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第10話 第二章 ―迷走― 6

「じゃ、急いでて時間が無いから用件を簡潔に言うよ」

 海斗はおばさんがソファに座るのを待たず、置かれた紅茶に早速口を付けながら話し始めた。

「小田原社長はどうしてる?」

 おばさんはドキッとして、口をつぐんだ。だが隠しても仕方ないかと思ったのか、すぐに口を開いた。

「当面、マスコミには急性心不全の突然死という事で通す方針です。本当の事がバレるのは時間の問題かもしれませんが。あの人は、どうやら何者かに殺されたようなのです……」

 ひなたは呟く。

「やっぱり、殺されたんだ……」

「殺されたよう、というのは? それにいつ殺されたんだ」

 おばさんの表情が曇る。自分の旦那が殺された話をするのだから、辛くないわけがない。

「死亡時刻は、大体昨日の夕方頃だと聞きました。あの人は一昨日、昨日と出張で金沢に行っておりましたし、私はすぐ側にはおりませんでしたから、その時の事は詳しくは分かりません。

 一緒に行った社員の一人の話によると、夕ご飯を深夜に一緒に食べた後に、用意しておいた旅館の部屋に向かい、別れたようです。あの人は寝る時は一緒の部屋ではなく、一人部屋が好きでしたから、きっとあの日も社員の方とは別々の部屋を取ったのでしょう。

 そして翌朝になり、時間になっても部屋から出てこないあの人を不審に思い、社員の方がフロントで鍵を借りて部屋に入ったそうです。そうしたら……」

 おばさんは涙目になりながら、語っていた。どうやら旦那を亡くした事は相当精神的に来ているらしい。このおばさんも会社の経営には関わっていたはずであり、人事ではないのだ。

「あの人は部屋で全身を麻痺させて、目を剥き出して泡を吹いて倒れていたそうです。おまけに、一緒に出張に向かった社員の一人も朝の時点で行方不明になっています。恐らく、犯人はその社員だったのでしょう……」

 海斗は口を硬く閉じて、話を聞いていた。ひなたも痛々しいその話に意見する事も出来ず、その場に縮こまっていた。

「解剖の結果、胃の中の消化途中の食べ物からとんでもない物が検出されたと聞きました」

「それは、何だったんだ?」

 おばさんは少し名前を思い出すように、視線を上の方に上げた。そしてやっと思い出せたというように、その名を口に出す。

「確かテトロドトキシンという……、フグの毒成分が」

 ひなたもその名前は聞いた事があったようだ。口を開けていた。

「テトロドトキシンって、確か青酸カリよりも強い毒だって聞いた事が」

 ひなたも黙っておれず、言った。海斗はひなたに補足するように続けた。

「青酸カリの場合だと、もし食べさせて殺すのならば失敗も考えなきゃならないね。青酸カリはアルカリ性だから、皮膚に付いただけで刺激があるし、味も酷いって聞く。致死量も見た目ではけっこうな量があるって聞くし、混ぜてもバレる可能性があるね。飲み込む前に気付いて吐き出されるかもしれない。よくある推理小説みたいに上手くはいかないと思う。

 それと違って、フグの毒は多分、殺すのならば確実だね。青酸カリみたいな変な癖も無いみたいだし。未調理のフグさえ手に入れば簡単に毒は入手できる」

 おばさんは言った。

「でもあの人は、亡くなる直前にフグを食べてはいなかったようです。胃からはラーメンが出てきたそうですし、旅館の水道からは、嘔吐したと思われるラーメンの野菜の切れ端などが見つかったそうです」

 ひなたの腕に鳥肌が立っていた。話を聞いている内に気持ちが悪くなってきたのかもしれない。しきりに彼女は左手を落ち着かなそうにいじっている。

「神崎、大丈夫?」

 海斗が様子に気付いて話しかけた。彼女は気丈に、微笑して返す。

「大丈夫、平気だから」

 彼も頷いて話に戻った。

「その社員がフグ毒を持ち込んで、社長の食事に混ぜたと考えてもいいだろうね。でも一体、何の理由で殺したのか」

「その社員は、元々この会社にいた人物ではありませんでした。小田原建設株式会社は、『株式会社越前屋』の子会社ですから。その社員は越前屋からやってきた、いわゆる監視役のような存在でした。ただでさえ、汚れた会社ですからね、そういう人物が必要だったのでしょう……」

「でも、人殺しなんかしたら、それこそ越前屋の方に悪影響が出るぞ」

 するとおばさんは疲れたような顔をして言った。

「その社員ですらも、越前屋は商売敵のような存在だったようです。どうやら、他の会社にも縁のある二重スパイのようでしたし。もしかしたら越前屋グループを潰そうとして、あえてやった事なのかもしれません」

 海斗は食いついた。

「他の会社というのはどこだか分かるか?」

「さぁ、それはこの会社では知る人物はいないのではないでしょうか。果ては、亡くなったあの人でさえ……」

 三人が黙った。海斗の考えはどうやら少し違っていたのかもしれない。

「じゃあ小田原社長が殺されたのは、時期がたまたま重なっただけで今回の事件とは関係が無いかもしれないのか……」

 海斗は腕を組んで唸る。アテが外れたかもしれなかった。だとしたら時間を浪費してしまった事になる。

「あたし達、ある人物を探しててその過程で小田原さんの事を調べようと思ったんです」

 ひなたは遅すぎたが、自分達の目的を簡潔に述べた。

「そうだったんですか。でも残念ですが、私は力にはなれそうにありません……。今はあの人が亡くなった事でやる事も多いですし、悲しみに暮れる暇すら無い状況です」

「そうですよね……、こんな忙しい時にごめんなさい」

 ひなたはぺこりと深くお辞儀をした。主人を亡くした事で張り裂けそうなくらいに疲弊した奥さんに、無理強いをして語ってもらったのだ。至って一般人である彼女にとっても、痛い気持ちが芽生えていたのだろう。

――ホントに小田原建設って、しーさいど桜ヶ崎と全く関係無かったのかな。建設の時に何か取引したって……。

 何か聞いてみたい欲求に駆られたが、ひなたは喉の奥まで出掛かって止めた。本当に関係が無かったら聞くだけ失礼であるし、ひなたよりも真っ先にこういう事を考えそうな海斗でさえ、今は彼女の隣で頭を掻いて首を捻っている。どうやら彼の頭の中でもかなり難解なパズルになっているらしい。そのパズルをカチッとはめるためには、時間に追われたこの焦った状況では厳しいかもしれない。まだ、パズルのピースすらも全く足りないのだ。完成する訳が無い。

「ダメだ、考えれば考えるほどに分からなくなってくるよ」

 海斗もオーバーヒートを起こしたらしく、冷めた紅茶をすすりながらソファにもたれかかった。もしかしたらひなたの頭の中で考えていた事を同じように整理していたのかもしれない。

 複雑すぎた。今回のしーさいどの事件を平和的な解決に持ってゆくためには、単に要求された神崎世良をこの日本中の何処かから探し出して連れてくるだけではいけない。裏に渦巻いている事柄を紐解かなければ、何故に神崎世良が要求されているのかを知る事は出来ない。それを知る事が出来なければ、もし見つけ出したとしても平和な終わりにはならない気が、ひなたにはしていた。

 神崎世良を連れてしーさいど桜ヶ崎に戻れば、人質は皆解放、ひなたも解放……それで終わり。になるわけがない。世良は連れて行かれ、何なのか分からない犯人達の真の目的に利用されるのだろう。 だからこそ金ではなく、人を要求してきたのだ。もしその内容が、百億や一千億くらいの大金でさえも割に合わないようなとんでもないものだとしたら。金をいくら積んだ所でどうしようもないほどの目的があるのだとしたら。それは世界規模で『とんでもない事』が起きる可能性だって万に一つ無いわけじゃない。何十年も昔に子供向けの漫画か何かで流行ったような『世界征服』。それを本気で企む連中だって世の中にはいるのかもしれない。

 SF洋画のB級ドラマかなんかでありそうな話だ。ある科学者が生命体を生み出す。その生物は地球に優しいエコロジーな環境を作るために役立ってくれる、みたいな素晴らしい能力を持っているとして世界中から認められ、大量生産される。だが突然変異でその生命体が怪物化して、世界中の人々を死の恐怖に貶める、みたいな。

 今回の事件がそこまで大袈裟なものではないと考えても、奴らはそれに近い事を本気で考えている可能性だって無いわけじゃない。銃を持って爆弾を仕掛け、集団でショッピングセンターを占拠するような連中である。人を殺しても平然としているのだ。頭の中もまともだとは思わない方がいいかもしれない。もしかしたら神崎世良が、そのキーを握っている可能性だってある。実の子供であるひなたでさえも、母の実態は良く知らないのだ。

――あたしのお母さんは、科学者だったしね。神崎博士って呼ばれてたらしいし。

「邪魔したね、悪かったよ」

 ひなたが考え事をしている内に、海斗は切り上げようとしていた。有益な情報が無かった以上、確かにここに居ても意味が無い。主人を亡くして心を痛めている奥さんに、社長の死の状況を思い出させてこれ以上苦しめても仕方なかった。

「お邪魔しました……」

 ひなたも立ち上がり、お辞儀をした。

「いえ……」

 おばさんは出口まで見送ってくれ、ドアを閉める瞬間まで早く出て行ってくれと言わんばかりに見つめていた。やはり迷惑をかけてしまったと、ひなたも心を痛めたようだった。

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