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8 殺人

さて、続きます。

 私たち三人は一階後方の階段の辺りで話し込んでいた。窓から外を見ても真っ暗で何も見えなかった。そのことが私を余計に不安にさせていた。そこへ、二階から降りてきた谷中さんが通りかかった。私たちに軽く会釈をして、彼女は地下一階へと降りて行った。私は怪しむのと同時にやはり可憐で美人な人だなと思って少しうらやましく感じた。係長を見たら、ニヤけていた。夏子はそんな係長の顔を、軽蔑の眼差しで見ていた。そのしばらく後だった。小さな声だったが、悲鳴がしたのだ。聞こえてきたのは、下の階から。私たちはすぐに地下一階へと階段を駆け下りた。

 階段を降りると、階段の横の通路の奥に死角になっている場所があった。スタッフオンリーの看板を無視して私たちが駆けつけると、扉が開いている部屋の入口で、谷中さんが床にへたり込んでいた。ショックで腰が抜けて動けないように見えた。係長が急いで部屋の中を覗き込んだ。

「……おう、香崎……」

 係長は冷静に、部屋の中を見ろと顔で合図した。そこには、胸から血を流した男性が倒れていた。白のワイシャツが血で滲んでドス黒い色に変色していた。

「亡くなってる。血が服を伝って床まで流れてるな。殺害現場はおそらくここだろうな」

 係長は冷静に臨場していたが、私は殺されたであろう人を前にして、突発的なことで驚いてどう反応していいのかわからなかった。亡くなっている男性は、50歳くらいで、頭頂部で鶏冠(とさか)をつくり、それ以外の髪を短く刈り込んでいて、特徴的なヘアスタイルをしていた。それを除けば、中肉中背で、ごく普通の中年男性に見えた。私はそういう検分しかできなかった。

「夏子ちゃん、クルーを呼んできてくれるかな? できれば野村さんを」

 私は夏子に部屋の中を見せまいとして、入口を塞ぐように立っていた。夏子は状況を理解してあたふたしていた。なので、係長に言われても唖然として立ちすくむだけだった。谷中さんも呆然として動けない状態だったし、私もどうしていいのかわからなかった。だが幸いなことにと言うべきか、ちょうど野村さんが通りかかったのだ。

「叫び声が聞こえましたが、どうかされましたか?」

「野村さん、殺人です」

 係長に言われて、しかもその場の雰囲気からも察したのか、野村さんの顔が一瞬で強張った。みんな動揺している中、係長だけが冷静でいた。係長は被害者の上着のポケットからルームキーを見つけて取り出した。109号室のルームキーだった。

「刑事さん、船長を呼んで参ります」

 平静を取り戻した野村さんは、そう言って走り去った。私は谷中さんを立たせて、夏子と一緒に後ろの壁際に座らせた。数分後、野村さんが数名のクルーと共に、船長を連れて戻ってきた。

「船長の興梠(こうろ)です」

 興梠さんは、50代、軍人のような佇まいで、色黒で屈強で真面目そうな人物に見えた。

「T県警の村田です。人が殺されてます」

 船長の興梠さんは係長にそう言われて、険しい顔がますます険しくなった。興梠さんは恐る恐る部屋の中を覗き込み、死体を確認した。

「鋭利な刃物で胸を刺されてます。凶器は見当たりません。109号室の乗客と思われます。名簿で確認させてもらえますか?」

 当たり前のことだろうが、クルーたちは誰も殺人の現場にいた経験などなく、軍人のようにキビキビと動いていた彼らも、落ち着きを失っていた。警察が仕切らなければ、この場が動くことは難しい状況だった。室内は特に異状はなく、私たちは他の乗客の混乱等を避ける必要もあったので、部屋を施錠をしてから地下二階のスタッフルームへ移動した。

 名簿で確認すると、109号室を利用しているのは一人だけだった。名簿には、 " 津元(つもと)ひとし " と記載されていた。

「さっきの部屋は、何に使われている部屋でしょうか? 谷中さんはどんな用事でそこへ行ったのですか?」

 係長が訊いたが、谷中さんはまだショックを引きずっていて言葉に詰まっていた。

「あの部屋は、物置部屋です。ほぼ使用していませんので、ずっと鍵をかけたままでした」

 野村さんが答えた。

「あ、あ、あの、私は、割れた食器類を置くために、あの部屋に行きました」

 谷中さんが低いテンションで言った。

「でも、谷中さん、割れた食器は厨房の中の専用の棚に置いておけと、料理長が言ってませんでしたか」

「はい、料理長はそう言ってましたが、壊れた食器が誤って使われると大変なことになるので、厨房ではない所に持っていくほうが良いと思って……」

 野村さんに言われて、谷中さんは少ししょんぼりした。

「その物置部屋の鍵ですが、一つだけですか? 谷中さんがいつも持っているのですか?」

「鍵は一つしかありません。いつも、船長室へ通じている別のスタッフルームの壁に吊るしてあります」

 野村さんがハキハキと答えた。

「では、クルーの方は全員がその鍵を使うことができるということですね」

「ええ、そうです。クルーなら誰でも鍵を持ち出すことができます」

「そうですか」

 係長はあれこれと色々な質問をし続けていた。

「係長、どうしましょうか?」

「どうしましょうかって?」

「乗客に事情を知らせて、避難させたほうが――」

「いや、待って下さい!」

 船長の興梠さんが、私が係長に提案するのを遮った。

「そんなことをしたら、パニックになる恐れがあります。もう20時を過ぎていますので、緊急で寄れる港もありません。明日の朝、予定通り出発港へ帰港するほうが安全ではないでしょうか」

 興梠さんはそう力説した。

「……うん、確かに、一理あるな」

 係長は深く考えているようだった。

「では、物置部屋の鍵を預からせてもらえますか」

 係長が言うと、野村さんは興梠さんの合図を受けて、鍵を係長に渡した。

「それと、緊急通報をして下さい。海上保安庁ではなくて、K県警へ」

「わかりました。ではこちらへどうぞ」

「おう、香崎、課長に連絡だ。課長からもK県警に連絡をしてほしいって」

「はい」

 私はメールを打ちながら、係長と共に船長室へ案内されて、K県警へ緊急連絡してもらった。興梠さんが事情を説明した後、係長が代わった。

「もしもし、T県警刑事課の村田圭吾です。明日そちらでオレオレ詐欺事件の研修の講師を務める予定の村田です。昨晩、鹿賀輪(かがわ)本部長と会った村田です。はい、村田です。〜〜〜〜〜〜。一応T県警刑事課の山崎課長からそちらへ連絡をしてもらいますので、確認をよろしくお願いします。それと、どなたか明朝まで連絡を取り続けられる刑事はいませんか? はい。はい。大田刑事ですね。はい。はい。では、私ともうひとりの香崎の電話番号とメールアドレスを伝えますね。〜〜〜〜〜〜。はい。それでは」

 係長は事件の詳細を伝えた。K県警との連携は上手くいきそうだった。K県警の大田刑事が当直なので、私と係長と絶えず連絡が取れる状態ということだった。殺人が起きたことを口外しないようにクルーたちに念を押して、私たちはその場を後にした。


鶏冠ヘアの男が殺されたみたいですね。

津元ひとし、という男?

発見したのは、谷中さんですね。

殺害現場の部屋の鍵は、クルーなら誰でも持ち出せるようで。

広がる疑惑。

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