のんびり放浪記12
翌朝。
目を覚ますと、リラが布団の上に座って私を見ていた。
「…………」
「…………」
「何」
「おきた」
「今ね。っていうか、何で見てたの」
「おきるかなって」
「見てなくても起きるよ」
「うん」
そう言いながらも、リラは動かない。
昨日までは、朝になれば「今日はどうする」「教会へ戻すのか」という話が必ずついて回った。それが今日はない。
安全な場所が決まるまで。
そう決めた。
期限はない。
それだけで、妙に朝の感じが違う。
「起きるぞ」
「うん」
「今日は仕事」
「おやかた」
「そう。親方」
「ふくろ」
「それも好きだな、お前」
「さいごまで」
「はいはい」
布団から起き上がり、伸びをする。
そこで、部屋の隅に置かれたリラの服が目に入った。
教会から借りた物と、最初に古着屋で買った一着。
「…………」
足りないな。
「リラ」
「うん」
「仕事行く前に買い物するぞ」
「かいもの?」
「お前の物」
「りらの?」
「そう」
リラがぱちぱちと瞬きをする。
「服。一着じゃ足りないだろ」
「ある」
「あるけど少ないの。洗ったら何着るんだよ」
リラは少し考え、それから私を見る。
「ウバメの」
「着れるか」
私の服なんて着せたら、裾を引きずるどころか中に丸ごと隠れる。
「だから買う」
「りらの?」
「そうだって」
「ずっと?」
「…………?」
「りらの?」
同じことをもう一度聞いた。
「うん。買ったらお前の」
「…………」
リラの耳が少し立つ。
「うれしい」
「服が?」
「りらの」
「…………」
なるほど。
服そのものじゃない。
自分の物が増えることが嬉しいらしい。
昨日までなら、そこまで考えなかったかもしれない。
「じゃあ飯食ったら行くぞ」
「うん」
「先に仕事場寄って、遅れるって言わないとな」
「おやかた、おこる?」
「怒る」
「ウバメ、また?」
「またって言うな」
◇
「遅ぇ!」
やっぱり怒った。
「まだ遅れてないでしょう!」
「これから遅れるって言いに来た奴が威張るな!」
朝の城壁工事現場。
親方はキセルを咥えたまま、こちらを睨んでいる。
「買い物行ってから来ます」
「何の」
「リラの」
「…………」
親方の目がリラへ向いた。
リラは昨日の麻袋が置かれている辺りを見ている。
「服とか」
「昨日決めた途端それか」
「何が」
「いや」
「その顔やめて」
「何も言ってねぇだろ」
「絶対何か思ってる」
「勝手に思っとけ」
親方は煙を吐き、手を振った。
「昼までには来い」
「そんなかからない」
「お前ぇのことだから分からん」
「買い物ですよ?」
「風呂屋見つけたら?」
「…………」
「ほらな」
「朝から入らない!」
「一瞬考えただろ!」
「行ってきます!」
「逃げんな!」
市場へ向かう。
横を歩くリラが、小さく私を見上げた。
「ウバメ」
「何」
「ふろ?」
「行かない」
「いかない?」
「今日はね」
「…………」
「何で残念そうなんだよ」
◇
古着屋の老婆は、私たちを見るなり笑った。
「また来たのかい」
「また来ました」
「今度は何だい」
「服」
「この子の?」
「そう」
「二着くらい?」
「そのくらい」
「下着は」
「…………」
「寝間着」
「…………」
「靴下」
「…………」
「替えの靴」
「…………」
「手拭い」
「…………」
「櫛」
「…………」
ちょっと待って。
「子どもって」
「何だい?」
「金かかるな」
「今さら気づいたのかい」
知らなかった。
というか、知る機会がなかった。
「服だけじゃ駄目?」
「じゃあ洗濯してる間、何着せるんだい」
「私の」
言いかけて、朝のリラとの会話を思い出す。
「……無理だな」
「だろ?」
「くそ」
「何で悪態つくんだい」
「予定外の出費」
「子どもなんて予定通りに金がかかるもんじゃないよ」
「私の子じゃない」
「はいはい」
「本当に違うから」
「分かった分かった」
絶対分かってない。
老婆は棚から何着か服を引っ張り出した。
「この辺なら丈夫だよ」
「これ」
「茶色だね」
「丈夫そう」
「こっちは」
「それも」
「また茶色」
「汚れ目立たないし」
「女の子なんだから、もうちょっと可愛いのにしたらどうだい」
「動ければ何でもいいでしょ」
「本人に聞きな」
老婆がリラを見る。
「嬢ちゃん。どれがいい?」
「…………」
リラは並べられた服を見た。
茶色。
焦げ茶。
また茶色。
私としては、どれも悪くない。
けれど、リラの視線はそのまま横へずれた。
棚の端に、薄い緑色の服が掛かっている。
「あれかい?」
老婆が取る。
リラは少し迷ってから、こくりと頷いた。
私は値札を見る。
「これ、茶色より高い?」
「銅貨一枚だけね」
「…………」
丈夫で安い茶色。
少し高い緑。
私は財布を見て、それからリラを見た。
リラは何も言わない。ただ、緑の服を見ている。
「…………」
「どうする?」
「それで」
「毎度」
老婆が笑う。
「何」
「何も」
「その顔、何か言いたそう」
「何も言ってないよ」
絶対何か言いたい顔だった。
リラへ服を渡す。
「ほら」
「りらの?」
「そう」
「ずっと?」
「買ったんだから、ずっとお前の」
「とらない?」
「誰が取るんだよ」
「…………」
「取らないよ」
そう言うと、リラは服を胸に抱えた。
その仕草を見て、少しだけ胸の奥が引っかかる。
自分の物だと言われることが、そんなに珍しいのか。
聞こうかと思った。
でも、やめた。
今じゃない。
「次」
「?」
「靴」
◇
服を二着。
下着。
寝間着。
靴下。
靴。
手拭い。
そこまで揃えたところで、老婆がさらに一本の木櫛を出した。
「これもいるねぇ」
「いる?」
「その髪で櫛なしは無理だよ」
リラの銀髪は長い。
風呂では私が洗っているし、乾いた後も手で絡まりを解いていた。確かに、毎回あれをやるのは面倒だ。
「いくら」
「銅貨二枚」
「高い」
「良い木だよ」
「一枚」
「二枚」
「一枚」
「二枚」
「一枚と、次ここで何か買う」
「何を?」
「何か」
「そんな約束あるかい」
「じゃあ一枚」
「二枚」
「戻った」
「最初から二枚だよ」
負けた。
銅貨を渡す。
「リラ」
「うん」
「ほら」
木櫛を差し出す。
「?」
「櫛」
「くし」
「お前の」
「りらの?」
「そう」
受け取ったリラは、櫛を裏返して眺め、また表へ戻した。
「そんな珍しい?」
「りらの」
「うん」
胸の前で大切そうに抱える。
「無くすなよ」
「うん」
「風呂に忘れるな」
「うん」
「仕事場にも置いてくるなよ」
「うん」
「本当に」
「ウバメ」
「何」
「ありがと」
「…………」
ちゃんと言った。
昨日までより、また一つ。
言葉が増えた。
「……どういたしまして」
「?」
「そういう時は、それでいい」
「どういたしまして」
「いや、お前は言わなくていい」
「?」
「まぁいいか」
◇
買い物を終えると、当然ながら荷物は増えた。
重さ自体は大したことがない。石材に比べれば、全部まとめても軽い。
でも。
自分一人で旅をしていた頃なら、持つ必要のなかった荷物だ。
「ウバメ」
「何」
「もつ」
「いいよ」
「もつ」
「じゃあ、自分のだけ」
小さな袋に軽い物をまとめて渡す。
リラは両手で大事そうに抱えた。
「重い?」
「だいじょうぶ」
「落とすなよ」
「うん」
市場を抜けて仕事場へ向かう。
朝の通りは、人も荷車も多い。
魚。
肉。
革。
汗。
馬。
香辛料。
排水。
いくつもの臭いが入り混じる。
鼻の利く私にとって、町というのはいつだって騒がしい。
そんな中。
「…………」
ふと。
誰かに見られたような気がした。
足を止める。
「ウバメ?」
「ちょっと待って」
鼻を使う。
けれど、分からない。
人が多すぎる。
「リラ」
「うん」
「何か感じる?」
リラも立ち止まった。
少しだけ鼻を動かし、周囲を見回す。
「…………」
「どう?」
「いる」
小さな声。
「どこ」
リラが通りの向こうを指した。
人混み。
荷車。
露店。
それらしい黒い外套の男は見当たらない。
「見える?」
首を振る。
「匂い?」
「うん」
「前のと同じ?」
「うん」
「…………」
追うか。
一瞬、そう思った。
足も前へ出かける。
けれど、すぐ横にリラがいる。
昨日、衛兵にも言われた。
一人で追うな。
何より、もし相手の狙いがこいつなら、私が離れる方がまずい。
「…………ちっ」
「?」
「行くぞ」
「おわない?」
「追わない」
「なんで?」
「お前がいるから」
「…………」
「ここで置いてくわけにもいかないだろ」
「うん」
「だから今日はやめ」
「めんど?」
「それもある」
「めんど」
「楽しそうに覚えるなよ」
リラの手を取る。
背中が気になった。
追えば、何か分かるかもしれない。
それでも今日は追わない。
そう決めた。
……一回だけ振り返ったけど。
そこにはもう、誰もこちらを見ている奴はいなかった。
◇
「遅ぇ!」
仕事場に戻るなり、親方の怒鳴り声が飛んだ。
「昼前には来たでしょう!」
「十分遅ぇ!」
「許可もらった!」
「許可したから怒らねぇとは言ってねぇ!」
「理不尽!」
「で」
親方がリラを見る。
それから、私の持つ荷物を見る。
「随分買ったな」
「必要だったんですよ」
「へぇ」
「何、その顔」
「何も言ってねぇ」
「今日それ三人目」
「知らん」
近くにいた古株の人足も寄ってくる。
「嬢ちゃん、服買ってもらったのか?」
リラは袋から少し見えている緑色の布を見て、それから私を指した。
「ウバメ」
「あん?」
「かった」
「へぇー」
今度は人足が私を見る。
「何」
「いやぁ」
「何」
「すっかり保護者だなぁと思って」
「違う」
「即答かよ」
「必要だから買っただけ」
「服も?」
「必要」
「靴も?」
「必要」
「櫛も?」
「何で知ってんの」
人足がリラを指す。
見ると、木櫛を手に持ったままだった。
「リラ」
「うん」
「それ仕事中に持つな。無くすぞ」
「りらの」
「分かってるよ。だから大事ならしまっとけって」
「うん」
大事そうに袋へ入れる。
それを見ていると、親方が鼻で笑った。
「何です?」
「別に」
「親方までその顔やめて」
「どの顔だよ」
「何か言いたそうな顔」
「お前ぇ、今日は顔に文句つけてばっかだな」
腹立つ。
◇
午後。
リラは、また麻袋の前へ座っていた。
「今日はここからだ」
「うん」
「昨日より真っ直ぐ縫ってみろ」
「まっすぐ」
「そう」
親方から針を受け取り、慎重に布へ刺す。
抜く。
糸を引く。
また刺す。
手つきはまだ遅いが、最初の日よりかなりましになっている。
「お」
親方が覗き込む。
「いいじゃねぇか」
「?」
「前より上手くなってる」
「へた?」
「まだ下手」
「親方」
「何だよ。嘘ついてどうすんだ」
リラの耳が少し下がる。
「でもな」
親方が縫い目を指でなぞった。
「昨日よりずっといい。ちゃんと使える」
「…………」
耳が戻る。
「さいごまで」
「おう。最後までやってみろ」
「うん」
また針を動かす。
私は少し離れたところで石を運んでいた。
ちらりと見る。
針。
糸。
麻袋。
その横に親方。
昨日までと同じ光景。
なのに。
何となく違って見える。
「ウバメ!」
「何!」
「見てねぇで働け!」
「働いてる!」
「石止まってんぞ!」
見る。
止まってる。
「今動く!」
「最初から動かせ!」
くそ。
◇
昼過ぎ。
「できた」
リラが麻袋を持って親方のところへ行った。
親方は受け取ると、縫い目を引っ張り、裏返し、もう一度引っ張った。
「お」
「?」
「昨日より真っ直ぐだ」
「うん」
「これなら十分使えるな」
「じょうでき?」
「上出来」
「…………」
「何だ」
「うれしい」
「…………」
親方が止まった。
「何です?」
「うるせぇ」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「それ私が今日ずっと言ってたやつ!」
「知らん」
リラは親方を見上げた。
「おやかた」
「何だ」
「できた」
「ああ」
「さいごまで」
「おう」
親方は少しだけ笑った。
「よくやった」
「うん」
リラも笑う。
ほんの少し。
それから親方が、今度は私を見る。
「何です」
「お前ぇも」
「何」
「ちゃんと最後までやれよ」
「仕事?」
「それも」
「またそれ?」
「分からんなら、自分で考えろ」
「…………」
昨日と同じ。
いや。
昨日より。
少しだけ意味が分かる気がする。
「親方」
「何だ」
「面倒なこと言いますね」
「お前ぇにゃそれくらいでちょうどいい」
「めんど」
リラ。
「お前は覚えなくていい!」
◇
夕方。
銀鍋亭へ戻り、買った物を部屋に並べる。
そこで初めて、思ったよりたくさん買っていたことに気づいた。
私の荷物は少ない。
着替え。
手拭い。
旅道具。
それくらい。
必要な物だけ持って、いらなくなったら捨てる。
ずっとそうしてきた。
その隣に、小さな服が二着。
寝間着。
靴。
靴下。
手拭い。
小さな袋。
木櫛。
明らかに、昨日までとは違う。
一人分だった部屋に。
いつの間にか。
二人分の物がある。
「…………」
「ウバメ」
「何」
リラが木櫛を差し出している。
「くし」
「うん」
「かみ」
「自分でやるんじゃなかったの?」
「うしろ、できない」
「…………」
「ウバメ」
「はいはい」
床へ座らせ、その後ろに回る。
長い銀髪へ、買ったばかりの木櫛を通す。
最初に風呂へ連れていった時は、血と汚れで酷い状態だった。それが今は、随分きれいになった。
「痛い?」
「だいじょうぶ」
「引っかかったら言えよ」
「うん」
ゆっくり梳く。
毛先。
真ん中。
上。
力を入れすぎないように。
「ウバメ」
「何」
「きれい?」
「髪?」
「うん」
「綺麗だよ」
「…………」
耳がぴんと立つ。
「うれしい」
「そう」
また櫛を通す。
面倒だ。
今だって、それは変わらない。
金はかかる。
荷物も増えた。
仕事へ行く前に買い物も必要になった。
変な奴には狙われているし、飯だって二人分考えなきゃならない。
今まで一人なら考えなくてよかったことが、毎日少しずつ増えている。
そのくせ。
「…………」
リラの髪をもう一度梳く。
前ほど嫌じゃない。
むしろ。
こいつの物が私の隣に並んでいるのを見ても、もう違和感がない。
それが。
一番。
面倒だった。




