2nd ハード・レコーディング・ナイト
阪神タイガースのファンは、なぜ熱狂的なのか。
その原因は、六甲山から甲子園球場へ吹き下ろす「六甲おろし」にある。1930年、ミスカトニック大学豊中分校 (現・聖エスカルゴ女学院) 六甲探検隊が行った調査によると、裏六甲と呼ばれる北側の地域から古代都市の遺跡が発掘されており、そこから特殊な電磁波が【部外秘・閲覧不可】
「うへぇ、なんでドラムの録音で山登りせにゃならんのよ」
ビリーは南斗景樹より紹介された録音スタジオへ向かっていた。それは山の奥深くにあり、車も入れぬ山道を登らなければ辿り着けない。
「俺はミュージシャンだぜ、スポーツマンじゃねえっつうの」
独り言を口にしなければ心が折れそうなビリー。麓から二時間は歩いただろうか、ようやく見えてきた建物は、廃墟にしか見えない洋館だった。謎の男がビリーを出迎える。
「……クックック、こんな山奥へようこそ」
「あんたが、スタジオのオーナーかい?」
「……いいや、登山客だ」
「まぎらわしいわ!」
「……遭難して帰れないんだ」
「そこまで深い山じゃねえだろ!」
これはビリーの認識が甘い。低い山でも遭難事故は起きる。山を舐めてはいけない。
「……冗談だ。私は六甲ドラム工房の工房長、Studio AZATHOTH の店長でもある」
「クセ強い人だな。予約してた尾里井 (びりい) っす」
「……ビリーくんだね、さあ、こちらへ」
通されたのは防音室。そこには、無数のマイクに囲まれた豪華なドラムセットが置かれていた。
「いいねえ。気分が上がって来たぜ」
「……ビリーくん、こちらに名前と連絡先を書いてくれ」
「顧客名簿ってやつかい?」
「……いいや、君の家族か友人の連絡先だ」
意外な要求におどろくビリー。だが工房長の話によると、昔このスタジオから帰るときに遭難する者がいたため、念のために緊急連絡先を聞いているとのこと。少し違和感を覚えたビリーだが、とりあえずギースの名前と電話番号を書いた。
「……さて、ビリーくんはどんな録音方法がお好みかな」
「どんな、と聞かれても経験が薄くてね。選択肢を教えてくれないかい」
「……簡単に言えば、一曲を最初から最後まで叩き切るか。それとも、失敗した所だけ何度でも録り直して、あとで一曲に組み立てるかだ」
ビリーはふふんと鼻で笑い、言い切った。
「そんなもん一曲丸ごと叩き切るに決まってんだろ。失敗した部分だけ撮り直すなんて、曲の勢いが死んじまうってもんだ」
「……なるほど。君ならそう言うと思ったよ。三曲だっけ? 私は別室で見ているけど、君は時間を気にせず叩いてくれたまえ」
工房長は防音室を出て、ガラス越しのコントロールルームに入る。そしてビリーと同じように鼻で笑い、言い切った。
「……さて、生きて帰れるかな」
◇◇◇
──それから丸一日が過ぎた。
「山は空気がおいしいね、ギース」
「ああそうだね、テリー」
「ここだと人目につかないから、全裸で山登りできそうだね」
「ああそうだね、テリーを埋めても人目につかないだろうね」
テリーがここで全裸になったら、今すぐ穴を掘って……などと不穏な考えが頭をよぎるギースは、昨晩六甲ドラム工房の工房長を名乗る人物から電話を受けた。最低でも二人で、山奥にあるスタジオへ、ビリーを迎えに来てほしいとの内容だった。
確かビリーはドラムの録音に行くと言っていたはずだ。それに迎えが必要なら、なぜ本人が電話してこない? ビリーにLINEを送っても返事がない。何だというんだ……
やがて怪しい洋館に辿り着いた二人は、工房長の出迎えを受けた。
「……クックック、こんな山奥へようこそ」
「電話をもらったギースです」
「埋められそうになったテリーです」
「……さあ、こちらへ」
工房長は二人を防音室へ案内する。工房長がその分厚い扉をゆっくりと開ける。ギースに嫌な予感が走る。
「あの、ビリーはここにいるのですか」
「……ああ、再会を喜ぶがいい」
あ…… ああ……
「ビリー! 本当にビリーなのか!」
う…… あ……
「工房長! これはどういうことですか!」
もう一回…… 一回だけ……
「……どうもこうも、これがドラム・レコーディング後のドラマーの姿だよ」
もう一回…… 叩かせて…… バタン。
「ビリー――――!」
◇◇◇
大きなあくびをしながらも、工房長はギースとテリーにコーヒーを入れてくれた。ビリーはソファーで横になり、大いびきをかいて眠っている。たった一日で顔はやつれ、もはや夢を見る余裕も無さそうだ。
「工房長、どうしてビリーはこんなことに」
「……たった一日で三曲を、しかも一曲ずつ丸ごと録るとなれば、何度も最初から叩き直すことになる。だからこうなったのさ」
「一曲4分前後の三曲、つまり全部で15分にも満たない録音のために、24時間以上もかかるのですか」
「……人によっては一曲に一か月以上かけるよ」
ドラムをメトロノームのように割り切って考えるなら、音を取り込んでプログラミングすればいい。だが、感情の起伏を表現し、共感を呼ぶ人間ならではのドラムが叩きたくて、ビリーは一曲丸ごとの録音にこだわったのだ。
やがて仮眠から目覚めたビリーを連れ、三人は山を下る。録音されたドラムは後日データで送ってくれるとのこと。その音源を元に、次はジョーがベースのレコーディングを開始する手順だ。
ギースは近づく出番と、ビリーのおぼつかない足取りに気を取られ、テリーが今どんな姿で山を下っているかに気付けなかった。




