のんびり放浪記10
結局。
風呂へ行く前に、衛兵の詰所へ寄った。
「またお前か」
「こっちの台詞」
「今日は何だ」
「怪しい奴いた」
「それだけ?」
「帰るぞ、リラ」
「待て待て待て!」
椅子から腰を浮かせた衛兵が、慌てて手を伸ばした。
「順番ってもんがあるだろ!」
「怪しい奴がいた。終わり」
「終わるか!」
「じゃあ何聞きたいの」
「どこで、いつ、どんな奴が、何してた」
「最初からそう言えよ」
「お前が説明しろよ!」
面倒だ。
本当に。
でも。
黙っておいて、後で何かあった方がもっと面倒なのは分かっている。
私は串焼き屋で聞いた話と、リラが仕事場でも同じ奴を見たらしいことを説明した。
「黒い外套」
「ああ」
「男と思われる」
「多分」
「顔は?」
「見てない」
「背丈」
「知らない」
「年齢」
「知らない」
「特徴」
「知らない」
「…………」
「何」
「情報少なすぎない?」
「私が見たんじゃない」
「嬢ちゃんは?」
衛兵がリラを見る。
「…………」
リラは私の後ろへ少し隠れる。
この男にも何度か会っているが、マリエラや親方ほどには慣れていない。
「リラ」
「うん」
「さっきの人、どんなだった?」
「くろ」
「黒い服?」
こく。
「顔は?」
「…………」
「見えなかった?」
こく。
「大きい?」
リラが考える。
それから。
私を見る。
「ウバメより」
「私より?」
「おおきい」
衛兵が私を見る。
「お前、結構でかいよな」
「何だよ」
「いや」
「続けろ」
「はい」
リラを見る。
「他には?」
「…………」
鼻。
指す。
「におい」
「臭い?」
「へん」
「何の臭いだ?」
「しらない」
衛兵が困った顔をした。
「ウバメは?」
「分からない」
「お前、鼻利くだろ」
「利くよ」
「じゃあ何で」
「知らないものは知らない」
むしろ。
それが気になる。
リラが「変な匂い」と言った。
でも、私には何も分からなかった。
串焼き屋の前には色んな臭いがあった。人間。獣人。肉。炭。酒。馬。
知らない臭いなんて、いくらでもある。
ただ。
リラはその中から、一人を選んだ。
「…………」
「何だ?」
「いや」
何でもない。
「とにかく」
衛兵は紙に何かを書きつける。
「巡回には伝える。教会にももう一度話しておく」
「捕まえられる?」
「怪しいってだけじゃな」
「使えない」
「だからお前は一言多いんだよ!」
「事実」
「もし同じ奴を見かけても追うなよ」
「何で」
「何でって」
衛兵が頭を抱える。
「相手が何者か分かってねぇんだぞ」
「だから捕まえるんじゃん」
「お前が捕まえんな!」
「逃げたら?」
「衛兵呼べ!」
「その間に逃げる」
「だからって殴るな!」
「殴るとは言ってない」
「顔が言ってる!」
「どんな顔だよ」
衛兵が大きくため息を吐く。
「とにかく。今夜は人通りの多い道を使え」
「うん」
「宿からも出るな」
「風呂」
「…………」
「風呂は行く」
「今日くらい我慢しろ」
「嫌」
「即答するなよ」
「風呂と命どっちが大事かって聞かれたら、ちょっと悩む」
「悩むな!」
隣。
「ふろ」
リラ。
「いく」
「ほら」
「嬢ちゃんまで!」
結局。
衛兵が一人。
浴場までついてくることになった。
◇
「何で俺が……」
「仕事でしょう」
「巡回の範囲じゃねぇ」
「ついで」
「誰のせいだ」
「怪しい奴のせい」
「お前の風呂好きのせいだよ!」
「そこで待ってて」
「当然だ!」
共同浴場。
暖簾の前。
衛兵を置いて中へ入る。
「おや」
番台のおばちゃん。
私。
リラ。
「今日は護衛付きかい?」
「違う」
「外に兵隊さんいたよ」
「ちょっと色々あって」
「またかい」
「またって何」
「この子連れてきてから、色々あるねぇ」
「…………」
言われてみれば。
人攫い。
事情聴取。
教会。
落石。
不審者。
「…………」
「な?」
「何が」
「いや」
おばちゃんが笑う。
腹立つ。
「二人」
「はいよ」
料金。
払う。
今日は追加の油石鹸は買わない。
昨日教会から預かった荷物の中に、リラ用の小さな石鹸が入っていた。マリエラが用意したらしい。
ありがたい。
銅貨一枚は大きい。
「髪、随分綺麗になったねぇ」
「毎日洗ってるから」
「姉ちゃんが?」
「最初は」
今は。
少しずつ。
自分でも出来る。
「リラ」
「うん」
「今日は自分で洗える?」
「できる」
「髪は?」
「…………」
「そこは私ね」
「うん」
まだ長い髪は難しいらしい。
「へぇ」
おばちゃんが笑う。
「何」
「いやぁ」
「その顔やめろ」
「どの顔だい」
「母親を見る顔」
「言った!」
「はっはっは!」
「違うから!」
最近。
否定する回数が多い。
◇
洗い場。
リラ。
自分で身体を洗っている。
私は横。
自分。
洗う。
「そこ」
「?」
「首」
「くび」
「洗えてない」
「…………」
「後ろ」
石鹸。
ごしごし。
「そう」
「うん」
出来てる。
前より。
明らかに。
「…………」
これ。
明日。
教会に行けば。
マリエラたちとやるのかな。
「…………」
いや。
それが普通。
最初から。
その予定。
「ウバメ」
「何」
「あわ」
「ん?」
リラ。
頭。
泡。
いっぱい。
「……何してんの」
「じぶんで」
「髪は私やるって言っただろ」
「できる」
「出来てない」
泡。
耳。
顔。
髪。
全部。
「目つぶれ!」
「?」
「いいから!」
桶。
湯。
流す。
「口閉じろ!」
「ん」
「目開けるな!」
「ん」
流す。
まだ泡。
「どんだけ使ったの」
「いっぱい」
「見れば分かるよ!」
もう一杯。
流す。
「…………」
銀髪。
ぺた。
顔。
びしょびしょ。
「…………」
リラ。
目。
開く。
「できた」
「出来てない」
「できた」
「私がやった」
「…………」
「何で不満そうなの」
耳。
少し。
ぺた。
「…………」
自分でやりたかった。
のか。
「次」
「?」
「次は自分でやれ」
「ほんと?」
「少しずつ」
「うん」
耳。
ぴん。
「…………」
明日。
いなくなる。
のに。
何で私は。
次の話を。
「…………」
「ウバメ?」
「何でもない」
湯船。
行く。
◇
「あぁぁ……」
最高。
肩まで浸かる。
今日もよく働いた。
警戒もした。
衛兵にも寄った。
もう十分。
湯。
温かい。
「…………」
リラ。
隣。
首まで。
入ってる。
「沈むぞ」
「しずまない」
「小さいんだから」
「ちいさくない」
「小さい」
「こどもじゃない」
「じゃあ何歳」
「しらない」
「それ前もやった」
少し。
笑う。
静か。
湯気。
水音。
「リラ」
「うん」
「変な匂い」
「うん」
「今もする?」
リラ。
鼻。
少し。
動く。
「…………」
周り。
見る。
「しない」
「そっか」
「ウバメ、わからない?」
「分からない」
「なんで?」
「私が聞きたい」
鼻には。
自信ある。
それなりに。
他の獣人より。
ずっと。
「どんな匂い?」
「…………」
考える。
「くさくない」
「臭くない?」
「うん」
「じゃあ、いい匂い?」
首を振る。
「…………」
難しいな。
「何に似てる?」
「…………」
リラ。
少し長く考える。
「おと」
「音?」
「…………」
違う。
言葉。
探してる。
「きこえない」
「何が?」
「におい」
「…………?」
分からん。
「臭いなのに聞こえない?」
「…………」
こく。
「…………」
エルフ。
よく分からない。
「まぁいいか」
「いい?」
「分からないもの考えても仕方ない」
「うん」
「また感じたら言え」
「うん」
それでいい。
今は。
◇
風呂から出る。
衛兵。
壁。
もたれ。
「長ぇ!」
「普通」
「一刻近く入ってたぞ!」
「普通」
「どこが!」
「リラ」
「うん」
「普通だよな?」
「ふつう」
「覚えさせんな!」
「多数決」
「二対一じゃねぇか!」
「勝ち」
「何にだよ!」
うるさい。
帰る。
銀鍋亭。
まで。
衛兵。
一緒。
「怪しい奴」
「いないな」
「気づいてないだけじゃない?」
「お前が言うな」
「私は分からなかったから」
「それが気になるな」
「やっぱり?」
「ああ」
衛兵。
真面目な顔。
「お前が嗅ぎ取れないのに、嬢ちゃんだけ分かる」
「うん」
「種族差か」
「かも」
「魔術って可能性もある」
「魔術?」
「臭い消し」
「そんなのある?」
「ある」
へぇ。
「盗賊とか密偵が使う。香料や薬草を使うもんもあるし、魔術で気配ごと薄くする奴もいる」
「…………」
「ただ」
「何」
「そういうのを使ってんなら」
「うん」
「普通の旅商人じゃねぇな」
「…………」
分かってる。
嫌な。
方向。
「でも」
「何」
「リラは分かった」
「そうだな」
「何で」
「知らん」
「役立たず」
「今度言ったら護衛やめるぞ」
「すいません」
宿。
着く。
「今日はここから出んな」
「出ない」
「窓も閉めろ」
「暑い」
「我慢しろ」
「嫌」
「命と暑さなら命取れ!」
「それは命」
「風呂は悩むのに!?」
「風呂は別」
「もういい!」
衛兵。
帰る。
「変な人」
「ウバメも」
「…………」
「誰に教わった?」
「おやかた?」
「親方かよ」
明日。
文句言う。
◇
夕飯。
リラ。
スープ。
パン。
私。
肉。
女将。
「明日で三日目だっけ?」
「今日が三日目」
「あら」
「明日、教会」
「そうなのかい」
「そう」
「…………」
「何」
「いや」
「その顔」
「寂しそうだねぇ」
「誰が」
「あんたが」
「違う」
「そうかい」
「そう」
「リラちゃんは?」
「?」
女将。
リラ。
「明日、教会だって」
「…………」
耳。
ぺた。
「ほら」
「何がほらだよ」
「どっちが寂しいんだろうねぇ」
「両方違う」
「ふぅん」
「本当に」
リラ。
スープ。
見る。
「…………」
食べない。
「リラ」
「うん」
「食べろ」
「…………」
「卵あるぞ」
「たまご」
食べる。
良し。
「…………」
これで。
いい。
明日。
教会。
終わり。
◇
夜。
部屋。
窓。
閉めた。
暑い。
「…………」
最悪。
布団。
リラ。
横。
「暑くない?」
「ちょっと」
「窓開ける?」
「だめ」
「衛兵に言われた?」
「うん」
「…………」
聞いてたか。
偉い。
「寝ろ」
「うん」
灯り。
消す。
「…………」
暗い。
少し。
暑い。
「ウバメ」
「何」
「あした」
「うん」
「きょうかい」
「そう」
「…………」
「安全だよ」
「…………」
「マリエラいるし」
「うん」
「衛兵も見回り増やすって」
「うん」
「だから」
「…………」
「大丈夫」
誰に言ってるんだ。
リラ。
か。
私。
か。
「…………」
「ウバメ」
「何」
「ふろ」
「明日も入れるよ」
「いっしょ?」
「…………」
教会。
風呂。
あるのかな。
「マリエラに聞け」
「…………」
「多分ある」
「ウバメ」
「…………」
「いっしょ?」
暗い。
顔。
見えない。
「…………」
「それは」
私。
仕事。
リラ。
教会。
「…………」
終わり。
の。
はず。
「…………」
言葉が。
出ない。
「寝ろ」
「…………」
「明日考える」
「うん」
逃げた。
完全に。
逃げた。
「…………」
何だ。
この。
感じ。
胸。
もや。
気持ち悪い。
「…………」
明日。
教会。
それで。
いい。
◇
どれくらい寝たか。
分からない。
「…………」
目。
開く。
暗い。
「…………」
何か。
音。
「…………」
違う。
臭い。
「…………」
鼻。
動く。
木。
布。
汗。
リラ。
宿。
いつもの。
でも。
「…………」
知らない。
ほんの少し。
窓。
じゃない。
扉。
「…………」
身体。
起こす。
隣。
リラ。
寝てる。
「…………」
廊下。
何か。
いる。
いや。
いた。
少し前。
臭い。
残ってる。
「…………」
足音。
ない。
私は静かに立つ。
扉。
近づく。
「…………」
手。
掛ける。
開ける。
廊下。
暗い。
誰も。
いない。
「…………」
鼻。
使う。
確か。
何か。
でも。
薄い。
すぐ。
消える。
「…………」
階段。
見る。
誰も。
いない。
「……ちっ」
戻る。
扉。
閉める。
鍵。
掛ける。
「ウバメ」
「…………」
リラ。
起きてる。
「ごめん。起こした?」
「…………」
首。
振る。
「寝ろ」
「…………」
リラ。
鼻。
動く。
「…………」
「何」
顔。
変わる。
「…………」
私。
見る。
「におい」
「…………」
背中。
冷える。
「同じ?」
こく。
「黒い奴?」
「わからない」
「でも、変な匂い?」
こく。
「…………」
私は。
もう一度。
扉を見る。
さっきまで。
そこに。
誰かいた。
「…………」
明日。
教会。
それで終わり。
そう。
思ってた。
でも。
多分。
もう。
そんな簡単な話じゃない。




