第七話 辺境のオデュッセイア
ギースはいつも、スタジオに一番早く入る。バンドリーダーが遅れるわけにはいかないからだ。しかしその日、スタジオの扉を開けると、すでにビリーがドラムを叩いていた。
「おいビリー、今日くらい休めよ」
「大丈夫だよ、もう退院したんだし」
とはいえ完治していないことは、当の本人であるビリーはもちろん、ギースも見抜いていた。
♪ダダン、ドドン、ダダン、ドドン、ダン!
ダダン、ドドン、ダン、ズダダダダダダダ……
ビリーのドラムはパワフル。手数は少ないが重さに特化している。ひとつひとつの音に力が込められ、その重圧でグルーヴを牽引する。全力、つねに全力。だが、今そのひた向きさが、ビリーに牙を剥く。
「あぐッ!……いッ……ッッ……」
「おいビリー! 大丈夫か!」
激痛が走る。ビリーはスティックを落とす。だが拾うこともできない。ギースが駆け寄り、ビリーに告げる。
「だめだ、今日の練習は中止だ。『Deadly Rave』はしばらく活動休止だ」
「いや、そうも言うてられんのや」
スタジオに入ってきたマネージャーの西山ユリが、ギースとビリーに残酷で幸運なニュースを伝えた。
「大手ライブハウス『ギガ・アミューズメント』から出演依頼や。あそこはメジャーバンドの登竜門、しかもお抱えバンドの『VIRTUA FICTION』とブッキングや」
ギースの顔から表情が消える。
「なあギース、あんたこの話、聞き流すことはできんやろ」
「……いや、今回はキャンセルだ」
「ええんか?」
「……今のビリーにドラムを叩かせるわけにはいかないし、代役なんて探す気もない」
たしかに「ギガ・アミューズメント」出演は大きなチャンスだ。だが、そんなことは大した問題じゃない。ギースが聞き逃せないのは、ブッキングされたバンドが「VIRTUA FICTION」であったこと。そしてユリは、その理由を知っていた。
「許せんのやろ、アイツらが」
「…………」
「そのために組んだバンドが『Deadly Rave』なんやろ」
「…………」
「まあええわ、チャンスはまた来るやろ、それまで待つとしよか」
スタジオにジョーが入る。彼は手早くセッティングを済ませた。しかし――スタジオの雰囲気が不穏なことに気付きジョーは困惑した。やがて痛みが治まったビリーが、黙って俯くギースに声をかけた。
「俺に気を使うなよギース、チャンスは掴め、それは俺のためにもなる」
「……代理のドラマーを探せってこと?」
「ああ、それでもいいぜ」
「……ダメだ、ビリー以外には叩かせない」
「んだよ、俺に無理させようってか?」
「……いや、今回は休もうって言ってるんだ」
「おいおい頑固だな、じゃあこうしようぜ、腰に負担のない曲を叩く、これでどうだい」
「……そういうことじゃない」
「大丈夫だって、それに俺だってギガに出演したいしさ、これで決まり、な?」
誰もがスッキリしないスタジオの扉が開き、少し遅刻したテリーが入ってきた。
「遅れてごめーん! 暑かったから涼しい格好で歩いてたら警察に追われちゃってさ、でもパンツは履いてたんだよ? あはははは!」
スタジオ内に張りつめた殺意がテリーに向けられる。
そして氷のような……
哀れむような……
汚物を見るような……
────視線。
そして最後にもう一度、殺意。
殺意に挟まれたスタジオの空気は、オセロのように染められていく。
殺意。
殺意。
殺意。
殺意。
殺意。
そして、殺意。
テリーがスタジオに遅れることは、この日以降無くなった。
◇◇◇
ギースは「VIRTUA FICTION」のギタリストだった。
とはいえ「VIRTUA FICTION」は特殊なバンドで、「ギガ・アミューズメント」が主催するオーディションから選抜されたメンバーによって組まれている。技術、ルックス、将来性などを評価され、当初は選ばれたことに喜んでいたギースだったが、そこには創造性や自由が無かった。
それでも、選ばれた誇りを胸にギターを弾いていたギースだったが、ある日唐突にクビを宣告される。ギースより腕のあるギタリストがオーディションで選ばれたからだ。つまり「VIRTUA FICTION」にとってギースは技術、ルックス、将来性が見知らぬ誰かより劣ると判断されたということだ。
ギースはその日、ギターを抱えて泣いた。
ルックスはどうでもいい。だが技術や将来性は誰にも負けたくなかった。でもそれを発揮する自由が与えられなかった。創造性で戦いたかった。それがミュージシャン、バンドマンじゃないのか。絶望、屈辱、憎悪、激情、あらゆる気持ちが渦巻いて結成したのが「Deadly Rave」だ。
ギースは理解している。
「ギガ・アミューズメント」は間違えていないし、「VIRTUA FICTION」も罪はない。音楽をビジネスとして成立させるには、シビアで合理的な判断が必須だ。ライブハウスの賃料は、音響設備の維持費は、スタッフへ支払う賃金は、ミュージシャンの甘い夢と理想で賄えるのか?
それでもギースは、必要とされなかった「過去」を許せない。
「Deadly Rave」の古参ファンである西山ユリは、このいきさつを知っている。ビリーはドラマーとしてオーディションを受けたが落ちた経歴がある。だからギースはビリーと共に、「ギガ・アミューズメント」のステージに立ちたい。
そしてギースは、「VIRTUA FICTION」に、どうしても一泡吹かせたいのだ。




