第12話 第二章 ―迷走― 8
「まるで、神崎そっくりじゃないか」
写真の中の神崎世良と、目の前に居る神崎陽詩を交互に見て、海斗は目を点にする。
「クローンまでとはいわないけど、この顔の一つ一つのパーツといい、母親そっくりだ」
「でしょ? まるでお父さんの血は全く混じってないって言っていいくらい瓜二つだよ」
自分でも呆れるくらいなのだろう。世良の写真は家の火事で全て燃えてしまったために、残っているのはこの写真だけなのだから。他の写真で本人かどうかを確かめる術は無い。が、この写真が本人で間違いは無さそうだが。
「神崎のお父さんは……、もしこの場に居たらどう思っただろうね。母親に似すぎてる娘を見て」
「お父さん……」
海斗は失言したなと思い、すぐに謝った。
「あ、ゴメン。つい……」
「お父さんは、お母さんを信じ続けてたよ……」
ひなたは俯き加減になり、顔が前髪で隠れた。
「体を壊しても働いて働いて、小さかったあたしを頑張って育てようとして、必死に毎日働いて働いて、毎日帰ってきたら湿布を体中に貼って、体が痛い痛いってそれでもお父さんは泣けなくて小さかったあたしを思いっきり抱き締めてくれて」
「神崎……?」
海斗は、その不審な様子に気付いた。だが彼女はボソボソと独り言のような事を言い続けて止まらない。
「安い給料の体に負担ばっかりかける仕事を続けて、お父さんは倒れてそれでもあたしは小さかったから何も知らなかったからワガママばかり言って、お父さんは忙しい中で授業参観も来てくれてお弁当も作ってくれて、休みの日は疲れた体に鞭打ってあたしを遊びに連れて行ってくれた! お父さんはいつも言ってた。お母さんはきっと帰ってくる。何事も無かったかのような笑顔で、遅くなったねって家族の所に帰ってくるっていつも言ってたよ。お父さんはお母さんが大好きだった。愛してた。その子供だったあたしの事もお父さんは愛してくれた。いつか家族三人でおいしいものまた食べに行こうってお父さんは笑顔で言ってた。なのにお母さんは帰ってこなかった! お父さんはあんな馬鹿な事故に巻き込まれて死んじゃった! 最期の最期までお母さんを信じてたのに、お母さんは戻ってこなかった! お葬式にだって来なかった! なによ、飲酒して泥酔したトラックが家に突っ込んだって! あたしはぬいぐるみ以外何も持ち出せなかった! お父さんは一階でトラックに潰されて! あたしが助けに行きたいって言ったら、消防隊員の人はあたしを押さえつけた! もしかしたらあたしが行ってたら助けられたかもしれないのに! お父さん、お父さん! あああああああああああ!」
ひなたは発狂したように、頭を抱えて奇声を上げた。前髪で顔を隠したまま、彼女は息遣いが荒くなる。髪で表情が見えないが、普段なら絶対に見せない苦悶の表情を上げているようだ。この世の終わりを感じさせるようなその声色は、聞いていてすくみ上がるような感情を起こさせる。
周りの客達も何の騒ぎだと声を上げていた。離れた席ではどうせケンカか何かだろうと罵る声もあった。
「おい、落ち着けよ!」
海斗も真っ青な顔色になって立ち上がり、ひなたの隣に向かった。頭を押さえている両手を引き離そうと全力でつかんだ。そうでもしなければ、彼女は頭をバリバリと掻き毟ってしまいそうだった。
「もうイヤ! なんであたしだけ! なんであたしだけ! なんであたしだけお父さんもお母さんもいないのよ! あたしを一人にしないで! 苦しいよ、あたしをもうこれ以上苦しめないで! ああああ!」
「一人じゃない。お前は一人じゃない! 僕が側に居るだろ!」
父親を亡くして以来、彼女のトラウマが引き起こす発作だ。だが医者から処方された向精神薬を欠かさず飲んでいれば押さえられるはずだった。
「そうか、薬……飲んでなかったのか!」
朝昼晩と、欠かさず飲まなければいけない薬を、綾瀬雅人という邪魔が入ったせいで昼に飲めなかったのだ。一度、重度の統合失調症に陥ったひなたは治療によって何とか日常生活が送れるレベルに回復したのだ。だがそれは未だに脆いものであり、薬を飲み忘れた場合、何らかの引き金で発作は簡単に引き起こされてしまう。根本的な回復にはまだまだ時間がかかるのだ。
今のひなたは恐らく、トラウマにより被害妄想を引き起こしていると思われた。海斗は薬の場所を探した。
飲ませてからしばらく経たなければ効果は出ないはずだ。早く飲ませて、症状が治まるまでここで暴れ出さないように押さえつけていなければならないだろう。
「薬、早く飲ませないと。確か右胸の内ポケットってさっき言ってたな……」
海斗は視線を送る。よりにもよって、一番厄介な場所に入っている。女の子の胸に手を突っ込んで中をまさぐるなど、相手を冒涜しているとしか考えられない。
周りの客が遠巻きに見ている。こんな所でいつまでも醜態は晒しているわけにはいかない。海斗は覚悟を決めた。自分の体でひなたの姿を晒さないような角度に移動する。彼女には申し訳ないが、薬を強引にでも取り出して飲ませるしかないだろう。
「悪い……」
背徳感に苛まれながらも、手を伸ばそうとする。彼女は焦点の定まらない目付きをしており、何かに怯えたような表情だった。
「あたしをたすけ……て。これ、で……」
「お、お前……」
今まで一度も無かった事だった。初めて、彼女は自ら正気を取り戻した。自分でポケットに手を突っ込み、震える手で海斗に薬を手渡したのだ。発作は収まっていないようだったが、自我はしっかりしていた。
「大丈夫だよ、安心してくれ」
大きく肩で息をする彼女の喉に、カプセルを水で流し込んでやる。しばらくするとひなたはようやく落ち着いてきたのか、力の弱い目で海斗の必死な顔を見つめてきた。
海斗は背後に客達や従業員の視線を感じる。店側としても、手出しをして良いのか判断が出来かねているのだろう。
「見世物じゃねぇ、失せろ!」
海斗は鬼気迫る形相で大声を出し、一喝した。店内が一瞬静まり返ると、皆何も言わずに席に戻っていった。だが遠巻きでじっと見つめ続けられているのは感じていたようだ。
「神崎、少し回復してきたのかもな。以前は自力で正気を取り戻すのには長い時間が掛かってたのに」
ひなたは疲労困憊した目付きで正面を見据えていた。海斗の言葉に返す気力も無いようだった。
ただ唇の動きが、「ありがとう」という言葉を作っていた。 午後七時二十分。ひなたの様子が安定するのを待って、二人はファミレスを出る事にした。薬が効いてきたらしく、精神的には安定してきている。
ひなたは、トラウマの事で感情が高ぶると暴走してしまう自分を責めた。特に、父の事を思い出すと自分でもどうしようもなくなってしまうのだという。
バイクに跨り、海斗は言った。
「だいぶ回復力も良くなってきてるみたいだね。精神的にも成長してきてるのかな」
先ほど、ひなたの為に本気でファミレス内で客達に怒りを示した海斗。あれだけの態度は、ひなたの事を相当想っての行動だったのだろう。
「こんな病気持ってる自分が、時々すごく嫌になるよ。周りにだって迷惑かけちゃうし。何より、暴走した後あたし自身がすごく苦しい。なんでこんな事しちゃうんだろうっていう後悔と、みんなへの申し訳なさで」
「でも、少しずつトラウマは克服できているんだろ。さっきの様子なら」
海斗は、なるだけプラス思考に持っていこうと思っているようだ。ひなたも、それは感じ取っていた。
「うん、お医者さんも『いい傾向が出てる』ってこの前言ってた。完全に発作が起きなくなったら、少しずつ薬の量も減らしていこうって」
「その内、そんな苦しい発作なんて綺麗さっぱりどっか行っちゃうさ」
「そうだといいけどね」
ひなたは溜め息を付いて言った。海斗は励ますように、返した。
「本当の苦しさはそういう表面上のものじゃない。カトリックのシスター、マザー・テレサもこんな言葉を残してるんだ。『本当の不幸は病気や貧しさなどではない。誰からも必要とされていないと感じる事だ』ってな。……思ってるんだろ?」
「……海斗君には隠し事できないね」
「そんな考え捨てちまえ。自分を救おうともしない奴が、他人を救える訳が無い」
いちいち言う事が気障ったらしかったが、ひなたには嬉しい説教に思えたようだった。
「うん……、もう少し前向きに物事考えられるように、努力する」
ひなたを後ろに乗せたバイクは、ライトを付けて夜の商店街に消えていった。
一日目の最後に、どうしても調べておきたい足取りを、海斗が捻り出したらしい。神崎世良へと繋がるもう一つの道だ。
「杏条ニューロンを調べよう」
小田原建設株式会社から何も出てこなかった以上、もう一つの道はそれしかない。十三年前まで神崎世良が勤めていた会社だ。何か埋もれている情報があってもおかしくはない。
「ちょっと心苦しいけど、調べるしかないよね」
ひなたは続けた。
「お母さんは、杏条ニューロンの第三研究所って所に勤めてたって聞いてるよ。その研究所になんか残ってないかな」
「第三研究所、場所は何処なんだろうか。直接本社に問い合わせて聞いてみるのが一番手っ取り早いか」
と海斗は言うものの、
「番号、知らないよ……?」
海斗も間の抜けたように溜め息を付いた。
「そんなもん、近場のネカフェかなんかで、ネットで調べればすぐさ」
「ネカフェ、あたし初めて」
「ありゃ、そうだったのか」
海斗は意外そうな顔をする。
ひなたはネットカフェには一度も入った事は無かった。一度入ってみたいなとは思っているようだったが。時間でお金を取られて、リクライニングのシートがあって、パソコンでインターネットが使い放題で、漫画が読み放題で、飲み物もおかわり自由、という極楽な施設であるという事は聞いた話で知っていた。
早速、商店街にあるビルの三階にある、小ぢんまりとしたネットカフェに入ってゆく二人。決して怪しい店ではないが、ひなたはそのビルの狭さや雰囲気にドキドキしていた様子だ。
「海斗君はこういうトコ、入った事あるの?」
「うん、僕の家ってここからちょっと距離あるからさ、家に帰るのが面倒くさい時にここで時間潰してたりもするよ」
――そういえば、何年か前に海斗君は別の家に引っ越したんだったっけ。
引っ越したとはいっても、市内の別の家に移り住んだだけだ。違う地域に行ったというわけではない。昔はひなたの家とも、杏条さとりの家とも近い場所に家を構えていたのだが。
「こんなトコに篭ってないでもっと運動しようよ、運動!」
階段を登りながら、叱り付けるようにひなたは言った。
「はいはい。うるさいな」
分かってますよとでも言いたそうに、海斗はスルーした。まるで本当に手慣れた夫婦のようなやり取りにも見える。
狭苦しいビルの三階に上がると、突然ネットカフェの入り口に入る。人一人が身を細めてやっと通れるくらいの通路で仕切られた店内。漫画のぎゅうぎゅうに詰まった本棚が、立体迷路のように多方面に敷き詰められている。両手を伸ばすなんて野暮な事をしなくても、全ての物に容易に手が届きそうな狭苦しいカウンター内で、更に狭苦しそうに店員がもぞもぞと動いている。
いかにも『一部の人間で熱狂的にウケる分野』に両足を突っ込んでいそうな感じの、肥満体系の太い黒縁メガネを掛けた、二十歳前後と思われる女性がやる気無さそうにダラけて「いらっしゃいませー」と言ってきた。
――海斗君もそうだけど、この人ももう少し体動かした方がいいよ。
ひなたは表情を変えなかった。
「二人掛けの席とか空いてませんか?」
海斗は尋ねると、やっぱりやる気無さそうに女性は答えた。
「すいませぇーん、今日ぉはぁー、混んでるんですよぉーぅ、今ぁー空いてるのはぁー、そっちのぉ端っこのぉー、一人掛けの席だけなんですよぉー」
脂肪の垂れ下がった二の腕を重そうに上げ、ソーセージみたいな指で空いている席の辺りを指す。やる気の全く無さそうな、やたら語尾を伸ばしまくる喋り方にイラつきながら、海斗は「じゃあ仕方ないか」と言って先に向かっていった。ひなたは入り口に置いてあったドリンクバーから烏龍茶を二杯汲んで後を追いかけていった。
「狭い個室だな」
海斗はパソコンに向かい、リクライニングのシートの後ろにひなたがしがみつく形で、二人して画面を見つめていた。
「うがぁぁー!」
「ぇ?」
隣の個室から何か男性のごっつい唸り声が聞こえた。キーボードを叩いているのだろうか、ガシャンガシャンと音がする。ひなたは一体何を騒いでいるのかと気になったようだが、
「気にするなよ」
と海斗は何事も無かったかのようにスルーする。ひなたも関わらない方が良さそうだと判断したらしく、頷いて画面に戻った。
「杏条ニューロン株式会社、と……」
ホームページからの検索で、簡単にその名前はズラズラと無数に出てきた。その内、海斗は慣れた手つきで公式のホームページを開く。コンピューターなどほとんど扱った事の無いひなたには、海斗のやっている事を見守るしか出来なかった。
退屈そうにしながら見ているひなたに、
「待ってる間、漫画でも読んでれば?」
という海斗だが、こんな状況でゆっくり読むような心の余裕は、彼女には無かったようである。
「こんな時でもなければ、読んでみたいのもけっこうあるんだけどね。今はムリ」
烏龍茶を飲み干し、紙コップを口でくわえて暇潰しに遊ぶひなた。
シートの縁に顎を押し付け、ぼーっと画面を見つめる。
――あれ、なんか視界がぼやけて……。
ひなたの目からの世界が、写真のピントがズレたようにぼやけた。水の波紋のように波のようにうねり、気が遠くなってくる。
――疲れてるのかな。
「見つけた、この番号だ」
海斗の言葉にびくんと反応し、ひなたはだらりとさせた頭をまっすぐに戻した。すると、視界もいつの間にかぼやけたものから元に戻っていた。
「あ……うん」
ひなたは寝ぼけているような間の抜けた声を出した。先ほどの感覚が何だったのかは分からないようだったが、彼女は前にも似たようなデジャヴのような感覚がした事があった。
――きっと、疲れてるんだ。
「ここで電話するわけにはいかないし、外の公衆電話を使おう。それなら足は付かないだろうし」
海斗は目的のために頑張っている。ひなたも、自分も頑張らねばという風に溜まった息を吐くと、立ち上がった。




