第11話 第二章 ―迷走― 7
「くそ、これでまた振り出しか」
海斗は地団太を踏みながら、窓の眼下に広がる景色に目を移した。既に時刻は六時近い。外は既に真っ暗になっている。時間からして、もう今日はこれ以上は進展は無さそうに思えた。調べるとしても手がかりもないし、何処を調べて良いのかも分からない。
「海斗君……」
ひなたも、その焦る海斗の様子に、親身になってくれているのだと感じた。
窓の縁に両肘を付き、海斗は悔しそうに言った。
「ゴメン神崎、お前の力になりたいのに。お前が本当に辛かった時、僕はただ側に居て見ている事だけしか出来なかった。だから、今度こそ僕はお前を助けたい。だけど、一体どうすればいいんだか」
「ありがとう。あたし、その気持ちだけでもすごく嬉しいよ……」
同じく窓の縁に立ち、海斗と同じ目線で同じ景色を見る。彼の目からは今これと同じ景色が映っているんだという、変な共有感が彼女に芽生えた。
「どうしようか、もう外は暗いよ。何を調べればいいかも検討も付いてない」
海斗もさすがにお手上げの様子で、白旗を上げたいとばかりに笑って見せた。彼の頭も相当混乱しているようだ。ひなたも疲れた表情を見せたが、開き直って言った。
「ね、ご飯でも食べに行こう。落ち着いて考えればいい案も浮かぶよ」
海斗もしばらく迷っているようだったが、息を吐いて固まった顔の筋肉をほぐした。
「そうだね、二人とも焦ってちゃ進展なんか無いよな」
ポケットからバイクのキーを取り出すと、海斗を先頭に二人はエレベータに向かっていった。
市内にある黄色い看板のファミレスに入った二人は、煙臭い喫煙席から一番遠い、店の角にある対面式のテーブルに腰を下ろした。
「何にしようかなー」
ひなたは適当にメニューをめくりながら、いつの間にか鼻歌なんかを歌っていた。急いでいる状況でも、食事の時くらいリラックスしたいものである。
首を左右に揺らしながらあまりに楽しそうに歌ってるもので、海斗は笑いながら言った。
「それ、何の歌だっけ?」
「小さな世界、だよ」
海斗は「ああ、なるほど」と、曲名が思い出せてスッキリした様子だった。
小さな世界といえば、世界的に有名な、平和の象徴のような歌である。幼い子供から大人まで、多くの人に歌われ、愛され続けている歌だ。ひなたの思い出の地である東京ユニバーサルランドでも、ランドのイメージを代表する曲として常に人気を確立している。この曲名を冠したアトラクションは、世界中にあるユニバーサルランドでも必ず設置されている人気アトラクションとなっているほどだ。
「神崎、その歌好きだよね。気付くと良く鼻歌で歌ってるよな」
「うん、あたしの一番好きな歌だから」
きっとそれは、母の思い出と混合されているからなのだろう。母に最後に連れて行ってもらったあの日の東京ユニバーサルランドは、彼女にとって絶対に忘れる事の出来ない楽しい思い出なのだから。
「すいませーん」
ひなたは声を上げて制服姿のウェイターさんを呼んだ。白い歯の眩しい二枚目な男であった。胸ポケットにどこか気障ったく差し込んだ白いハンカチが目に障る。
「注文なんですけど」
「はい」
可愛らしい声を上げるひなたに、ウェイターは笑顔で近づいていた。彼女はそんなの気にしていないようで、指でメニューを指差していた。
「このデミグラペッパーオムライスと、洋梨のケーキを一つずつお願いします」
「かしこまりました」
いかにも女の子らしいチョイスだなとばかりに、海斗は苦笑していた。可愛らしいメニューを選んでいるが、別に彼女は誰にぶりっ子している様子も無い。素でやっているようだった。
「海斗君は何にするー?」
「えーと、じゃあ」
と仲良さそうに一つしか無いメニューを二人で見ている様子に、ウェイターはどこか残念そうな目を浮かべていた。
「これおいしそうじゃない?」
「何だよ、この『スペシャル十文字固め石焼きビビンバ』ってのは。名前からして訳わかんないぞ」
「いいじゃない、頼んでみなよー」
と、勝手にひなたはそのメニューを注文してしまった。
「まぁ……いいか」
海斗も諦めたらしく、メニューを置くと椅子に寄りかかった。置いたメニューは再びひなたの手に渡る。今からデザートのメニューでも調べているようだった。洋梨のケーキ自体が既にデザートだと思えるのだが。本当にひなたはデザート物が大好きなようであった。
「それにしても神崎って、さっきも歌ってたけど歌上手いよな」
海斗は、先ほどの彼女の音感と声質の良さに惹かれているようだった。歌唱力の良さは、彼女も自分で自覚している、唯一自慢できる部分のようだった。
ひなたは機嫌を良くしているようだった。
「あたしね、実は将来歌手になりたいんだ。ポップスとかでもいいし、なれるものならオペラ歌手だってなってみたい。子供が喜ぶような童謡だっていいよ。人を幸せに出来るような歌を歌いたいんだ」
「歌姫、か。いいねそれ。是非見てみたいよ、ステージ上で綺麗な衣装に身を包んで思いっきり歌う姿をさ」
声も音感も、容姿も抜群。それなりにいい曲を作って売り出せば、そのアイドル性も相まって確実に売れるだろうなと、海斗の目からでも期待できると思えた。きっと今年の文化祭の歌姫コンテストで優勝できたのは、容姿だけではなくその歌唱力も十分にある事が大きかったのではないかと思えた。出来るものならば今すぐにでも歌手活動を始めれば、花開くのは簡単なのではないかと思える。
だが、彼女の一番の壁はその境遇。置かれた理不尽さ。芸能界などとは無縁な環境に居る事だ。何か縁さえあればデビューも夢ではないと思えるのだが。
「もしステージで歌う事があったら、海斗君も見に来てね」
「あぁ、きっと行くよ。頑張って一番前のS席取って行くから」
「そしたら、歌ってる最中にステージから降りて特別に握手しちゃうから! みんな羨ましがるよ」
「ははは、いいね……そういうの」
海斗は窓から見える夜空を眺め、物悲しげな目をした。
「大丈夫さ。きっと……神崎ならなれるよ。歌手」
「うん……」
励ましで言ったのかもしれない。海斗は未来の行く末を案じてあえて明るい事を言ったのかもしれない。希望を失ったら終わりだからだ。今は冷たくて暗い日陰に居る彼女も、いつか陽の光を浴びる時が来る。そう信じて生きようという、言葉には出さない海斗の優しい心遣い。
「お待たせしました」
と、いっぺんに全て注文したものが運ばれてきた。二人は早速口に運ぶと、自然と笑みがこぼれていた。
「今の状況、軽く整理してみようか」
海斗は食事を口に運びながら、メモ帳を取り出していた。
「うん」
ひなたも頷く。
「とりあえず今わかってる事は、あたし達の手元にある情報は限りなく少ないって事。オマケに時間も無いし。だからといって、闇雲に動いたって時間を浪費するだけで手がかりは手に入らないよね」
「その通りだ。こっちは圧倒的に武器が不足してるんだ。まるで生身の人間が丸腰で戦車とか戦闘機に挑むのと同じくらい、無謀な挑戦さ」
ひなたはその様子を頭で想像したらしく、ナンセンスだと言わんばかりに首を横に振った。
「海斗君、お金じゃなくて人を要求してくるような時、犯人の目的はなんだと思う?」
海斗は即答した。
「金では絶対に手に入らないものを、手に入れようとしてる」
「やっぱりそこに行き着くよね」
考えられる真の目的はいくつもある。海斗は述べた。
「世の中には、金を出せば手に入るというわけじゃない物も多い。人の感情、思想、名声、地位、命、愛情、他には今すぐには思いつかないけど、考えればきっと色々ある」
「なにを考えて、あんな大きな犯罪を犯そうと考えたのかな」
「よほど大切な目的があるんだと思う。そのために神崎世良さんが必要なんだろうね。なあ、世良さんって一体どんな人だったんだろうな」
海斗は世良の事を良く知らない。ひなた自身ですら母の事を良く知らないままいなくなってしまったのだから、伝えられる情報は少なかった。
「お父さんからは、すごくミステリアスな女性だったって聞いたよ。なんでも、家族以外にはあまり感情を見せない人で、隠し事も多かったって。本当は家族想いですごく優しい心を持っていたのに、不器用なせいで一見すると冷血女に見えてたかもしれない、って」
「そうか……」
海斗はスプーンを片手に、話を熱心に聞いた。
「これ、お母さんの写真。多分あたしが生まれるよりずっと前の若い頃の」
犯行グループから渡された、母の写真を海斗に手渡して見せた。「どれどれ」
古ぼけた写真の色は、どこか年代を感じさせるものがあった。端っこが傷んでおり、少々黄ばんでいる。
「おい……、何だよこの人」
海斗は、神崎世良の写真を見て驚きの声を上げた。




