第14話 第三章 ―イヴ― 1
第三章 ―イヴ―
あたしの今目の前に、鉄格子がある。なにかがその向こうに居るようだった。あたしはなにが居るのか気になって近寄った。
広く薄暗い部屋の中に現れたそれは、単なる鉄格子ではなくおおきなな鉄の檻なのがわかってきた。臭いも感覚もしない。だけど音は聞こえた。
「助けてください」
あたしの耳に確かにそう聞こえた。ぼやけた視界の中、鉄格子の向こうに一人の女の子の姿があった。黒髪の女の子。白いぼろぼろのワンピース一枚でそれ以外にはなにも身に着けていない。震えてかじかんだ裸足。いつ鎖を外してもらえるのかわからない子犬のようなか弱さ。
「あたしを、助けてください……」
また聞こえた。あたしは目の前の子を檻から出したほうがいいのかな。でも、手も足も感覚がない。視線を下げて左手を見ようとしても、見当たらない。右手だって。そもそも、体の感覚がない。あたしは、ここに居るのにここに居ないみたい。だから、目の前の子は助けられない。
「お願い、助けて……。なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないの。ここから出して。ここは寒いの。痛いの……。ひなた、ここから出して……」
あの子、誰なのかな。どんな顔してるのかな。暗くて良くわかんない。なんであたしの名前を知ってるんだろ。ちょっと怖いけど、勇気出して良く見てみようかな。
陽詩だった。檻の中にいるのは神崎陽詩だった。なーんだ、あたしは最初からあの中にいたんだ。なるほどね、だからあたし体の感覚も無いんだ。だけど、なんであたしが檻の中にいるの? あたしはここにいるんじゃないの? なんで? なんで?
なんで……?
ひなたは布団をガバッとめくって起き上がった。ブレザーを脱いだワイシャツ一枚では、冷え切った空気の中辛かったらしく、すぐに慌てて布団を体に掛けてもう一度横になった。
「また、あの夢見たんだ……」
掛け布団から両目だけを出して、天井をぼーっと見つめる。何かを訴えかける、もう一人の陽詩が登場する夢。もしかしたら、やはり昔の記憶が関係している夢なのかもしれなかった。
――まだ、全然良くなってないじゃん。
お洒落な焦げ茶色の絨毯の敷いてある洋式の寝室に、ひなたは夕べから一人で寝かせてもらっていた。客間のようだった。ふと壁の時計に目を走らせると、時刻は丁度八時を指している。
十二月二十四日。二日目の朝が始まった。ひなたは思い切って体を起こすと、ハンガーにかけてあったエンジ色の制服のブレザーを羽織った。
とりあえずひなたは、恐る恐る一階へ降りてみる事にした。別に何も悪い事をしているわけではないのに、知らず知らずの内に、足音をあまり立てないようにしながら忍び足で階段を一歩ずつ降りる。他所の家に初めて行った時なんかは、こうなるような人もいるのではないだろうか。
「おはようございまーす……」
キッチンの方に人の気配がし、ひなたはゆっくりと挨拶しながら扉を開けた。
「あら、起きたのね。おはよう」
ダンスでも出来そうなほどに広々としたダイニングキッチンのテーブルに、海斗の母が緑茶片手に座っていた。テレビで朝のニュースを見ている。ひなたの姿を見たおばさんは、ニコニコしながらひなたを手招きした。
ひなたはおばさんの向かいに座った。
「海斗は今日、お父さんと一緒に色々調べるって言ってたわよ。夕べあれからね、あなたの事を海斗から聞いて協力する事にしたのよ」
「そうですか、海斗君が……」
嬉しそうな表情を浮かべ、ひなたは照れ臭そうにした。
「何だか、大変な事に巻き込まれたみたいね。でも安心して。私達はあなたの味方よ。海斗とお父さんは、もう朝早くに車で出発したわ」
「え、もうここにいないんですか」
起こしてくれればいいのに、とでも言いたそうにひなたは驚いた。当事者に黙って行ってしまうなんて、という感じだったのだろうか。
「あの子は、あなたを気遣っているみたいよ。あなた疲れてたんでしょう? 夕べお風呂に入った後、すぐにベッドに倒れ込んで眠ってしまったし。せめて朝くらいはゆっくり寝かせてやって、って」
「でも、歩き回らなきゃいけないのはあたしの方なんです。今のあたしには、休んでいる事は許されないし……」
おばさんはくすっと笑い、立ち上がってキッチンに向かった。
「もう少し肩の力を抜いたら? 確かに明日の二十四時までしか猶予が無くて、余裕が無いのは分かるわ。でも、気持ちばかり焦ってたって、仕方ないのよ。焦ろうが焦らまいが、あなたのお母さんが見つかる定めなら余裕見せてたって見つかる。どんなに頑張ったって見つからなければ、それは見つからない定め。だけど、きっと見つかるわよ」
本当に母親らしい笑顔で、ひなたに言い聞かせるように言うおばさん。こんな母親だったら、きっといい子供に育つだろうと思えた。
それが、日立海斗だ。真面目だが弱虫ではない。冷静な所もあれば熱くなれる所もある。母親のいい部分が受け継がれているような感じがした。
「そうですね。あたしヘタレだから、すぐにテンパっちゃうし。もう少し軽い気持ちで動いてみようと思います」
「そうそう。落ち着いて考えればおのずと道は開けるものよ」
おばさんはお茶のお代わりを汲むと、戻ってきてテーブルに置いた。
「ひなちゃんは、朝食はご飯? それともパン?」
「あたし、いつもパンです」
「じゃ、用意するわね」
「ありがとうございます」
おばさんは気風良く口笛を吹きながら、トースターに食パンを入れた。焼くのを待っている間に、冷蔵庫から玉子を取り出す。大きな年季の入ったフライパンにオリーブオイルを垂らし、火を点けた。
ひなたはその様子を見ていたが、コンロの火を見た瞬間、顔を素早く背けてテレビに向けた。後ろで玉子の焼ける香ばしい匂いが鼻腔を突くが、ひなたは料理している姿に見向きはしなかった。
「ひなちゃん、料理してる姿は嫌い? 女の子なのに」
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど」
ひなたはそれ以上その場では語らず、しわくちゃの顔の司会者のニュースを眺め続けていた。
朝食を摂り終わったひなたは、おばさんとケータイのアドレスの交換をし、早速捜査に出かける事にした。海斗とその父親だけに任せているわけにはいかないからだ。一人でも何か出来る事はあるはずだった。
――みんな、大丈夫かな。
しーさいど桜ヶ崎に置いてきた人質達の事が、ひなたの頭に過ぎる。あれから何も騒ぎが起きていないという事は、現場はこう着状態になっている事が考えられた。屋上からロケットランチャーで爆撃される危険がある以上、警察でさえも危険すぎて動けない。犯人側からの犯行声明で、躊躇はしない事が強調されているからだ。
――そういえばさとりは、足も撃たれてるんだった。手当てしてもらえたのかな。
あの無茶苦茶な要求をしてくる犯行グループの事だ、千人居る人質の一人や二人が怪我した所で、放っておくという可能性の方が高いだろう。あわよくば、一緒に爆弾であの世に道連れするかもしれない人間達だ。
――許せない。
ひなたは冷たい空気を吸い、頭をスッキリさせた所で一歩を踏み出した。
今の時点でやれる事はいくつかある。当時の神崎世良の友達や知り合いに片っ端から連絡を取り、消息を調べる。もう一つは過去の事件の資料などを引っ張り出し、杏条ニューロンや小田原建設などに関する記事がないかどうかを調べ、関連性を考え出す。もしかしたらそこに、大事な手がかりが埋まっている可能性もある。
どちらかというと、後者の方が手近で楽な調べ方だった。過去の新聞の記事などは、近くの図書館にでも行けば数年分が貯蔵されていると思われる。閲覧する気ならさせてもらえるだろう。神崎世良が失踪した九十七年の前後三年分くらいを調べれば、何か出てくるのではないだろうか。
杏条ニューロンを疑うのは心苦しいひなたであったが、昨日の調べで何か怪しいのは分かっていた。あの会社は何かを隠そうとしている。それもかなり重要な事を。
「図書館に行こう」
誰に言うわけでもなく独り言を漏らすと、彼女は街中に向かって歩いていった。




