のんびり放浪記8
結論から言うと、その日もリラは私の部屋で寝た。
昨日と違ったのは、風呂上がりにちゃんと服を着ていたことと、寝る前に腹いっぱい飯を食っていたこと。それから、私の腕ではなく布団の端を掴んで眠ったことくらいだ。
朝。
目を開けると、リラはまだ隣で寝ていた。
横向きになって、小さく丸まっている。昨日までより顔色は少し良くなった気がするし、銀色の髪も風呂のおかげでずいぶんまともになった。
こうして寝ていると、本当にただの子どもに見える。
「……いや」
子どもなんだろうけど。
多分。
エルフだから何歳なのか分からないだけで。
私はしばらく寝顔を眺めた後、音を立てないように布団から抜け出した。
今日こそ教会。
そして仕事。
昨日みたいなことは二度としない。
親方にも言われた。本人にも言い聞かせた。私だってそうすると決めている。
完璧だ。
「ウバメ」
「うわっ!」
振り返る。
起きてる。
「いつから?」
「いま」
「絶対嘘だろ」
「いま」
目だけこちらを向けたまま、平然と言う。
まぁいい。
「起きろ。飯食って教会行くぞ」
「きょうかい」
「そう」
途端に耳がぺたりと下がった。
「その顔すんな」
「…………」
「今日はちゃんと預けるからな」
「…………」
「昨日は仕事場危なかっただろ。石落ちてきたし」
「ウバメ、ち」
「私は平気」
「…………」
「だから今日は教会」
しばらく黙ったまま俯いていたが、やがて小さく、
「……うん」
と答えた。
「…………」
素直。
困る。
昨日みたいに「やだ」って言われた方が、こっちも「駄目」で返せる。
「……とりあえず飯」
「たまご」
「毎日食う気?」
「たまご」
「高いんだぞ」
「…………」
また耳が下がる。
「分かったよ。一個だけ」
朝から銅貨が減る。
◇
「また来たんですか」
教会に着くなり、マリエラが笑った。
「笑うな」
「笑っていません」
「口元」
「気のせいです」
「この町の人間、みんなそれ言うな」
昨日と同じ白い建物、同じ中庭。
違うのは、リラが私の服の裾ではなく、今日は手を握っていることだった。
「昨日は大変だったようですね」
「聞いたんですか」
「親方さんが教会へ人を寄越しました。怪我がなかったか確認したかったそうです」
「何でわざわざ」
「心配だったのでしょう」
「…………」
「良い方ですね」
「口は悪いですけどね」
「あなたもでしょう」
「私は普通です」
またその顔。
「それで」
私はリラを見る。
「今日はお願いします」
「はい」
マリエラも腰を落とし、リラと目線を合わせる。
「リラ、おはよう」
「…………」
「覚えてる?」
「……まりえら」
「はい」
嬉しそう。
良かったな。
「じゃあ」
私は手を離す。
「私は仕事」
「…………」
リラがこちらを見る。
「昨日みたいについてくるなよ。今日は教会にいる」
「…………」
「夕方まで、ここ」
「…………」
「分かった?」
「……うん」
ちゃんと返事をした。
「よし」
今度こそ。
「じゃあな」
一歩。
二歩。
手は掴まれない。
振り返る。
リラはその場に立っている。隣にはマリエラもいる。
大丈夫。
よし。
「ウバメ」
「何」
「しごと」
「うん」
「……はたらけ」
「お前それ気に入ってるだろ」
耳が少しだけ上がる。
「行ってくる」
今度こそ歩く。
十歩。
二十歩。
扉を抜ける。
「…………」
泣き声なし。
追ってくる足音なし。
「よし」
今日はちゃんと働ける。
そのはずだった。
「ウバメさん!」
「…………」
後ろからマリエラの声。
嫌な予感。
最近この感覚、よく当たる。
◇
教会の応接室。
私とマリエラ。
それから、昨日事情聴取をした衛兵が一人。
「またあんたか」
「こっちの台詞だ」
「今日は何」
「昨日の連中について分かったことがある」
「私は関係ないだろ」
「ある」
「何で」
「エルフの子だ」
「…………」
衛兵が机の上に紙を置く。
昨日、男たちから押収した売買記録らしい。
「三人のうち、一人が吐いた」
「早いな」
「根性なかった」
「へぇ」
「自分たちは運び屋だそうだ。子どもを集めて、別の連中に渡す」
「ふぅん」
「問題は」
衛兵が紙の一か所を指す。
「この子だけ、最初から別扱いだった」
「別?」
「名前はない。『銀髪、長耳、幼体』ってだけだ」
「…………」
「値段も書いてない」
「高いから?」
「逆だ」
「?」
「金額じゃなくて、『回収』とだけ書いてある」
「…………」
回収。
嫌な言葉だ。
「それ、どういう意味」
「分からん」
「分からない?」
「売るために攫ったんじゃない可能性がある」
「じゃあ何」
「だから調べてる」
役に立たない。
「他の子は?」
「四人とも家族が確認できた。二人はもう帰った」
「良かったじゃん」
「ああ」
「じゃあリラも家族探せばいいだろ」
「それが出来ればな」
「何か分かった?」
衛兵は首を振る。
「今のところ何も」
「エルフの集落とか」
「近くにはない。もっと遠方にも問い合わせは出してるが、返事には時間がかかる」
「どれくらい」
「分からん」
「またそれ?」
「相手がエルフなら、なおさらだ」
マリエラが口を挟む。
「エルフの集落は、人間の都市とあまり積極的に交流しません。場所そのものを伏せている集落も多いんです」
「面倒だな」
「彼らからすれば、人間の方が面倒なのかもしれません」
「それはそう」
人間。
数多いし。
うるさいし。
すぐ増えるし。
「で」
私は衛兵を見る。
「私を呼び止めた理由は?」
「その子を、しばらく外に出さない方がいい」
「なら教会で」
「それなんだが」
「…………」
衛兵とマリエラが顔を見合わせる。
嫌な間。
「何」
「教会にも、昨日の夜、不審な男が来た」
「…………」
「どんな」
「旅商人を名乗った。『昨日保護された子どもの中に、エルフはいなかったか』と」
「……は?」
「どうやって知った」
「聞いた。答えなかった」
「逃げた?」
「ああ」
「捕まえろよ」
「追った。見失った」
「役立たず」
「お前な」
「だってそうだろ」
リラ。
回収。
知らない男。
嫌なものが、一つずつつながっていく。
「それで」
「教会は人の出入りが多いんです」
マリエラが言う。
「もちろん、リラを守ることは出来ます。ただ、あの子はまだ私たちに慣れていません。それに、もし探している者がいるなら、教会へ預けられたこと自体が知られている可能性もあります」
「……だから?」
分かる。
もう。
何を言われるか。
分かる。
聞きたくない。
「数日だけ」
衛兵。
「お前が預かってくれないか」
「嫌だ」
「即答だな」
「仕事ある」
「だから数日」
「仕事場連れていけない」
「宿で――」
「一人に出来るわけないだろ」
言ってから。
止まる。
「…………」
衛兵が見る。
マリエラも見る。
「何」
「いや」
「何だよ」
「随分と」
衛兵が笑う。
「保護者らしくなったな」
「違う」
「今のは完全に」
「違う」
「一人に出来ないって」
「危ないからだよ!」
「はいはい」
「殴るぞ」
「話戻すぞ」
くそ。
「教会より、お前と一緒にいる方が安全だと思う」
「何で」
「昨日、剣持った男三人倒した」
「…………」
「今日、落石から子ども抱えて避けた」
「…………」
「少なくとも普通の神官よりは強い」
「マリエラさんに失礼だろ」
「私は戦えませんので」
「認めるんだ」
「それに」
衛兵が続ける。
「相手も、まさか日雇い人足の獣人が連れて歩いてるとは思わんだろ」
「…………」
それは。
確かに。
教会。
孤児院。
衛兵詰所。
探すならそういうところだろう。
「何日」
「三日」
「長い」
「三日だけ」
「絶対?」
「その間にこっちで調べる」
「宿代」
「出す」
「飯」
「出す」
「風呂」
「…………」
「出す?」
「出す」
「卵」
「何で卵」
「朝食」
「……出す」
「服」
「必要なら」
「仕事休んだ場合」
「それは無理だ」
「使えない」
「お前の雇用主じゃないからな!」
「じゃあ仕事場どうすんの」
「そこは相談しろ」
「親方に?」
「親方に」
「…………」
今日。
怒られる。
絶対。
「あと」
マリエラが小さな袋を机の上へ置く。
「リラの着替えを用意しました」
「…………」
「簡単なものですが」
「用意良すぎない?」
「念のためです」
「最初から押し付ける気だった?」
「そんなことは」
「目逸らしたよな」
「気のせいです」
この町。
気のせい多すぎ。
「…………」
三日。
たった三日。
昨日も。
一昨日も。
似たようなことを言った気がする。
「……三日だけだからな」
「ありがとうございます」
「四日目は絶対教会」
「はい」
「絶対」
「はい」
「朝一で」
「分かりました」
「…………」
もう信用しない。
◇
中庭に戻る。
リラは木陰に座っていた。
私を見るなり立ち上がる。
「ウバメ」
「…………」
「しごと?」
「行く」
「りら」
「…………」
今日だけここに置いて、私は仕事へ行く。
夕方迎えに来ればいい。
そのつもりだった。
でも。
知らない奴が、ここまで来た。
「…………」
面倒。
物凄く。
面倒。
「一緒に来る?」
耳がぴんと立つ。
「…………」
分かりやすい。
「ただし」
指を一本立てる。
「昨日みたいに勝手に動くな」
「うん」
二本。
「親方に怒られたら、一緒に謝れ」
「うん」
三本。
「三日だけ」
「みっか?」
「今日、明日、明後日」
「…………」
リラも真似して三本指を立てる。
「みっか」
「そう。その後は教会」
「…………」
耳が少し下がった。
「その顔すんな」
「…………」
「まだ三日ある」
何で。
慰めてる。
私。
「ほら」
手を出す。
「遅刻する」
「うん」
小さな手が乗る。
「今日は走るぞ」
「はしる」
「転ぶなよ」
「うん」
教会を出る。
◇
「おっせぇぞォッ! ウバメェ!」
「すいません!」
今日も親方は怒っていた。
「昨日より遅ぇじゃねぇか!」
「事情が!」
「毎日事情あんな、お前ぇ!」
「私もそう思います!」
「で!」
親方の視線が下がる。
リラ。
「何でまたいる!」
「それがですね」
「連れてくんなっつったよな!」
「言いました」
「分かってますっつったよな!」
「言いました」
「絶対預けるっつったよな!」
「そこまでは言ってない」
「似たようなもんだ!」
親方が頭を抱える。
「三日」
「何」
「三日だけ」
「…………」
「事情があって」
「三日」
「はい」
「四日目」
「教会」
「本当に?」
「本当」
「…………」
「その顔やめてください」
「どの顔だ」
「信用してない顔」
「してねぇ」
「…………」
仕方ない。
私も少し信用してない。
「三日だけだぞ」
「ありがとうございます」
「あと今日は、昨日よりもっと離れたところにいさせろ。あんなこと二度もあっちゃ洒落にならねぇ」
「はい」
「だからって、ぼさっと座らせとくのも良くねぇな」
親方は辺りを見回し、資材置き場の隅に転がっていた麻袋を一枚拾い上げた。
口の辺りが大きく裂けている。
「嬢ちゃん」
「…………」
「暇だろ」
「ひま?」
「何もすることがねぇってことだ」
リラは少し考えてから、こくりと頷いた。
「なら、こいつ直せ」
「ちょっと親方」
「何だ」
「子どもですよ」
「だから何だ」
親方は近くの道具箱から太い針と麻糸を取り出した。
「出来ねぇなら出来ねぇでいい。昨日みてぇに石拾って歩き回られるよりゃ百倍マシだ」
「それはそうですけど」
「それにな」
親方は麻袋の裂け目を指で広げる。
「仕事ってのは、でかい石を運ぶことだけじゃねぇ。こういうのを直す奴がいなけりゃ、石運ぶ袋がなくなる。袋がなけりゃ細けぇ瓦礫が運べねぇ。瓦礫が運べなきゃ、俺らの仕事も進まねぇ」
リラは親方の手の中にある麻袋をじっと見ている。
「分かるか?」
こく。
「よし」
親方は木箱を一つ引き寄せ、その上へどっかり腰を下ろした。
「ここ座れ」
リラは親方と私を交互に見る。
「大丈夫だよ」
そう言うと、ようやく私の手を離し、数歩だけ親方の方へ歩いていった。
ほんの数歩。
それだけなのに。
「…………」
何だろう。
ちょっとだけ変な感じがした。
「ほれ」
親方が木箱の隣を叩く。
リラがちょこんと座った。
「まず針に糸通す」
「ぬう?」
「まだ縫わねぇ。順番ってもんがある」
「じゅんばん」
「そうだ」
親方の太い指が糸を摘まむ。
石を積み、槌を振るい、毎日キセルを咥えているような手だ。節くれ立っていて、どう見ても針仕事なんぞ似合わない。
ところが。
すっ。
糸が針穴を通った。
「…………」
「何だよ」
「いや」
「何だ」
「意外と器用ですね」
「うるせぇ」
親方は糸の端を器用に結ぶ。
「俺ぁ昔、ガキ三人育ててんだよ」
「親方が?」
「何だその言い方」
「いや」
「女房が寝込んだ時期があってな。服破いただの、靴紐切れただの、毎日毎日うるせぇったらありゃしねぇ。気づいたら覚えてた」
「へぇ」
「親方にもそんな時代が」
「今度余計なこと言ったら日当減らすぞ」
「横暴だ」
「働け」
はいはい。
私は石の山へ戻りかける。
「ウバメ」
「ん?」
リラがこっちを見ている。
「大丈夫。そこにいるから」
作業場を指差す。
「見えるだろ」
「……うん」
「親方の言うこと聞いてな」
「うん」
「おう。行け行け。お前ぇがいるとこいつも気が散る」
「何で私が邪魔者みたいになってんですか」
「働け!」
「はい!」
◇
仕事へ戻ってからも、しばらくは何となく気になっていた。
とはいえ昨日のように石を運びながら何度も振り返るほどではない。親方の隣にいるなら、少なくとも勝手に現場へ入り込むことはないだろう。
「違う。そっちから刺すんだ」
「こっち?」
「そう。それで引っ張る」
少し離れたところから親方の声が聞こえる。
「引っ張りすぎんな。布が寄る」
「よる?」
「ぐしゃってなる」
「ぐしゃ」
「そうだ」
意外にも。
親方の教え方は丁寧だった。
「ほら。やってみろ」
横目で見る。
リラが針を持ち、慎重に布へ刺す。
抜く。
糸を引く。
「そうそう」
もう一度。
刺す。
抜く。
「…………っ」
「あ」
親方の声。
反射的に顔を上げる。
「どうした!」
「来んな!」
「何で!」
「指刺しただけだ!」
「指!?」
思わずそっちへ向かいかける。
「来んなっつってんだろ!」
「でも」
「こんくらいで死なねぇ!」
「…………」
リラを見る。
左手の人差し指に、ほんの小さな血。
「…………」
リラの顔が強張る。
親方はそれに気づいたらしい。
「嬢ちゃん」
「…………」
「見ろ」
自分の手を出す。
古い切り傷。
火傷。
潰れた爪。
あちこち。
「俺なんざこんなだ」
「…………」
「仕事してりゃ、ちっとくらい怪我する」
「…………」
「痛ぇ時は?」
リラは親方を見る。
「痛ぇって言やいい」
「いたい?」
「そうだ」
「…………いたい」
「そうか」
親方は腰に下げていた布を取り、リラの指へ巻いた。
「じゃあ、ちっと休め」
「…………」
「痛くなくなったら続きをやる」
「つづき?」
「ああ」
「やめない?」
「やめてもいい」
親方はあっさり答えた。
「嫌ならな」
「…………」
「ただし」
麻袋を指す。
「やるって決めたなら、出来るところまでは最後までやれ」
「さいごまで」
「そうだ」
「なんで?」
「何でって……」
親方が頭を掻く。
少し考えてから、麻袋を持ち上げた。
「途中で放っぽり出された仕事ってのはな、次にやる奴が困るんだよ」
「…………」
「自分がちょっと面倒くせぇからって放っとくとな。その面倒が、今度は誰かのところに行く」
「…………」
「だから、出来るなら最後までやる。それだけだ」
リラはしばらく麻袋を見つめ、それから自分の指を見る。
「やる」
「そうか」
「さいごまで」
「おう」
親方が笑う。
「じゃあ続きだ」
「うん」
「今度は指刺すなよ」
「うん」
私は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
そういえば。
あの人。
私たちにも同じようなことを言っていた気がする。
任された仕事は最後までやれ。
途中に置くな。
中途半端にするな。
いつも怒鳴ってるから気にしたこともなかったけど。
「……親方してんだなぁ」
「聞こえてんぞォ!」
「耳良すぎだろ!」
◇
昼を少し過ぎた頃。
「できた」
リラが麻袋を両手で持ってきた。
「お」
見る。
「…………」
酷い。
縫い目は右へ行ったり左へ行ったりしているし、糸の間隔もばらばら。途中で妙に布を引っ張ったらしく、一か所ぐしゃっと縮んでいる。
親方が横から覗き込む。
「下手くそだなぁ」
「親方!」
もうちょっと言い方。
案の定、リラの耳が下がる。
「でも」
親方が袋の中へ手を入れた。
裂け目を掴んで引っ張る。
一度。
二度。
かなり乱暴に。
「破れねぇ」
「…………」
「使える」
リラが顔を上げる。
「最初ならこんなもんだ」
「へた?」
「下手だ」
「親方!」
「嘘ついてどうすんだよ」
親方は鼻を鳴らした。
「下手でも使えりゃいい。次はもうちっと上手くやりゃあいいんだ」
「つぎ」
「ああ」
「つぎ、やる」
「…………」
親方が止まる。
昨日までなら「明日は来るな」で終わっていただろう。
リラを見る。
麻袋を見る。
「…………ちっ」
資材置き場へ歩いていく。
少しして、別の破れた麻袋を一つ持って戻ってきた。
「今日はもうやらなくていい」
「?」
「これは」
その袋を隅へ置く。
「……また暇な時だ」
「うん」
「…………」
私は親方を見る。
親方もこっちを見る。
「何だよ」
「別に」
「ニヤニヤすんな」
「してませんよ」
「してる」
「気のせいです」
「てめぇまでそれ言うのか!」
人足どもが笑った。
リラは何が面白いのか分からないらしく、首を傾げている。
ただ、親方が置いた二枚目の麻袋を見て。
少しだけ。
耳を立てていた。
◇
夕方。
「ほら、今日の分」
親方が銅貨を差し出す。
受け取って数える。
「……五枚」
「昨日より遅かったからな」
「人情ないですね」
「昨日六枚やっただろ」
「昨日は昨日」
「今日は今日だ」
「世知辛い」
「嫌なら明日は朝から来い」
「努力します」
「努力じゃねぇ。来い」
「はいはい」
「返事!」
「はい!」
銅貨を懐へしまう。
横を見る。
リラは直した麻袋を抱えている。
「それ置いてけよ」
「…………」
親方が言う。
「仕事道具だ」
「…………」
「でも」
親方は一瞬考え、麻袋を指差した。
「お前ぇが直したって印でもつけとくか」
「しるし?」
「ああ」
親方は炭の欠片を拾うと、袋の隅に小さな丸を描いた。
「これなら分かる」
「りら?」
「そうだ。嬢ちゃんのだ」
「…………」
リラはその丸をじっと見る。
「明日来ても」
親方が言いかけて。
「…………」
私を見る。
「何です?」
「三日だけだっけな」
「そうです」
「…………」
今度はリラを見る。
「まぁ、明日も暇なら続きをやれ」
「うん」
即答。
「ただし勝手に現場入るなよ」
「うん」
「石触るな」
「うん」
「針も一人で使うな」
「うん」
「俺か誰か呼べ」
「おやかた」
「……俺限定じゃなくていい」
「おやかた」
「…………」
親方。
黙る。
人足どもが、にやにや。
「見るな!」
「何も言ってねぇっす!」
「顔がうるせぇ!」
リラが親方を見上げる。
「おやかた」
「何だ」
「またあした」
「…………」
親方はキセルを取り出しかけて、止めた。
リラの鼻先。
私を見る。
「何です?」
「こいつ、煙草臭いの駄目か?」
「私は駄目です」
「お前ぇには聞いてねぇ!」
「多分リラも嫌ですよ」
「…………」
親方はしばらくキセルを見つめた後、舌打ちして懐へ戻した。
「ったく」
「吸わないんです?」
「ガキの前で吸ったら女房にぶん殴られてたの思い出した」
「へぇ」
「何だ」
「いや」
「その顔やめろ」
「どの顔です?」
「面白がってる顔だ!」
やっぱり親方にも分かるらしい。
「帰るぞ、リラ」
「うん」
歩き出す。
少し進んだところで、リラが振り返った。
「おやかた」
「あぁ?」
「ばいばい」
「…………」
親方は一瞬ぽかんとした後、大きな手を雑に振った。
「おう。またな」
また。
と言った。
「…………」
明日も来る気じゃん。
私は笑いそうになるのを堪えて、前を向いた。
◇
帰り道。
リラはいつものように私の手を握っている。
「楽しかった?」
「うん」
「親方、怖くなかった?」
「こわい」
「怖いんじゃん」
「でも」
リラが少し考える。
「やさしい」
「…………」
思わず笑う。
「本人に言ってやれ」
「なんで?」
「嫌な顔するから」
「?」
「明日分かるよ」
「うん」
三日。
今日を入れれば、あと二日。
それが終われば教会。
その予定は変わらない。
変えるつもりもない。
でも。
「ウバメ」
「何」
「さいごまで」
「ん?」
「しごと。さいごまで」
親方に教わった言葉。
「……そうだな」
「ウバメも?」
「私?」
「しごと」
「ああ」
今日。
遅刻。
半日。
「…………」
「ウバメ?」
「明日はちゃんと朝から行く」
「さいごまで?」
「最後まで」
「うん」
何故か。
子どもに諭された気分になった。
「……親方、余計なこと教えやがって」
「おやかた、やさしい」
「それ本人の前で言ったら面白いぞ」
「いう」
「よし」
明日。
少しだけ楽しみになってしまった。
それが何となく悔しくて、私はリラの手を引きながら歩く速度を少しだけ上げた。




