第13話 第二章 ―迷走― 9 Final episode
電話は、ひなたが自分ですると言った。海斗が掛けようとした所で、ひなたが言い出したのだ。何もかも世話になるわけにはいかないという、彼女なりの頑張りを見せたかったのかもしれない。 昔ながらの緑の公衆電話。狭苦しい電話ボックスには人一人しか入れない。海斗は外に出て夜空をずっと見上げていた。ひなたは受話器を耳に当てると、海斗がメモした紙に書かれている番号をゆっくりと押していった。小さな電話の呼び出し音が鳴る。
すると一コールで素早く電話は取られた。若い女性の高い声が聞こえる。
「お電話ありがとうございます。杏条ニューロン株式会社上野本社の、千葉でございます」
――繋がった!
ひなたは簡潔に用件を尋ねようと、落ち着いて言葉を発した。
「お尋ねしたい事があるんですけど。今はそちらを退職したと思われる人の事を聞きたいんです」
「はい、その方のご氏名の方はお分かりになりますでしょうか」
普通はプライバシーが何やらとかで断るべき場所なのかもしれないが、もしかしたら新人だったりでもするのだろうか。断らずに名前を聞いてきた。ひなたはチャンスとばかりに試しに言ってみる。
「神崎世良、という名前の女の人です」
「はい、カンザキセラ様ですね……」
電話の裏から何か声が聞こえる。歳のいったような男の人の声で、そこは取り次いではダメだと言っているのが聞こえた。
――こっちに聞こえてるって。
すぐさま千葉は電話に戻ってきた。何だか気まずそうな声で。
「お待たせ致しました。大変申し訳ございません。退職後の職員の個人情報は、プライバシーの遵守により公開する事は出来かねます」
「そうですか」
これは想定内だった。多分、今の時代なら大抵の会社がそういう方針で居るだろう。次の質問にひなたは移った。
「もう一つ聞きたい事があるんです」
「はい、どういった内容でしょうか」
何だか千葉は、早く電話を切りたいというような声色を見せてきた。きっとさっきのやり取りで気まずいと思っているのかもしれない。
「杏条ニューロンさんの第三研究所に行ってみたいんですけど、どこにあるんですか」
母が失踪直前まで勤めていた研究所。娘にも旦那にも場所を教えずに目の前を去ってしまった。知るには自力で探し出すしかない。
「少々お待ちください……」
童謡のオルゴール調の曲が流れ、保留状態になる。
――やっぱり新人さんなのかも。だったら知らなくても仕方ないよ。
ひなたは寛大な心を持って、千葉が戻ってくるのを待った。長い。かなり長い時間待っているように感じられる。誰もが知っている童謡の一番が流れ終わり、二番、三番と。曲が一周とちょっとくらい流れた時、ようやく千葉は戻ってきた。
「大変お待たせ致しました。地下第三研究所との事ですが、当社にはそのような施設は存在しません」
「……え?」
ひなたには一瞬、何を言っているのか分からなかったようだ。千葉は構わず続ける。
「第一と第二研究所のどちらかの勘違いかと思われます。ちなみに、第一研究所は箱根にあるヨーロピアンビルの二階に、第二研究所は山中湖スワンビルの三階と四階にございます」
「どういう事? 第三研究所が無いって……」
「はい、当社にはそのような施設が存在していた記録は……」
「嘘つき!」
ひなたは怒鳴った。まくし立てるように続ける。
「あなたさっき、『地下第三研究所』って言ったでしょ! あたし、ただ『第三研究所』としか言ってない! 存在しないんだったら、なんで勝手に『地下』って決め付けてんの!」
「あ……」
口ごもる電話の相手。ボロが出た。ひなたは『やっぱり』というような顔付きをした。
「第三研究所は一体どこなの。一体なにを研究してるの。神崎世良は? あたしのお母さんは一体どこで働いてたの? 教えてよ!」
「き、企業秘密のためにお答えする事は出来ません」
「はぐらかさないで。なにを隠してるの」
「当社は、医療向けの製薬が主な業務となっております。新薬の開発を」「そんなの知ってるよ! あたしが知りたいのはそれとは違う!」
相手が言い終らない内に、ひなたは怒鳴り返した。
「なによ、地下研究所って! なんでそん」
突然、『ブツッ』という音と共に電話は切れた。ツーツーという音が鳴り続き、入れたコインの時間が切れた事をひなたはやっと理解した。ゆっくりと受話器を元に戻す。
――きっと、これ以上問い詰めても無駄かも。杏条ニューロンは、確実になにか隠してる……。それも、お母さんに直接繋がるかもしれないとても大事な事を。
公衆電話から出ると、寒そうに震えている海斗がひなたに気付いた。
「その顔じゃ、いい成果は無かったみたいだね」
「成果は無かったけど、一つ明かになった事があるよ。杏条ニューロンはかなり怪しい。地下第三研究所がないとか言ってごまかしてきたし」
彼女にしてみれば、心苦しいだろう。自分のお世話になっている杏条家を疑っているようなものなのだから。
「明日、もう少し良く調べてみようか」
タイムリミットまであと丸々二日。その間に、十三年間もの間行方不明だった人物を見つけなければならない。奇跡というものでも信じたくなる。
「もう今日は休もう。杏条邸に戻るより、今日は僕の家に泊まった方がいいかもしれない。明日すぐに行動できるだろうしね」
初めて行く事になる海斗の家だったが、ひなたも首を横には振らなかった。杏条邸に戻った場合、直接何か影響があるとは思えないが、さとりが帰っていないのにひなた一人が帰ってくるという状況は不自然に映るだろう。両方戻ってこないのも確かに不自然だが、遊んでいるなどと考えれば、片方だけよりは理由に説明が付きやすい。
「あー……、でも神崎連れてって父さんと母さんになんて説明しようかな」
面倒臭そうに頭を掻く海斗。その平和そうな光景にひなたも楽しみだという風に笑みがこぼれた。
「友達だって言えばいいじゃない」
「そうしようか。変に誤解されるのも嫌だしなあ」
海斗の家は、ネットカフェのあるビルからバイクで十五分ほど走った住宅街にあった。他の家よりも庭が大きく、ここいら一帯でも一番大きいと思える敷地だ。犬を放し飼いにでもすれば、思い切りフリスビーでも投げる遊びをして駆け回れるのではないかと思える庭だった。金さえあれば小さなプールだって作れるかもしれない。
海斗が手招きして玄関から入ると、すぐに母親が奥から出てきた。気の良さそうな細身の女性だった。お洒落に着飾っており、栗色に染めた髪も良く似合っている。歳は四十ほどだろうと思えるが、遠目に見たらもっと若く見えるかもしれない。
「あら、お帰りなさい。って――」
海斗の後ろにちょこんと存在するひなたの姿を見て、母は目を輝かせていた。
「お、お邪魔します……。はじめまして」
遠慮がちに小さく言うひなたに、海斗の母はにっこりと微笑んだ。
「友達連れて来たから。ちょっと訳あって、今夜はウチに泊めるよ」
「あらあら、女の子に興味無いのかと思ったら、やっぱり男の子なのねえ。ちゃっかりしてるのはあの人にそっくりだわ」
「そんなんじゃないって……」
照れ臭そうに海斗が言うと、ひなたも同じように照れ臭そうにしていた。きっと二人してこういう態度を取るから周りは勘違いするのだろう。
海斗の母は、ひなたの赤い髪を見て何かに気付いたようだった。
「あら、可愛いカチューシャしてるわね。その黄色いの。私にちょっと見せてちょうだい」
と、海斗の母は手を差し出していた。ひなたは慌てた。外した時点で爆弾がドカンな以上、こんな場面で外すわけにはいかない。これで人質が皆死んだら間抜けすぎる。
「こ、これはダメなんです! 外しちゃいけないんです!」
「あら、そうなの? それ、プリムの最新作のやつに見えたものだからつい見たくなっちゃって。ゴメンなさいね。でも似合ってるわよ」
「プリムチャーチの、ですか? これ」
ひなたは頭についているそのカチューシャが、自分では見えないがどうやら海外の有名ブランド物だったらしい事を初めて知った。髪に通したあの時は、そんな事を考えている余裕は無かったためだ。
――でも、盗聴器と小型カメラ付きのカチューシャが似合うって言われても……。なんか複雑。
「母さん、とりあえず今日はもう休ませてほしいよ。あと、父さんを呼んできてほしいんだ。ちょっと大事な話があるから。母さんも聞いてほしい」
「分かったわ」
母は奥に戻ろうとして、振り返った。
「そうそう、あなたお名前は?」
ひなたに言っているようだった。
「神崎陽詩です」
「可愛い名前ね。じゃあ、呼び方はひなちゃんでいいかしら。海斗をどうかよろしくお願いね、こんなバカ息子だけど」
「は、はぁ……」
ひなたは何と答えて良いのか分からず、とりあえず返事だけしておいた。
「母さん、だから違うって……」
鼻歌を歌いながら、上機嫌で海斗の母は家の奥へと消えていった。どうやら完全にそういう仲なのだと思い込んでいるようである。
「優しそうなお母さんだね」
「うん、優しいよ」
偽り無く笑顔でそう頷く海斗を見て、ひなたも笑顔を浮かべていた。
――いつか、あたしもこんなあったかい家庭作りたいな。




