のんびり放浪記22
翌朝。
「みどり」
「乾いてるよ」
「きる」
「はいはい」
昨日、裏庭に干していた薄緑の服は、すっかり乾いていた。
女将が念入りに洗ってくれたおかげで、肩に付いていた黒い跡も残っていない。リラは着替え終わると、自分の袖を何度か見てから満足そうに頷いた。
「よかった?」
「うん」
「そんなに気に入ってたんだ」
「りらの」
「そうだね」
そこが大事らしい。
買った時にも何度も確認していた。
取られない。
自分の物。
私には服なんて、着られて破れてなければ大体同じだけど。
リラには違うらしい。
◇
朝飯を食べ終わる頃、いつもの衛兵が銀鍋亭へ来た。
「今日は早いね」
「お前らが出る前に来たんだよ」
「仕事熱心」
「その言葉で全部済ませようとすんな」
最近、このやり取りにも慣れてきた。
衛兵は食堂の机へ小さな紙包みを置いた。
「昨日の紙?」
「ああ」
麻袋の縫い目から出てきたもの。
濡れて潰れ、昨日は『三』しか読めなかった。
「乾いた?」
「一応な」
「読めた?」
「少しだけ」
紙包みを開く。
中には、昨日より平らになった紙片が入っていた。
端は破れている。
文字も半分以上滲んでいた。
それでも、『三』の少し離れたところに、もう一文字だけ読める。
『倉』
「……倉?」
「ああ」
「三……倉?」
「間に一文字か二文字あったらしい」
衛兵が紙の破れた部分を指す。
「ガルドにも見てもらったが、これ以上は無理だと」
「三の倉?」
「三番倉、第三倉、三つ目の倉庫。考えりゃ色々ある」
「ソリダンテにそういう場所ある?」
「町全体なら山ほどある」
「使えない」
「倉庫を片っ端から調べろってのか!」
「冗談」
「お前、真顔で言うから分かんねぇんだよ」
リラも紙を覗き込む。
「さん?」
「三」
「くら?」
「倉庫」
「ふくろ?」
「そう。袋とか荷物を置いとくところ」
少し考えてから、リラが首を傾げた。
「おしごと?」
「…………」
私と衛兵が顔を合わせる。
「親方に聞くか」
「それが早いな」
◇
仕事場へ向かう道は、昨日と同じだった。
果物屋。
パン屋。
朝から荷を運ぶ男。
市場の掃除をしている婆さん。
リラも一つずつ確認している。
「いる」
「うん」
「あっちも」
「昨日もいたね」
「いつも」
「そう」
いつの間にか、こいつの方が私より町を見ている気がする。
「リラ」
「何」
「覚えるの得意?」
「…………」
少し考える。
「わからない」
「そっか」
まぁ、そう聞かれても困るか。
◇
「三番倉?」
親方は紙片を見て、すぐに眉を寄せた。
「ある?」
「ある」
「本当に?」
「何で聞いといて疑うんだ」
「衛兵が倉庫なんていっぱいあるって」
「町全部ならな」
親方が仕事場の南側を指す。
「ここの資材置場は三つある。一番倉、二番倉、三番倉だ」
「まんま」
「分かりやすい方がいいだろ」
「三番倉って何置いてる?」
「今は空袋、縄、木材の端材。使いかけの道具なんかもだな」
「袋」
「ああ」
親方もそこで止まった。
「昨日の袋、三番倉に行くことある?」
「ある」
「よく?」
「しょっちゅうだ」
破れた袋は仕事場でまとめられ、直せそうなものは修繕に回す。
使えるようになった袋はまた現場へ戻る。
数が余れば三番倉に置かれ、そこから別の作業場所へ回ることもあるらしい。
「じゃあ、『三番倉』って書いてあった可能性はある」
「あるな」
「仕事用の紙じゃない?」
親方は首を振った。
「それはねぇ」
「何で」
「袋をどこへ持っていくかなんざ、紙に書いて縫い目へ突っ込まねぇよ。口で言えば済む」
「確かに」
しかも、紙は袋の縫い目の奥から出てきた。
偶然入り込んだ可能性もある。
でも、黒い粉も付いていた。
「衛兵は?」
「三番倉を見に行くって」
「お前は?」
「仕事」
「珍しく分かってんな」
「行きたいけど」
リラを見る。
親方の木箱の横で、針と糸を準備している。
「今日は行かない」
「そうしろ」
親方は短く答えた。
◇
午前中。
三番倉のことを気にしながら、普通に働く。
普通に。
これが難しい。
「ウバメ、そこじゃねぇ!」
「分かってる!」
「分かってねぇから言ってんだ!」
「ちょっと考えてたの!」
「石持って考えんな!」
持っていた石を、違う場所へ置きかけていた。
「…………」
「ほら」
「戻す」
「最初からやれ!」
やっぱり。
見張りながら仕事するの。
向いてない。
「ウバメ」
リラ。
「何」
「しごと」
「してる!」
「おやかた、おこる」
「もう怒ってる!」
親方のため息が大きい。
◇
昼前になっても、衛兵は戻らなかった。
代わりに、人足の一人が親方へ声を掛けた。
「親方、三番倉から空袋持ってこいって」
「誰が」
「南側の作業班。二十枚欲しいってよ」
「分かった。荷車使え」
普通の仕事の会話。
でも、三番倉と聞いた瞬間に反応してしまう。
「誰が行くの」
「俺と、あと二人」
「私も」
「行くな」
親方。
早い。
「まだ何も」
「言った」
「荷物運び」
「お前が行きたい理由は仕事じゃねぇだろ」
「…………」
ばれてる。
「衛兵が見てるなら任せろ」
「分かってるけど」
「ウバメ」
リラが私を見る。
「いかない」
「…………」
「行かないよ」
口に出す。
自分にも言い聞かせる。
◇
三番倉へ向かった荷車が戻ってきたのは、昼過ぎだった。
空の麻袋が何枚も積まれている。
大きさも色も、ほとんど同じ。
「リラ」
「うん」
声を掛けただけで、親方がすぐこちらを見る。
「わざわざ嗅がせんなよ」
「分かってる」
「嬢ちゃんも、無理に探さなくていいぞ」
「うん」
それでもリラは自然に鼻を動かした。
「…………」
「何かする?」
聞く。
リラは少し考えてから首を振った。
「わからない」
「それでいい」
今回はすぐに言えた。
「分からないなら分からないでいい」
「うん」
袋が次々と荷車から降ろされる。
運んできた人足は三人とも、少なくとも今日初めて見る顔ではない。
「三番倉、何か変だった?」
一人に聞く。
「変?」
「知らない人がいたとか」
男が親方を見る。
「何だ、また何かあったのか?」
「余計なこと言わなくていい」
親方が私を見る。
「聞くだけ」
「お前の聞くだけは話が広がるんだよ」
人足の男は苦笑しながらも答えた。
「別に何もなかったぞ」
「誰がいた?」
「倉番の爺さん。南側の組が二人。あと荷車の御者」
「御者は知ってる?」
「顔なら見たことある」
「そっか」
結局。
聞いた範囲では普通だった。
◇
昼休み。
衛兵が戻ってきた。
「どうだった?」
「飯食わせろ」
「先に教えて」
「朝から三番倉調べてんだぞ」
「だから」
「腹減ってんだ!」
親方が自分のパンを一つ投げる。
衛兵が受け取った。
「食って喋れ」
「……すまん」
「礼はいい」
一口かじる。
飲み込む。
「で?」
「急かすな!」
もう一口食べてから、衛兵が話し始めた。
「三番倉は市の管理だ。倉番は二人で交代してる。どっちも長く勤めてる」
「倉番は怪しい?」
「今のところ、怪しいところはない」
「じゃあ白?」
「そこまでは言ってない」
「…………」
「長く働いてるから無実、とは限らんだろ」
「そうだった」
決めつけない。
最近、何度も言われている。
「他に入れる人は?」
「仕事関係なら結構いる。親方から札をもらった人足、荷車の御者、市の職員」
「多いね」
「ああ」
「紙のことは?」
「まだ分からん」
「…………」
「ただ」
「何」
衛兵がパンを下ろす。
「三番倉で、最近ちょっと妙なことはあった」
「何」
「空袋の数が合わない」
親方が眉を寄せる。
「盗まれた?」
「そこまでは分からん。帳面より少ないらしい」
「袋なんざ数え間違うこともあるだろ」
「倉番も最初はそう思ってたらしい」
「いつから?」
「ここ一月くらい」
「…………」
リラがここへ来るより前。
「じゃあ、リラは関係ない?」
「そうとも限らん」
「何で」
「嬢ちゃんが来る前からある仕組みを、今回も使ってる可能性がある」
「…………」
黒い石もそうだった。
今回のためだけに用意された物ではない。
もし三番倉も同じなら。
「前から、こういう仕事に使ってた?」
「可能性はある」
衛兵はそこで区切った。
「まだ可能性だけだぞ」
「分かってる」
「今、全部繋がった顔しただろ」
「してない」
「してた」
親方まで頷く。
腹立つ。
◇
「空袋で何すんだ」
親方が腕を組む。
「何か隠す?」
私が言う。
「紙くらいならな」
「袋ごと持ち出すことも出来る」
衛兵が続ける。
「三番倉を受け渡し場所にしてるなら、仕事の荷に混ぜられる」
「でも、倉番がいる」
「だから逆に目立たないこともある」
「何で」
「誰も来ない空き家へ出入りする奴は目につく。でも、人足や御者が毎日出入りする倉なら、袋を一枚持ってても気にされにくい」
「…………」
なるほど。
筋は通っている。
「ロイの仕事もそこで?」
「それは分からん」
「…………」
「すぐ一つにまとめんな」
「今まとめるのやめたところ」
「遅い」
◇
「じゃあ、どうする」
親方が聞く。
「三番倉を閉めるか?」
「いや」
衛兵は首を振った。
「急に閉めたら、こっちが何かに気づいたと教えるようなもんだ」
「そのまま使わせる?」
「ああ。表向きはな」
「見張るんだ」
「そういうことだ」
今度は倉の周りに、私服の衛兵を置くらしい。
「私たちは?」
「いつも通り仕事」
「また」
「それが一番だ」
分かってる。
衛兵が続ける。
「ただ、出入りする袋の一つに目印を付ける」
「囮?」
「囮ってほどじゃない」
「どうするの」
衛兵が短い赤糸を見せる。
「普通の空袋の縫い目の内側に、これを挟む」
「誰かが開けたら?」
「位置がずれる。抜けるかもしれん」
「でも、その袋を相手が選ばなかったら意味ない」
「選ばせるつもりはない」
「?」
「倉に戻す袋の束へ混ぜるだけだ」
衛兵は赤糸を指でつまんだ。
「俺たちが見分けられる袋を一枚作っておけば、夜中に誰かが袋の束を動かした時、どの荷に混ざったか追いやすい」
「なるほど」
袋を開けさせる罠じゃない。
動きを追うための目印。
「三番倉から袋が減ってるって話が本当なら、また誰かが持ち出すかもしれない」
「持ち出さなかったら?」
「何も起きない」
「地味」
「こういうのは地味でいいんだよ」
親方も頷いた。
「派手なのが好きなら、壁でも壊してろ」
「仕事増えるでしょ」
「分かってんじゃねぇか」
◇
午後。
目印を付ける袋を一枚決めた。
どこにでもある古い麻袋。
破れていない。
目立つ染みもない。
炭の丸もない。
衛兵が縫い目の奥へ短い赤糸を挟み、外から見えないよう元へ戻す。
その袋を親方が、三番倉へ返す予定の空袋の束へ混ぜた。
「夕方にまとめて倉へ戻す」
「誰が?」
「いつもの人足だ」
「相手には言わない?」
「当然」
「目印の袋どれか知ってる人は?」
「俺と親方。それから倉を見張る奴だけ」
「私も」
「お前は見ただろ」
「じゃあ四人」
「細けぇな」
それで準備は終わった。
あとは普通に仕事をする。
◇
そこからは本当に何も起きなかった。
リラは袋を直す。
私は石を運ぶ。
今日は考え事をしても、置き場所を間違えない。
「ウバメ」
「何」
「みてる?」
「見てる」
「しごと」
「してる」
「ほんと?」
「何で疑うの」
親方が横から答える。
「普段の行い」
「親方まで!」
◇
夕方。
目印を仕込んだ袋は、他の空袋と一緒に荷車へ積まれた。
私はそれを見送る。
「ついてくなよ」
衛兵が言う。
「分かってる」
「本当に?」
「今日は風呂行く」
「……それなら大丈夫か」
「何その信用のされ方」
でも。
風呂。
大事。
「リラ」
「うん」
「帰るよ」
「ふろ」
「そう」
リラが嬉しそうに立つ。
「おやかた」
「何だ」
「またあした」
「ああ。またな」
「ふくろ」
「明日もある」
「うん」
親方が少し笑った。
「嬢ちゃん」
「何」
「今日は上出来だ」
飴。
一個。
「りらの?」
「そうだ」
「ほうしゅう」
「……もう好きにしろ」
諦めたらしい。
◇
串焼き屋。
異常なし。
共同浴場。
異常なし。
今日はたっぷり入った。
「ウバメ」
「何」
「ながい」
「今日はいいの」
「のぼせる」
「誰に覚えた」
「おばちゃん」
「番台か」
皆。
余計なことを教える。
◇
銀鍋亭へ戻る。
女将がこちらを見るなり言った。
「今日は何もないよ」
「聞く前に」
「どうせ聞くんだろ」
「助かる」
「はいはい」
二階。
窓の糸。
粉。
扉。
櫛。
全部、異常なし。
リラを座らせ、髪に木櫛を通す。
「ウバメ」
「何」
「さん」
「三?」
「くら」
「覚えてた?」
「うん」
「まだ全部は分からない」
「ふくろ?」
「そうかもしれない」
「…………」
「でも今日は、衛兵が袋を見てる」
「ウバメは?」
「私は」
櫛を通す。
「風呂入ってた」
リラが笑った。
「何」
「ウバメ、ふろ」
「大事なの!」
◇
翌朝。
食堂へ下りる。
いつもの衛兵がいた。
「早いね」
「昨日も言った」
「で?」
「朝飯くらい食わせろ」
「何かあった?」
「…………」
衛兵が私を見る。
「座れ」
「何で」
「先に座れ」
嫌な言い方。
座る。
リラも隣へ座る。
「袋?」
聞く。
衛兵が頷いた。
「動いた」
「どの袋」
「赤糸を入れたやつも含めて、空袋が十枚ほど」
「誰が」
「まだ分からん」
「何で」
「夜中に三番倉から出された」
「倉番は?」
「その時間は倉を開けてない」
「じゃあ勝手に?」
「いや」
衛兵が声を落とした。
「市の通行札を持った男が来た」
「札は本物?」
「ああ」
「なら市の人?」
「違う」
「何で」
「その番号の札は、昨日の夕方に持ち主から盗まれてる」
「…………」
喉の奥が少し冷える。
「袋は?」
「荷車に積まれた。見張ってた奴が距離を取って追ってる」
「今も?」
「ああ」
「じゃあ私も」
立とうとする。
「座れ」
「でも」
「もう人を付けてる」
「私も行った方が」
「嬢ちゃん連れて追跡すんのか?」
「…………」
止まる。
リラが私の服を掴んだ。
「ウバメ」
「何」
「しごと」
「…………」
何で。
こいつまで。
「行くよ」
「うん」
「仕事」
「うん」
衛兵が少し息を吐いた。
「何か分かったら必ず知らせる」
「絶対」
「ああ」
「早め」
「分かってる」
座り直す。
目の前には朝飯。
卵。
パン。
食欲はあまりない。
「ウバメ」
「何」
リラが私の皿の卵を指す。
「たべる」
「……はいはい」
一口食べる。
三番倉は。
やっぱり何かに使われていた可能性が高い。
少なくとも、普通の仕事なら盗んだ札まで使って、夜中に空袋を持ち出したりはしない。
でも。
まだ、何のためかは分からない。
誰がやっているのかも。
だから。
今度も急がない。
追っているのは。
私だけじゃない。
そう思いながら、卵を飲み込んだ。




