のんびり放浪記9
翌朝。
「おはようございまーす」
「…………」
返事がない。
「おはようございまーす」
「…………」
現場の入口で、親方がじっとこっちを見ている。
「何です?」
「……今日は随分早ぇじゃねぇか」
「失礼ですね」
「昨日も一昨日も遅刻してきた奴が何言ってやがる」
「今日は遅刻してないでしょう」
「だから驚いてんだろうが」
なるほど。
腹立つ。
「ウバメ」
「何?」
横にいたリラが私を見上げる。
「さいごまで」
「…………」
親方が吹き出した。
「はっはっは! 嬢ちゃんに言われてんじゃねぇか!」
「誰のせいだと思ってんですか」
「俺ぁ良いことしか教えてねぇよ」
「余計なことも教えてます」
「さいごまで」
「分かったって」
リラは満足したらしく、こくりと頷いた。
昨日から妙に気に入っているらしい。
仕事は最後まで。
途中で放っておくと、次の奴が困る。
親方の言葉をどこまで理解しているかは分からないが、少なくとも「さいごまで」という言葉そのものは、しっかり頭に入ったようだ。
「んで、嬢ちゃん」
親方がリラを見る。
「昨日の続きやるか?」
「やる」
「即答かよ」
「つぎ」
「覚えてたか」
昨日、親方が取っておいた二枚目の破れた麻袋が資材置き場の隅に残っている。
リラはそれを見つけるなり、昨日まで使っていた木箱へ向かった。
「おい」
「?」
「勝手に針触んなよ」
「うん」
「俺が行くまで待て」
「うん」
「よし」
親方が頷く。
「…………」
何だろう。
昨日よりずっと会話が成立している。
「親方」
「何だ」
「随分懐かれましたね」
「お前ぇより言うこと聞くぞ」
「それはない」
「ウバメ」
「何」
「はたらけ」
「…………」
親方がにやりとする。
「ほらな」
「親方が余計なこと教えたんでしょうが!」
◇
朝の仕事が始まってしばらく。
昨日石材が落ちた辺りは、朝一番で親方が念入りに確認していた。足場も組み直され、石の置き場所にもかなり細かく指示が飛んでいる。
昨日のことがあるからか、人足どもの動きもいつもより真面目だ。
少なくとも、今のところは。
リラも約束を覚えているらしく、木箱の周辺から離れない。親方から針を渡されると、昨日より慎重に麻袋へ刺していた。
「そこじゃねぇ。もうちょい端だ」
「ここ?」
「そう。昨日より間を狭くしてみろ」
「せまく」
「このくらいだ」
「うん」
ちゃんと教えてる。
親方って。
本当に親方なんだな。
「ウバメ」
「はい?」
「お前ぇ、今日は南側の石積みに回れ」
「南?」
「昨日人手が足りなくて進んでねぇんだ。向こうの連中と一緒にやってこい」
親方が指した先は、今いる場所から城壁沿いにそれなりの距離がある。
建物と積み上げた資材に遮られ、ここからでは作業場所そのものまでは見えない。
「…………」
「何だ」
「リラは?」
「…………」
親方の眉が寄る。
「何だ、その顔」
「いや」
リラを見る。
麻袋。
親方。
「連れていけないですよね」
「当たり前だ。向こうは足場にも上がる」
「じゃあ」
「こいつぁ俺が見とく」
「…………」
「何だよ」
「大丈夫です?」
「誰に向かって言ってんだ」
「親方」
「分かってんなら聞くな」
「でも」
「俺ぁガキ三人育てたって昨日言ったろ」
「もう全員大人ですよね」
「だから何だ!」
「感覚鈍ってるかも」
「日当減らすぞ」
「行ってきます」
即答。
「ったく」
親方がキセルへ手を伸ばしかける。
その横でリラが私を見ていた。
「…………」
目が合う。
「リラ」
「うん」
「私、ちょっと向こう行ってくる」
「むこう?」
「あそこ」
南側を指差す。
「少し離れるけど、親方とここにいろ」
「…………」
リラは私を見る。
いつもなら服か手か、何かしらを掴む。
そう思った。
でも。
「…………」
麻袋を見る。
親方を見る。
それから、もう一度私を見る。
「……うん」
「…………」
「ここ、いる」
「そっか」
思ったよりあっさり。
何だ。
それならいい。
「じゃあ、ちゃんと親方の言うこと聞けよ」
「うん」
「勝手に歩くな」
「うん」
「針刺すなよ」
「うん」
「昼には戻るから」
「うん」
「…………」
終わり。
「じゃ」
「ウバメ」
「何」
「さいごまで」
「お前、私がサボると思ってんの?」
耳が少しだけ上がる。
「……行ってきます」
◇
南側。
「そこの石持ってくれ!」
「へい」
抱える。
運ぶ。
「こっちだ!」
「分かった」
積む。
また戻る。
仕事はいつも通りだった。
いや。
いつもより楽なくらいだ。
今日は朝から来ているし、リラが勝手に現場へ入り込まないか何度も確認する必要もない。
親方がいる。
あそこなら安全だ。
分かってる。
「…………」
石を持つ。
歩く。
大丈夫かな。
いや。
大丈夫。
「犬のあんちゃん、そっちじゃねぇぞ!」
「犬じゃねぇ!」
「今はそこじゃねぇ! 石、こっちだ!」
「あ?」
見る。
確かに、皆とは逆方向へ歩いている。
「…………」
「ぼーっとしてんじゃねぇよ」
「してない」
「してるだろ」
「してない」
「じゃあ何で反対行ってんだよ」
「…………」
知らん。
石を抱え直し、向きを変える。
「あと犬じゃねぇ」
「まだ言ってんのかよ!」
「呼び方が悪いんだよ」
「じゃあ何て呼べばいいんだ」
「ウバメって名前があんだろ」
「へいへい。ウバメ、そいつこっちな」
「最初からそう呼べ」
運ぶ。
置く。
次。
「…………」
親方。
針、ちゃんと取り上げてるよな。
いや。
昨日だって見てた。
「…………」
喉。
乾いてないかな。
「…………」
飯は。
まだ早い。
「…………」
何考えてんだ、私は。
昨日まで離れろ離れろ言ってたじゃん。
離れた。
良かった。
仕事しやすい。
最高。
なのに。
何で。
気になる。
「ウバメ!」
「何!」
「今度は呼んだだけだ!」
「だから何!」
「怖ぇよ!」
「仕事しろ!」
「お前もな!」
腹立つ。
◇
昼。
「休憩ー!」
南側を仕切っている職人の声が飛ぶ。
私は持っていた石を置いた。
「飯」
戻る。
「おい、ウバメ」
「何」
「飯ここで食わねぇの?」
「向こう」
「食堂あっちだぞ」
「知ってる」
「じゃあ何で」
「用事」
「ふぅん」
歩く。
少し速い。
いや。
急いではない。
昼休みが短いから。
仕方ない。
「…………」
角を曲がる。
資材置き場。
「…………」
いた。
リラ。
木箱。
親方。
あと、人足が三人。
「これは?」
リラが地面に置かれた道具を指差す。
「槌」
古株の人足が答える。
「つち」
「そう」
「これは?」
「鏨」
「……たがね」
「おお、合ってる!」
「これは?」
「それは楔」
「くさび」
「覚えるの早ぇなぁ」
「お前ら昼休み入った途端、寄ってくんな」
「親方だって付きっきりじゃないっすか」
「俺は教えてんだ!」
平和。
普通。
楽しそう。
「…………」
良かった。
そう思う。
同時に。
「…………」
何か。
ちょっとだけ。
気に食わない。
いや。
違う。
何が。
「ウバメ」
リラが私に気づく。
「お」
立つ。
こっちへ来る。
「しごと、さいごまで?」
「午前の分はね」
「うん」
「ちゃんとここにいた?」
「うん」
「針刺してない?」
「うん」
「親方困らせてない?」
「…………」
「おい」
「俺ぁ困ってねぇよ」
親方が答える。
「袋も見ろ」
見る。
昨日よりましだ。
まだ少し曲がっているけど、縫い目の間隔がだいぶ揃っている。
「へぇ」
「できた」
「上手くなったじゃん」
「うん」
耳がぴんと立つ。
「親方に教えてもらった?」
「うん」
「あと」
リラが周りの道具を指差す。
「つち」
「うん」
「たがね」
「うん」
「くさび」
「……すごいな」
「うん」
「…………」
何。
この。
成長。
半日いなかっただけなのに。
「どうした?」
親方が聞く。
「別に」
「変な顔してるぞ」
「してない」
「してる」
「ウバメ」
「何」
「へんなかお」
「お前まで言うな!」
笑い声。
腹立つ。
◇
昼飯。
いつものパン。
干し肉。
水。
リラには朝、銀鍋亭で包んでもらったパンと茹でた芋がある。
「ほら」
「うん」
リラが食べ始める。
その隣で、親方も自分の昼飯を広げた。
黒パン。
干し肉。
いかにも固そう。
「…………」
リラが見る。
「何だ」
「…………」
干し肉。
じっと見る。
「食いてぇのか?」
こく。
「これ固ぇぞ」
「たべる」
「歯ぁ大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
「本当かよ」
親方が小さく千切って渡す。
リラが口へ入れる。
「…………」
噛む。
噛む。
噛む。
「…………」
まだ噛む。
「だから言ったろ」
「…………」
噛む。
「出していいぞ」
首を振る。
「無理すんな」
「…………」
噛む。
ごく。
「たべた」
「おう」
「おいしい」
「そうか」
親方が少し笑う。
「おやかた」
「何だ」
「やさしい」
「…………」
親方が止まった。
「やめろ」
「?」
「そういうのやめろ」
「なんで?」
「気持ち悪ぃ」
「やさしい」
「やめろっつってんだろ」
「やさしい」
「ウバメ!」
「何で私に振るんですか」
「止めろ!」
「事実なんじゃないです?」
「お前までやめろ!」
親方の耳が赤い。
「親方、照れて――」
「日当減らすぞ!」
「横暴!」
リラが親方を見上げる。
「おやかた」
「何だ!」
「かお、あかい」
「誰のせいだ!」
「?」
分かってない。
「……はは」
思わず声が出た。
「笑うな!」
「無理です」
親方がキセルを取り出す。
口へ持っていこうとして。
「…………」
リラが見ている。
「…………」
止まる。
「吸わないの?」
「……飯の後でいい」
「へぇ」
「何だ」
「別に」
「その顔やめろ」
「どの顔です?」
「面白がってる顔だ!」
◇
午後。
私はまた南側へ戻った。
今度は午前ほど気にならない。
全く。
ではない。
でも、親方がいる。
人足もいる。
リラも少しずつ、私以外の奴と話せるようになってきた。
それは良いことだ。
多分。
「…………」
そう。
良いこと。
「ウバメ!」
「何!」
「呼んだだけで怒んなよ!」
「何の用だよ!」
「そこ二人で持ってくれ!」
「最初から言え!」
「言おうとしてんだよ!」
仕事。
さいごまで。
◇
夕暮れ。
「今日はちゃんと一日働いたな」
親方が銅貨を差し出す。
「当然でしょう」
「一昨日と昨日のお前ぇに聞かせてやりてぇな」
「過去は振り返らない主義なんで」
「反省しろ」
「ウバメ」
「何」
「はんせい」
「親方!」
「俺じゃねぇ!」
銅貨を懐へしまう。
「リラ」
「うん」
「帰るぞ」
「うん」
「親方に挨拶」
「おやかた」
「おう」
「またあした」
「……おう」
親方も、もう普通に返している。
「明日も袋やるか?」
「やる」
「じゃあ昨日より真っ直ぐ縫え」
「まっすぐ」
「そうだ」
「さいごまで」
「おう」
完全に仲良し。
「…………」
「何だよ、ウバメ」
「別に」
「何か言いたそうな顔だぞ」
「親方」
「何だ」
「リラ、取らないでくださいね」
「…………」
言った。
自分で。
何を。
「…………」
違う。
今のは。
「ぶっ」
親方が吹き出す。
「笑うな!」
「いや、お前ぇ!」
「違う!」
「何が違うんだよ!」
「今のなし!」
「聞いたぞ!」
「忘れろ!」
「無理だなぁ!」
「ウバメ」
「何!」
「とらない?」
「…………」
リラが不思議そうに私を見る。
「帰るぞ!」
「うん」
逃げる。
親方の笑い声が背中から追ってくる。
最悪。
◇
「おっ、ウバメの姉ちゃん!」
帰り道。
いつもの串焼き屋。
「今日は遅かったな」
「ちゃんと一日働いてた」
「そりゃ偉い」
「何その言い方」
「嬢ちゃんも一緒か」
店主がリラを見る。
リラも最近は、この親父には少し慣れてきたらしい。
「うん」
「今日は鶏だぞ」
「一本」
「姉ちゃん?」
「二本」
「姉ちゃん?」
「……三本」
「毎度!」
「何」
「いや。どうせ三本になると思って」
「じゃあ最初から聞くな」
焼けた肉から脂が落ち、炭が音を立てる。
煙。
香草。
いつもの匂い。
リラにも一本。
「熱いから待て」
「うん」
店主が串を包みながら、ふと通りの向こうへ目を向けた。
「……ん?」
「何」
「いや」
「何だよ」
「さっきから、あんたら見てる奴がいた気がしてな」
「…………」
振り返る。
人。
荷車。
店。
夕飯時の町。
鼻を使う。
焼けた肉。
煙。
馬。
酒。
汗。
知らない奴の臭いなんていくらでもある。
特に。
変なのは。
ない。
「どれ」
「いや、もういねぇ」
「どんな奴?」
「外套被ってたから顔までは分からん。男だったと思うが」
「ふぅん」
「気のせいかもな」
「そうじゃない?」
「だといいけどよ。ほら、焼けたぞ」
「ありがと」
串を受け取る。
「リラ」
「…………」
返事がない。
「リラ?」
見る。
リラは通りの向こうをじっと見ていた。
「何」
「あのひと」
「どの人?」
「…………」
リラが指を差す。
でも、その先にはもう誰もいない。
「いないけど」
「いた」
「さっきの?」
「うん」
「どんな奴」
リラは少し考える。
「くろ」
「服?」
「うん」
「他は?」
「…………」
今度は自分の鼻を指した。
「におい」
「臭い?」
こく。
「どんな?」
「…………」
難しいらしい。
「へん」
「変?」
「うん」
「何の匂い?」
「…………」
首を振る。
「知らない?」
「うん」
私はもう一度、鼻を鳴らす。
人混みの匂い。
夕飯。
馬。
煙。
何もない。
「リラ」
「うん」
「いつからいた?」
「しごと」
「…………」
「仕事場?」
こく。
「今日?」
こく。
「親方のところにいた時?」
「うん」
「ずっと見てた?」
「…………」
そこまでは分からないらしい。
「どうした、姉ちゃん」
店主が心配そうに声をかけてくる。
「いや」
何でもない。
そう言おうとした。
でも。
昨日聞いた言葉が頭に浮かぶ。
『回収』
教会まで様子を探りに来た旅商人。
逃げた男。
「…………」
背中が少し冷える。
「リラ」
「うん」
「今日は寄り道なし」
「ふろ」
「風呂は行く」
「うん」
「それ以外なし」
「たまご」
「今は卵いらないだろ」
「…………」
「明日な」
「うん」
私はリラの手を取る。
「行くぞ」
「うん」
いつもより少し強く握る。
「ウバメ」
「何」
「いたい」
「あ、ごめん」
慌てて力を緩める。
大丈夫。
町の中だ。
人も多い。
衛兵もいる。
私だっている。
それでも歩き出してから、一度だけ後ろを振り返った。
誰もこちらを見ていない。
少なくとも。
私には。
そう見えた。




