婿がね( 1 )
桜子が薫と約束をしてから、二日が経とうとしていた。
薫の話が本当かどうかは定かではないにしろ、桜子の相手が絞られているのは事実のようだった。そう秋津彦に告げられたのだ。思わず顔を赤らめた桜子に、父は言った。
「年の頃も家柄も申し分ない。それになかなかの美男だ。お前もきっと気にいるに違いない」
「ちょっと待ってよ。私は——」
秋津彦は反論しようとする桜子の前で大きく手を振った。
「既に先方も承知していることだ。お前の祖父もずいぶん力添えしてくれてな」
桜子はハッとした。
「おじいちゃん、帰ってきてるの」
秋津彦がそれに頷くと同時に、桜子は制止を振り切って表へ飛びだした。
初夏のやわらかな風が鼻孔をくすぐってゆく。雲の切れ目からそそぐ日差しのまぶしさに目をしかめながら、桜子は稽古場の方角へと走った。
祖父には聞きたいことがたくさんあった。
母のこと、薫のこと、行方不明になった薫の父のこと、その優が介入した『月読』という組織のこと。
優は自分から、そのなかに入ったのだ。水脈の大蛇が宿る、剣の力を解く術を探るために。その経緯を誰からも知らされないまま、嫁ぐことなどできるはずもなかった。
急いで走ったため、着いた時には息が上がっていた。風にそよぐ緑の葉が陽光をさえぎっている。吹いてくる涼しい風に、桜子は思わず桜の木を見上げた。
薫はここに母の結界が残っていると言ったが、何も感じとることはできなかった。それが薫の話したことの信憑性を低めていることに、桜子は気づいていた。
実の母娘である桜子よりも、薫の方がずっと撫子に近い場所にいる。そう思うと歯がゆいような悔しさが胸を覆った。
扇を手に舞う撫子の逸話を知っていたからこそ、違うものを自分で身につけたかった。今まで祖父の稽古場だけが桜子の居場所であり、技を磨くよすがだったのだ。でも今やそれも失おうとしている。




