第23章「光の中へ」
二十秒の壁を越える方法を、澪は一晩かけて見つけた。
壁を壊そうとするから阻まれる。壊すのではなく利用すればいい。彼女が嘘の世界で学んだ唯一の真理だった。
最終回の夜が来た。
島とスタジオが中継でつながった。屋敷の広間に特設の舞台が組まれ、無数のカメラが、参加者を囲んだ。司会者の声が高らかに最後の夜を告げた。全国の何百万という視線が、今、この場所に注がれていた。
気配を消して生きてきた女が、その中央へ、歩み出た。
光が一枚ずつ彼女の上に重なった。逃げ場のない明るさになった。頬に熱を感じた。心臓は速いのに指先だけが冷たかった。引き金にかける指の温度だった。
舞台の端にひとりの男が立っていた。
七瀬結だった。桐谷が彼を連れてきていた。彼は逃げなかった。ただ澪を見ていた。怖がっている人を見るあの静かな目で。
澪は口を開いた。
「わたしは、フラワーアーティストではありません」
ざわめきが、広間を走った。羽鳥の顔がこわばった。
「わたしはある組織から送り込まれた人間です。この番組の参加者の、ひとりに近づくために」
羽鳥の手が動いた。放送を切る合図だ。二十秒の遅延の中で、この告白は、消されるはずだった。視聴者には届かないはずだった。
だが澪はそれを読んでいた。
切られて構わなかった。
なぜなら、彼女の言葉は、放送の電波だけを通ってはいなかったからだ。この広間には百を超える生身の目があった。スタッフ。参加者。スタジオの観客。彼らは、遅延のない現実の中で、今、彼女の声を聞いていた。そして、鵜飼の依頼主は、別の経路で、この一部始終を世に流す手筈になっていた。桐谷の伝手がそれを支えた。
澪が放送で切られた、その事実そのものが、何かを隠した証拠になる。
彼女は止まらなかった。
「この番組は、恋を探す場所に見せかけて、ひとりの男を追い詰めるために作られました。十数年前のある秘密を消すために。彼は何も知りません。ただ、亡くなった父親のレシピ帳を、大切に持っていただけです」
羽鳥が声を荒げた。
「カットだ。放送を止めろ」
「止めますか」
澪はまっすぐ羽鳥を見た。エリシテーション。相手に思わず本音を言わせる話術。彼女は最後の獲物にそれを向けた。
「全国が見ている前で放送を止めて。常世ホールディングスの羽鳥さん。あなたは今、何を、消そうとしているんですか」
羽鳥の口が、わずかに動いた。
「常世の指示は、あくまで……」
言いかけて、彼は凍りついた。
マイクは生きていた。広間の遅延のないマイクが。観客が聞いていた。スタッフが聞いていた。そして、鵜飼の経路を通って、その一言は、すでに、止められない場所へと流れ出していた。
常世の名が出た。指示という言葉が出た。
もう消せなかった。
気配を消す女が、自ら、最も目立つ場所に立ち、最も見られる瞬間に、すべてを白日の下に晒した。彼女は見つかることを選んだのだ。見つかってしまえばもう誰も彼女を消せない。彼女も七瀬も。光の中にいる人間は闇に葬れない。
羽鳥が崩れるように椅子に座り込んだ。
羽鳥の口から常世の名が漏れたその瞬間。
澪には、見えない場所で、何かが動きだすのがわかった。鵜飼の依頼主が用意した経路。桐谷の伝手。それらを通って、この一部始終が、すでに、止められない速さで、外へ流れ出していた。放送が二十秒遅れて切られても、もう、間に合わない。
観客がざわめいた。スタッフが顔を見合わせた。誰かがこれは台本なのかと小声で言った。
台本ではなかった。
気配を消す女が、自ら、最も明るい場所で、すべてを白日の下に晒していた。
広間が静まり返った。
澪は長い息を吐いた。任務を捨て、レジェンドを捨て、自分の正体を、何百万の前に晒した。彼女はもう二度と影に戻れない。バーンした。焼け落ちた。
彼女は長い息を吐いた。
任務を捨て、レジェンドを捨て、正体を、何百万の前に晒した。もう二度と影には戻れない。バーンした。焼け落ちた。気配を消して生きてきた女が、自ら、最も目立つ場所に立ち、最も見られる瞬間に、すべてを白日の下に晒したのだ。
長いあいだ、見つからないことだけを願ってきた。その願いを自分の手でたった今破り捨てた。
だが不思議と寒くなかった。
光は熱かった。
彼女は舞台の端に立つ男へと視線を向けた。
七瀬はまだそこにいた。




