第14章「スポンサーの目的」
その夜澪は眠らなかった。
眠れば七瀬の顔が浮かぶ。両手で帳面を抱えたあの無防備な手が。彼女は思考を別の方向へ無理やり向けた。盤面の全体だ。なぜこの番組なのか。なぜ今なのか。
考えるほどひとつの影が濃くなった。番組のスポンサー。常世ホールディングスだ。
この巨大な複合企業は、番組に莫大な金を出していた。表向きは企業イメージのため。だが機関の資料には別の顔があった。常世は近年、ある古い情報網の痕跡を、執拗に消そうとしている。十数年前のあのパン屋を中継地点にした網。その網が握っていた何かが、今になって、常世の喉元に刃を突きつけている。
考えるほどひとつの影が濃くなった。
なぜこの番組なのか。なぜ今なのか。恋愛番組という誰も裏を疑わない舞台。そこになぜ自分は送り込まれたのか。機関の狙いと、スポンサーの狙いが、同じ一点で重なっている気がした。その一点に七瀬がいた。
常世ホールディングスは、莫大な金をこの番組に注いでいた。表向きは企業イメージのため。だがただの宣伝にこれほどの金はかけない。何か別の目的がある。澪は断片を並べはじめた。古い情報網。閉じたパン屋。受け継がれた帳面。そして二十四時間の監視。
澪は点と点をつないだ。
常世は七瀬の帳面を欲している。だがただ奪うだけでは足りない。帳面が存在したという事実ごと消したい。だから――この番組を作った。
恋愛番組という誰も裏を疑わない舞台。そこに七瀬を呼び寄せ、二十四時間監視下に置く。彼の持ち物を検め、接触する人間を洗い、頃合いを見て、すべてを処理する。番組は隠れ蓑だった。機関にとってだけではない。スポンサーにとっても。
ガラスの監獄は、最初から、七瀬のために組まれた檻だったのかもしれない。
澪は、自分のスーツケースが数センチずれていたことを思い出した。花が一輪抜かれたことを。監視者の真壁を。あれは機関の競合でも鵜飼の勢力でもない。常世の手かもしれない。彼らは誰が七瀬に近づくかを見張っていた。
つまり澪自身もとうに見られていた。
深夜の屋敷はしんと静まり返っていた。
澪は、これまで集めた断片を、頭の中で、並べ替えた。
常世ホールディングスが番組に注ぐ莫大な金。十数年前に閉じた小さなパン屋。そこを中継地点にしていた古い情報網。そして、二十四時間、参加者を撮り続ける、この異常な仕組み。
ばらばらだった点が、一本の線で、つながりはじめた。
常世は過去を消したがっている。かつての情報網が握った何かが、今になって、彼らの喉元に、刃を突きつけている。その何かを持つ人間を、この島に集め、監視し、頃合いを見て、処理する。
番組は隠れ蓑だ。恋を探す舞台に見せかけた、人ひとりを葬るための、檻だ。
澪は自分の部屋で膝を抱えて座っていた。空調の低い唸りだけが闇に満ちている。彼女はこれまで、どんな修羅場でも、心拍ひとつ乱さずにきた。なのに今夜は指先がかすかに震えていた。盤面の全体像が見えてしまったからだ。見えれば見えるほど、自分がどれほど深く、罠の内側にいるかがわかった。
彼女は寒気を覚えた。自分は捕食者のつもりでこの島に来た。だが、もっと大きな捕食者の腹の中に、最初から入り込んでいたのかもしれない。
確かめなければならなかった。
澪は深夜の屋敷を音もなく移動した。スタッフの控え室。そこに、番組の真の意図を示す何かがあるはずだった。彼女は死角を縫い扉の隙間から中を窺った。
真壁がいた。
メイク担当の男は、ひとりで小型の通信機に向かっていた。低い声で誰かに報告していた。澪は唇の動きを読んだ。
「対象まだ動かず。例の女が接近している。指示を」
例の女。澪のことだ。
通信の相手から短い返答があったらしい。真壁の表情がわずかに引き締まった。彼は通信機をしまい立ち上がった。
澪は影に身を引いた。
そのとき屋敷の灯りがすべて落ちた。
停電だった。
南の島の厚い闇が屋敷を呑んだ。カメラの赤い光さえ消えた。二十四時間の監視が、初めて、途切れた瞬間だった。
澪の全身が戦闘の構えになった。闇は彼女の世界だ。気配を消す者にとって、光のない場所は、いちばんの味方だった。
だがその闇の中で足音が一つ近づいてきた。
訓練された消された足音だった。




