のんびり放浪記16
窓枠の傷を見つけた翌朝。
「触るなよ」
「うん」
「絶対」
「うん」
「見るだけ」
「うん」
リラが窓枠を覗き込んでいる。
昨日見つけた小さな傷は、そのまま残してある。
細い。
浅い。
何かを差し込んだようにも見えるし、ただ硬い物が擦れただけにも見える。
でも、昨日の朝にはなかった。
多分。
「…………」
「ウバメ」
「何」
「きず」
「あるね」
「だれ?」
「それを今から調べる」
「みつける?」
「そう」
「さいごまで?」
「何でもそこに繋げるな」
でも。
まぁ。
今回は最後までやる。
◇
「で、何で俺が朝から呼ばれてんだ」
銀鍋亭の二階。
昨日から世話になっている衛兵が、窓枠を睨んでいた。
「仕事でしょ」
「俺にも他の仕事がある」
「私にもある」
「じゃあ親方んとこ行け!」
「これ終わったら」
「お前なぁ……」
文句を言いながらも、衛兵は傷をしっかり確認している。
「こじ開けようとした跡には見えねぇな」
「じゃあ何」
「窓の掛け金が外から動くか試したとか」
「そんなこと出来る?」
「道具がありゃな」
「へぇ」
「ただ、これだけじゃ何とも言えん」
「使えない」
「帰るぞ」
「すいません」
最近。
この人の扱いも分かってきた。
「問題は」
衛兵が窓の外を見る。
「誰がここまで来たかだ」
「屋根?」
「多分な」
銀鍋亭の二階は、通り側より裏手の方が少し低い。
隣の建物。
物置。
塀。
足場に出来そうな場所はいくつかある。
「足跡は?」
「昨日の夜から雨降ってねぇし、瓦じゃ残りにくい」
「臭いも分からない」
「嬢ちゃんは?」
「昨日はここで変な匂いした」
衛兵がリラを見る。
「今は?」
「…………」
リラが鼻を動かす。
少し考えてから首を振った。
「ない」
「消えたか」
「多分」
昨日の「変な匂い」が、普通の臭いと同じように残るものなのかも分からない。
分からないことが多すぎる。
「だから」
私は窓枠を見る。
「次来たら分かるようにしたい」
「どうやって?」
「それ聞くために呼んだ」
「丸投げかよ」
「専門家」
「こういう専門家じゃねぇよ」
「じゃあ誰」
「…………」
衛兵が考える。
「罠師」
「どこにいる?」
「知らん」
「使えない」
「お前、今日二回目だぞ」
◇
結局。
衛兵から出てきた案は、思ったより単純だった。
「糸?」
「ああ」
「これで?」
「窓の外側に目立たねぇよう張っとく。誰か触れば切れるか外れる」
「なるほど」
「あと窓枠に薄く粉」
「粉?」
「灰でも小麦粉でもいい。指で触れば跡が残る」
「へぇ」
「簡単な方法だが、何もしねぇよりましだ」
「ちょっと有能」
「ちょっと言うな」
女将から少量の小麦粉を分けてもらい、窓枠の見えにくい部分へ薄く伸ばす。
衛兵は細い糸を窓の外側へ張った。
「触るなよ」
「分かってる」
「嬢ちゃんも」
「うん」
「特にお前」
「何で私」
「お前が一番忘れそうだから」
「失礼」
否定しようとして。
やめる。
多分。
ちょっと忘れる。
「リラ」
「うん」
「私が触りそうになったら止めて」
「とめる」
「頼む」
「ウバメ」
「何」
「わすれる?」
「……多分」
笑った。
「何で笑う」
「わすれる」
「嬉しそうに言うな」
◇
仕事場へ行く。
同じ道。
同じ時間。
昨日と同じ。
ただし。
今日はもう一つ。
見るものが増えた。
屋根。
窓。
二階。
「前見ろ」
「見てる」
「見てねぇ」
「見てるって」
「さっき柱ぶつかりそうだったぞ」
親方。
朝からうるさい。
「上見てた」
「何で」
「昨日、宿の二階まで来てたかもしれない」
「…………」
親方の顔が変わる。
「詳しく話せ」
話す。
窓枠の傷。
リラが同じ匂いを感じたこと。
今日、窓へ目印を仕掛けてきたこと。
「なるほどな」
「何かいい案ある?」
「知らん」
「即答」
「俺ぁ石屋だ」
「親方でしょ」
「だから石と人足の面倒見るのが仕事だ」
言いながら、親方は少し考える。
「ただ」
「何」
「壁直す時も似たようなことはする」
「何を?」
「ひびが広がってるか分からん時は、印つけとく」
「印?」
「端に線引いて、何日か見る。ずれりゃ動いてるって分かる」
「へぇ」
「見張ってなくても、変わったかどうかは分かる」
「…………」
同じだ。
「親方」
「何だ」
「たまに頭いいですね」
「日当半分にするぞ」
「いつも頭いい」
「遅ぇ」
◇
リラは今日も麻袋。
最近。
もう「何をさせるか」を考える必要がなくなった。
自分で木箱へ行き、親方から針を受け取り、昨日の続きを始める。
「そこ」
「?」
「昨日より間広がってるぞ」
「ここ?」
「そう」
「なおす」
「おう」
普通に仕事してる。
賃金。
出てないけど。
「親方」
「何だ」
「リラ、日当ないの?」
「何でだよ」
「働いてる」
「遊びだ」
「ふくろ、つかえる」
リラ。
聞いてた。
「…………」
親方。
止まる。
「ほら」
「お前ぇが余計なこと言うからだろ」
「事実」
「嬢ちゃん」
「うん」
「これは練習だ」
「れんしゅう?」
「そう」
「おかね?」
「出ねぇ」
「…………」
耳。
下がる。
「親方」
「やめろ! その顔で俺見るな!」
「私何もしてない」
「顔が言ってんだよ!」
「何て?」
「払えって!」
「じゃあ払えば?」
「何でだ!」
古株の人足が笑いながら口を挟む。
「親方、一枚直すごとに飴一個とかでいいんじゃねぇです?」
「何で俺が」
「おやかた」
「…………」
親方。
弱い。
「一枚きれいに直せたらな」
「うん」
「雑なのは駄目だぞ」
「さいごまで」
「そうだ」
成立した。
「良かったな」
「うん」
「ウバメ」
「何」
「おかね?」
「私は日当」
「ずるい」
「何で!?」
また言葉が増えてる。
変な方向に。
◇
昼前。
昨日の青い布の荷車は来なかった。
その代わり。
「…………」
知らない婆さん。
城壁の向こう。
籠。
持ってる。
「親方」
「今度は何だ」
「あの婆さん」
「野菜売りだろ」
「前からいた?」
「たまに来る」
「…………」
じゃあ違う。
少し先。
赤い帽子の男。
「親方」
「今度は何だ!」
「あれ」
「左官屋の若ぇの」
「知ってる?」
「三年前からな」
「…………」
違う。
「ウバメ」
「何」
「しごと」
「してる」
「みてる」
「見ながらしてる」
リラ。
親方。
見る。
「おやかた」
「何だ」
「ウバメ、しごと?」
「してねぇ」
「してる!」
してる。
多分。
◇
昼。
親方から飴を一個もらったリラが、両手で包むように眺めている。
「食べないの?」
「りらの?」
「そうだろ」
「ずっと?」
「食ったらなくなるよ」
「…………」
難しい顔。
確かに。
自分の物。
でも食べ物。
「食べても、お前がもらったことは変わらないよ」
「…………」
「また上手く出来たらもらえるし」
「ほんと?」
親方を見る。
「一日一個までだ!」
「うん」
包み。
開ける。
口。
入れる。
目。
少し大きくなる。
「甘い?」
「うん」
耳。
立つ。
「良かったな」
「うん」
親方。
見てないふり。
してる。
「親方」
「何だ」
「ありがとうございます」
「お前にやったんじゃねぇ」
「でも」
「いいから飯食え」
「照れてる」
「日当減らすぞ!」
今日。
何回目。
◇
夕方。
「帰るぞ」
「うん」
「窓」
「いと」
「覚えてた?」
「うん」
「偉い」
「ウバメ、わすれる」
「そこまで覚えなくていい」
同じ道。
串焼き屋。
三本。
今日は変な客なし。
「またな、姉ちゃん」
「うん」
「嬢ちゃんも」
「また」
共同浴場。
今日は少し短め。
「昨日より長いねぇ」
番台。
「昨日が短すぎた」
「それでも前より短い」
「成長」
「自分で言うのかい」
宿。
戻る。
女将。
「おかえり」
「ただいま」
「ただいま」
「はい、おかえり」
二階。
上がる。
「リラ」
「うん」
「ここから触るなよ」
「うん」
部屋。
前。
鍵。
開ける。
扉。
中。
普通。
「窓」
見る。
「…………」
糸。
「切れてない」
そのまま。
「粉」
近づく。
跡。
なし。
「…………」
来てない。
「今日はなし?」
「多分」
リラ。
鼻。
動く。
「におい、ない」
「じゃあ今日は大丈夫」
何もない。
それが。
少し嬉しい。
「…………」
いや。
待て。
「リラ」
「?」
「窓触るなよ」
「うん」
もう一度。
見る。
糸。
粉。
傷。
全部。
昨日のまま。
でも。
何か。
違う。
「…………」
部屋。
見る。
布団。
荷物。
櫛。
服。
全部ある。
「…………」
何だ。
「ウバメ?」
「ちょっと待って」
鼻。
使う。
木。
布。
女将の料理。
風呂上がりのリラ。
私。
「…………」
変な臭い。
ない。
でも。
「…………」
机。
見る。
そこ。
「リラ」
「うん」
「朝、櫛どこ置いてた?」
「そこ」
指。
机。
「どこ?」
「ここ」
机の右。
今。
櫛。
左。
「…………」
私が動かした?
朝。
使った?
いや。
昨日の夜。
髪。
梳いた。
その後。
「…………」
どこに置いた。
「リラ」
「うん」
「朝、触った?」
「さわってない」
「女将?」
「きてない」
「…………」
櫛。
見る。
木櫛。
昨日。
買った。
リラの。
手を伸ばす。
「ウバメ」
「何」
「さわる?」
「…………」
止まる。
「触らない」
そう。
決めた。
変わったもの。
見つけたら。
まず。
触らない。
「女将呼んで」
「うん」
「いや」
待つ。
「私も行く」
「?」
「一人にしない」
部屋。
出る。
鍵。
掛ける。
◇
「櫛?」
女将。
「朝から部屋入った?」
「入ってないよ」
「掃除」
「あんたがしばらく入らなくていいって言ったんだろ」
「そうだった」
「何か動いてたのかい?」
「多分」
女将。
顔。
変わる。
「窓は?」
「仕掛けそのまま」
「じゃあ扉?」
「鍵、掛かってた」
「…………」
合鍵。
「女将」
「あるよ」
「誰が持ってる?」
「私だけだ」
「本当に?」
「客室の合鍵をそこらの奴に渡すわけないだろ」
じゃあ。
何。
「鍵を開けられた?」
「可能性はあるね」
後ろ。
声。
衛兵。
「何でいるの」
「巡回!」
「ちょうどいい」
「嫌な予感しかしねぇ」
◇
衛兵。
部屋。
調べる。
櫛。
位置。
確認。
「これだけ?」
「今のところ」
「盗られた物は?」
「ない」
「荒らされた跡」
「ない」
「窓の仕掛け」
「そのまま」
「……扉から入った可能性か」
「鍵掛かってた」
「開けて、戻した」
「出来る?」
「出来る奴はいる」
「…………」
「盗賊とか?」
「盗賊。密偵。鍵師。色々だ」
「多いな」
「世の中そんなもんだ」
衛兵。
扉。
鍵穴。
見る。
「細かい傷はある」
「新しい?」
「分からん」
また。
分からない。
「ただ」
「何」
「もし本当に入ったなら」
衛兵。
櫛。
見る。
「目的は盗みじゃねぇ」
「だよね」
「何かを探したか」
「うん」
「それとも」
「…………」
「わざと、動かしたか」
ぞわ。
背中。
「何のため」
「お前らが気づくか試す」
「…………」
昨日。
私が。
思った。
同じ。
「ウバメ」
リラ。
服。
掴む。
「いる?」
「今は」
鼻。
使う。
リラ。
匂い。
「いない」
でも。
来た。
窓じゃない。
今度は。
扉。
「…………」
相手も。
変えてきた。
私たちが。
窓を警戒した。
次の日。
扉。
「衛兵」
「何だ」
「これ」
「何」
「向こうも私たち見てる」
「前からだろ」
「違う」
窓。
見る。
「昨日、窓に気づいた」
「……ああ」
「今日、窓は触られてない」
「…………」
「代わりに扉から入った」
衛兵。
黙る。
「偶然かもしれん」
「うん」
「でも」
「私なら」
相手。
だったら。
「こっちが何を警戒してるか、見てる」
衛兵の顔から。
少し。
色。
消える。
「……そうだとしたら」
「何」
「思ったより近くにいるぞ」
「…………」
近く。
どこ。
宿。
見える。
私たちが。
窓に。
何かした。
分かる場所。
「…………」
窓。
見る。
通りの向こう。
建物。
二階。
屋根。
「衛兵」
「何だ」
「向かいの建物」
「どれ」
「あれ」
通り。
挟んだ。
古い建物。
店。
閉まってる。
二階。
窓。
一つ。
「何の建物?」
「……昔、雑貨屋だったはずだ」
「今は?」
「空き家」
「いつから」
「半年くらい」
「…………」
ちょうど。
見える。
この部屋の。
窓。
「リラ」
「うん」
「変な匂い」
窓際。
連れてく。
「向こうからする?」
リラ。
鼻。
動く。
じっと。
向こう。
見る。
「…………」
長い。
「リラ?」
「…………」
耳。
下がる。
「する」
「…………」
「どこ」
小さい。
指。
向こう。
空き家。
二階。
「そこ」
衛兵。
私。
見る。
「行くなよ」
「何で」
「今から仲間呼ぶ」
「逃げる」
「だからってお前一人で行くな!」
「私一人じゃない」
リラ。
見る。
「だから余計行くな!」
「…………」
正しい。
くそ。
「じゃあ早く」
「待ってろ」
「どれくらい」
「すぐ呼ぶ」
「すぐって」
「ウバメ」
リラ。
「何」
「まつ」
「…………」
「おやかた、いう」
「何を?」
「いたかったら、やすむ」
「…………」
それ。
今。
「待つのと休むの違わない?」
「…………」
「まぁいいか」
衛兵。
笑いそう。
「笑うな」
「笑ってねぇ」
「顔」
「誰かさんみたいになってきたな」
「誰」
「知らん」
向かい。
空き家。
窓。
暗い。
誰も。
見えない。
でも。
いる。
少なくとも。
いた。
「…………」
やっと。
一つ。
見つけた。
次は。
こっちから。
行く。




