05 BITTERSWEET MEMORIES
「失敗したですって! しかもバレたかもしれない? はあ?」
彼女は激情にまかせデスクを叩き、その振動で机上の書類や本が崩れ落ちた。その中には彼女の著書もある。使えない部下の大失態だと彼女はいきり立つが、多くの社員には、無茶振りに対する当然の結果だと思われていた。
「神田社長、どうか落ち着いて……」
「……CEOとお呼びなさい」
「失礼しました。CEO、彼らが警察に通報する気配はありません」
どかりと椅子に座り込む神田。最悪の事態は避けられたようだ。彼女の著書にはこう書いてある、まずは交渉相手を怖がらせろと。その後優しく接することで、優位に話を進めるのだ。このドラッガーも頭を抱えそうな交渉術は、実業家の叔父から神田が叩き込まれたものだった。
テリーを部下にさらわせ、「R.O.ISHTAR」の応接室で自ら優しく接し、懐柔する。そのはずだったのに部下は逃げ帰り、情報まで抜き取られた可能性がある。テリーとその仲間がここにたどり着くのも、時間の問題だ。
「連中の後ろ盾とか、統括者とかいないわけ? リーダーでもいいわ!」
「そのリーダーを脅して反撃されまして……」
「ダメじゃん、ダメダメじゃん、大ダメージじゃん」
「後ろ盾はSMKとカプリコーン……」
「敵じゃん、商売敵じゃん、口添えどころか訴訟待ったなし」
「統括というかマネージャーが……」
「いるんだ、あーよかった。すぐに連絡して私につなげなさい」
「調べたところ、名前が『西山ユリ』……」
神田の内線用スマホが鳴る。着信音は Carpenters の「The End of the World」。
「……何かしら」
「社長、『西山』と名乗る人物から外線が入っております」
「CEOと……はぁ、もういいわ、つなげなさい」
神田にとって世界の終わりが始まった。
「まいど! 西山のユリちゃんどぇーす! うひゃひゃひゃひゃ!」
神田は社長室の窓から空を見上げ、深呼吸した。そして祈る。天よ、我が殺意を沈めたまえ……
「あら、お久しぶりね、西山さん」
「おうおう、おもろい挨拶寄こしたくせに、えらい他人行儀やのう、神田」
「何のことかしら」
「忘れたんなら思い出さしたるわ、ほんで二度と忘れられんようにしたる」
「ご自由に」
神田は電話を切った。そして部下に告げる。
「しばらく実家のシンガポールに滞在するわ。要件があれば電話して。すぐに指示を送るから」
◇◇◇
神田はヘヴィメタルが嫌いだ。聞くのはもちろん、見るのも嫌だ。ハードゲイかドラァグクイーンのようなファッションセンスが耐えがたい。あれが許されるのは新宿二丁目か大阪の堂山くらいなものだ。
少しは Lady Gaga のセンスを見習ってほしい。彼女はそう考えている。
とはいえ Lady Gaga のセンスで街を歩けば、宇宙人と間違われても不思議ではない。矢追純一と大槻教授の抗争が再び始まるだろう。もっとも神田は多くの部下を抱えるCEOだ。TPOくらいはわきまえている。
シンガポールへ帰国する前に、「Deadly Rave」のテリーを直接この目で確認したい。そのため訪れたこのライブハウスで目立つわけにはいかない。神田はそう考え、彼女なりのフォーマルないでたちでフロアの観客に紛れ込んでいた。
さあ姿を見せなさい、テリー。私があんたの真実を暴いてやるわ。
舞台袖からそっとフロアを覗き込む「Deadly Rave」のメンバーたち。明らかに場違いで不自然な客が、周囲から距離を置かれ目立っていたからだ。サングラスとマスクは百歩譲って良しとしても、服装とセンスが独特すぎる。ビリーがたまらず口にした。
「お袋が若い頃、クラブじゃあんな格好していたらしいぜ。当時はディスコって呼ばれたっけ」
ギースも呟いた。
「俺、サブスクで見たよ。GS美神ってタイトルだっけ」
テリーもささやく。
「ギースの妹ちゃん、ずっとアニメ見てたもんね」
ジョーがメガネに手をかける。
「手に持つ巨大な扇子、あれは鉄扇という武器ですね。なるほど国際警察機構の……」
的外れなジョーの解説はともかく、ユリも口を挟む。
「ようあんな目立つ格好でここまで来たな。あの女、恥ずかしくないんか」
「え!」
「え!」
「え!」
「え!」
「……なんや、文句あるんか」
「ありません」
「ありません」
「ありません」
「ありません」
「……まあええ、そろそろ本番や」
◇◇◇
西山ユリは女の正体を察していた。というより、あれだけ強烈な個性を発揮していれば嫌でもわかる。だがそれをメンバーに伝えなかった。神田に、「Deadly Rave」の実力を見せたかったからだ。
神田も曲が始まれば、音楽事務所の経営者として耳を傾ける。正確なドラミング、ギターの音抜け、ベースは……母校の講師だ、そして異彩を放つボーカルのシャウト。
Ah-Ah-Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah,AH!
Ah-Ah-Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah,AH!
凄い。
オペラ、ブルース、ロックと受け継がれてきた歌唱技術。生まれつきの才能。絶え間なき努力。そんなものだけでは辿り着けない領域の「何か」が、テリーにはある。移民の歌をオマージュしたかのようなシャウトの後で、彼は何を聞かせてくれるのか。
────────────────
ア〇〇の淫行 (ANAL'S HTSULE)
作詞:テリー
作曲:ギース
(メロディは読者が自由に思い浮かべてください)
────────────────
♪古 (いにしえ) の実家で
同人誌を並べた本棚が
その重みに耐えきれず
床が抜けて一階に落ちた
下は母が経営する純喫茶シンガポール
地元の住民、憩いの場
オバサンの頭上には
アニパロのボーイズラブ
オジサンの頭上には
田亀源五郎のハードゲイ
下は地獄と化した純喫茶シンガポール
地元の噂、発祥の震源地
(ギターソロ)
母からの鬼電
実家にあれから、帰っていない
母からの鬼電
実家の修繕費だけ、振り込んだ
西山ユリはフロアを確認しなかった。おそらく神田の姿は、もうそこに無いだろうから。ユリは初めて神田に、優しい声をかけたくなった。あんたは悪くない、運が悪いんや。そして本が、重かったんや。
誰もが胸に秘める、苦い記憶。
────BITTERSWEET MEMORIES.




