人物。ひなたは何人か覚えがあった。

――だけどこの場所から行ける距離だと、家を知ってる人は水俣おばさん一人しかいない。

 当時の世良の知り合いに話を聞きに行って、もし居場所が分かったとしても、地方などに行ってしまっては二日間では到底戻って来れない。その間に文字通りゲームオーバーになってしまう。すぐ近くに居る人で考えなければならなかった。

――水俣おばさんに話を聞いてダメだったら、この線で調べるのは諦めよ。

 水俣おばさんの家は、隣の川崎市に入ってすぐの団地の中だった。この桜ヶ崎市は、東京都の大田区と神奈川県の川崎市に上下に挟まれたような地形の上に存在している。市自体は横に細長く、隣の町へは割と短時間で移動できる。

 次に、川崎市へ向かうに当たって新たな問題が立ちはだかった。電車は昨日のしーさいど桜ヶ崎の事件のとばっちりで爆発炎上し、今も復旧の目処が立っていないようだった。犯行グループの声明により、復旧のために近づく事すら出来ないのだ。事件の巻き添えで駅に取り残された人々は、助けが来ない以上自力で脱出するか、そのまま死にゆくかのどちらかの道しか残っていなかっただろう。あれから一日経っているが、どれだけの人が生き残れたのかは全く分からない。

 こうして見ると、街中の至る所にあるタクシー乗り場やバス乗り場が大盛況である。目の前にもバス停があるが、行列が出来ている。確かに、電車が使えない事で交通にも麻痺が見られた。時間が多少掛かるが、バスで向かうのがこの場合は確実かもしれなかった。

――行く前に、ちょっとコンビニでも寄って休憩しようかな。

 図書館で調べ物をしていた時から、ひなたは全く休んでいなかった。疲れも溜まっているだろう。ここから百メートルほど進んだ所にあるコンビニが一番近かった。

 ひなたはコンビニの入り口まで来ると、中から出てきたコートの大男にぶつかりそうになって慌てて避けた。

「わっ……」

 ぶつかりそうになった男も、前を良く見ていなかったらしく、「すいません」と軽く言うとそのまま背を向けて立ち去ろうとした。

 ひなたは男の横顔を見てぱーっと明るくなった。まるで、探していたものを見つけたかのように。

「せんせーい!」

 ひなたは男に向かって背中から抱き付いていた。子供っぽい仕草で甘えるように。

「な!」

 男は抱き付かれた事に驚いて振り返ると、仰天した。

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